2(右) 困ってるイスラエルを支援してあげた
3(一) 占領国のために70年経ってもそのまま使える完璧な憲法を作ってあげた
4(二) 新型爆弾を使う事により戦争を終結させた
5(遊) 被害国ですら勲一等旭日大綬章を与えて許すほど空襲を徹底的に行った
6(中) 匪賊だった中国共産党を見逃してあげた
7(左) 優しいおじさんが治めるクメール・ルージュを支援してあげた
8(投) 土地を持ってない愚民に新しい土地を与えてそこに移住してあげた
9(捕) 貧しい非文化的な愚民に文明的な教育をしてあげた
2(右) 困ってるイスラエルを支援してあげた
ユダヤ人の人口はパレスチナ人口の3分の1に過ぎなかったが、
1947年11月29日の国連総会では、パレスチナの56.5%の土地をユダヤ国家、43.5%の土地をアラブ国家とし、エルサレムを国際管理とするという国連決議181号パレスチナ分割決議が、賛成33・反対13・棄権10で可決された。
この決議は、国内の選挙において、ユダヤ人の投票獲得を目当てにしたアメリカ大統領トルーマンの強烈な圧力によって成立している。
ユダヤ人を自国から追い出したいキリスト教徒が主なアメリカ、ソ連、フランス、ブラジルなどが賛成し、アラブ諸国が反対した。(イギリスはこれ以上反感を買うことを恐れて棄権)
(略)
アメリカ合衆国はユダヤ人のロビー活動もあって、イスラエルと極めて関係が深く、国連安保理でイスラエル非難決議案が出されると、ほぼ確実に拒否権を発動している。
民間レベルでも、2010年2月のギャラップ社の世論調査によれば、イスラエルへの好感度は67%で、調査した20ヶ国・地域中上から5番目(上からカナダ、イギリス、ドイツ、日本の順)と比較的高い。
逆にパレスチナ自治区への好感度は20%で下から4番目(下からイラン、北朝鮮、アフガニスタンの順)と低く、アメリカは親イスラエル・反パレスチナの国民感情を示している。
(略)
また、軍事援助も継続して行っている。2007年7月29日にイスラエルのオルメルト首相が明かしたところによると、イスラエルはアメリカに対し、従来の25%増となる、10年間で300億ドル(約3兆5000億円)の軍事援助を取り付けた。
従来は年間24億ドル(約2,800億円)。この金額は、イスラエルの軍事費の2割以上に相当する。
これは無償援助のみの額で、有償での借款や兵器の売買などを含めると、アメリカによる出資はさらに巨額になる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%91%E3%AC%E3%B9%E3%81%E3%8A%E5%8F%E9%A1%8C
3(一) 占領国のために70年経ってもそのまま使える完璧な憲法を作ってあげた
日本国憲法は、敗戦後、連合国軍の占領下でGHQに押しつけられた「占領憲法」です。
さらに憲法(成文憲法)を持つ世界188ヶ国のうち、日本の憲法は14番目に古く、しかも、一度も改正されていない憲法としては、世界最古の憲法なのです。
そもそも憲法は、時代の変化と共に改正されるものであるのに、日本国憲法は約70年間、一度も改正されていません。
>>6
その素晴らしい憲法の最初の一文がこちら
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、
われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、
政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、
ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
いつみても長い駄文
4(二) 新型爆弾を使う事により戦争を終結させた
1945年8月6日、米国は広島に原爆を投下し、7万人以上を即死させた。3日後には2発目の原爆を長崎に投下、4万人以上を殺害した。
今に至るまで、戦争で原爆を使った国は米国のみ。この核戦争は第2次世界大戦の終結につながり、世界史上最悪の章が終わった。
(略)
歴史学者の間では、ソ連が参戦する可能性があったことも、戦争の早期終結を図る目的で原爆投下の決断を促す一因になったという説もある。
