例えば桶狭間で圧勝すると思われた今川義元は、何故、新興勢力の織田信長に敗れたのか?
古代中国で、武勇と知略の全てに長じた項羽が、全てに劣った劉邦に何故破れたか?
名将ハンニバルは、何故、ローマに破れたか?
これらの問題を考えてみましょう
ニュース
中世以前と書いているでしょう。
中世の戦争も含まれています。
桶狭間の戦いでは、今川軍は信長軍をなめてかかっていたのだな。
信長の砦を二つ一度に落とそうと、軍を本隊を含めて三つに分け
しかも不利な窪地の桶狭間に本隊の陣を張った。
戦争では高いとこに陣がある方が圧倒的に優位と、孫子の時代からの定説だろう
そのため総力では圧倒的に優位でありながら、本隊はあっさりと信長軍に破れた。
天下統一と戦乱の終焉のせっかくの機会が失われたのは残念なことだが、
信長の勝利は今川の慢心の結果としか言いようがない
桶狭間「山」ね
信長公記を読みましょう
大体、敵地でわざわざ奇襲を受けやすい窪地に陣を張りますか?
戦争や軍事に限るので、軍事の板の方が適切かと思いますが。。
板またぎの住人もいるからなんとも言えんだろうけど。
古戦を詳しく無い人間が軍事を語るのは難しいと思いますけど?
どこの士官学校でも、ハンニバルの時代の戦争だって教えます。
それだけ古代よりの兵法は、現在の兵法にも関連があるものですから
>>19
>>古戦を詳しく無い人間が軍事を語るのは難しいと思いますけど?
詳しく理由を教えてくれ。
古戦も現在の戦争とは切っても切れないものです。
孫子の兵法は現在でも通じる兵法であり。
ハンニバルの戦法も、敵の意表を突く戦法の真価がそこにある。
>>20
ペルシャは騎兵を集団運用していたわけですし。
カンネーはRMAとは言えない気がする。
むしろ相手の意表を付いたという点で評価がされているのでしょうか?
ローマのシステムが優れていたのは言うまでもないが、スパルタでも有産市民の男子は兵士であったわけですし。
>>古戦を詳しく無い人間が軍事を語るのは難しい
>ではなくて、古戦にも詳しければ、いろんな豊かな語り口を持ちうるということだな…。
賛同。古代の有名な兵法などは普遍的なものを持っているかも知れないが。
高度に情報化が進みつつある現代戦にどこまで通用するのかと言えば。
言われているほどではないと思います。
(注)軍事における革命(Revolution in Military Affairs )
技術進歩による、軍事作戦などの大きな変革
ハンニバル戦争については、2つの視点から学ぶべき点があるだろう。
恐らくね、あの時代における2つのRMAの戦いだったんだ。あの戦争は。
一つ目のRMAは、カンナエの戦いに代表される、ハンニバルによる機動戦力としての騎兵の存分な活用。
騎兵…というか機動兵力の集団的運用によって、二重包囲~包囲殲滅を実行したというのは、当時としては画期的な戦術的革新に違いない。
二つ目のRMAは、事実上の国民国家的なローマの将兵の育成・動員システム。
経験豊富な政治指導者が即、軍事指導者に転用でき、かつ、有産市民のかなりの割合を経験豊富な兵として動員できるという、限定的ではあるにせよ、国民国家的システムを持つことによって、ローマはハンニバル戦争を戦いぬけた。
ハンニバルの将才によってもたらされた新しい戦術システム。
それに対して共和制ローマが歴史の流れの中で培った優秀な戦略システム。
その相克であったというふうに見なすことができる。
そして、そのどちらもが、その時代、他の国にはなかったものだ。
いや、優秀な将、優秀な兵、優秀な騎兵はいても、軍事システムとしては成立していなかった。
……とこう書いてみて思うのは…
>古戦を詳しく無い人間が軍事を語るのは難しい
