?龍元年、拜上大將軍、右都護。是?、權、東巡建業、留太子皇子及尚書九官。?遜、輔太子、並掌荊州及豫章三郡事、董督軍國。
黄龍元年(229年)、上大将軍、右都護を拝命した。この年、孫権は東の建業に巡行し太子、皇子及び尚書九官を留めた。陸遜を召し出して太子を補佐させ、並んで荊州及び豫章三郡の事を掌握させ軍と国のことを取り締まらせた。
ニュース
時、建昌侯慮、於堂前作?鴨欄、頗施小巧。遜、正色曰「君侯、宜勤覽經典、以自新益。用此何爲」慮、?時毀徹之。
時に建昌侯孫慮は堂の前に闘鴨のための囲いを作り、すこぶる精巧に施されていた。陸遜は顔色を正して言った「侯は経典をご覧になり、自分に新しく利益を生むのに勤しまれるのがよろしいはずです。このようなことをしてどうするのです」孫慮は即座にこれを撤廃した。
射聲校尉松、於公子中最親、戲兵不整。遜、對之?其職吏。
射声校尉孫松は公子の中で最も親愛され、戯れて兵を整えなかった。陸遜はこれに対してその職吏を?刑(※)に処した。
※髪を剃る刑罰
古代中国において髪は生命の象徴として扱われていたため、髪を切ることが刑罰として存在していた
儒教やと髪の毛は親からもらったもんやから残すのが孝なんや
冗談やなくてリアルでそうなんよな
ハゲは罪人or奴隷の証
やから被り物は必須やけど
蒸れてハゲを加速させそう
ハゲが理由で失脚したやつ意外といそうやな
南陽謝景、善劉?先刑後禮之論。遜、呵景曰「禮之長於刑、久矣。?以、細辯而詭先聖之教。皆、非也。君、今侍東宮、宜遵仁義、以彰德音。若彼之談、不須講也。」
南陽の謝景が劉?の先刑後礼の論を良しとした。陸遜は謝景を呵責して言った「刑罰より礼が長ずるようになって久しい。劉?は小さき発言で先人の教えを危ぶんだ。皆正しくない。君は東宮に侍り、仁義を遵守し、徳を顕彰するのだ。このような談義は講じるべきではない。」
子育て相談とかしたりしてるね
聞く相手が悪くないですかね…?
なお聞いた側と聞かれた側の息子の差
あ、ゴメン孔明が子育て相談したのは諸葛瑾兄さんとやった、そりゃそうか
陸遜とはその兄ちゃんの息子が兵糧確保には不向きです・・・みたいな話しだったわ
諸葛恪と諸葛瞻の育てかた相談
うーん…
遜、雖身在外、乃心於國、上疏陳時事曰「臣以爲、科法嚴峻、下犯者多。頃年以來、將吏罹罪、雖不慎可責、然、天下未一、當圖進取、小宜恩貸、以安下情。
陸遜は身は外にあるといえども、心は国にあり、上表して時事を述べて言った
「私は法律が厳しくなると、罪を犯す者が多くなると思います。この頃では吏が罪を犯し、慎まず責めるべきであるとはいえ、天下は一つとならず、まさに自ら物事の取り組みを図るべきで、少しばかり恩を貸して下々の情勢を安定させるのがよろしいでしょう。
>>14
この発言に見えるけど
陸遜は法家に懐疑的であり、かなり保守的だった
その証左に224年に孫権が
豪族出身の多すぎる&無能な官を首切りする改革を行おうとしたけど
陸遜を初めとした名門出の臣下の強行な反対で頓挫してる
だから陸遜は国家の利益より
豪族とのバランス調整を優先してると言える
そうなんか
それは初めて知ったで
正直、陸遜は天下統一には興味ないし
孫権や周囲との反目も一度や二度やない
二宮で一方的な被害者とはとても言えない
そう思ってる
ワイは呉の伝にはあまり詳しくはないから
陸遜って一方的な被害者かと思ってたわ
そういう見方もあるんやね
