2020-05-23 05:12
http://news.searchina.net/id/1689635?page=1
中国最後の王朝である清王朝の国内総生産(GDP)は最盛期には世界の30%以上を占めたと言われている。現在、GDPで世界1位の米国ですら世界経済に占める割合は約25%であることから、最盛期の清王朝がいかに強大な国だったかが良く分かるだろう。
中国メディアの今日頭条はこのほど、中国国内では「日本と中国の地位が逆転したのは、明治維新がきっかけ」と認識されていると主張する一方、実際には「日本の逆転劇はすでに江戸時代に始まっていた」と論じる記事を掲載した。
記事は、日本の歴史を学んだことのある人ならば「日本に革命をもたらした明治維新を誰もが知っている」と指摘し、日本は明治維新を通じて新しい政府を樹立し、立憲君主制と資本主義の国へと生まれ変わったうえで「その後の飛躍的な発展の基礎を築いた」と指摘した。
続けて、多くの中国人は「近代日本が清王朝を超えたのは明治維新がきっかけ」だと認識していると指摘する一方、実際には江戸時代には「日本が清王朝を超える基礎が存在していた」と強調。たとえば、江戸時代の幕藩体制は繁栄の一極集中を回避し、日本各地に一定の発展をもたらしたと指摘し、江戸時代の日本の都市化率は10%に達し、当時の清王朝の5%を大きく上回っていたとし、これが明治維新後の経済発展に寄与したと論じた。
以下ソースで
ニュース
識字率それほど高かったわけじゃない
識字率は今の基準で高くないだけで当時では世界有数の高さじゃなかった?
日本だってそうなって不思議がなかった。
アヘン戦争で清国が勝っていれば、欧米の増長も無かったし、
日本で倒幕運動が起こることもなかった。
そうすれば、今よりも面白い多様性がある世界になっていただろう。
どう考えても負けるはずのない戦いでボロ負けした清王朝の
無能さが悔やまれる。
工業化を進めた一部の国がひとりで数十・数百人分の仕事をこなす能力を得た。
現在それが世界に及んで、ふたたび人口比が経済力比の時代に戻りつつある。
これからはアジアが中心になる
大人口に学問や労働の意識高い系
>実際には江戸時代には「日本が清王朝を超える基礎が存在していた」と強調
江戸東京博物館、行くとこの辺がよくわかるよ
欧米で国民国家が成立するまでは、国民ひとりひとりの能力など国力にたいして
関係なかった。
個々の国民の国民意識が国力=戦争の強さに直結するのは19世紀より後。
悪代官とかドラマの中だけの話
外交センスが全くないけどな
不平等条約とおそらく気づきもせずにガンガン結んでいた
>>29
両替比率の不平等は気がついたよ
日本は金銀の含量に関わらず、信用貨幣で幕府の決めた表記で取引してたけど、アメリカは信用貨幣が理解出来なかった。
日本は数学や医療技術も進んでたしね
欧米と日本や中国に差がついたのは産業革命によるものだろう
>>29
初期と末期で意味が大違い
末期に鎖国は国是としてるが
そもそも家康は海外交易してるし
外国人参事がいたし
近年の研究では幕府官僚がバカだったから不平等条約という説は否定されている。
アジアの他の国もやられてるわけだし特別バカとは思わないけど口先だけで半分植民地みたいな状態にされちゃったらやっぱだめだろ
やっぱり日本が中国を上回ったのは江戸時代からだな
新田開発、特産品の奨励、江戸幕府は偉大だな
局地戦では日本が圧倒してたよ。朝鮮半島が大飢饉で兵糧不足だったのと、秀吉の寿命が問題
「茶!絹!陶磁器!あかん、完全に輸入超過で金がない…しゃーないアヘンで払うわ!断ったら戦争な」
欧米が香港にあれこれ偉そうに注文を付けているが、アヘン戦争をどう考えて
いるのかね。
でもイギリスだって清の生産力が下がると儲けられないから、アヘンは富裕層にだけ売りつけるつもりだったんだよ。
でも中国では労働者階級にまで蔓延してしまい、国力だださがり。
→イギリス→アメリカ→???の順だよな
中国が覇権取った時代ってあったか?
元の頃だな
>>67
元はモンゴルだから中国じゃないじゃん
清も中国じゃないけど
モンゴルという異常な連中を別にすれば、世界の一体化って大航海時代より後の話だろ
その前は東アジア、中東、ヨーロッパは基本的に別々の世界だった
相当盛ってないか?
19世紀なかばの世界人口が12億の時代に4.3億いたし
最盛期である乾隆帝の時代には世界8億にたいして3億を占めた。
明治維新だって最初は幕府と維新軍側でGDP比較したら幕府側の大きかっただろ
人口と経済だけじゃ戦争は勝てない
>>74
軍備のテクノロジーも幕府陸軍の方が上だったけどね
鳥羽伏見の戦いの時点では薩摩軍が前装式の銃を使ってたのに対して
幕府陸軍の方は前装式ではなく最新の元込め銃を使う部隊もいたわけで
旧装備の会津軍や新選組も含めれば兵力も旧幕府軍が圧倒的に有利だったから
指揮官が有能な薩摩軍と指揮官が無能な徳川軍の差が出た感が強いけどね
え?逆じゃないの?
