今から中国古典なんかに出て来る武器の紹介をやる
ニュース
流星鎚ある?
すまん入れられなかった
時間なくて暗器系も全滅した
王双「は?」
すまん
またの機会があったら絶対入れるわ
じゃあ開始するで
剣
中国においては両刃のものを剣、片刃のもの刀と明確に区分されている
中国では石質の関係で石器時代は先端の長い剣は流行しなかったが、青銅の技術が生まれてからは多く作られるようになる
戦国時代からは最盛期を迎えるが漢代になると匈奴との戦いで騎兵戦が発展し、馬の勢いに乗じて敵を斬りつけると刃が折れるという問題が発生したため、余り使われなくなる
しかし主に儀仗用として用いられるようになった他、民間で使用されたり、道教で儀式に使わるなど戦場以外の場所で残った武器である
三国志でも使い手は多いが、特に有名なのは曹操が夏侯恩に賜った「青釭」であろう
趙雲はこの剣を使い見事阿斗を救い出した
なお青紅のその後
それは入れたで
さすがに弩抜きはまずいと思って真っ先にやったわ
刀
片刃の武器で、刀身が真っ直ぐな直刀や曲がっている曲刀など様々な種類がある
古代中国では剣があるために余り使用されていなかったが騎兵戦が発展すると共に使われるようになり、特に漢代において騎馬民族である匈奴に対抗するため騎兵を増やすと最盛期を迎えるようになる
剣は両刃のため刃を厚くするのは困難だが、刀は剣ほどそれが難しくないのである
また片刃のため両刃より製造が容易なこともあり、剣に代わる武器となりえたのだ
三国志にも刀は何度も登場するが、その中でも名シーンと言えば曹操が董卓に刀を献上する場面であろう
曹操は董卓を暗殺しに行き、董卓が身体を背けて寝ると刀を抜くが、鏡に反射して気づかれてしまう
そこで曹操は機転を利かせて刀を献上しに来たと言い、虎口を逃れるのだ
七星剣じゃないのん?
七星剣は演義の創作か
その回のタイトルは「謀董賊孟徳献刀(董賊を謀りて孟徳刀を献ず)」だから刀だし作中でも一貫して刀って表記されてる
どこで剣と混同されたんやろか?
矛
長柄の先端に両刃の穂先を取り付け、遠距離から攻撃することを目的とした武器
棒状のものの先端に鋭利な刃をつけるという発想は単純だがかなり効果的なので殷周の時代にはすでに登場している
三国時代にもポピュラーであり『三国志』の張飛伝には張飛が長阪でこれを持ちながら曹操軍の追撃を防いだとの記録がある
槍とは違うンゴ?
矛は剣のような両刃の穂先で斬る目的もあった
ちなみに某漫画の王騎の矛って明らかに矛やない
両刃やないし
はえ~微妙に違うンゴね…
蛇矛
先端に曲がりくねった矛身が特徴の矛
これで攻撃されると傷口が複雑になるという
このような目的の武器は「フランベルジュ」という曲がりくねった剣があるように西洋にも存在したようだ
上記のように張飛は正史でも矛を使ったという記録があるが、蛇矛は少なくとも明代にはあったが張飛のいた三国時代にはなかったと考えられている
『三国志演義』で張飛が使う蛇矛は長さが一丈八尺なので実に張飛の身長(八尺)の二倍以上である
(三国時代にそんな冶金術は)ないでしょ
槍
矛を前身とするが矛と比べて先端が細く、より刺突に特化している
騎兵歩兵を問わず使用出来、また軍営や筏の部品にしたり、旗竿の代わりに出来るなど戦場で非常に便利に使えるため、火器に多くの兵器が駆逐される中、十九世紀の終わり頃まで使われ続けていた
中国の槍の特徴として槍の穂先の下に槍纓と呼ばれる紐の塊がついている
これは敵を突き刺した際に流れる血が柄を伝って手を滑らせるのを防ぐため、または見栄えを良くする装飾としての目的でつけられているという説がある
槍って三国時代にあったの?