ではなくて、古戦にも詳しければ、いろんな豊かな語り口を持ちうるということだな…。
従来の一騎打ちによる騎馬戦から、大陸では当たり前の集団戦へ移行した。
さらに戦国時代には信長という型破りの人物が、鉄砲を使った新しい戦法を編み出した
一説には欧州の戦争を宣教士から学んだと言われるが、
これらの兵法の革命はなかなか興味深いものです
>>24
まあ、その前に、公地公民制度の骨抜きということがあるわけだが…。
開墾地の私有が認められたことによって、
開墾地を守るために武装する自作農民がまず生まれた。
相続の関係で土地をもてなくなった連中…
借金等で開墾地を失った連中が、荘園を武装して守る小作農になった。
これらの武装する自作農、小作農の組織化と序列化が進んだ…。
組織化された集団は、貴族の一部や臣籍降下した皇族を向かい入れて、
棟梁とした。
日本で始めて大規模な恒常的に武装する者からなる社会階級が誕生した。
武士だ。
そして、この武士が貴族から権力の実質を奪い取り、武士のための土地所有制度を作るために幕府を作った。
鎌倉幕府の成立は、ある意味で革命だった。
そして、平安期の蝦夷征伐の終了以降、初めて常備軍が誕生した軍事革命でもあった。
>>25
豪族も元もとは武装を行っていましたよ。
古代は小国が乱立する時代だった。その小国の連合体が大和朝廷だったわけです。
やがて豪族は貴族となり。王朝時代へ移り
さらに封建時代に移った。
北東アジアでは封建時代があるのは、日本だけなのだよね。
この辺がどうしてか興味深いですよ。
>>40
板違い気味でしが、律令制から承久の変ぐらいまでを探るのも一興かと。
中国との比較で言えば、かの国では科挙試験で官僚層を積極的に育成し、
貴族層(=封建制の核となりやすい)を意図的に排除・衰退させたのが大きかったような。
同じ中央集権・律令制度とはいえ、>>25さんがすでにご指摘の通り、日本のそれは経済的基盤を持てない親王(3世、4世以降の王たち)が地方に下り、
やがては武力/経済力、そして権威で中央を脅かすという制度的欠陥も秘めてましたし。
対して中国にはかなりの親王領があり、皇子らに捨て扶持与えて地方勢力や不満分子が貴種を担ぐ事態を抑止。皇帝と科挙官僚の権力は安定。
自分はこういう観点(1つの仮説でしが)から、平将門や尼将軍北条政子などに注目してます。
>>53
三国志の曹操の起こした魏では、皇族に権限を持たせれば皇族同士の争乱を招くと
皇帝以外の皇族には出来るだけ権力を持たせないようにしたそうだ。
しかしその結果、家臣の中に力を付けたものが出ると、皇帝を守れる皇族がいない
であっさりと滅ぼされた。
魏の後を継いだ司馬氏は、それを反面教師に皇族に強力な権限を持たせ
皇帝を守れる体制を取ろうとしたが、今度は曹操の懸念の通り皇族同士が覇権争い
を初めて収集がつかなくなった。。
要するに唐王朝の律令はそうした課程を経験して確立されたものであり。
簡単に日本がマネできるものではないでしょう。
天智天皇あたりは、それを強引にやろうとして地方豪族の恨みを買いまくり。
結局、その息子の代で壬申の乱が起こり。弟・大海人皇子を担いだ中小の地方豪族達
に倒されたし
>>24
確かに元寇が集団戦闘へと移行する完全なキッカケとなったのかも知れないが、ひよどりごえを始めたあたりから日本でもかつての戦闘の慣習を打ち破る基礎は出来上がっていたと思う。
>>戦国時代には信長という型破りの人物が、鉄砲を使った新しい戦法を編み出した
信長の鉄砲装備率は他の大名に比べても低いわけだし。
一人に一丁鉄砲を持たせようとした島津、長宗我部の方が鉄砲を有効に活用したのではないか?
