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運含め織田が強すぎやししゃーない
全国の7割の大名が尾張三河出身だからな
要衝やからね
足利の分家も大半が三河の地名由来やし
最上や大崎も元々は斯波やから尾張やし、細川も三河やし
これで秀頼も安泰や!
関東丸ごと貰って左遷はありえん
本拠地から追い出したのはどう考えても体の良い左遷やろ
当時の関東はゴミやろ
そのおかげで朝鮮出兵もしないで済んだし
土地の利権と家臣を切り離して内政出来たんやで
関東平野は京から離れてはいるがポテンシャル十分みたいな扱いちゃう?
当時の会津とかも重要な土地扱いやし
ポテンシャルはあるけど北条が甘やかしまくってるせいで農民が言うこと聞かへんみたいな話やなかったっけ
普通は敵の謀略か何かだと疑ってまず京都に偵察隊を派遣して報告を待ってから動くやろ
光秀との共謀→裏切りだから
それだと密約を墓場まで持っていった明智光秀がお人好し過ぎるやろ
その密偵は放つ必要がなく前々から京都に常駐していたと考えてエエやろ
秀吉は京都勤めしてたし大名になってからは御用商人もおる
何十人単位で密偵というか情報提供者がおったと思ってええ
続報ないし上様多分無事やろで様子見した滝川一益wwww
いうて伊達上杉北条佐竹に挟まれてたら動けんやろ
関東管領なりたてやし
猿とかいうのやめろよ
脱糞「おっそうだな」
黄金級の美談だぞ
ハゲネズミはええんか?
上様直々に授けてくださった仇名じゃけえ
竹中半兵衛黒田官兵衛の活躍で敵を多く討ち取ったって記述があるのに
竹中半兵衛って創作上の人物じゃなかったの?
実在の人物だよ
ただ軍師関連の逸話に創作が多いってだけ
実在は確定しとるで
一次史料が極端に少ないだけで
竹中半兵衛の稲葉山城乗っ取りも嘘なんか??
それは本当やろ
少人数でってのは怪しいけど稲葉山を占拠したのは一次史料にもあるで
武士や公家って農民を人間と認識してなかったしな
日本人奴隷って日本史の闇だよな
キリシタン宣教師が聖人みたいに扱われてんの納得いかんわ
>>163
外圧を日本史はまともに論じてなさすぎるやわ
少し視点があるやつでも陰謀論で幕末は英仏の代理戦争とか少しずれてることを言ってる
宣教師だってフランシスコ会、イエズス会、貿易商人、各国の利害、国内への浸透具合この辺はやっとかな分からんことたくさんやろ
あまり言われないが朝鮮出兵ガチ勢
余った軍事力を処理する方法が思いついてなかったからどのみち崩壊してただろうな
徳川軍温存しちゃいかんでしょ…
官兵衛切って全てが暗転した
官兵衛来る前から有能やろ
官兵衛も有能やけど
官兵衛の前は半兵衛おったからな
利休は確かに危険すぎるな
ただ殺すほうが悪影響でかかった
老い先短いんだから隠居かなんかさせればよかったのに
自分の死後に息子の立場が揺らぐの怖かったんやろなって
利休は侘び寂び言い出して、豪華絢爛なの大好きな秀吉と価値観合わねえ上にお茶つながりでいろんな大名とコネクション築いてるからヤバいで
信忠がね…信長が同じ立場やったら全力で逃走やろ
?「自害しようと思ってたけどよくみたら包囲ガバガバやん!」
真田丸やと
秀次は軽めの処罰で手打ちにする予定だったのに
精神やられた秀次が勝手に切腹したって話やったけど
これが最近の学説だと有力説なんやっけ
高野山への無期限謹慎だから軽くはないよ
結局秀次が関白にいたら天下大乱になるという読みでしょ
高野山なら権兵衛も行ったし、挽回出来るやろ
>>74
秀吉(文禄4年1月16日付立花宗茂宛書状)「来年は関白も朝鮮へ出馬するからその事を各城の諸将へ伝え、準備万端で迎えるように」
秀吉(文禄4年7月10日付鍋島直茂宛書状)「この度関白に不届きな事があり高野山へ追放した。特に問題はないので心配しないように」
文禄4年7月15日秀次自刃
それ以降秀吉発給文書から秀次(関白)の文言は一切登場せず
それだと妻子皆殺しと側近の家臣殺したことの説明出来なくね?
側近殺したのは謀反に加担したから
秀次本人は無期限謹慎を受けて切腹
妻子皆殺しは秀次切腹を受けての処分
・処刑される秀次の妻子は、獣のように車に押し込められて引き回された。殺されると知らない子供たちは母親に甘えていて、都人はそれを見て涙した。
・処刑場になった三条河原には、秀次の腐り始めた首がある。妻子たちはそれを拝むと、順番に首をはねられた。
・姫君のひとりが処刑を見ていった。「私もああなるの?」母は応える。
「念仏を唱えれば父上に会えますよ」。それを聞いた処刑人は「叶わぬ望みよ」と姫を引きずり出し刺し殺した。亡くなった子供は上は九歳、下は三歳五名。
・殺された妻妾は三十四名。上は尼僧68歳、下は12歳。
・彼女らの死骸は、犬のように転がされてひとつの穴に捨てられた。その上には「秀次悪逆塚」ときざまれた碑が置かれ、ひとびとはいつのまにかそれを「畜生塚」と呼ぶようになった。
・都には夜のうちに貼り紙がなされた。
「今日の狼藉は、あまりにひどい、こんな政権は滅びてしまえ。ああ、因果のほどを覚悟しろ」と。
秀次に連座した大名は最上義光、伊達政宗、細川忠興らがいる。彼らはのちに東軍につく。確かに因果はめぐったのだ!
その塚はしばらくそのままで、洪水で破壊されていたが角倉了以が慶長十六年、高瀬川改作のさいに瑞泉寺を建立し菩提をとむらった。
これ処刑した人間は頭おかしくなったりしないの?
死刑囚の死刑執行ボタンすら怖くて押せなくて夢に見るらしいのに
何も悪いことしてない女子供を斬首とか絶対無理じゃん
>>190
戦国時代やぞ
現代のヘタレと違って庶民も畜生よ
大抵は捏造だろ
実際は公家などにも評判が良かった
自分が中継ぎだと完全に自覚してとにかく秀吉に気を遣ってるのに素行不良はないわね
そんな素行悪くないと思うんやけどな
秀次は秀次で割と頑張ってた印象
農民からあんなのがでてくるとかおかしい
不思議よな
異父弟の可能性もあるらしいけどよっぽどマッマの教育がよかったんやろうか