槍は諸葛亮が開発したって説があるように三国時代からと言われてる
ただ流行したのは隋の時代だとか
赤穂浪士の討ち入りも槍やんな
鉤鎌槍
穂先に内側に向かう鎌がついた槍のことを鉤鎌槍と呼ぶ
槍としての使用方法の他に、鎌として敵を引き倒すことも出来る
また鎌の部分があるので槍が深く突き刺さって抜けなくなるのを防止する副次的な機能もある
『水滸伝』には金槍手徐寧という鉤鎌槍の使い手がおり、敵将呼延灼の連環馬(三十頭の馬を鉄の鎖で繋いで突撃させる呼延灼の戦法)をこの槍で打ち破った
かっこE
これ三国志のドラマでよう見たわ
レッドクリフワイもみたけど覚えとらん
恐らく馬の足を引っかけるのにも適しているからこれかもしれん
ワイも前後編見たけど全然思いだせん
なんせ十年近く前やからな
周瑜と小喬の濡れ場しか覚えとらん
ウィはサッカーやっとるシーンしか覚えてないわ
ワイは孫権と妹が喧嘩してたことしか覚えとらん
槊
騎兵用の長い槍のことを特に槊と分類する
非常に長く重いので、振り回して戦わず、身体を使って固定し、騎馬の突進を利用して敵に突き刺す
また槊を歩兵に使わせることもあり、これを歩槊と呼ぶ
集団で陣形を組み、敵の突撃を止めるのに有効なのだ
戈
戈は長い柄に対し刃を垂直に取り付けた武器で主に切っ先で刺したり、刃に引っ掛けて攻撃する
一見刺突系の武器よりメリットが少ないように思えるが、その真価を発揮出来るのは戦車戦である
戦車の上ですれ違う際は、敵に矛を刺すより敵に戈を引っ掛ける方が容易であり、また矛と違い戈は相手の身体に引っ掛けるだけで戦車の走る勢いを利用して大きなダメージを与える事も可能なのだ
そのため殷以降の戦車戦の発展と共に最盛期を迎えるが、戦車より優れた騎兵が登場すると一気に廃れることとなる
はえ~そう使うんか
ぐるぐる回転して攻撃するイメージしかないわ
戟
矛と戈の両方の特徴を持つ武器で、矛のような刃を「刺」、戈のような刃を「援」または「枝」と呼ぶ
矛と戈の両方の利点が同時に仕えるので、単純に使い勝手が良く、三国時代にも一般的な武器となっていた
しかし鎧の発展と共に攻撃力が不足するようになり、重装騎兵の出現で援がほとんど役に立たなくなったことから、矛が進化した槍にその地位を奪われてしまうこととなる
『三国志演義』では典韋がこれの有名な使い手で、それを恐れた胡車児は計で戟を奪い、典韋にその威力を発揮させなくした
方天戟
戟と名称がつくものの、槍から発展した武器で、槍状の穂先に「月牙」と呼ばれる三日月型の刃が両側についている
槍のように刺したりする他、月牙で敵を刺したり斬ったりも出来るのでかなり使い勝手が良い
また月牙があるおかげで穂先が深く突き刺さって抜けなくなるのも防げる
『三国志演義』で呂布の使っている戟は「方天画戟」と呼ばれ、月牙が一つしかない
呂布はこれを使って虎牢関で張飛と五十合互角に戦い、関羽が来ても三十合耐えたが、劉備が来るとついに防ぎきれなくなって関に逃げ戻った
これって公孫?が異民族撃退に使ったやつやっけ?
こういう形式の戟の登場は三国時代にない
千年近く後の宋の時代くらいかららしい
大刀
五代十国の頃に登場したといわれる長い柄の先端に片刃の刀身がついた武器
刃で斬撃することも出来るが、その重さを利用して鎧の上から敵を叩くことも出来るので、たとえ厚い鎧を着こんでいても致命傷を与えられる非常に機能的な仕組みとなっている
『水滸伝』に登場する関勝は関羽の子孫であり、この大刀を使うので、そのまま「大刀」というあだ名がついている(厳密にいえば関羽と同じ青龍偃月刀だが、偃月刀も大刀の一種)
偃月刀
大刀の一種であり、大刀に分類される武器の中でも偃月刀は特に重く、また製造のコストも高いので、実践では使用せず、普通は演武などで使用する
また、演武に使用することが多いという特性から、装飾が施され華やかになっているものが多い
『三国志演義』に登場する関羽の青龍偃月刀は別名を「冷艶鋸」といい、重さは八十二斤で、作中ではこの刀を振るって多くの敵将を討ち取った
