犬公方の徳川綱吉の実母のおたま(玉の輿の語源の人)は
半島から渡ってきた人説があるらしくて驚いた。
>>696
697さんの言うとおり「京都堀河八百屋の娘♪」のお玉が
お江戸に出て驚異的な出世を遂げたことからの後付けの俗説だね
たしか中国の故事から「女、氏素性なくて玉の輿に乗る」が起源だと思う
氏素性、家柄が高く無い女でもその美貌や運で貴人の乗るような
金銀珊瑚宝玉で飾った輿にのる身分への出世も可能だってことだと思った
桂昌院の母が高麗の人だというのは洛中に住んだ儒学者の随筆に書かれている
嘘を書くような学者でも無いのでたぶんに街中の噂を書きとめた感じかと
庶民の娘が生前に従一位という髙い位について権勢をもったことを
江戸を下に見て幕府・武家を厭うような京の人びとが揶揄して
そういう噂や風聞がたったんじゃないかなと自分は憶測するけど
>> 金銀珊瑚宝玉で飾った
なんとなく思い出したけど、子供だった頃の桃太郎や花咲か爺さん、舌切り雀などの財宝が出てくる絵本には、珊瑚(木みたいな形)や着物の反物が描かれてたな。
当時はこんなものもらって嬉しいか?と疑問だった。
今の絵本じゃ何が描かれてるんだろ?
昔の絵本よかったよね。
桃太郎出陣の装束やかぐや姫の十二単やキジの姿などは
かなり調べて正確に描いていた。
ああいうリアルな絵本って今はもう無いのかな。
もしあったら集めたいと思う。
ニュース
反物はそれ自体価値があったのよね
殿様からいただくご褒美や、AからBに贈る記念の品やお礼の品としても使われた
今の洋服とはまた違う利用法というか文化ね
江戸時代の呉服屋さんの店先を思い浮かべていただくとわかると思うけど
>>700
へー、反物は反物のままで、着物には仕立てないってこと?
それは知らなかった。
それで金策に困ったときは売れるってことなのかな。
そういえば落窪物語を読んでて、刺繍は姫の仕事だって書いてあって驚いたなぁ。
侍女がやってるものだと思ってた。
貴族の姫が反物とかに刺繍して、それを市場に出して売ってた、ということなのかしら?
意地悪な姉たちに、私の分もやっときなさいよ!って刺繍を押し付けられた場面が何故か印象だった。
>>703
自分の着るものか、背の君の衣装に刺繍するんじゃないかな。
市場には出回らないでしょう。
源氏物語では、花散里が裁縫や染めものが得意という設定だけど、
あんな長い髪で裾を引きずる袿姿で、どうやって染物していたんだろう。
現在でもでっかい鍋やバケツがいっぱいいるし、汚れる仕事だと思うんだけど。
反物を染めてたのかな。
当時はハンカチみたいなものがあったりしたらそういう小物類を染めてたりとか?
