当時、煮炊きの鍋は土器だし。包丁も無いよな?青銅製のが有ったのかな?
いずれにしろ権力者も料理法は限られてたんだろうな
ニュース
どっかの博物館にあったような気がする
権力者で無い人は料理法どころか食材も限られてただろうね
石器を含めりゃ刃物は存在する。
煮る・焼く・蒸す・搗くとかはできたはず。
どちらにしろ、当時なら権力者だからといって
専属の料理人がいたとは思えないんだが。
権力者が自ら調理していたと思うのかね。
(権力者)専属の料理人はいないだろうと書いたのだが。
集団全体のための賄い担当(ほかの仕事もする)くらいはいたんじゃないのかな。
職制がはっきり分かれていた時代とも思えないしね。
魏志倭人伝では、野菜肉酒などを手づかみで食していたことがうかがい知れる程度の記述しかないんだよね。
「卑弥呼の食事」というのも何種類か考えられているんだけど、弥生時代の発掘物などから推定した弥生時代のメニューを象徴的に「卑弥呼の食事」と呼んでいるだけで、実際に卑弥呼が食ったかどうかはわかんないですよ、あれ。
木の実でつくるパンとか、木の実がつなぎのハンバーグとか稲作以前でも十分に食を楽しむ工夫と言うか、美味しく食べる工夫がされてる
おそるべし縄文人
縄文時代にどうやってひき肉を作ったのだろうか?
>>311
骨に残った肉をこそげ落とした「せせり」みたいなものじゃないのかね?
それを寄せ集めて、つなぎとして木の実の澱粉質を使って火を通したら
あ~ら不思議、ハンバーグになっちゃったw
てな感じかね。
312以外のやり方として、平らな石で肉の繊維を叩いたり押しつぶすような感じで挽けば、縄文ハンバーグに使うくらいにはできると思う。
平安時代くらいからなら果物以外の甘い系の食べ物が有ったんではないかと思うんだが、どうかな?
あと宇治拾遺に有名な「かいもちひ」が登場してる。
手元の「お菓子の百貨」(昭和38年)という本を確認。
唐菓子が伝来してきたのが奈良時代。
その後、鑑真によって砂糖も伝えられたが、量が少なく調味料としては使われなかったらしい。
このころ日本で調味に使われていた甘味は「甘葛煎」であり、平安時代の潅仏会で甘茶として使われていたとある。米麹を煎じた阿米(あめ)も奈良時代の記録にあるそうだ。
平安時代に空海によって煎餅の製法が伝わる。
これにより果実の甘味をつかった「亀の子煎餅」が生まれた。
水飴がいつからかは書かれてなかった。
砂糖が一般化したのは江戸時代だろ?
庶民的な値段で飴とか饅頭は買えたのかな?
ドラマの中じゃ普通に子供が買ってたりするけど
>>329の示してる麦芽糖もそうだし。
それに、甘味だけなら上白糖でなくてもいいし