三尖両刃刀
先端が三方に分かれ、刀なのにまるで剣のように両刃なので三尖両刃刀と呼ばれる
その形状から、斬るだけではなく、突き刺しても大きな威力を発揮する
また二郎真君が愛用しているため、「二郎刀」と呼ばれることもある
三国志では紀霊が使用し、関羽と互角に渡り合った
大斧
中国の斧のうち、両手で使う大きなものを大斧という
大斧は長い柄の先に分厚い刃がついた武器で、大刀と同じく斬ることに加えて叩くことで鎧の上から致命傷を与えることも出来る
古代の石斧まで起源を辿れるが、武器としては長らく使用されなかった
日の目を浴びるのは宋の異民族の重装騎兵を敵にした時代で、敵の厚い鎧の上から重い斧で叩きつける戦法、または馬の足を切り落とす戦法で重装騎兵を撃退した
金の兀述がこの大斧を恐るるべきだと嘆いたという逸話からもその威力がわかる
『三国志演義』では徐晃が使用し、許?と五十合互角に戦うなど優れた武勇を発揮した
棍、棒
棍や棒は木や鉄などを素材とし、敵を叩いたり突いたりする長めの武器
単純なつくりから中国でいち早く生まれ、長らく使用されてきた
先端に金属製の穂先をつけないので主に練習のためや武器が禁止された時代に護身用に持つなどして使われた
また人を傷つけないことから刑罰のためにも使用され、水火棍などの罪を罰することを専門にした棍もある
西遊記の孫悟空は棒の有名な使い手で、彼の持つ「如意金箍棒」は名前の通り意の如く変化させることが出来る
『三国志』の賀斉伝の注釈には、反乱軍で刀剣を抜くことが出来なくなり矢を射てもはね返してしまう術を使う者がいたところ、賀斉は棍棒を使い打ち破ったという記録が残っている
>>830
>刀剣を抜くことが出来なくなり矢を射てもはね返してしまう術を使う者
毎回思うけどこいつ雇って最前線に出せば対魏も楽勝だろ
賊軍だから討伐致し方なし
実際にいたらパワーバランス崩壊するやろうなぁ
狼牙棒
棒の先端に狼の牙のような鉄のトゲがある錘をつけた打撃武器
単純に重さがあるので敵を殴るだけで大きなダメージを与えることが出来るが、さらにトゲで多くの傷を負わせることも可能である
たとえ鎧をつけていても重傷を負わせることが出来るので、重装騎兵が相手の重装騎兵に対抗するため、好んで使っていた
宋代に普及した武器のため、北宋末を舞台にした『水滸伝』でも霹靂火秦明という人物がこの狼牙棒を使用している
鞭、?
鞭には軟鞭と硬鞭があるがここでは金属製である硬鞭の方を紹介する
鞭や?は剣や刀のように小さく、その重量をもって敵を殴りつける武器である
鞭は竹の節のような構造を持つが、?は節がなくシンプルなつくりである
唐代に現れ、刀剣が通らない重装騎兵に対抗するため、騎兵がよく使っていた
『三国志演義』では文鴦は鞭の使い手で、文鴦は撤退戦の最中、魏の武将の集団に単騎で突入してはこの鞭で数人を打ち殺し、何度も追いかけてくる魏軍をその都度撃退した
鞭って投げつけて頭かち割る武器だと思ってたわ
打撃系の武器で剣に代わるものや
ぼこぼこ殴るんやで
どうやったっけ?
金属製で左右の長さが違うのは覚えてる
今適当に水滸伝取り出してぱっと開いたら
偶然表記があった
第五十五回に銅の鞭とある
wikiみたら
呼延灼は
『水滸伝』の原型といわれる『大宋宣和遺事』では
「鉄鞭・呼延綽」という名で登場する
らしい
鉄?
水滸伝は宣和遺事から
かなり設定変わってるからね
元は鉄の設定やったんやろ
錘
長い柄の先端に球状の重りをつけた打撃を専門とする武器で、錘(重り)の形に似ていることから、そのまま錘と呼ばれる
殷周春秋の時代からすでに存在していたものの、使用価値がなかったため、実戦には使われず、多くは儀仗用であった
刀剣が通らない厚い鎧の上から効果的にダメージを与えることが出来ることから、重装兵が出現した南北朝ではその価値を見直され、宋代で最盛期を迎えた
この中の一種に?藜骨朶と呼ばれる突起つきの錘があり、『三国志演義』の沙摩柯は鉄の?藜骨朶を使う
?