それでも腕はまくらないと大変だよね。
それとも友禅のように絵付けだけして後は侍女だったりして。
映画「新・平家物語」だと時子役の久我美子が、敷地内の水を引いた設備で着物の裾をからげて
足で染物を洗っていたよ
髪も後ろで輪っかにしてから一つに束ねて短くしてた
久我美子さんは本名「こがはるこ」でお公家様のおひいさまだったのね
えーと史実wの時子の実家は地味な文系官僚の平家なんだけど
映画のあそこまで貧しくはない
時子の実家描写のつつましさもそうだけど、清盛一家の幼少時の貧しさも
「新平家物語」の作者でもある吉川英治独自の着想
時子じゃなくて、前の奥さんだったら貧乏だったかも
>前の奥さん
前の奥さんいうと重盛を産んだ高階基章娘ですか
高階氏は右近将監というたいした地位でも無かったのは確かだけど
吉川英治創作の「新平家」での時子家の貧乏創作のような状況であったかは
わかりませんねーw
伊勢物語に、
「女が自らしゃもじでご飯をよそっていたのが下品で、男はがっかりした」?そんな章段があったよね。
ある程度身分のある女性は生活上の行動・動作をどれくらいやっていたのだろうか。
今の感覚だとわかりにくい、
生活そのものも違うし
階級や身分によって随分異なると思う。
家事なんかは下女のやるものだったのだろうけど
染め物については、その文章を読んだことないので、よくわからない
属している階級によりかなり生活も多様だっただろうね
(今もお金持ちや特別な人は家政婦などを使っているとは思うが)
伊勢物語の中でも有名な「筒井筒」の中で
大和の筒井筒の男が浮気というか新しい妻問いで
河内「高安の女」のもとへ通っていたときの逸話かな
「… 何にかあらむ、さまざまなるものの色どものいときよらなれば『 かやうなる方は、南の上にも劣らずかし』と思す。
御直衣、花文綾を、このころ摘み出だしたる花して、はかなく染め出でたまへる、いとあらまほしき色したり。」
染物を感心する描写はこれぐらいしか知らないけれど、これだけだと色の指示とか組み合わせとかなのかな。
でも、「染め出でたまへる」と敬語を使っているところをみると、やっぱり自分で染めてるんだろうか。
それらを実際にやらなくても、的確な指示が出せるとか、
上手い職人や侍女を抱えているとか、みたいな感じ?
家族が良いものを着ていてそれが北の方のお見立てで
「〇〇卿の北の方は趣味が良い」というような雰囲気になるのでは
平安貴族にとって着るもののの美麗さや趣味の良さは
財力や資産とともにクラスの高さの目安でもあったのではなんて思うけど
どうでしょうか
トイレにも人がついてきて、食事するにも細かい決まりがあって、
たまに部屋を出られても庭少しだけとか。
ずーっと座ってて、何で気を紛らわせていたんだろう。
「天障院篤姫」では、読書や手習いなどの描写はあったけど。
お手水にも人がついてきて・・・って
フジテレビ大奥の菅野美穂のとく子様でもやってたネタね
大大名の姫や宮家の姫なら違和感のないところだけど
薩摩支藩1万石ほどの生まれのとく子にはたまらなく嫌だったという展開
実際の天璋院も維新後に勝海舟と東京の街をあちこち見聞して
庶民が使う家財道具を便利だからと求めたりしたそうなので
大家の姫感覚とは少し違ったものがあったのかなとは思うわ
そして生れが顕著に高貴な場合は用をたした後のお尻拭きまで
おつきの侍女がしたような生活であり
不自由な御殿での生活も生まれたときから慣れ親しんでいて
あまり窮屈だとは思わなかったのだと思う
お庭を歩く(お拾いになる)のだって幼い頃から侍女付きだったろうし
今でも雲上人は単独行動はないわけで
昔ならそれほど珍しくないのでは。
ちょっと裕福な家のお嬢様は、常に婆や、や、下男に伴われて行動していたような時代
ほとんどの女性は自らの境遇をそのまま受け入れていた、あるいは受け入れようとしていた、と思います。
私も人が居てもそれが常だと特に気にならなくなってたと思う
海外貴族の話になっちゃうけど黒人奴隷や階級がかなり低いメイドなんかは「人間」じゃなかったから
部屋にいても普通に着替えを行ったりしてたそうなので
>>735
そうなんですよね。
敗戦後のフィリピンで戦勝者の自宅に使役に出された元日本軍士官(英国留学をして英国王に拝謁もした東京帝大出)が
室内の掃除をしている面前で、その英人女が、平然と素っ裸になって着かえをしたという。
我が日本人は、肌色・宗教・民族等と勝敗を異にすると、人間というものはここまで恥知らずになるものだと思い知ったという。
その同胞は、その後帰国して行政・司法部の最高部分の場に列している方です。
その話、最初に知った時には英国人の人種差別の苛烈さよと思ったものだけど
英国人の階級差別を知るにつけ、仮に掃除をしてるのが英国人であったとしても
掃除夫がいることなんて気にせず英国女は着替えをしたんだろうなと思うようになった。
着替え中にルンバが入ってきたくらいのことなんだろう。
明治後期ならいけても江戸は無理そうかな。
あと字も。
明治~大正くらいの風俗古書を読むのが好きなんだけど、果たして今の漢字仮名文字は通じるんだろうか。
仁のような妄想してニヤニヤしてるけど、現実的に考えると言葉で躓きそう。
「仁」もだけど、ペニシリンは欧米の作品でもタイムスリップ物のお約束なんだなと思ったw
そうそう、私薬学と微生物やってるからペニシリン作る妄想してるよ。
でも、まずどこからバクテリアをハンティングして、更に選別して、そこから抽出して…それに必要なシャーレや培地になる道具を、無菌操作できる環境を作り…って考えると、まぁ無理だなぁと思う。
原理は分かってもね。
今は業者から業務用の試薬や道具を大量に買えるけど、微生物学の走りの人たちは、どうやって道具を調達してたんだろ?