坂本龍馬がイギリスから最新の銃を仕入れてきて射程が長かったから圧勝したんじゃないの?
そうじゃなきゃ平地で銃の撃ち合いしてて兵力の差を埋められないよ
>>116
ペリー初回来訪でもらったボートホイッスル砲を2回目来訪までに量産してた幕府
下田の反射炉は伊達じゃない
それだと何で平地の銃の撃ち合いで数で劣る維新軍が圧勝したの?
部隊の展開とか関係なく、射程の長い銃で撃ち合ってるだけで勝てたでしょ
かならずしも圧勝じゃないよ
弱小藩を各個撃破できたからだよ
戦術の積み重ねが戦略成功したわけ
以前、最近よく見る歴史学者を交えたNHKBSの番組でやってた内容だけど、
薩長対幕軍の初戦である鳥羽伏見では、
幕府軍は数で圧倒し、銃器もそこそこの性能だった。
問題は、それで余裕ぶってしまい、
「これだけの装備、これだけの兵力なら、見せつけただけで薩長は怖気付いてしまうだろう」
と決め付けてしまったこと。
薩長がまさか本当に攻め込んでくるなんて思っていなかった。見せ合いっこして終わりだと決め込んでいたらしい。
しかも、そのために兵士たちにはろくに銃火器の使い方も教えず、士官達にもろくに近代的な戦術論を施していなかった。
だから、薩長軍がマジで攻めてきた時、逆に幕軍が逃げ惑うことになった。
そこに薩長軍が錦の御旗を掲げたもんだから、「このまま、薩長に銃口向けると、逆賊になるから、取り敢えず、一旦、大阪に戻ろう」ってことになった。
ここから、ズブズブ将棋倒しで、敗北と。
>>131
Wikiに薩摩が薩英戦争後にエンフィールド銃を4,300挺したと書いてあるよ
南北戦争終結後の払下げらしい
グラバーによって輸入されたとも書いてる
矛盾してない?ペリーは南北戦争前だよ
日本で言うと関孝和とか伊能忠敬くらいの、教科書に載って
みんな知ってる代表的な学者の業績って何?
科学者はいないな。考証学しか思いつかない。顧炎武とか。
無理矢理言えば、徐寿や王貞儀辺りかな 明代清代は全体に低調だったかと
数学辺りは元(宋も)が関心を持ち発達していたが、明代以降は元への反発で忌避されたような話は読んだことある
加えて16,7世紀はキリスト教経由で天文学や科学が持ち込まれたりしてたのもあるかも
なぜそこについてかいてない
識字率は言われるほど高くはなかった。
江戸時代どころか昭和時代でも戦前は無筆の人が珍しくなかった。
>>104
識字率のおとぎ話は何とかしないといけないね
元は就学率と識字率を混同したいい加減な話だったのに
いつの間にか日本の識字率が世界一だったかのような
ウソのようなウソの話が定着してしまった
日本人は日本にとって有利な話を疑いもせずに鵜呑みにして
ホルホルしやすい性質があるのが駄目だと思うわ
完全同意。
識字率は高かったとは思うよ。寺子屋とかね
只文法が統一されていない
江戸時代は幕府がいわゆる共産体制のようなものをしていて
国民は共同体にあり掟を守っているのであり
共同体を束ねる幕府
国家ではないわけ 共同体に寺子屋があり干渉しない共同体であり
話は通じない感じ
英国の教師によって文法の統一
おそらくロシア帝国の偵察隊が江戸幕府の政治を見て王様がいない
マルクスレーニン主義へと
共同体を見たのが黒船でアメリカ民主主義へ
日本帝国が英国民主主義から226をへて社会主義
日本人の7割を占めていた百姓階級は、長男だけが田畑を継ぎ、次男以下は職業選択の自由があったらしく、
仮に大工を志した場合は城下町や大阪、名古屋、江戸などに出向き、一定期間、修行するらしいんだけど、その間に大工に必要な読み書きだけを学ぶらしい。
つまり、その職に必要な読み書きだけを効率よく短期集中型で習得する。海外のチームに移籍したサッカー選手みたいに。
したがって、ごく一部の読み書きしか知らない。
だから、それをもって江戸期の識字率を語るって間違ってる。
識字率は地域差がある
平均的に考えると実情を間違える
>>110
田んぼだけの地域は豊かだったけど支配階級だけだね
商業発展してた海沿い地域は
読み書きソロバンできた方が高収入得られるので、地域として寺子屋教育が盛んだった
例えば現在の留学制度は何年って区切りがあるけど
学問がモノになるまでちゃんと藩が資金援助して育て上げた
今の日本は逆に外国人留学生しか優遇しない
江戸時代末期に薩摩藩が今の金で数千億の金をつぎ込んでやっと10数人海外に送り込んでたね
途中作りかけのパナマ運河視察したり。
いまとはかける希望からなにから全然違うんだろうな