むしろ信長が長けていたのは戦闘ではなく多少無理な方法でも人材を上手く使う事であったと思う。
しかし武田の騎馬隊を鉄砲隊でうち破ったのは見事でしたよ。
以前から三段構えの方策と言われるが、アレは鉄砲隊を三人並べて順次撃つのでは
なく、平地に騎馬の突入を防ぐ砦を作り。鉄砲隊で叩く。
そんなものだったとの説を聞いたことがありますが、信長の勝利は騎馬隊による密集
戦法を時代遅れにしてしまったでしょう。
>>35
>>しかし武田の騎馬隊を鉄砲隊でうち破ったのは見事でしたよ。
80年代で思考が停止している予感!!
>>41
横槍だけど。
武田は騎馬軍など使っておらんよ。
騎馬を使うときも日本の場合は密集突撃なんか出来ない。
馬の数が少ないからだ。
むしろ鉄砲を上手く使ったのは雑賀であって、信長は痛い思いをしている。
よく考えたら日本は元寇の時、一騎討ちで集団戦法に負けたのに第二次世界大戦で同じ負け方をしてるのね。
偶然?
>>28
>>第二次世界大戦で同じ負け方をしてるのね。
???
空戦のことを言ってるとオモワレ
石原完爾が世界最終戦論で良いことを言っていたね。
戦争の最小指揮単位は逐次小さくなり、やがて個人になる。
彼は現在の戦争のあり方を予見していたのだろうか?
>>38
むしろ現代はいかに大人数を効率よく動かすか?
にかかっていると思うが・・・
>賛同。古代の有名な兵法などは普遍的なものを持っているかも知れないが。
>高度に情報化が進みつつある現代戦にどこまで通用するのかと言えば。
>言われているほどではないと思います。
もちろん古代の戦法が、現在でもそのまま通じることはあり得ないが、それでもその古代の戦法が
何故、その当時、通用したのか、それを理解しないと戦法の本質を解すことなど出来ません。
何より、軍事思想も兵法も現実には古代の兵法書に全て出し尽くされています。
第二次大戦に行われた戦略爆撃も、策源地の機能喪失として古典の時代からある。
近年になって行われたRMA構想も、高度に発達した通信機器やITなど、その時代の技術水準に
応じて小道具は変わって来ていますが、それらの重要性や戦法への指摘は古典の時代にすでにある。
だからこそ歴史上の戦法も兵法も現在でも光のです。
>>37
別に煽りとかではなく。
古代の戦争を知らないと現代戦がうまく語れないという具体例が欲しいのだが。
>>42
戦術、作戦に関しては技術の進歩によってさまざまに変化してきたが
戦略やリーダーシップなどに関しては過去の例が参考になるからだよ。
たとえば、イラク戦に関してもアメリカ軍が行ったのは
よく訓練されて高度な指揮、通信能力を持ち、さらに機動力のある
部隊を多方面から首都に向かって進撃している。
また、湾岸戦争以降イラクの経済封鎖、武器の破壊、外交的な孤立を図って
実に10年の歳月をかけて万全の準備をして戦争を行っている。
そしてこれらはアメリカ軍が考案したのではなく、太古の昔から
軍、そして国家が戦争を行うにあたり可能な限り希求していたもの。
モンゴル軍やナポレオン、信長やハンニバルなど過去の戦争指導者達が
どのように考え、行動しそしてなぜ勝利し、または敗れ去ったのか?
これら過去のについて学ばなければ、イラク戦においてアメリカがなぜ
フランス、ドイツ、トルコに手厳しくなったのか?
パウエルとラムズフェルドがなぜ対立しているのか?
