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・字は文長。荊州義陽郡の出身。
部曲を率いて劉備の蜀攻めに参加
この功績で牙門将軍になる。
・この時点で趙雲より序列が上になる。
・魏延「もし曹操が10万の兵で漢中に攻めてきてもボコボコにするで」
と就任時に抱負を掲げる。
・善養士卒と評され、軍事教練の教官として有能であり、
漢中太守就任後は漢中を要害化するなど防衛ラインを強化する。
・230年、曹真軍が長雨で撤退すると
隙を突いて呉懿と共に陽谿の魏の費耀・郭淮を撃破。
征西大将軍に昇進。
・祁山に攻撃を加えてきた張コウ、司馬懿を呉班・高翔と協力して撃退。
(麒麟は角を持っているが用いることはないで。
これは、戦わずして賊軍が自壊する象徴やで)」
魏延「ほーん」
・魏延「一万の兵をもって本隊とは別のルートで進軍し、
潼関で落ち合い、韓信の故事に倣いたいやで」
諸葛亮「うーん、却下」
・魏延「何やコラあああああ!!」
楊儀「あああああああああ!!」
諸葛亮「仲悪すぎやろ…」
・諸葛亮「ワイが死んだら魏延に殿軍させて撤退させるんやで」
楊儀・費イ・姜維「おかのした」
魏延「は?」
・楊儀「魏延が反逆したで!!」
魏延「楊儀が反逆したで!!」
劉禅「えぇ…?」
董允「魏延が悪いと思います。」
・王平に一喝され兵士が四散、息子共々漢中に出奔するが馬岱に斬られる。
・韓玄を斬って劉備に降伏
・諸葛亮「反骨や!!反骨!!こいつ後で裏切るで!!」
劉備「うーん、採用!!」
・益州攻略で軍紀を乱した件で黄忠に処刑すべきと進言されるが
劉備の取り成しで許される。
・南蛮遠征で趙雲らと共に活躍、木鹿大王や兀突骨らを撃破する。
・街亭の戦いでは馬謖を救援し、蜀軍の被害を抑える。
この孔明いつ見ても草
めっちゃ早口で言ってそう
これ本人の前で言うってそうとうよな
魏延が呂布みたいに100%裏切るマンみたいな扱いなの可哀想
だいたい見た目蛮族やし
裏切りそうなやつほど裏切らない法則やね
・王双を討ち取る。→曹真が気絶する。
・葫蘆谷の戦いでは司馬懿もろとも諸葛亮に焼き殺されそうになりブチ切れる。
→馬岱にとばっちりがいく
・諸葛亮の寿命を延ばす祈祷中に、
魏軍襲来の報告にきた魏延が祭壇を荒らしてしまい、
祈祷を失敗させてしまう(魏延は祈祷の事を知らされていなかった
・魏延「ワシを殺せる者があるか!」馬岱「ここにいるぞ!!」で斬り殺される。
王双が斬られた、とここにいるぞ!は魏延を語る上で外せないわね
鞏志「民の事を考えた忠志である」
魏延「頭蓋骨が後部に出てるからこいつは不忠!斬るべき」
何故なのか
これ酷いわなw
鞏志は主君殺してないし反骨の相もないから
魏延は裏切るのがあらかじめわかっていたから
殺そうとなっただけや
鞏志って金旋の首差し出して降伏してなかったか?
思いっきり矢を射って即死させてたよな
それオリジナル設定やで
そもそも鞏志って演義の架空人物じゃないん?
反骨が話題にあるから演義の設定語っとるんちゃうんか?
鞏志さんは金旋の顔を射ただけで
首を割いて張飛に献上したのは兵士たちやで
うんだから演義で鞏志と魏延の扱いに矛盾があるよねってネタやで
細かい描写はよくわからんが殺して降伏したのは一緒じゃないんか?
金旋を守っていた兵士が金旋を殺したって時点でかなり違うやろ
矛盾は反骨の相があるかないかでしょ諸葛亮はそれ理由や言うとるし
さすがに誰でもキレるやろって
子供のころ読んでて思ってたわ
張飛が駄目でも他にも上がいたやろ
よう中堅の魏延を抜擢したもんや
単純に入蜀戦で超有能やったからやろ
なるほど
ワイは漢中王になった劉邦が韓信を抜擢して
成功した古事に倣ったんかなって思ってる
すぐに漢中王になったし
ワイもそう思ってるで
そうして対外的に魏延を宣伝してるor陳寿が魏延を超評価してた
張飛は手元に置いて遊撃軍で使いたかったから、って説がワイはしっくりきてる
前線指揮官として張飛・馬超は涼州で使いたかったんやないかな?
