源義経を祭っている日高の平取町の神社でご神像の義経像が220年ぶりに修復され、一般公開されています。
源義経の像を一般に公開しているのは平取町の義経神社です。
義経神社は、220年前の江戸時代、道内を探検した近藤重蔵らから地元のアイヌの人たちに贈られた木製の義経像を安置し祭ったのが由来とされています。
義経像は風雨にさらされ傷みが進んだことから、およそ1年かけて修復が行われ、先月、作業が完了したのにあわせて公開されました。
修復された義経像は高さがおよそ30センチ、金ぱくのかぶとをかぶり左手に弓を持ったかっちゅう姿で、勇ましい様子で岩に座っています。
また、神社の本殿には修復前の像の写真なども展示されています。
神社に参拝した男性は「修復前の古い像と全然違って感動しました。この神社の誇りを感じます」と話していました。
義経像の一般公開は来月1日まで行われています。
正解 びらとりちょう
北海道を経由して大陸に渡ってジンギスカンになったと。
成吉思汗は、なすよしもがな、と読める。
静御前の歌だよ。
成吉思汗になった証拠だ。
ううん、>>7 くんが言ってる通り
義経=ジンギスカン説のカラミなのかなあ、これ。
まあウリは義経は平泉を脱出しジンギスカンになったと思ってるけどね。
根拠? それはあれだ川端龍子画伯の名画「源義経(ジンギスカン)」に
感銘を受けているのでねw 関心あるスレ民はまあ画像検索してみること。
いやほんと傑作だからw 思いついてもなかなか絵にはしないよなwww
実に素晴らしい。創作とはこうでなくちゃいけない。
そんな珍説より御伽草子の義経島渡りの影響でしょ
義経がまだ名をなす前に千島や蝦夷に渡って鬼の兵法書を手に入れたって伝説
ホンカイさんと言って
判官の事らしいが
ところで義経公に限らず末路がなぞの人物って結構いて
義経の愛人の白拍子、静御前もわからんよな
戦後頼朝公の前で堂々義経公を偲ぶ舞を舞って激賞されたとはゆうけれど。
それをいえば平家物語の「木曾の最期」で有名な
木曾義仲公の愛妾にして女戦士、巴御前の最期もわからんよな。
さらにいえばその義仲の最期の戦いに参戦した下僚、
手塚太郎は戦死したが「手塚の別当おちにけり(=逃亡した)」とされる
手塚別当はどうなったか?
女性の最後は判明してるほうが少ないでしょ。
義経って美男子ではないそうな。
身長は170cm体重は20kg程度と言われてる。
歯は全てそっていて出っ歯。髪はハゲ上がり後ろは腰まであった。
腕は地面まで届き、足は短く太く、とても毛深い。
ジャンプすると3mほど飛び上がり、よく白目を剥いて独り言を言う癖があった。
馬の尻に腕を突然入れて馬に蹴られ顔に蹄の跡にアザが残っていたと言う。
四つん這いになって夜間都を徘徊する癖があった。
もう化け物やんけ!
義経って150cm程度じゃなかった?
基本的に名もなき部下の活躍は主の物にすり変わるんだと。
そもそも大将は最前線に出ないからな。出たら狙われまくりすぐに死ぬ。ゲームじゃないんだから。
有名な八艘飛びも義経ではなく功績を求める足軽がホイホイ先に進んでいく姿だったとか。
足軽ってなめられてるけどその身体能力は戦国時代に置いても桁違い。