アメリカ軍はイラクに対してどうしてあの作戦で侵攻したのか?などなど
まったく理解できません。
逆に過去の歴史を正しく理解し、一定の情報と判断力、推測力を持てば
ある程度の理解はできるようになるでしょう。
>>42の指摘は具体的な例を述べろと言うものであり。あなたの意見とは違うと思い
ますけど。。
具体的な例を述べれば、孫子の兵法書を読み。ドイツ皇帝が感銘を受けたとか
抽象的な例は幾らもありますけど、近代にぴったり古代の戦法がそのまま当てはま
る例はなかなか見あたりません。
それはあなた。時代によって思想も戦略も技術も違うのですから、大雑把なものは
当てはまっても細部まで全てそのまま当てはめることは出来ません。
だからこそ歴史上の例をよく学び。そうした知識の中から推測や判断出来る能力が
必要とあなたは指摘したいのでしょうが。
ちょっとまてよ、いくらなんでも読みにくすぎるぞ(いろんな所が
第一、「具体的な例を述べれば・・・」述べてないだろ
わざとか?
>>71
例として今回のイラク戦争を挙げたつもりだったけど分かりにくかったか・・・。
まあ、我ながらまとまっている文とはいえないわな。
では簡潔に
90年~91年の湾岸戦争によってアメリカ軍は第7および第18軍をもって
後方への機動による包囲殲滅戦を狙ったと推測される。
なぜ、推測できるかというと古代のハンニバル、シュリーフェンが行ったまたは行おうとした
側面運動に類似しているからである。
信長は戦争があまり上手くなく、その上、尾張兵は相当なへたれだった。
この欠点を克服するために信長がとった戦法は徹底した「物量戦」
この「物量戦」を行うためためには当然、相当な経済力が必要だったが
当時、信長が支配していた領国、とりわけ尾張、美濃、南近江の石高は
相当なものだっため、「物量戦」が可能だった。
さらに、信長の持つ過激な性格からか、織田軍は日本史上、稀にみる徹底した
「殲滅戦」を行った。一向宗や延暦寺に対してとった措置をみれば明らかだろう
織田軍が強かったのは「物量戦」と「殲滅戦」を行ったからである。
…って大学の先生が言ってました。つーか、軍版で話す内容じゃないか…
>>46
かなり古い通説ですにょ。
武田の騎馬の割合が実は北条より低かったのと同様
つっこみ所だれけですにょ。
>>48
詳しく教えて欲しいぴょ。
>>49
もっと詳しい人がいくらでもいるが
・尾張兵は別に弱兵ではない
・物量戦は他の大名でも可能
・経済力も他に優れた大名はいる
・殲滅戦は織田軍だけではない(ただしあまり例はない)
一向宗のたぐいは最後の最後まで徹底抗戦するし、言葉で話してもわかるような連中ではない。
よってそのような作戦を取るしかないのだ。
宗教や民族が絡めば、戦争というのは必ず陰湿なものになる。
それは歴史が証明しているよ。。
十字軍の遠征なんて見てみなさいな。アラブ圏では十字軍は虐殺と略奪の象徴では
ないかね
将軍やら朝廷の権威を利用しまくったからかもしれませんね。
要するに、政治家として一流だったと
乱世は、漢の劉邦と言い。かならず型破りの人物が台頭でき
それだけに面白い時代だ
徳川時代の安定期を除き。常に大小の戦乱があった。
小規模だが記録に残らないものも多いが、詳しく調べてみると対馬への半島からの
侵入や九州への大陸の海賊の襲来。
その他諸々。。
一部の政党や平和主義者が唱えるような、日本は自分から戦争仕掛けない限り。
戦争が起こることが無いなんてあり得ない。
それを平然と機関誌に書いている連中とそれを真に受ける連中がおおすぎやしない
かね?
日本史(の授業)のなかで、
刀伊の襲来の扱いが少ないのは、
某方面に対する配慮からですか?
考えすぎ?
>>62
歴史の授業っていうと、明治時代を教わり始める頃に学年が終わってしまうものだ。
第二次大戦後の第三国人の横暴や土地泥棒をもっと教えるべきだ!