(略)
日本は8月14日、無条件降伏を受け入れた。
5(遊) 被害国ですら勲一等旭日大綬章を与えて許すほど空襲を徹底的に行った
カーチス・エマーソン・ルメイは、アメリカ合衆国の軍人である。
(略)
1945年3月10日、東京大空襲を指揮。(略)3時間で、日本は死者行方不明含め10万人以上、被災者100万人以上、約6平方マイル内で25万戸の家屋が焼失した。一方、ルメイの部隊は325機中14機を損失した。(略)
焦土作戦は、東京や大阪、名古屋等の大都市を焼き払った後は、富山市や郡山市などの地方の中小都市も対象となった。これらの空襲は日本国民を震え上がらせ、日本側から「鬼畜ルメイ」「皆殺しのルメイ」と渾名された。
(略)
1964年12月7日、日本に返還されたばかりの入間基地(旧・ジョンソン基地)で、勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された。(略)
ルメイが東京大空襲や原爆投下を行った部隊の指揮官だったことから授与に対し批判も大きく、現在でも「勲章は返還するべきである」と唱える者も居る。
当時、日本社会党、原水爆禁止団体、被爆者などから国民感情として納得できないという声が上がった。国会でも叙勲に対し疑問視する声があった。(略)
勲一等の授与は天皇が直接手渡す“親授”が通例であるが、昭和天皇は親授しなかった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%AB%E3%BC%E3%81%E3%B9%E3%BB%E3%AB%E3%A1%E3%A4
ええ…
6(中) 匪賊だった中国共産党を見逃してあげた
ジョージ・キャトレット・マーシャル・ジュニアは、アメリカ合衆国の陸軍軍人、政治家。
(略)
アジア方面では、特に対中政策で国共内戦に深く関与することになる。
外交問題評議会や太平洋問題調査会に所属していた彼は、自らの中国復興計画と和平調停を破綻させたことへの制裁として
アメリカ議会が決定した国民党への支援を遅延させるなど、共産党を利するような行動を取り続けた。
これは、後に「国務省内部に共産主義者が巣喰っている」という共和党のジョセフ・マッカーシーら反共強硬派の根拠となり、マッカーシズム(赤狩り)にまで発展することになる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%B8%E3%A7%E3%BC%E3%B8%E3%BB%E3%9E%E3%BC%E3%B7%E3%A3%E3%AB
7(左) 優しいおじさんが治めるクメール・ルージュを支援してあげた
ソ連とベトナムに敵対したポル・ポトはタイとアメリカから支援された。
アメリカと中国は、ヘン・サムリン政権をベトナムの傀儡であるとしてカンボジア代表の国連総会への出席を拒否した。
ポル・ポトが反ソ反越であったので、アメリカ、タイ、中国はベトナム支持のヘン・サムリンよりもポル・ポト派を好ましいと考えた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%9D%E3%AB%E3%BB%E3%9D%E3%88
これ知らんかった
アメリカってポルポト推しとったんか
さすが世界の警察(畜生)や
一応その前のカンボジア内戦時は敵対しとったんやけどね
8(投) 土地を持ってない愚民に新しい土地を与えてそこに移住してあげた
合衆国は、領土の拡張と白人定住地の拡大を国家的使命としたが、その使命はインディアンの征服と土地奪取なしには達成されえなかった。
最初、インディアン部族を主権国家とみなして条約を結んで土地を購入するという政策をとったのもつかの間、
1803年にジェファーソン大統領が「われわれが手を振り降ろしさえすれば粉砕されてしまうことをインディアンは理解すべきだ」と述べたように、
合衆国の国力が強まるにつれ、「力」による抑圧が公然と行われていった。
1830年、ジャクソン大統領は強制移住法を制定し、5万人のインディアンをミシシッピ川以西のインディアン=テリトリーへ移住させた。
頑として移住を拒否し続けたチェロキー族も、ついに1838年に連邦軍によってジョージアから追いたてられた。1万2000人のチェロキー族一行は、冬空の下、5ヵ月をかけてオクラホマへの長い行程を強いられた。
