2 左 船岡山合戦
3 二 桶狭間の戦い
4 三 関ヶ原の戦い
5 一 川中島の戦い
6 遊 小田原攻め
7 右 石山合戦
8 捕 山崎の戦い
9 投 本能寺の変
中継ぎ 小牧・長久手合戦
抑え 長島一向一揆
ワイは1467~1615年派なんでな
なるほど
京を舞台に11年続いた上に
東軍西軍の所属大名が日替わりで変わる事もあったとか
某野党より節操無いな
室町幕府の権力争いやら跡継ぎ争いのごった煮や
京都の人が今の様な排他的な性格になった一因とも聞いた事があるわね。
他所から来た人間が、好き勝手やったから
主な人物
細川勝元 山名宗全
足利義視 日野富子
足利義政 足利義尚
畠山政国 畠山義就
足利義政は弟の義視に将軍を継がせるつもりだったが、
翌年に子が産まれた為に富子と対立。
同じ頃斯波氏や畠山氏でも家督争いが起こる。
途中で義視が宗全側に付いたり、富子が勝元側に付いたり意味が分からない。
結局は宗全と勝元が病死し、両軍は和睦。義尚が将軍となった
主な人物
足利義植 足利義澄
細川高国 細川澄之
大内義興 三好之長
尼子経久 赤松義村
細川政元暗殺後、三人の養子の内の澄之と高国が対立。
その隙に義植(義材)は大内義興を頼った。
その為義興は上洛し、高国もそれに従った。この戦いで澄之側は敗走。
この後、三好之長は別の戦いで戦死した。
その為に足利政権は大内義興と細川高国が担った
このへんホンマ混迷しかない時代よな
船岡山も地味に混迷を招いた戦犯だと思う
特に中国地方
川中島は外せないやろなあ
主な人物
織田信長 今川義元
佐久間盛重 松平元康
今川義元は上洛を果たすべく、三万者軍勢を率い尾張を攻めた。
これに信長方は三千の軍勢だった。
まず松平元康が佐久間盛重を攻めて盛重は戦死。
信長は盛重の死を大義名分として今川義元の軍を攻め、
毛利新助が今川義元を討ち取った。
主な人物
徳川家康 毛利輝元
前田利長 上杉景勝
福島正成 宇喜多秀家
加藤清正 石田三成
徳川家康は上杉景勝に謀反の疑いをかけて進軍中に
石田三成が挙兵し伏見城を落とした。
これに家康は子の結城秀康を抑えに置き、関ヶ原方面に進軍した。
朝に戦が始まり、最初は互角だったが
小早川秀秋と四人が裏切り形成逆転し、家康方が勝った。
敵は本能寺にありって人生で一回言ってみたいわ、
まあワイが明智光秀好きなのもあるけど
なお一番好きな武将は伊達政宗の模様
敵は本能寺にありは創作だった説濃厚
主な人物
武田信玄 上杉謙信
武田信繁 村上義清
山本勘助 高梨政頼
上杉謙信は村上義清と高梨政頼が頼って来たので、
これを大義名分とし、信濃を攻めた。
戦のほとんどは様子見だけだったが、四回目は激戦だったと言われる。
勘助は啄木鳥戦法を提案するも謙信に見破られ、信繁と勘助が戦死した。
その後も引き分けが続いた
後々の影響考えたら無理して本気出す必要の無かった戦な気がする
特に武田方の人的損耗を考えると
主な人物
豊臣秀吉 北条氏直
徳川家康 北条氏政
上杉景勝 北条氏照
石田三成 成田氏長
秀吉は再三に北条家に上洛を求めたが、これを断った挙げ句に
真田方の城を落とした為に大義名分ができ、北条家を攻めた。
上杉景勝等に支城を攻めさせ、秀吉は小田原城を包囲しながら
東北の大名に北条攻めに参加するよう命じた。
その後北条方は降伏し、秀吉の天下統一が叶った
主な人物
織田信長 本願寺顕如
佐久間信盛 雑賀孫一
原田直政 下間頼廉
九鬼嘉隆 毛利水軍
信長は本願寺に怒りを持ち、
筆頭家老の佐久間信盛を総大将に命じ石山を攻めさせた。
本願寺側は下間頼廉等に坊官に命じた。
原田直政等の名将も討たれた。
毛利水軍等にも苦労させられた。
その後和睦、開戦を繰り返したが、顕如は石山を去った。信盛も織田家から去った
主な人物
羽柴秀吉 明智光秀
織田信孝 明智秀満
丹羽長秀 斎藤利三
中川清秀 京極高次
光秀は信長を殺した為に秀吉や信孝に攻められた。
まず中川清秀が天王山を占領した。
その後も斎藤利三を討ち取る等の功績を残した。
その為兵力差も合った為に明智方は敗け、光秀も落武者狩りに会って死亡した
主な人物
織田信長 明智光秀
織田信忠 明智秀満
村井貞勝 斎藤利三
森蘭丸 山崎長徳
明智光秀は突如謀反を起こした。色々な説がある。
長宗我部の仇説や天下取りたかった説など。
光秀は本能寺を包囲した。その為信長は死亡。二条城の信忠と貞勝も自害した
主な人物
織田信長 証願寺証意
織田信忠 下間頼旦
氏家卜全 服部友貞
顕如は長島一向一揆を起こした。その為信長は攻めたが、落ちなかった。
この戦で氏家卜全という名将は戦死した。
その後信忠が総大将を務め、頼旦は誘き出され死亡。証意は川に身を投げた
主な人物
羽柴秀吉 徳川家康
池田恒興 織田信雄
森長可
織田信雄は上洛しなかった為に秀吉の怒りを買った為に家康を頼った。
信雄側は恒興が味方に付くと思った為に戦となった。
一度目が小牧山で二度目が長久手と言われている。
この戦で長可や恒興などの猛将が戦死した。結果的には秀吉方が勝った