単なる海賊の襲来だからね。教科書に記述するまでも無いと判断した可能性は否定しないが。。
しかしそのワリには、日本の倭寇に関しては、必ず記述があるな。
日本の海賊行為には詳しく記しながら、こっちの被害には記すことはないってのもおかしな話だ
単に一過性の局地戦だからと違うか?
元寇みたいに全国的な動員がかかったわけじゃないし。
後期倭寇が朝鮮人だったこともあるし。
しかし面白いのは倭寇は朝鮮でも中国でも日本からって見方が多いってことだ。
韓国の教科書には、王の倭寇の征伐が記されているが、詳細を読んでみると倭寇の
長はどう見ても日本人ではなく中国人の名前だが、日本の倭寇を撃退したかのよう
な感じで記している。
だいたい海賊なんてものは、ほとんどが武装商船だ。
交易のついでに他の地域で一暴れするか、交易の交渉が拗れたら実力行使に出たり
あるいは逆に襲われるのを防いだりするために武装するのが普通。
有名なバイキングも、彼らの船旅で得る利益の大半は交易で得たものであり。
海賊行為で得たものの方が少なかったくらいだよ。
当然、その海賊行為には朝鮮や中国に東南アジア系の交易船も含まれていただろう。
そのことを論じないのもおかしなものだよ
交易船から通行税を勝手に取って、それに応じなければ武力で奪い取る。
平地での戦いは丘のような高い場所に盾を持って一列に並び。敵を迎え撃つ。
敵が遠距離の場合は、弓で至近距離に近づいたら斧や槍を使う。
海の場合も似たようなもので、意外に防御を重視した戦法だったらしい
ぶっちゃけ現代戦は変わりすぎてたんだよ。
過去の戦訓が生かせる時代なんてもう終わるかもしれない。
特に陸軍系の戦術は航空優勢の前では無意味ですからな。
まあ毛沢東、チェ・ゲバラは今でも役に立つかもしれないが。
正規戦における兵法は役に立たたない気がする。
さらに相手の動きをどう読むか?というのが古代から近代の戦争では重要であったわけだが。
現代戦では下手をすれば相手の動きなど筒抜け状態ですからな。
>>78
根っこの部分は古代も現代戦も大して変化はありませんよ
補給の重要性などは孫子の時代から唱えられていることですし
まあ。技術変化に伴って戦術の変化はあり得ることですが、あくまで戦術レベルの
変化であり。それは弓が兵器の主力だった時代から銃が主力となった時代
モールス信号など電波の発見で通信が重要になった時代などの変化もありましたけ
ど、戦争論や孫子など古い兵法書が今でも読まれているように思想自体には変化は
ありません。
そもそも装備の変化によって戦術が変化して行ったことを理解しなければ、新しい
兵器の登場がどのように戦術を変化させるものかを理解することは難しい。
毛沢東やチェ・ゲバラの戦術は確かゲリラ戦を指摘したものでしょう
それでもゲリラ戦を理解しなければゲリラ戦に対抗することは出来ませんよ
>さらに相手の動きをどう読むか?というのが古代から近代の戦争では重要であったわけだが。
>現代戦では下手をすれば相手の動きなど筒抜け状態ですからな。
アメリカは南北戦争の勝利で「策源地の破壊」と「後方重視」が基本戦略となりました。
狩猟を重視したアングルサクソンの伝統が、通信諜報活動重視になりました。
要するに現在の戦術も民族や国家の古代よりの教訓があって初めて成り立つものであり。
それを抜きにして敵と味方の戦術や戦略を理解することは出来ません
>>79
補給の重要性などは別に古代戦を研究するまでもなく常識だ。
わざわざ何かの書を読まずとも良い。
ようするに戦術の基本となる部分などは。
軍ヲタやってれば普通に知っているものであって。
別に古代~近代戦を研究しなければならない理由にはならない。
歴史は繰り返すと言いますけど、これは正しくない
しかし同じようなパターンをたどることはよくありますよ。
そもそも歴史を知らずしていまを語ることなど出来ない。。
○古代戦の戦略思想などは現代戦にも通じる物がある
×古代戦の戦略思想を理解しなければ現代戦も理解できない
だと思うがどうよ?