寒さ、飢え、病、暴行によって8000人もの命が失われたという「涙の旅路」である。
強制移住の結果、ミシシッピ以東の土地はほぼ完全に白人に開放された。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~yappi/tanosii-sekaisi/04_america/04-04_indian.html
かわいそう
9(捕) 貧しい非文化的な愚民に文明的な教育をしてあげた
インディアン寄宿学校とは、19世紀後半から20世紀にかけて主としてアメリカ合衆国やカナダで作られたインディアンの若年者を同化教育するための私立施設。
(略)
聖書の暗記とキリスト教の祈祷が強制され、部族の信仰は弾圧され禁止された。
英語以外の言葉で話すことは禁じられ、話せば「汚い」言葉を話した罰として教師に石鹸を食べさせられたり、石鹸で口をゆすがされたり、ビンタを食うなどした。
もちろん、彼らの幼い心は深い心的外傷を負った。白人の食べ物しか食べさせられず、インディアンの伝統食は許されなかった。
児童生徒たちに許された娯楽はフットボールや野球といった白人の遊びだけで、伝統的な遊びは許されなかった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%A4%E3%B3%E3%87%E3%A3%E3%A2%E3%B3%E5%AF%E5%AE%BF%E5%AD%A6%E6%A0%A1
黒人庇うよりもインディアンの復権が先だろ
それな
黒人差別が大きく取り沙汰されてるのは昨今に限らず昔からやけど
インディアンは差別よりもひどい,民族浄化に等しいことされとるからな
奴隷解放宣言で有名なリンカーンもインディアンを迫害しとったしな
ソースはホームステッド法
アメリカ西部の未開発の土地、約65ヘクタールを無償で払い下げる法律やな
>>22
せや
この法律施行のあと,西部の土地をアメリカ政府に取られたせいで
インディアンは居留地(ある程度インディアンに自治権が与えられてる北東部の土地)に定住するしかなくなったんや
いきなり政府に自分たちの居場所強引に奪われた挙げ句,各部族の文化を一律に捨てさせられて強制的に農業させられたんや
もうやっとることが新疆ウイグルとかアウシュヴィッツとかなんや
アメリカ版アウシュヴィッツは日系アメリカ人の強制収容やろ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%E7%B3%BB%E4%BA%BA%E3%AE%E5%BC%B7%E5%B6%E5%8F%8E%E5%AE%B9
それもそうやな,歴史に埋もれとるけど日系の差別もひどかったな
日本への扱いも酷かったからそら埋もれるよな
これ
絶対に変えられんほど厳しい要件ちゃうからな
結局のとこ日本人自身の黙示の承認で長々と改正されんかったんやから
日本人が気に入ったということなのでガチでセーフ
本当に変え辛いのはその次のデンマークやナウルの方やしな
国民投票のハードルが高すぎる(しかもデンマークの方はそこに至るまでの過程も面倒)
本当に変え辛いのはその次に古いデンマークやナウルの方やしな
国民投票のハードルが高すぎる(しかもデンマークの方はそこに至るまでの過程も面倒)
詳しく
>>28
日本国憲法
施行日 1947年5月3日
憲法改正手続 両院の2/3以上の賛成→国民投票(過半数の賛成)
デンマーク王国憲法
最終改正日 1953年6月5日
(施行日 1849年6月5日)
憲法改正手続 国会の過半数の賛成→総選挙→国会の過半数の賛成→国民投票(投票総数の過半数かつ有権者総数の4割を超える賛成)
ナウル憲法
施行日 1968年5月17日
憲法改正手続 国会の2/3以上の賛成→国民投票(投票総数の2/3以上の賛成)
…どっちも絶対無理レベルやな
せやね
これ
その先にあるのは権力の暴走やぞ
権力の暴走するのワイの死んだ後だろうし、生きてる間に見られるなら楽しいからおけ?
アメリカ人ってダブスタ好きな印象
うーん
日本史をやるとアメリカ・ソ連・モンゴルが嫌いになる
(イギリスはそこまで嫌いにならない)