且、世務日興、良能爲先。自不、姦穢入身、難忍之過、乞、復顯用、展其力效。此乃、聖王忘過記功、以成王業。
さらに、世の務めは日々発生するので、有能な人材を優先させるべきです。自ら邪悪な行ないに身を投じ、忍び難き過ちを犯したものでなければまた用いてその力を発揮させるのを請います。こうして、聖王は過去を忘れ功を記すことで王業を成せるのです。
昔漢高、舍陳平之愆、用其奇略、終建勳祚、功垂千載。夫、峻法嚴刑、非帝王之隆業。有罰無恕、非懷遠之弘規也。」
昔漢の高祖は陳平の過ちを捨て(※)その策略を用い、終いには天子の勲功を立て、功を長い年月に残しました。それは、峻厳な刑法は、帝王のすべき業ではありません。罰があって思いやりがないのは、遠方を懐かせる規則ではありません。
※陳平は過去に兄嫁と姦通していたがそれでも高祖は彼を用いた
權、欲遣偏師、取夷州及朱崖、皆以諮遜。
孫権は一部隊を遣わして夷州及び朱崖を取ろうとし、皆陸遜に相談した。
遜、上疏曰「臣愚以爲、四海未定、當須民力、以濟時務。今、兵興?年、見衆損減。
陸遜は上奏して言った「私が愚かにも思いますに、天下は定まっておらず、民の力を借りて務めを果たすべきです。今、兵を長年興し、兵は減っていると見えます。
陛下、憂勞聖慮、忘寢與食、將遠規夷州、以定大事。臣反覆思惟、未見其利。萬里襲取、風波難測、民易水土、必致疾疫。
陛下(孫権のこと)は寝食を忘れ、遠く夷州を見て大事を定めるご憂慮をされておられます。私が何度も考えますに、その利は見えません。万里を襲うに、難破は予測しづらく、民は水や土が変わると、必ず疫病にかかるでしょう。
今驅見衆、經?不毛、欲益更損、欲利反害。又、珠崖?險、民猶禽獸、得其民不足濟事、無其兵不足虧衆。
今、人々を見るに、渡っても不毛で、利益を欲して更に損し、利を欲してかえって害となります。また珠崖は断絶された険阻な土地で、民は禽獣のようであり、その民を得ても事を成すに不足し、その兵が居なくては人々が不足するわけではありません。
今、江東見衆、自足圖事、但當畜力而後動耳。
今、江東の人々を見るに、事を図るのに足りるので、力を蓄えた後に動くだけです。
昔桓王創基、兵不一旅、而開大業。陛下承運、拓定江表。
昔桓王(※)が創業を成したとき、兵は一旅(五百人)ですらありませんでしたが、大業を開きました。陛下は運を受け、江表を定められました。
※孫策のこと
孫策は死後、孫権によって長沙桓王の位が贈られた
臣聞、治亂討逆、須兵爲威、農桑衣食、民之本業、而干戈未?、民有飢寒。
私が聞きますに、乱を治め逆賊を討つには兵の威力でします。しかし、農業と衣食は民の本業で、干戈が止まねば、民は飢えと寒さに苦しみます。
臣愚以爲、宜育養士民、寬其租賦、衆克在和、義以勸勇、則河渭可平、九有一統矣」權、遂征夷州、得不補失。
私は愚かにも思いますに、兵士と民を養育し、租税と賦役を和らげ、民衆と和し、義をもって勇を勧め、こうすることで黄河、渭水を平定し、九州(※)を統一するのです」孫権は遂に夷州を征伐し、得たものは損失を補わなかった。
※三国時代では大陸は十四州に分かれているが昔の制度で九州に分かれていたのでこの呼称が用いられている
及公孫淵背盟、權欲往征。遜、上疏曰「淵、憑險恃固、拘留大使、名馬不獻、實可讎忿。蠻夷猾夏、未染王化、鳥竄荒裔、拒逆王師。