それはどうですか?
プロイセンが巨大な陸軍力を発達させたのは、当時の最新技術のモールス信号を利用した。
効率的なピラミット型軍隊を作り上げたからです。
しかし現在ではそれが次第に否定され初めています。
迅速さが求められる現代の戦闘では、中央の指示を待っていたら対応出来ないと。
一兵士でも司令官の決断を求めるようになって来ている。
これは考え方によれば、中世の騎士制度の復活と見なすことが出来るでしょう。
やはり古代から現代まで一貫した軍事の知識の蓄積が、新しい戦法を生み出す知恵を与えるのではないでしょうか?
自分の意見を先に言おう。
だってこれも古代戦だろ?
おれは教科書に載ってるくらいしか知らないからね
みんなで語ってくれって意味。そんなに深く読まなくてもいいよ。
>>93
じゃあ俺は>>91のメール欄に書いてあるように思うのだが。どうよ?
合戦そのものについて語ってね
俺の知識は>>91程度だから。
一言だけだな…
軍事的天才は、非常に重要な役割を果たす。
>>100
天才というか当時で言えば掟破りに近かったのでは?
まあそういう意味ではナポレオンもそうだが・・・
常識を覆す発想で敵を襲撃する
一歩間違えたらただの基地外だが...
それで勝利に導くのが天才なのだな?
>>103
常識というか。
あの当時では触れてはいけないものに触れたという感じではないかな?
あの時代に奇襲はしてはなりません。
とか文章に書かれて条約になっていたのかは全く知らないが。
今細菌兵器を使うに等しい行為だったのではないか。
>>102
騎兵の集団運用が実際にどうかはともかくとしてね。
確かに起きて破りには、違いないんだよね。
常識を超えた部隊展開。
非戦闘員を巻き込んだ戦闘の実行。
類まれな、戦機を読む勘。
ナポレオンと違うのは、政治的な革新と結びつかないこと。
それが政治的リーダーシップおよび政治的天才の頼朝と袂を分かつ原因であり、
袂を別った後の末路に繋がってる。
>>政治的な革新
完全なる武士政権を作ったという点ではどうか?
>>106
それは、軍板の扱う事項から外れてしまうのでは?
また、「合戦」の「戦闘」を語るという注文とも違う。
しかし、頼朝~北条氏のラインが狙った完全なる武士政権をというビジョンの完成に繋がったということでは、日本史上稀に見る軍事革命だと思いますが…。
上補足…
軍事革命=軍事を生業にする人たちによる革命ね。
RMAではない(苦笑)
正直漏れは。
歴史的な戦闘なんかよりも。
現代の戦闘を学んだ方が良いと思います。
確かに近代兵器の用法とかはね。
でも現代戦も勝敗を決するのは人間だしね
古代戦や近代戦の戦訓からも学ぶものは多いよ。
>>90
おっ初めて俺と同じ意見の人が出た。
>>現代戦も勝敗を決するのは人間だしね
そう。人が勝敗を決める限り。
戦争とは不確定極まるもの。
だからこそ古代の戦闘から学べるものがあると俺は思う。
だから兵法書がビジネスに使えるというのもそこにあると思ふ。
歴史的といえばカエサルのガリア遠征。
内と外から敵に攻められても勝ったアレシアの戦い?だっけ。
兵法関係無しといった感じ。
ゲルマン騎兵が強かったからな。
ニュース
古代の名言で今のところ唯一保たれているものそれは
海 戦 は 陸 に 近 い と こ ろ で お き る
byアレキサンダー
海戦てのは大抵陸戦に関連して起こるから。
今のところはアメリカ相手に大規模な海戦が起きてないから何も言えないが。
相手の位置を把握できる現代ではそれは崩れてもおかしくない。
ただ1つ、異民族を家畜のように扱えとの教えには従わなかった
アレキサンダー。
英雄ですな。
アレキサンダーを見ても、ハンニバルを見ても、ローマ帝国を見ても
異民族、あるいは被征服民を真の味方に付けなければ発展はない、
というのは古今不変の真理でしょう。アメリカがそこからなにかを
学んでくれていると良いのですが。つまり征服される事で利益を
得るような征服、統治される事で幸福になるような統治、の必要性
ですね。
>>123
アメリカはうまくやってる(きた)と思うけど。
おそらくイラクもアメリカ万歳になる日は近いと思うけど。
・・・思うという程度でしか言えないが・・・
(注)イラク戦争の開戦は2003年3月20日
>>123
ローマは征服した側出身者から最高司令官(執政官)を
選出したくらいだから繁栄が長かったのか。
戦争の形態もだいぶ違ってくると思うんだが
徴兵制を本格的に行ったフランスはイギリスから何まで相手に強かったね。
アレキサンダーが軍事についてフィリッポス2世から学んだ時期も短かったらしい。
名将というより天才は、と言った方が良いのでないか?