技術屋に依頼してたとは思うんだけど、そんなに多くは作れないよね。
少ない道具をやりくりするのってすごく大変そう。
>>745
江戸弁なら多少問題があっても言い換えでなんとかなりそうだけど
方言同志だと通じないって大山巌の話があったよね
明治期に外来語の言い換えで新しい熟語や宛語がたくさんできたので
江戸時代だとそっちの方が通じないんじゃないかなと思ったり
>>757
そのためにお武家だと他藩同志でも話が通じるような
武士標準語のようなものがあったのよね
江戸詰めを世襲してるような家や江戸留守居役の家では必修
あと「天璋院篤姫」なんかでもふれられているけど
大家の姫は何処に輿入れするかわからないので
江戸の藩邸ではないお国元育ちであっても
お国言葉よりなんとなく標準語を身につけさせられるという
全く訳わからなかったわw
>>749
なんかの番組で、飛鳥時代の言葉を流してて
全く日本語に聞こえなくてショックを受けたわ。
番組では、江戸中期あたりから、急速に今の日本語に
近づいていった…って結論づけてた記憶。
>>750
先日本屋さんで、立ち読みした勝海舟の「氷川清話」
ちらっと見ただけだからアレだけど
勝海舟の談話は基本、現代人にも普通に理解できると思いました。
あれは、晩年の勝の談話を、ほとんどそのまま聞き書きしたものですよね。
ちょっと古くさい「べらんめえ調って感じ」。
だから幕末の江戸の人とは、話が通じるのではないでしょうか
お互い何言ってるのかわからないので謡曲の言葉で会話をしたと
あったね。
勝海舟は親が御家人株を買って御家人になったような家の出で
江戸本所の下町生まれ下町育ちで
正妻さん(明治になって妻妾同居だったのは有名)は深川の羽織芸者
ちょっと型破りな人なので、特にああいう伝法な語り口
氷川清話は現代人に読める言葉ではあるけど
中身を真剣にとろうと思うと云い回しや略称や世間の出来事等々
注釈を参照しつつ読まないと理解しにくい部分もあります
じゃあ小説家はどうだろうと思ったけど、やはり幕末辺りじゃないと文字も言葉も通じなそうだし。
てことで私は画家で生きていきます。
最初は写実派で一世を風靡してから徐々に萌え絵にスライドしていこう。
あ、あとガラス職人なんかも良さそう。
タイムスリップしたら、予言者や占い師が良いのでは?
