2 (右) 新野親矩
3 (遊) 天野景貫
4 (中) 朝比奈泰朝
5 (捕) 井伊直親
6 (三) 松井宗恒
7 (左) 久野宗能
8 (二) 小笠原氏興
9 (投) 小野道好
引馬城主。桶狭間の戦いで今川義元が討死した後、他の国人領主とともに今川家を離反し、徳川家康に通じた。
このため今川氏真が曳馬城を攻めるも曳馬城を落すことができず、連龍と和睦し一旦退いた。
のちに氏真に駿府城に呼ばれ、同地で謀殺された。
新野新城主。
三河国の徳川家康や遠江国曳馬城主・飯尾連竜などの離反が相次ぐ中、親矩は氏真に忠節を尽くした。
曳馬城を攻めた際に三浦正俊、中野直由らと共に討死した。
直政の恩人やった気がする
犬居城主。天野氏の宗家である天野景泰・元景親子が今川氏から離反したため、天野氏の惣領職を継承した。
主家滅亡後は徳川家に仕えるも、遠江に侵攻した武田氏に降伏。
武田家滅亡後は北条家に属し、佐竹家との戦いで功を立てた。
掛川城主。義元討死後、今川家を離反する諸将が相次ぐ中、今川氏に最後まで忠義を尽くした忠臣。
駿河を追われた主君・氏真を居城・掛川城に迎え入れ、徳川軍と戦うも降伏。氏真とともに相模に落ち延びた。
後に主君である氏真は家康の下に出向くものの、泰朝はこれに従わなかった。その後の消息は不明。
泣ける
井伊直親(1536~1563)
遠江国の国人・井伊氏19代当主。養父・直盛が桶狭間の戦いで戦死したため、家督を継ぐ。
しかし、小野道好の讒言により、主君・今川氏真から徳川家康との内通の疑いを受ける。
縁戚であった新野親矩の取りなしで、陳謝のために駿府へ向かうも、掛川で今川家の重臣・朝比奈泰朝の襲撃を受けて殺害された。享年28。
なお大河ドラマ「おんな城主 直虎」では三浦春馬が演じているが、三浦春馬も30歳という若さでこの世を去った。
松井宗恒(?~1582?)
二俣城主。父・宗信が桶狭間の戦いで戦死したため、それに伴い、家督及び跡式を継ぐ。
居城の二俣城が徳川家康の進攻を受け、宗恒は武田信玄を頼るも落城。
宗恒一党はその後の武田氏滅亡に運命を共にしたとされる。
なお陸軍大将・松井石根はこの松井氏の子孫で、先祖、特に宗恒の父である宗信の遺業を敬い、たびたび墓碑に訪れ供養をしたという。
南京大虐殺でっち上げられて上皇誕生日(12月23日)に処刑された人やな
久野城主。今川氏に仕えたが、徳川氏に久野城を攻められると、徳川家康の家臣・高力清長の説得によって降伏。
その後は高天神城攻めなどで功績をあげた。徳川家康の関東移封後は下総国佐倉城主になるが、関ヶ原の戦い後にふたたび久野城主となった。
83歳で死去。家督は孫の久野宗成(宗朝の子)が継承したが、後に紀州藩の御附家老になっている。
桶狭間の戦いで当主の今川義元や松井宗信、久野元宗、井伊直盛、由比正信、一宮宗是、蒲原氏徳などの有力武将を失ったからしゃーない
高天神小笠原家の当主。
徳川家康が遠江に侵攻した際、氏興は弟の清広、義頼と共に、家康に内応して主君氏真が籠城する掛川城を袋井方面から攻撃し戦功を上げた。
その後は家康に仕えたが、同年に馬伏塚城にて病死した。享年41。
小野政次とも。遠江国引佐郡井伊谷の国人・井伊家に家老として仕えていたが、主君の井伊直親を讒言により謀殺。
さらに直親の遺児・井伊直政の謀殺も試みたが、こちらは今川家重臣・新野親矩によって阻まれた。
井伊家の実権を握って専横の限りを尽くすが、徳川家康の命を受けた井伊谷三人衆に敗北し、処刑された。
この程度の情報しか残ってない人をようあんな話にできたもんだ
主人公からしてどの程度の情報があったかっていうレベルだから多少はね
岡部は駿河やったはず
駿河の方の朝比奈やな
見て見たい
父義元が死んだ後今川氏真は徳川家康と三河を巡って争っていたのだが
ちょうどその時西三河で一向一揆が起こり、松平家は家臣が二手に分かれて争う事態になっていた。
それを聞いた氏真、それに乗じて松平家を滅ぼせ…なかった。
駿河と三河の間の国遠江で家臣の反乱が相次いだのだ。
まず井伊谷の井伊直親が松平家に通じた疑いで朝比奈泰朝に殺されたのを初めとして
見附端城の堀越氏延、二股城の松井氏、犬居城の天野氏、引馬城の飯尾連竜が相次いで反乱を起こしたのだ。
後に遠州?劇とも呼ばれるこの事件は永禄五年(1562)から永禄八年まで続き、
最終的に飯尾連竜が再度家康に通じたとして駿府城で誅殺されるまで続いたのである。
この乱によって今川家は西三河に侵攻するどころか東三河を家康に完全に掌握され
残った遠江の諸将からも反感を買い、国力の弱体化を内外に示すこととなったのである。
その後氏真は領国の立て直しを図るべく検地や楽市などを実施するのであるが時すでに遅し、
信玄に完全に目をつけられており武田・徳川連合軍に攻められた挙げ句、
遠州掛川城から小田原へと落ち延びるのはそのわずか3年後のことである。
まさに地獄やな
徳川の家臣になるか自害するかの二択になりそう
桶狭間の危機に際して黄泉の国から帰ってきた忠臣
草生える
三河も近隣の土豪を制した松平氏が台頭するも家康の祖父と父が相次いで暗殺されて、ごたごたしてるうちに義元が奪い取ったんやっけ?
そら離反するわ
はえー
歴史本のコーナーで今川氏家臣団の研究―5000見つけて
歴史の専門書てこんな高いんか!?ってなった思い出
今でも手が出ねえわ