すばらしい閃きをもった人もたしかにいて、従来の枠に捕らわれない発想か
ら、頭角を現す人も確かにいるけど。
一方でそうとばかりは言えない人も幾らもいる。
だいたいにおいて戦争とは、正攻法を忠実に守った方が勝つものだ。
敵よりもより強力な戦力を用意し、より政略戦略的に優位に立つ。
フランス革命後、ナポレオンが頭角を現したのは、ナポレオンが砲術士官と
して士官学校に通った経験があったから、革命派の中では数少ない軍事の知
識の豊かな人間だったからだよ。
ない
>>128
>>一方でそうとばかりは言えない人も幾らもいる。
小沢治三郎とかね
まあナポレオンはそれまでのものをブチ壊した人間であって。
ある程度、過去の事を教えるような士官学校よりも自分で考えた部分が大きいのではないだろうか
過去の知識を蓄えるだけなら、それはデーターベースにした方がずっとマシ
そうした知識をもとに現状に即した発想が出来る人間が本当の天才でしょう。
マリアナは戦闘機の割合をもうちょっと増やすべきだったのではないか?
アメリカが攻撃機:戦闘機=1:1であるに対して日本は2:1の割合ではないのか?
あとは乗員の錬度をアウトレンジしてしまってはどうしようもない。
>>138の言うように現状にそくしてないとダメなんだよな。
>>151
マリアナ海戦当時では、日本側が200機 米国側が350機くらいだったか
しかも日本側の戦闘機は、当時、世代遅れになっていた。
そんで一方的に叩かれたわけだが。。
F1支援戦闘機に乗った空自幹部が、こんなの乗せて実戦に出したら
マリアナ海戦の再来だ。大事な部下をそんな目に合わせるわけにはいかない
そんなことを言っていたのが懐かしく思える。。
F2支援戦闘機でそんな感想が漏れないことを願うだけだ
意味がわからない
天山や彗星はすばらしかったのだよ。
あとは搭乗員がよければ、ね・・・
その搭乗員たちに育つチャンスを与えられなかったのが問題。
もちろん上層部の責任。
>>167
チャンスを与えるも何も。どうしようもなかったと思われ。
そんな状況にしちまったのは誰だ?って話になる、官僚(軍人)と政治屋の責任だよ。
日本海海戦での勝利は、日本海海戦や旅順攻防の起死回生の一撃ばかり問わ
れるが、それが効果を発揮したのも裏側で当時の日本の強かな外交戦略があ
てこそだよ。戦費の不足を補えたのは、ロシア国内で迫害を受けるユダヤ人
達の不満を吸収し米国のユダヤ資本の援助を得られたからであり。
日本海海戦で勝利を得たのは、ロシアバスチック艦隊が日英同盟の日本が二
カ国以上と戦う場合は、自動的にイギリスも参戦する。
その規定を恐れてロシア艦隊の寄港をどこの国も拒否し、艦隊は地球を半周
する大航海を無寄港でする必要に迫られ、艦艇も将兵も疲労していたからだ。
何よりロシアが余力を残しながら講和に応じたのは、結局のところ。米英の
支援を受けたこと、国内の革命派が起こす争乱の鎮圧にロシアは戦争どころで
はなくなったため。
こうした面を無視して、奇跡の勝利という目に見えやすい戦術レベルにばかり
捕らわれることは非常に危ない