公孫淵が盟に背くに及んで孫権は征伐に行かせようとした。陸遜は上奏して言った「公孫淵は険阻な地に拠り堅固さを恃んで大使を拘留し、名馬を献上せず、実に憤ります。蛮族でありながら中原に攻めて来て、王の徳に染まらず、鳥のごとく辺境に逃げ、王の軍を逆に拒みます。
至令陛下、爰赫斯怒、欲勞萬乘汎輕越海、不慮其危而?不測。方今、天下雲擾、羣雄虎爭、英豪踊躍、張聲大視。
陛下に一万の軽い船で海を越える労を呼び起こし、その不測の危機がある渡航の憂慮をしないまでに激怒させてしまいました。今天下は乱雲のごとく、群雄が虎のように争い、英雄豪傑は躍り出て、声を張って目を見開いております。
陛下、以神武之姿、誕膺期運、破操烏林、敗備西陵、禽羽荊州。斯三虜者、當世雄傑、皆摧其鋒。聖化所綏、萬里草偃、方蕩平華夏、總一大猷。
陛下は神武の姿で、胸に機運を生み、烏林で曹操を破り、西陵で劉備を敗れさせ、荊州で関羽を捕らえました。その三人の捕虜は、当世の英雄豪傑で、皆その切っ先を砕いたのです。聖なる徳が安んじられる所となれば、万里は教化され、中原は平定され、遠くまで統一されましょう。
今不忍小忿、而發雷霆之怒、違垂堂之戒、輕萬乘之重、此臣之所惑也。臣聞、志行萬里者、不中道而輟足。圖四海者、匪懷細以害大。
今、小さき憤りを忍ばずに、雷のような怒りを発し、垂堂の戒(※)に違え、万の重責を軽んじられるのは、私の惑うところです。私が聞くに、万里の志を行く者は道半ばで軽々しく足を運んではならないそうです。天下を計る者は、細かいことで害を大きくしてはなりません。
※瓦が落ちて来るような危ない場所には近づいてはならないという戒め
『漢書』に由来する
彊寇在境、荒服未庭、陛下乘桴遠征、必致?窺。?至而憂、悔之無及。
強い賊が国境にあり、荒くれて朝廷に服さず、陛下が筏に乗って遠征すれば、必ず隙を窺うでしょう。憂いが起こってから憂い、後悔しても及ばないでしょう。
「憂いが起こってから憂い、後悔しても及ばないでしょう。」
壮大なフラグ
アカン
若使大事時捷、則淵不討自服。今乃、遠惜遼東衆之與馬、奈何獨欲捐江東萬安之本業而不惜乎。
もし大事の時を成し遂げれば、公孫淵は討たずとも自ら服します。今、遠く遼東の兵馬を惜しんでおりますが、どうして江東を万全にする本業を捨てて惜しまないのですか。
乞息六師、以威大虜、早定中夏、垂耀將來」權用納焉。
六つの師団を休息させるのを請い、威をもって大いに捕らえ、早く中原が定まれば、将来に輝きを残せます」孫権は納得して(この方法を)用いた。
嘉禾五年、權北征、使遜與諸葛瑾攻襄陽。遜、遣親人韓扁、齎表奉報。還、遇敵於?中、鈔邏、得扁。
嘉禾五年(236年)、孫権は北に遠征し、陸遜と諸葛瑾を遣わして襄陽を攻めさせた。陸遜は親しくしている韓扁を遣わして上表を持たせ奉らせた。帰りに?中において敵に遇い、巡察中の敵に(書を)かすめ取られて、韓扁は捕らわれた。
瑾聞之甚懼、書與遜云「大駕已旋、賊得韓扁、具知吾闊狹。且水乾、宜當急去」
諸葛瑾はこれを聞いて甚だ恐れ、書を陸遜に送って言った「天子の乗り物は既に帰られた(孫権が帰還した)が、韓扁を捕らえ、つぶさに我らの状況を知っている。さらに川も乾いているので急いで去るべきだろう」
遜、未答、方催人種?豆、與諸將?棊射戲、如常。
陸遜は答えず、人々とカブラナ、豆の種まきを催し、諸将と囲碁、的当てをして、いつもの通りであった。
瑾曰「伯言、多智略。其當有以」自來、見遜、遜曰「賊知大駕以旋、無所復?、得專力於吾。
