江戸時代の儒学者・薬学者・教育思想家として博識だった貝原益軒は、
かつて乗合船の中に一人の書生といっしょになった。
書生は才力に誇っていたとみえ、とうとうと古今の学芸を論じた。
が、益軒は一言も加えず、静かに傾聴するばかりだった。
そのうちに船は岸に泊した。
船中の客は別れるのに臨んで姓名を告げるのを例としていた。
その時書生は初めて自分が論説していた相手が益軒だったことを知り、
この一代の博識者を前にして先刻の無礼を謝した。
ニュース
あるところに、お釈迦様が多くの人たちから尊敬される姿を見て、
ひがんでいる男がいた。
「どうして、あんな男がみんなの尊敬を集めるのだ。いまいましい」
男はそう言いながら、
お釈迦様をギャフンと言わせるための作戦を練っていた。
ある日、その男は、お釈迦様が毎日、
同じ道のりを散歩に出かけていることを知った。
そこで、男は散歩のルートで待ち伏せして、
群集の中で口汚くお釈迦さまを罵ってやることにした。
「お釈迦の野郎、きっと、俺に悪口を言われたら、
汚い言葉で言い返してくるだろう。その様子を人々が見たら、
あいつの人気なんて、アッという間に崩れるに違いない」
そして、その日が来た。
男は、お釈迦さまの前に立ちはだかって、酷い言葉を投げかけた。
お釈迦さまは、ただ黙って、その男の言葉を聞いておられた。
弟子たちは悔しい気持ちで、
「あんなひどいことを言わせておいていいのですか?」
とお釈迦さまに尋ねた。
それでも、お釈迦さまは一言も言い返すことなく、
黙ってその男の悪態を聞いていた。
男は、一方的にお釈迦さまの悪口を言い続けて疲れたのか、
しばらく後、その場にへたりこんでしまった。
どんな悪口を言っても、お釈迦さまは一言も言い返さないので、
なんだか虚しくなってしまったのだ。
その様子を見て、お釈迦さまは、静かにその男に尋ねた。
「もし他人に贈り物をしようとして、その相手が受け取らなかった時、
その贈り物は一体誰のものだろうか?」
こう聞かれた男は、突っぱねるように言った。
「そりゃ、言うまでもない。
相手が受け取らなかったら贈ろうとした者のものだろう。
わかりきったことを聞くな!」
男はそう答えてから直ぐに、
「あっ」
と気が付きました。
お釈迦さまは静かにこう続けられた。
「そうだよ。今、あなたは 私のことを酷く罵った。
でも、私はその罵りを少しも受け取らなかった。だから、
あなたが言ったことは全て、あなたが受け取ることになるんだよ」
イエスを試すために、律法学者たちやファリサイ派の人々が、
姦通の現場で捕らえられた女を連れて来た。
律法では石打ちの死刑に値する。
イエスは
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、
まず、この女に石を投げなさい。」と言った。
これを聞いて誰も女に石を投げることができず、引き下がった。
また、イエスも女の罪を許した。
そのとき突然群衆の端から一個の石が飛んできて
この哀れな女の頬に、ビシっと命中した。
キリストは石を投げた人物の方向を見つめると、大声で叫んだ。
「ちょっと、ママ、頼むから止めてよ!」
マリアは言った。
「え?だって、
おまえを身籠もったアレは姦淫ではなくて神の恩寵なんでしょ?」
ある時、イエスが弟子たちを連れて街中を闊歩していると
一人の女性が民衆から石を投げつけられていた。
なぜこんなことをしているのかと、弟子が民衆の一人に問うと、
「この女は罪人だからだ」と答えた。
それを聞いたイエスは民衆にこう言った。
「ならばしかたがない。続けなさい」
そしてこう続けた。
「ただし、一度も罪を犯したことのない正しき者だけ
この女性に石をぶつけなさい」
民衆は、とまどい、やがて一人また一人とその場を離れ
石をぶつけているのはイエスただ一人だけとなった。
宗教ジョークだな
あるユダヤ教徒の男が、神に祈った
「神様、わしの息子がカトリックに改宗してしまいました