バルチック艦隊の一件はそういう偶然の産物という見方もあるわけね。
初めて知りました。しかし、それを聞いて日本がなるべくしてなった過程
がわかるような気がします。
>>137
いや。偶然の産物ではなくて、日本海海戦で勝利を収めることが出来たのは
政略戦略面で当時の日本がロシアと互角以上の立場を得ることに成功してい
たから、そうゆう必然の面もあるって言いたいのです。
もちろん東郷平八郎の丁字戦法という常識破りの奇策があって勝利を収めた。
本人が認めていた通り。奇跡と呼べる面もありますが、その奇跡だの、奇策
だの戦術の勝利ばかりで語っては駄目ってことが言いたいわけです
ナポレオンは軍事よりも政治面のほうがすごいと思うのは俺だけか?
あの時代の名将はやはりタヴーだろう。
タヴーについて書いてある本を紹介してくれる人は頼もう。
偉そうな事を言ってもイマイチ断片的にしか知らない。
>名将はやはりタヴー
そりゃそうだ。負けたこと無いもん。
ガリア戦記とか研究してなかったっけ?
それ以前の戦争は秀吉の半島出兵以外は国内に留まるものがほとんどだったし。
どちらも朝鮮半島を巡る戦いと言っても、それぞれ補給路はあったからね。
しかし太平洋戦争は、大東亜戦争と呼ばれる通り。
地球のほぼ半分にまたがる広大な範囲で争われた。
これでは従来の補給の構想で何とかなるわけがないってことだ。
人間ってのは実際に教訓が無いと反省は無いモノで、欧米の場合は植民地時代も長く
ナポレオンの遠征など長距離の遠征の教訓があったからそれが出来たのではないか?
そもそも戦略構想とかの時点で狂っていたけどね。
短期決戦を目指しながら、長期持久の体制を建設するとかいってるし。
しかし、いつも不思議に思うのは陸軍、海軍とあんなに優秀な人材を
集めてどうして、補給の軽視、攻勢限界点の無視といった
基本的なミスを犯すのだろうか?
>>184
>いつも不思議に思うのは陸軍、海軍とあんなに優秀な人材を
集めてどうして、補給の軽視、攻勢限界点の無視といった
>基本的なミスを犯すのだろうか?
それは結果論ではないかな。
今でこそなんでそんな事が・・・
と思うわけだが。あの当時の日本では本格的な遠征はした事がないわけだし。
集団心理ってヤツでね。周囲がそれに騒げばなかなか反対意見なんて言えないものだよ。
石原完爾や山本五十六を初め。名だたる名将の多くが反対していのだから、それに従えば良いものをってのは結果論。
そもそも優秀な人材を集めていても、教育制度がよろしくなかった。
陸士学校などで教えるのは、精神論が中心。戦術も日本海海戦で東郷がやったような奇策を中心に教えていた。
いまの防衛大学校ではその反省から科学など理系を中心に教えているが
これも誕生と同時に清露米英など、自国より遙かに国力のある国と対峙しないといけない宿命にあった帝国海軍の悲劇
と言えるが、正攻法をお座なりにしたのはどう考えても不味かった。
だから真珠湾攻略の時も二次攻撃は断念したし、ソロモン海戦でも不可解な反転を行った。
その裏事情に当時の海軍も海士学校での教育は、奇策のたぐいばかり重視したことがあったようだ
長くなり重いので2つに分けます