?はかんな状の工具である?、ないしショベル状の農具である?が武器化したものといわれており、さらに月牙がついたものは「月牙?」とも呼ばれる
僧侶が好んで使ったことから禅杖とも呼ばれ、禅杖の多くには鉄の輪がついている
これは僧侶が旅をする際、この輪に荷物をぶら下げて天秤棒のように扱える利便性のためにつけられているのである
禅杖は人物に僧侶のイメージを与えられるため、『水滸伝』に登場する花和尚こと魯智深や『西遊記』の沙和尚(沙悟浄)などのキャラ付けにも使用されている
文字化けして読めんのやが
それはすまん
金へんに産で(金産)と書いてサンと読む
さんがつ
サンだけに
斬れっ
叉
叉は先端が二股ないし三股に分かれており、長い柄を持つ
槍と似ているが、穂先が多いため、単純により多くの傷をつけることが出来る
漁師や猟師、農民などに使われていた道具を原型とし、唐代ではすでに武器として成立していたが、軍隊に正式に採用されるようになったのは明代からである
武器の特徴から猟師や漁師のイメージをつけることが出来るので、例えば『水滸伝』の解兄弟は猟師から山賊になった人物だが、これを使用している
狼筅
枝を残した竹を柄にして、先端に槍のような穂先をつけた武器
竹の枝はしなり、刀に切り落とされ難いので、特に倭寇が持つ日本刀に対抗するためによく使われた
また竹の枝が敵の攻撃を邪魔するので、高い防御力も備えていたが、一方かさばるので、行軍に不便であるという欠点もあった
明の戚継光が倭寇に対策するために軍の正式な装備とし、狼筅を持った兵を最前列に配列したのが有名
これおもろいな
一見すると変な武器やけど
理由を見ればかなり合理的な武器やね
ワイも好き
弓
弓は柔らかい木材に弦を張り、木材が曲がってから戻る力を利用して矢を飛ばす武器である
遠距離武器として最古の歴史を持ちながら、その利便さから清の末期まで使われている
それは弩や火器に比べて連発が出来、持ち運びもしやすいからで、弩が火器に駆逐されたのに対し、弓は火器の長い発射間隔を補うために使用され続けた
また状況を問わず使えることから、歩兵戦、騎兵戦、水戦の全てにおいて重要視された
『三国志演義』で最も有名な使い手といえば呂布と黄忠であろう
呂布は劉備軍と袁術軍を和睦させるため、百五十歩先の戟に弓を射当てた
黄忠は関羽に一騎討ちの最中救われたので、百発百中の弓の才を持ちながら、敢えて関羽を射殺さず、義に対し義で答えた
夏侯淵の弓に関するエピソードは演義だけだっけ?
銅雀台でのエピソードか?
それは演義だけやで
重要な武器やから
名手もたくさんおったんやろな
せやな
ただ三国志演義では
呂布と黄忠の知名度が一番だろうから
この二人を選んだんや
弓の名手は多いな
太史慈は山賊討伐とかのときの話やし
武将との絡みがあるわけでもないし
まあしゃーない、すまんな
弓の名手はたくさんいるから紹介しきれなかったんや
太史慈さんすまんな
火器がこれに追いつくのはかなり近代になってからや
せやで
そのため弓はなかなか廃れなかった
そういう時は矢の雨を降らすんや
弩
弩は弦を止め金に掛けて張り、レバーを引くと止め金が落ちて矢が発射されるという武器
弓を引いてから発射するまで力を使い続けなければならない弓と違い、一度引いてしまえばよいだけの弩はより強い力を込められるので、弓より威力と飛距離が格段に上である
戦国時代から正式な装備として使われていたが、その威力の高さから突撃する騎兵を阻むのによく使われた
そのことが騎兵の重装備化を促し、さらに重装騎兵に対抗するため、強力な弩が生まれるといった、ある意味では騎兵との戦いにより進化したと言える
『三国志演義』においては諸葛亮が矢を一度に十発も放てる連弩を開発し、その法を託された姜維は司馬師に陽平関まで追撃されると、この連弩で司馬師を撤退させている
三国時代に使われている武器について調べてきた
まず投擲武器でいうと弓や弩は使われている
またこの時代の弩の特徴として連射式の連弩が使われている
これは諸葛亮が開発したと言われてるな
刀剣類でいえば直刀が使われてている
剣は騎兵戦に対応出来ずに廃れているし曲刀は唐の時代以降だそうだ
長兵器と呼ばれる身長以上の長い武器に関していえばこの時代のメインは戟らしい
戈は戦車戦と共に廃れて槍は隋の時代まで出てこない
矛もあまり使わないそうだが張飛伝などにあるようにまだ残ってはいたようだ
打撃系の武器は三国時代は使われていない
これ系の武器は晋や南北朝に入って重装兵が出現すると刀剣で斬れなくなった鎧の上から効率的にダメージを与えるために使用されるようになったみたい
だからまだ三国時代では重視されていないそうだ
火器は全く使われない、というかこの頃にはまだ火薬は発明されていないからね
ちなみに流星錘は宋の時代に登場したと推測されているらしい
また防具としては筒袖鎧という鉄で出来た鎧があったそうだ
これは諸葛亮が開発したと言われているが真実は定かではないな
戦車は漢の初期に騎馬に取って代わられたからこの時代は使ってないみたい
だいたいこんな感じ
わかりやすい説明サンキューイッチ