諸葛瑾は言った「伯言(陸遜)は知略が多い。訳あってこうしているのだろう」自ら来て陸遜に会うと、陸遜は言った「賊が天子の乗り物が帰ったのを知れば、憂いることなく我らに専念するだろう。
又已守要害之處、兵將意動。且當自定以安之、施設變術、然後出耳。
また既に要害の地を守り、兵は動揺するだろう。我らが平然とすれば彼らも安心し、臨機応変の術を施し、その後脱出するだけだ。
今便示退、賊當謂吾怖、仍來相蹙、必敗之勢也」乃密與瑾立計。令瑾、督舟船。遜、悉上兵馬、以向襄陽城。
今撤退を示せば、賊はまさに我らが恐れたといい、皆迫ってやって来て、必ず敗北の形勢となるだろう」こうして密かに諸葛瑾と計略を立てた。諸葛瑾に船団を督させ、陸遜は兵馬のことごとくを挙げて襄陽城に向けた。
息子にも受け継がれとるな
陸抗すこ
孫策と陸遜のハイブリッドや
敵、素憚遜、遽還赴城。瑾便引船出、遜徐整部伍、張拓聲勢、?趨船、敵不敢干。
敵は平素より陸遜を恐れており、急遽帰って城に赴いた。諸葛瑾はすぐさま船を率いて出航し、陸遜はおもむろに部隊を整えて勢いよく声を張り上げて、徒歩で船に小走りで進み、敵は干渉しようとしなかった。
名軍師度が上がるのはなぜなのか
なぜなのか(他を見ながら)
主に諸葛さんのとこの家やろなぁ
人材の育成はできるのに
息子の育成はできないのか…
トンビが鷹を産むことがあるように
鷹がトンビを産むことなんて多々あるから仕方ないね
鷹が鷲を産んでる例があると
トンビ産むとなんかせつなくなるンゴねぇ…
2代目、3代目にはよくある話やし
しゃーない(社長を見ながら)
最盛期からつぶれるまでの間がないとか言う闇
失敗企業特集でよくあるンゴねぇ…
軍到白圍、託言住獵、潛遣將軍周峻、張梁等、?江夏新市、安陸、石陽。石陽、市盛、峻等奄至、人皆捐物、入城。城門、噎不得關、敵乃自斫殺己民、然後得闔。
軍が白囲に到ると、猟をする言葉に託けて、密かに将軍周峻、張梁らを遣わして江夏、新市、安陸、石陽を攻撃した。石陽の市は盛んであったが、周峻らがたちまちやって来ると、人々は皆物を捨て入城した。城門はつかえて閉められず、敵は民を切り殺して、その後蓋をした。
斬首獲生、凡千餘人。其所生得、皆加營護、不令兵士干擾侵侮。
(戦闘が終わり)斬首、捕獲はおおよそ千余りとなった。生き残った者には皆軍営で保護を加え、兵士には狼藉をさせないようにした。
將家屬來者、使就料視。若亡其妻子者、?給衣糧、厚加慰勞、發遣令還。或有感慕相攜而歸者。
家族を率いて来た者には世話を見させた。妻子が亡くなった者にはすぐに衣服、食料を与え、厚くねぎらいを加え、帰るよう命令を発した。ある者は感じ入って慕い、皆を引き連れて帰順した者もいた。
鄰境懷之、江夏功曹趙濯、弋陽備將裴生、及夷王梅頤等、並帥支黨來、附遜。遜、傾財帛、周贍經恤。
国境の隣でも懐く者がいて、江夏の功曹趙濯、弋陽を守備する将裴生、異民族の王梅頤らが並んで部下を引き連れて陸遜についた。財貨、布帛を傾けて周りを哀れみ助けた。
>>59
この一連の戦いも正史では好意的な書き方だが
裴松之に死ぬほど批判されてるな
「そもそも民衆に多くの被害が出たのはテメーが急襲したからだろう
自分で攻めて自分で保護するなんて
悪行マッチポンプしてイイ気になってるから
孫の代で一族が途絶えたんだよ!」
うーんこの発狂ぶり
ド正論で草
裴松之はかなり手厳しいからね
今回は裴注載せなかったから
わからんだろうけど
裴松は基本的に陳寿の評価踏襲してるけど、