魏延を漢中太守に置いた後は諸葛亮と魏延で要塞化をしてる
この防御陣は魏が攻めてきた際にめっちゃ機能してるからな
それを入蜀戦とその後の平定戦で使ってみて
将軍として特に有能やったのが黄忠魏延李厳黄権やったんやないかな
大いにその可能性もあると思うで
【番外編・その2】
・字は伯約、涼州天水郡冀県の出身。父は姜冏、妻は柳氏、子孫に唐の姜恪。
・「天水の四姓」と呼ばれる豪族の家系で、
パッパが異民族討伐に従軍して戦死すると、
上計掾として郡に出仕、雍州刺史の従事となった後、
パッパの功績で中郎となり、天水の軍事に参与する。
・諸葛亮の北伐で近隣の県が続々と降伏すると、
太守の馬遵は配下の梁緒・尹賞・梁虔・姜維らの内通を疑ったあげく逃亡。
行き場を無くした姜維らは已む無く蜀に降伏。
・諸葛亮
「姜維は忠勤に励むし、思慮精密やし、用兵に秀で取るし、
度胸あるし、ホンマ兵の気持ちも良く分かっとるで」
とめっちゃ評価される。
・中監軍・征西将軍
→右監軍・輔漢将軍(諸葛亮死後)
→平襄侯
→司馬
→243年、鎮西大将軍・涼州刺史
→247年、衛将軍・録尚書事と昇進しまくり軍の中枢を担う。
・一軍を率いて西方へ進行し
異民族を味方につけ夏侯覇や郭淮を破るなど活躍。
・費イ「諸葛丞相でも無理やったんやから北伐とか無理やで、外征は人材育ってからや」
姜維「なんでや!!」とそりが合わず
・253年、費イが魏の降将郭循に刺殺されると、
姜維は費イの後を受け軍権を握り、数万の兵を率いて北伐を敢行、
翌年、魏の李簡の寝返りに乗じて狄道県をはじめ三県を制圧し、徐質を討ち取った。
さらにその翌年に、夏侯覇らと共に魏の王経を?水でボコボコにし、
王経軍の死者が数万人に及ぶレベルの大勝をあげる。
この功績で大将軍に昇進、やったぜ。
Vやねん!漢室復興待ったなし!
うおおおおおおおおお
・が、同年の段谷の戦いで鄧艾にフルボッコにされ大敗、
国力を大きく疲弊させる(後詰の胡済が機能しなかったせいもある)。
・257年、魏の諸葛誕が揚州で反乱を起こした隙に北伐を敢行するも、
諸葛誕の敗死をきっかけに撤退。
・?周「ええかげんにせえやコラ!何回北伐すんねん!!『仇国論』纏めるわ!!」
とアンチ北伐派がブチ切れ、姜維孤立。
・姜維「分かったわ、北伐一旦止める代わりに漢中の防衛陣を再構築するわ、
今までのだと守り強いけど大勝出来へんねん」
→防衛ガン振りの陣営から遊撃型の攻撃陣へ造り変える。
・262年、4年振りに北伐を敢行するも、鄧艾に撃退される。
国力衰退するって分かってても止められなかったってマ?
やるやる詐欺でよかった
おそらく諸葛亮死後は大多数が本気で天下取ろうとは思ってない
魯粛死後の呉と同じような状態だったと思われ
閻宇「ええな」
諸葛瞻「せやなぁ」
董厥「せやな…」
姜維「は?陛下あのクソ宦官傍に置かないほうがええで」
劉禅「却下で」
・263年
姜維「魏が攻めてくるで!張翼・廖化を増援に送ってほしいで!」
巫女「魏は攻めてこないで」
黄皓「おかのした」
劉禅「増援は却下で」
・鄧艾・鍾会のツートップが攻めてくると剣閣に籠って抵抗するも、
鄧艾が陰平から迂回して成都盆地に進入し、
綿竹で諸葛瞻を討つというファインプレーを決められ降伏を決意
(劉禅が降伏する前)。
・鍾会「なんで降伏が遅れたんや?」
姜維「これでも早いくらいやで」
鍾会「はえ~!」と賞賛。
・その後鍾会を魏から離反させ独立させた後、
劉禅を迎えて蜀を再興させる計画を練るも失敗、
妻子共に殺害される、享年63歳。
・魏兵が姜維の遺体を切り刻んで胆のうを取りだすと、
一升枡程のビッグサイズだったと言われている。
鍾会とか言うミスター机上の計
劉備にはなれなかったね(ガッカリ
肝臓違うんけ?
