木曽町で十三、十四の両日、木曽地域で育ったといわれる平安時代の武将木曽義仲にちなんだ行事が開かれ、たいまつ行列や木曽踊りなどで義仲をしのんだ。
十三日夜は、同町福島の城山地区で「向城(むかいじょう)たいまつ祭り」があり、住民ら約四十人がたいまつを持ち、義仲の墓がある興禅寺そばの御料館(旧帝室林野局木曽支局)まで約五百メートルを練り歩いた。
一帯の六地区でつくる「向城六区」の実行委員会(上小路武司委員長)が主催。御料館駐車場では、木曽踊保存会員とともに踊りの輪もつくった。
木曽踊りは、義仲の戦勝をたたえた霊祭で踊られた武者踊りが起源とされ、興禅寺境内には木曽踊りの発祥を記念する石碑がある。たいまつ祭りの直前には、木曽踊保存会員が例年のように、興禅寺境内にある石碑前で踊った。
十四日は、同町日義で「木曽義仲旗挙げまつり」(祭り実行委主催)もあった。夕方から、義仲に関する資料を展示している「義仲館」前の舞台で、住民らの太鼓演奏や民謡披露などが行われた。
夜には、子どもや住民がちょうちんを持って約一キロを歩く伝統行事「らっぽしょ」があった。約七十人が行列し義仲館近くの徳音寺にある義仲の墓に参拝した。田中茂実行委員長は「これからも長く伝統を大切にしていきたい」と話した。(近藤隆尚)
「普段は何とも思わぬこの鎧が、今日は重く感じるぞ」
平家物語で一番好きなセリフだわ。
40代以上しか知らないネタ
あの女は萌えキャラではなく燃えキャラ
本来なら河内棟梁筋だから源でいいんだけどね
当時は強いものが継いじゃうから簒奪とかいう話でもないけど
朝廷にお目通りした時は「源義仲」ですよ。
源義経とかにあっさり負けて傍系扱いになったから、ローカル名前「木曾義仲」で表記が定まった。
現代でも通用する世界・地域はあると思うんだけどどうよ?
あれはフィクションでほぼ確定らしいよ
フィクションなの?
狭い山中では極めて有効な戦術だと思ったんだがな?
牛が角に松明くくり付けられたらビビって走るわけないそうです
www
やってる事がたちの悪いユーチューバーみたいw
京から追い出しただけじゃね
大河ドラマでやるべき
見たいわ
今までの大河だと義経、頼朝の脇役でしかなかったからな。
信濃から美濃への道って本当に大軍じゃ通れないんだな
信長の野望でも細い山道だな
木曽から京都は簡単だよ
なんかタブーがあるんじゃないの
山があるからね
兵站武具とくに鉄砲火薬を海運で運べる
福井県から琵琶湖とおって京都まで川伝いに運べるトラック道があるようなもの
徳川家康が秀吉に関東に移された時、
家康の家臣になっていた木曽義仲の子孫
木曽義昌も木曽から上総国(千葉県)の
ある地域に移った。そこは今は千葉県旭市と
なっている。
豆
関西人だからそちらの知識がうすいけど、関東もすごい歴史があるね
じっさいどうなん
そんなにイメージ悪いかな?俺の中では楠木正成とかぶるんだけど
京都で食料を農民から奪い調達したから
頼朝に討伐してと朝廷が頼んで、義経を
討伐軍として派遣して、宇治まで逃げるけど
そこで斬り殺されてしまったんでしょ?
それだけだから、そんなにイメージ悪くないんだけど「
俺は義経も大好きなんだが、木曽義仲は一番好きだな
というのも、以仁王がめちゃくちゃ好きで紙幣にしてほしいぐらい
驕り高ぶった平家討伐のきっかけを以仁王が出して、それに呼応した木曽義仲という側面では凄い好感持てるんだ
特に倶利伽羅峠の名シーンを想像すると、田楽狭間の織田対今川より熱いものを感じる
だが皮肉にも義経主眼で見ると、義仲は邪魔者扱いな上に、最期が脆すぎて最初の勢いを相殺してしまうんだろうな
俺の中では義仲と義経のタッグが見たかったよ
で、頼朝が未だに悪役だわw
木曽義康、義昌父子だが木曽義仲の末裔を自称していた
当時は信長も家康も秀吉もやれ平家だ藤原だと自称していたが、立地的事情から木曽姓を名乗っただけなんだろうな
それでも信長の野望に出てくると優遇してしまう
「今日の鎧は重く感じるぞ・・」
て悲哀を感じさせる台詞もいい
旭日将軍、劇的だわ