賈クや陸遜など一部の人間批判してる時
めちゃくちゃ目を輝かしてるのが見える見える
賈クも謎だよな
陳寿が褒めてるのに
裴松之はボロクソやもん
どうして子育てで差がついたのか
思うに家の事を顧みる余裕があるかないかの違いやないかなぁ
余裕がない国が
さらに余裕がなくなるという
悲しいループ
又、魏江夏太守?式、兼領兵馬、頗作邊害。而與北舊將文聘子休、宿不協。
また、魏の江夏太守?式は兵馬を率い、すこぶる辺境を害していた。しかし北の古参の将文聘の子文休とはかねてより不仲であった。
遜、聞其然、?假作、答式書云「得報懇惻。
陸遜はそれを聞いてすぐに偽の手紙を作り、?式への返信として書くには「懇切な報せを受けました。
知與休久結嫌隙、勢不兩存、欲來歸附、輒以密呈來書表聞、撰衆相迎。宜潛速嚴、更示定期」
文休と久しく嫌い合っているのを知り、勢力はお互い保てず、帰順されたいのなら、ただちに書を送って上表し、人を選んで歓迎させましょう。密かに素早く用意し、期日を示されますよう」
以書置界上、式兵得書、以見式。式惶懼、遂自送妻子還洛。由是、吏士不復親附、遂以免罷。
書を国境の上に置き、?式の兵は書を拾って?式に見せた。?式は恐れ入り、遂に自ら妻子を洛陽に帰した。こうして吏や兵士は親しく付き従うことがなくなり、遂に罷免された。
六年、中郎將周祗、乞、於?陽召募。事下問遜。遜以爲、此郡民易動難安、不可與召、恐致賊寇。
嘉禾六年(237年)、中郎将周祗が?陽で募兵するのを請うた。この事は陸遜に尋ねられた。陸遜はこの郡の民は動じやすく安定しづらく、募兵すべきでなく、恐らく賊が襲ってくると言った。
而祗固陳取之。郡民?遽等、果作賊殺祗、攻沒諸縣。
周祗は頑なにこの意見を入れるよう述べた。郡民呉遽らは果たして賊となって周祗を殺し、諸県を攻め落とした。
豫章廬陵宿惡民、並應遽爲寇。遜自聞、輒討、?破。遽等相率降、遜料得精兵八千餘人、三郡平。
豫章、廬陵はかねてより民が悪く、揃って呉遽に応じて賊となった。陸遜はこれを聞き、ただちに討伐し、すぐに破った。呉遽らは皆を率いて降伏し、陸遜は精兵八千余りを得て、三郡は平定された。
時、中書典校呂壹、竊弄權柄、擅作威福。遜、與太常潘濬、同心憂之、言至流涕。後、權誅壹、深以自責、語在權傳。
時に中書典校呂壱が密かに権力を弄び、人々をほしいままに従わせた。陸遜は太常潘濬と心を同じくしてこれを憂い、言葉を交わしては涙を流した。後に孫権は呂壱を誅殺し、深く自責して、話は孫権伝にある。
時、謝淵、謝?等、各陳便宜、欲興利改作。以事下遜。
時に謝淵、謝?らは各々便宜を述べ、利を改めて興そうとした。このことを陸遜に尋ねた。
なかった気がする
後で調べてみるけど
あったらやってほしいなぁって(ニッコリ)
了解や
残念ながら呂壱伝なかったで
グエー
ま、あんなんにあるわけないか(冷静)
まぁ潘濬伝で詳しく書いてるしな
ただ呂壱さんサイドが実は孫権の命令で
臣下粛清の役を負っていたって説もあるにはある
そういやさっき首きりとかに失敗したって言ってたもんな
ソ連のヤゴーダやエジョフとかと同じようなもんか
>>99
いやまぁこれはかなり邪推に過ぎると思う
なによりワイの好きな潘濬がピエロになっちまうからNG
にしてもなんがかんだでコツコツ功績つんで遂に丞相か
孔明とは対照的に
泥臭くて現実的な政治家ってイメージやわ
陸遜に泥臭いってイメージなかった
なんでやろ
無双のせいかな?