胆?と書かれてた気がする
詳しくは調べてみてほしいやで、ワイが間違ってる可能性もある
・馬遵配下として登場し、諸葛亮の計略を見破って逆に利用したり、
趙雲と一騎討ちをして互角の勝負を演じたりするなどデビュー戦から活躍する。
・諸葛亮の後を継ぐ者として死後は蜀漢の主人公ポジに充てられる。
このシーンのとき某山登りってまだ生きてるよね?
孔明が兵法をしっかりと教えていれば山登りしなかった可能性?
数世紀前に韓信が「兵法覚えるのなんて当然やで、地形と
状況に合わせて応用出来んと将とはいえんで」って言ってるから
秀才登山野郎では教えても無駄だったと思う
>>507
馬謖の行動については
いずれ諸葛亮について調べてそこで挙げるつもりや
あいつは孔明の考えを深読みしすぎて全部をダメにした説あるから
今度また説明する
ワイ姜維のこのシーンめっちゃ好きやねん
兵士たちが泣きながら剣叩き折るシーンでいつも泣く
同士!!子供ながらこのシーンだけは泣いたの覚えている!
・北伐して負けるがそこは強調して描かれず、
劉禅の暗愚っぷりを前面に強調されるためあまり悪く描かれない。
・横山三国志では剣閣に立て篭もって連弩で応戦、
鍾会軍を苦しめるが、鄧艾の活躍で蜀が降伏。
それを知った姜維は諸葛亮に託された蜀を守れなかったと嘆いて、
部下と共に剣を岩に叩きつけて折り、泣きながら降伏している。
キターーーーーーありがとー
・陳寿「文武に優れていたが、多年に亘り国力を無視した北伐を敢行し、
蜀の衰亡を早めた」
・孫盛「姜維は防衛の任務に就きながら、敵を招き寄せ領土を失った。
滅亡後は、幸運にも鍾会の厚情を受けておきながらも、
鍾会を裏切る事を考え、道理に外れた成功を得ようと望んだ。
なんと愚かな事だろうか」
と批評されるが
・鍾会「諸葛誕も夏侯玄も姜維には及ばんわ」
鄧艾「あいつは当代の英雄やで、相手がワイやったから負けたんや(ドヤ顔」
と評価
諸葛亮や鄧芝も姜維を評価しており、北伐自体を任せられる能力があったらしい。
・西晋の歴史家、郭頒や宋の胡三省は姜維に関して
「時間と命は限られている中、漢の為にやったこと、
やならきゃアカンかった、陳寿と孫盛は言いすぎや」
とフォローしている。
個人的に外様で国家の終盤から中枢を担うようになったという点で、どこか武田勝頼っぽさを感じる人物
外征で国家を疲弊させ、大敗をしてしまっている時点でアンチに叩かれるのも分かる反面、
魏との国力の差が開き続ける一方であるのと、蜀漢の存在意義を示す外征で功績を挙げなければ成らない立場だったのは理解しておきたい。
おうお前は許さんぞ
>>500
法正「あの山に陣を張ろう!」
かもしれない
勝ったな
>>502
法正「あの山に陣を張ろう」
馬謖「あの山に陣を張ろう」
なんやろこの違いは
慢心、環境の違い
>>510
法正はよく理解してる蜀の地での最善策
馬謖は全く知らない魏の地での無謀な策
要するに情報量の違いやね
なお
諸葛瞻とかいう過大評価の塊
プロ野球時代の長嶋一茂みたいなもんか
北方謙三もなんで馬謖あかんかったんかわからん言うてたわ
水源無い山に登るのはいかんでしょ
なんで水源絶たれるまで逆落としかけんかったやろかと
分からん やっぱ登山家ってクソだわ
やろ?
多分相手は山すそまで来てたやろ?
なぜ相手の体制整う前に仕掛けなかったのかと
鍾会「登山家ってクソだわ」
>>520
1)麓に陣を築いた王平が助けにきて挟撃するのを待ってた
2)自軍の食糧事情を把握していなかった
3)魏が思ったより大軍で防衛の観点から動くに動けなかった
どれを選んでも愚将でございます・・・
王平「いかんでしょ」
馬謖「ほーん、で学歴は?」
王平「すまんが学歴ってどう書くンゴ?」
馬謖の他に2人程武将もおってそいつらも同罪で処断されてるから
多数決説もある
っても麾下の将軍の諫言スルーしてるし…
史書には詳細がないから想像で補うしかない
よって馬謖がクソでFA
あとはこのまま落してくれて構わんし
適当に喋っててもええでお疲れさん
おつかれー
また面白いネタがあったらよろしくやでー