そういうのは「禁じ手」かな
禁じてと言うか下手したら殺される
明治に入り外国語の翻訳でつくられた言葉
「社会」「個人」「近代」「美」「恋愛」「存在」「自然」「権利」「自由」「彼、彼女」
等が試行錯誤の末に成立して行った過程を解説してた。
例えばそれまで独立した個人同士の結びつきが希薄だった日本では"society"を
どう訳したらいいかわからずに、最初は「侶伴」とか「仲間」とか「組」とか
いろいろな訳があてられた、とか。
反対に江戸時代の町人は、草書は読めても楷書は読めないと
高校時代の国語教師が言ってたけど、ホントかしら。
そういうのは、学者の考えた古代の国語だから、やっぱり実際とは違うだろうしねえ。
地方(田舎)のほうにはまだ古語が残っていて、その古語が方言になっていたりするよ。
例えばまだ『帰る』とか『去る』を「いぬ」「いぬる」と言ってる地域がある。
ところで、新年恒例の歌会始めの朗読、あれはすごくゆっくりと朗々と読みあげているけど、昔の歌会とか歌のやり取りもあんな感じだったのか
恐ろしく時間がかかりそうだが。
男女間の歌のやり取りは黙読だから時間はかからないのかな
>>761
和歌の披講とは関係無いけど
正調の平家語りなんかだと「祇園精舎の鐘の声」と語るのに
1分近くかかったりする
宮中の歌会はじめのあの披講もそれなりに学者の意見や
近世まで続いた和歌の家(冷泉家とか)でのやりとりに準拠してるのでは
飛鳥時代の言葉めっちゃ聞いてみたい。
あの辺りの時代すごく好き。
どこかに音源が落ちてないだろうか
祇園精舎の鐘の声、だけで1分てすごいな…
全部終わるまでどれくらいの歳月を費やすんだ。
世相によってスピードが変わると言えど、さすがに遅すぎやしないか?
逆に聞き取りづらい気もするけど。
話の前後も分かんなくなっちゃいそう。
>>765
万葉集を「学者さんが研究した 結果 の当時の発音」で詠んだものって
以前にネットでも聞けたような気がするけど、今はどうなんだろね
自分の知ってる琵琶奏者さんが平家全巻の演奏をされました
平家縁の赤間神宮や大原でも演奏して、さすがに何年もかかった模様
ギリシャ人ならその頃の年代の人ともちょっと訛ってる程度で話せるのかな
なんだその古い言葉使いはって笑われたってなにかのエッセイで読んだ記憶がうっすらある
日本に来た外人さんが時代劇口調で「拙者、~でござる」ってやるみたいに
聞き取れてはいても、もう使わない話し方になっていたらしいよ
メジャーの川崎選手の特集で川崎選手の使う英語はアメリカの人にとってござる口調みたいなものと言ってた
川崎のは違うww
彼は英語が最初からできないから、日本で学んだ英語というわけではない
「オレ バット 振る アイムフロムジャパン! 野球 サイコー」彼のはそんな英語
英語じゃねー
日本語ですらなかったw
「考えるな、感じろ」だと思う@川崎の英語
基礎知識がないのでさっぱりわからなかった。
先日「新・映像の世紀」を見てようやく理解した。
ホント近代史は複雑だな…
昔見た時、私も政治的なことはわからなかったけど、とにかく圧倒的な砂漠の映像に感動したわ!
特に、遠くからラクダに乗った人物が現れるシーン、ワンショットでジーッと映していて、砂に足跡ひとつない、どうやって撮影したんだろうと思った。
ベン・ハーとかアラビアのロレンスとか、昔の壮大な大作はすごいわ~
生い立ちに陰がありすぎ。
兎に角内面が複雑すぎてマゾヒストだったんだよね。
策謀する人にありがちな多面性の持ち主。
神坂智子さんの漫画が面白かった。
藩の料理人が同行してて、食材も藩から持ってきてる。お漬物なんかも漬物石を載せた樽ごと運搬してたとか。
そして殿様の食事は全て毒見してから、お出しすると。
他にもとにかく全て藩からもってきてた。
風呂桶まで運搬してたって。
いやはや、これを定期的にやるなんてホントお大名も大変だ、費用的にも労力も
超高速参勤交代を見たから、なんだか信じられないw
その映画も最近知ったよ。面白そうだよね!
見てみた~い
「超高速~」は「期日までに江戸城に来ないと取り潰し」だったから
通常の参勤交代とは、かなり違っていたろうな
参勤交代をスムーズにさせる為に、加賀藩とかは専用道を作ったそうだ