どうしたらいいでしょうか?」
すると、ユダヤ教の神は答えた
「実は、わしの息子もなんじゃ」
フランス革命前夜、
若い侯爵が王妃に口笛を吹いたかどで不敬罪に問われた。
通常なら鞭打ち数回の上に禁固数年であったが、
弁護により精神異常ということにされる。
それならばと専門の施設に入れられそうになるが、流石は貴族、
身内が手を回して施設を新設し中にある書庫と向かい合うことが許された。
元々古代ギリシャ・ローマの研究を趣味としていた侯爵は
書籍にのめり込むことに。
それから革命が起きて身内も国外や泉下の人となるが、
名目上は「施設」であったために手続き
上は国に管理されることになり、侯爵の生活費は国が負担し続けた。
そして「口笛事件」から50年後、
間違っても不敬罪に問われないようにと、
侯爵は完成した本に献辞をつけた。
「フランス及びナヴァラの王、ルイ16世陛下に捧ぐ」
以下、これを見た書店主とのやり取り。
「ルイ16世陛下の思い出に、となさるべきかと存じますが……」
「なんと、崩御されたのか!それではルイ17世陛下宛てで」
「17世も亡くなられました」
「おお、すると今の国王陛下はどなた様だね?」
「ルイ・フィリップと申されます」
「その方は16世陛下のお孫様かな?」
こんな感じで改めて侯爵は「外」の世界の情報を聞き、楽しんだ。
そして改めて公判が行われ、釈放。
老侯爵は特に悔やむこともなく、残りの人生を自著の補訂に奉げたという。
もしナポレオン皇帝時代だったらどんな悲惨なことになっていたのだろう?
サン・ペルヌ侯爵だよ
ありがとう
なんだこいつな人生棚w
フランクリン・ルーズベルトは愛人に看取られて亡くなったという
その愛人を手引きしたのがルーズベルトの娘だったとか
エレノア夫人
「あの人があんたに頼んだのかい?」
娘
「お母様、私には夫と子供がいます。
私はお父様の孤独を埋めようとしましたが、ダメでした。
私ではダメだったんです。
でも彼女はお父様のことを大切にしてくれているし、
お父様も彼女に依存していました。二人は愛し合っていました。
お父様のことを考えると、私にはこれがベストな選択だと思えたのです」
これにはさすがのエレノア夫人も
「ああ、そうかい。悪かったねぇ・・・」と答えるしかなかった
天智2年(663年)白村江の戦いの戦いで大敗を喫した倭国・百済連合軍
その敗残兵の中に大伴部博麻(おおともべのはかま)という倭国兵がいた
博麻は捕虜として唐の長安に連行されることになる
ところが遠方ゆえの事なのか交通事情が整っていない古代ゆえの事なのか
捕虜としては各段に扱いが緩く
長安を比較的自由に出歩くことができたようだ
そんな時
「唐が倭国に攻め込む」
との噂を聞くことになる。
博麻は居てもたってもいられず同じく捕虜となっていた
土師連富杼、氷連老、筑紫君薩夜麻、弓削連元宝児の四人に対して
「私を奴隷として売りその金で帰ってこのことを伝えてほしい」
と提案
四人は博麻の言う通りにし旅費を調達して倭国へ向かい
天智10年(671年)に対馬に到着
唐が攻め込んでくるかもしれないという情報は大宰府、
そして朝廷へと伝えられた
博麻はその後も唐にとどまることになるが
持統4年(690)、知人の唐人に誘われ倭国に帰ることとなった
30年近くもの年月を経て帰ってきた博麻を
当時の朝廷も讃え勅語や階位、土地など褒美を与えたという
>>526
正に憂国の士、素晴らしい
それにしても、
古代というのに国民意識がしっかりしている事に驚き
やはり島国だからかな?
故郷にのこした家族のことを思ってのことかもしれないけどね
しかし朝廷がそれをたたえたのはすごい
30年だと間違いなく政府要人が入れ替わってるので
代々伝えたか記録がきちんと残ってるのか
平均的な成人になってからの寿命は50か60くらいだろうから
40代で政権の機密にかかわっても
70代なので当時の事情知ってる人はみんな死んでるだろう