また平幕府が成立したら日本の歴史はどのように変わったでしょうか
どうなったでしょうか
京都の天皇と関東の新皇が共存できた可能性はあると思う。
貞盛にとって将門は親の敵だろう。
国府を攻撃した以上、謝ってすむことではない。国府を攻撃した時点で、朝敵なので、将門には戦う以外選択肢はない。
将門はろくな官位も官職もない人間なので、貴族からは人間扱いされない。
武士だから人間扱いされないということではなく、位階・官職で差別されていただけ。ただ、殺生を生業にしているので、嫌われていた点はあるが。
将門は新皇宣言をしたが、将門記の彼の行動を見ていると、朝廷を滅ぼして新しい王朝を建てようとまでは思っていなかった節がうかがえる。そもそもこの謀反は行きがかり上、気づいたら謀反になってしまったようなものなので、そもそも将門に、そんな大それた野望などあるわけはなく、ただ、その場の思いつきで宣言したような感じ。
>>12
>謝ってすむことではない。
仰るとおり、降伏と書こうと思ったんだが何となく勢いで・・・
>将門はろくな官位も官職もない人間なので、貴族からは人間扱いされない。
そもそも官位も官職も家柄で決まっていた。
にもかかわらず東夷に官職をくれてやったのは坂東以北の蛮族に対等に渡り合える公家がいなかったから。
要するに官位をくれてやる代わりに年貢の徴収を肩代わりさせられてただけ。
確かに将門の叔父国香の鎮守府将軍→常陸大ジョウ。
親父も鎮守府将軍と言われているが、人間扱いされた形跡はない。
後の藤原氏も年貢以外を皇族、公家に賂を贈る送ることによって機嫌を取っている。その藤原氏も最後まで蝦夷扱い。
>殺生を生業にしているので、嫌われていた点はあるが。
当時の武士が殺生を生業としていたと言うのは初耳。基本的には彼らは農民。
無益な殺しはしていない。
言いたいことは分かるからほぼ同意。ただ、後の頼朝と同じで日本をどうしようとしたわけではなく坂東の自治権が欲しかっただけだろう。それだけだと面白くないので将門記の作者がいい感じで創作したのだろう。もし事実なら興与王だろう。
都の組織に詳しいのは彼くらいだし、武蔵権守から上総介っていうのは気になるが、トップが将門だから無難なところ。とにかくここら辺は当時の朝廷の警察権を知らんと理解できんだろうな。
彼が成功してたら わが国のゆく末も違っておったろうにのう。
・・・祟りが怖いのでこの辺で。
武力で天下取った奴が天皇いを簒奪したり勝手に天皇を名乗ったり。
伝統だ何だといっても今まで続いてたからこそだからであって
将門が成功してたら中国の皇帝くらいの有り難味しかなかったんとちゃうかな。
そうか?。皇統の移動は何回もあったわけだし、その中には武力による移動もある。
とくに、携帯は将門並に遠い皇統だし。
そんな連中が幕府なんてそもそも考えないだろ
幕府を開ける空気を作り上げたのは、将門なり純友が発端であるわけだが、
実質路線を作ったといえるのは頼義と義家だろ。