>>106
無双は死ぬほど真逆やわ・・・
でも一般的陸遜イメージって無双なんやろな
孔明はひたすら悲壮で勇敢な理想家
だから美しいし永久に人々に仰ぎ見られる
陸遜はそれとは反対な保守的な現実家
そういう印象やな
確かに伝を読んでいくとそういうイメージやな
でもワイにとっては横山のデブ陸遜から
無双のイケメン陸遜で決定してしまったんや
>>117
昔の中国ドラマでも陸遜はふくよかな役者さんやったし
園田三国志の陸遜というトンでもないのもある
なんやろう無双の前は陸遜デブで固定されてたんかね
演義でそんな記述ないと思うけど
↑陸遜です
遜議曰「國、以民爲本、彊由民力、財由民出。夫、民殷國弱、民瘠國彊者、未之有也。
陸遜は建議して言った「国とは民を根本とし、強さは民の力により、財は民から出ます。そもそも民が盛んで国が弱く、民が痩せて国が強かったことは未だありません。
故爲國者、得民則治、失之則亂。若不受利而令盡用立效、亦爲難也。
ゆえに国政をするものは、民を得れば即ち治まり、これを失えば即ち乱れます。もし利を受けさせずして用いて効力を尽くさせようとしても為すのは難しいでしょう。
是以、詩歎『宜民宜人、受祿于天』乞垂聖恩、寧濟百姓、數年之間、國用少豐、然後更圖。」
これは詩経が歎じる『民よく人よければ、恵を天より受ける』で、聖なる恩を施し、百姓を落ち着かせ救済し、数年の間には国費は少しは豊かになり、その後改めて図りますように。」
赤烏七年、代顧雍、爲丞相。詔曰「朕以不德、應期踐運、王塗未一、姦?充路、夙夜戰懼、不惶鑒寐。
赤烏七年(244年)、顧雍に代わって丞相となった。詔に曰く「朕は不徳で期に応じて運よく帝位に就いたが、王道によって統一できず、邪な者が満ち溢れ、一日中戦を恐れ、寝ることも出来ない。
?外之任、君實兼之、今以君爲丞相、使使持節守太常傅常、授印綬。君其茂昭明德、脩乃懿績、敬服王命、綏靖四方。
内外の任を君は兼ねて実行しており、今君を丞相とし、使持節、守太常傅常を遣わして印綬を授ける。君はその明るい徳を茂らせ、良き功績を修め、王命に敬服し、四方を安んじよ。
於乎、總司三事、以訓羣寮、可不敬與、君其?之。其州牧都護領武昌事、如故。」
ああ、三公(※)の事を統べて、幕僚たちを教え諭し、注意深くならず、君はこれに努めてくれ。州牧、都護、武昌を領する事は今まで通りにするのだ。」
※司徒、司空、太尉の三つの役職
丞相はこの三つの役職を廃止して一つとしたもの
先是、二宮並闕、中外職司多遣子弟給侍。
これより先に二つの宮殿(二人の太子)が並び立ち、内外の役人の多くがその子弟を遣わして侍らせた。
全琮報遜、遜以爲、子弟苟有才、不憂不用、不宜私出以要榮利。若其不佳、終爲取禍。且聞、二宮勢敵、必有彼此、此古人之厚忌也。
全琮は陸遜に報じると陸遜は子弟がもし才があれば、用いられない憂いはなく、個人的に出て栄利を必要とするのはよろしくない。もし優れていなければ終いには禍を得る。そして聞くに二宮の勢力は匹敵しており、必ず二つに分かれ、これは個人の忌み嫌ったところであるとした。
琮子寄、果阿附魯王、輕爲交構。遜、書與琮曰「卿、不師日?、而宿留阿寄。終爲足下門?致禍矣」琮既不納、更以致隙。
全琮の子全寄は果たして魯王にへつらい従って軽々しく交流をした。陸遜は全琮に書を与えて言った「卿は金日?(※)を師とせず、阿寄(全寄)を(魯王の元に)留めている。終いには足下の門戸に禍を招くだろう」全琮は納得せず、更に仲が悪くなった。
※前漢の政治家で金旋の祖先
息子が武帝に寵愛されたことを恃んで悪行を重ねているのを見ると自らこれを殺した
>>100
これも要するに全琮に
「お前の息子は国ために良くないから殺せ」
って言ってるんだよな
こんな事面と向かってよう言うわ
でも陸遜の主張はおおむね正しいし
もう呉は限界やねって感じがプンプンする
及太子有不安之議、遜上疏陳「太子正統、宜有盤石之固。魯王藩臣、當使寵秩有差。彼此得所、上下獲安。謹叩頭流血、以聞」
太子に不安があるとの議論になると、陸遜は上奏して述べた「太子は正統で、盤石に固めておくのがよろしいでしょう。魯王は藩臣で、寵愛の順序をつけるべきです。皆得る所があり、安心します。謹んで流血するくらい頭を叩きつけますので、聞き入れますよう」
書三四上。及求詣都、欲口論適庶之分、以匡得失。
書を三、四回上表した。求められて都に行き、庶子のわきまえを口論して得失を助けることを求めた。
既不聽許、而遜外生、顧譚、顧承、姚信、並以親附太子、枉見流徙。太子太傅吾粲、坐數與遜交書、下獄死。
聞き入れてもらえず、さらに陸遜の外戚の顧譚、顧承、姚信は揃って太子に親和しており、無実の罪で流刑にされた。太子太傅吾粲は陸遜と何度も書を交換していたことを罪に問われ、獄死させられた。
權、累遣中使、責讓遜。遜、憤恚致卒、時年六十三、家無餘財。
孫権は何度も使者を遣わして陸遜を責めた。陸遜は憤ったことで亡くなり、時に齢は六十三で、家に余財は無かった。
かなC
あまりにも無念過ぎる最後や
初、??、造營府之論、遜諫戒之、以爲必禍。
当初、??が営府の論を作った時、陸遜はこれを戒めて諫言し、必ず禍となるとした。
又、謂諸葛恪曰「在我前者、吾必奉之同升。在我下者、則扶持之。今觀君、氣陵其上、意蔑乎下、非安德之基也」
また諸葛恪に言って曰く「私に前任者が居る時は、私は必ず同じく昇任するよう奉った。私に部下にいる時は、すなわちこれを助けた。今君を見るに、気は上を凌ぎ、意は下を蔑ろにし、身を安んずる徳の基本ではないであろう」
又、廣陵楊竺、少獲聲名。而遜謂之終敗、勸竺兄穆、令與別族。其先覩、如此。
また、広陵の楊竺は幼くして声名を得ていた。しかし陸遜は終いには敗れると言い、楊竺の兄楊穆に勧め、族を分けるようにさせた。その先見の明はこのようであった。
長子延、早夭。次子抗、襲爵。孫休時、追諡遜、曰昭侯。
長男陸延は若くして死んだ。次男陸抗が爵位を継いだ。孫休の時代に陸遜は追諡され、昭侯といった。
評曰。劉備、天下稱雄一世所憚。陸遜、春秋方壯、威名未著、摧而克之、罔不如志。
評曰く。劉備は天下に雄を称され一世に憚られた。陸遜は年代が壮年になっても威名は著しくなかったが粉砕してこれに勝ち、志のようにならぬものはなかった。
予、既奇遜之謀略、又歎權之識才、所以濟大事也。及遜忠誠懇至、憂國亡身、庶幾社稷之臣矣。
私(陳寿)は陸遜の謀略を素晴らしく思い、また孫権の才識をもって大事を成すことに感嘆する。そして陸遜の忠誠が懇切に至り、国を憂いて身を亡ぼしたのは、社稷の臣であらんことをこいねがったからである。
ここまでお付き合いしてくれてサンガツ
長い事おつかれやでー
楽しかった
また宜しく
司馬懿は伝がないから
記述集めるの正直めんどくさいんや
それはパスでええか?
いやええで聞いてみただけなんや
てか晋書も買わんといけんし、尼で日本語訳1万4000円やって
三国志語る時に司馬懿の事績の集めにくさって本当厄介やな
晋書高いな
ワイの独訳やとわからないところでつまづいて
間違える恐れがあるし
これだけのために買うのもどうかと思うから
やっぱり今回はパスで
すまんな
呉のアレっぷりにげんなりするのか見物やね
じゃあやってみるか
わかったで
ワイのイメージだと歌舞伎の長い髪ぐるぐる廻しながら
奇声あげて敵に突っ込んでるイメージ
集団が奇声奇行で突っ込んでくるとか怖杉内
アキレス腱自分から切って気絶するとか
関羽の骨削りに比べると人間味が感じられるんやなって
正直そんな集団勝てても一旦逃げるわ
また機会があったらそのときはよろしくお願いします
ほな、また
体に気をつけてな~
孫堅世代にはあるから…
鉄鎖からすぐにこれだよ!
ワイ「三国は晋が統一したんか……200年ぐらい続くんやろなぁ」
ワイ「五胡十六国時代?乱れ具合がパワーアップしとるやんけ!」