南朝の根拠地を大陸に作る
大別すると韓林児・劉福通等の東系紅巾軍と、徐壽輝・彭瑩玉等の西系紅巾軍。
他にも東系に名目上は組み込まれているが殆ど独立していた、李二(芝麻李)等の徐州紅巾軍、郭子興等の濠州紅巾軍。主なものでもこれだけある。
これ等のどの勢力が提携したと仮定した話なのか、まずはその点を明確にしてもらわないと、話は先に進まない。
即興で、しかも史料の確認も取らず書いたから矛盾している部分も多々あると思うけど、あまり気にしないで見てください。
南北朝の正統争いで終始劣勢に立たされていた南朝側は、挽回を図るため、元寇以来国交の無かった(多分そうだと思う) 元朝に援軍を求めるという奇策に出た。
しかし、おりもおり、元朝は元末の大乱の真っ只中で、遠路はるばるやって来た東夷の援軍要請など受け入れる余裕はない。
元の皇帝順帝から色よい返事を得ることの出来なかった南朝の使者たちは当時、汴梁を攻略し、飛ぶ鳥を落とす勢いの反元勢力大宋の噂を聞きつけ、試しにこれに接近してみた。
南朝の使者たちは大宋皇帝即位の慶賀使節という名目で韓林児、劉福通等に接近。各地で快進撃を続けていた最中で、すこぶる機嫌の良かった劉福通におもねり、南朝の使者たちは何とか援軍を取り付けることに成功する。
援軍の将として抜擢されたのは、上都を陥れ、当時高麗で蛮勇をふるっていた関先生(関鋒)、破頭潘(潘成)等の率いる中路軍であった。
関先生等は、最初韓林児の命令を無視してこのまま高麗で虐殺、略奪を続けようとしたが、部下の一人が、「遠征先は黄金の国ジパングのことですよ」と耳打ちしたものだから、途端に関先生の目の色が変わり、高麗の人々を奴隷のように扱って船を建造させ、南朝の使者たちに先導させて日本へと向った。
日本に到着した関先生たちは、即座に南朝の使者たちを脅して道案内とさせ、南北朝の争いなどどこ吹く風と、勝手気ままに日本で虐殺と略奪を繰り返し、更に落ち自由武士集団の悪党と手を組んで、西日本一体を震撼させる大勢力へと発展。
その後、南朝を滅ぼした北朝軍の攻撃を受け、徐々に勢力は縮小し、関先生や破頭潘等も戦死した。しかし、その残党は海上に逃れて、倭寇としてその後も各地を暴れ回ったという。
そんな危ないものがあったら、元朝が何としてでも潰そうとしたんじゃないか
どっかにちょっと領土もらうか、
京都に屋敷もらって、公家化するか
理想の上司:朱元璋
理想の部下:陳友諒
おいおい、張士誠は五歩ほど譲って理解出来るとして、粛清の朱元璋や主君殺しの陳友諒は、上司や部下として最悪だろ。
真に受けてどうするw
幹部が朱元璋
部下が陳友諒の組織というのも見てみたいなw
皇帝になった後のダークっぷりは劉基や李善長でさえ読めなかったんだから。
大漢の太祖皇帝は、長期安定政権を作るための、基盤整備に十分な時間をかけることはできなかっただろう。
それにしても、朱元璋は言わずもがなだが、張士誠政権や方国珍政権にも優秀な知識人が結構所属しているのに、天完や大漢政権に参加している知識人のうち、メジャーなのが李明道ぐらいしかいないのは痛すぎる。
これじゃぁ、朱元璋のように強固な組織体制は造り上げられないだろ。
後継者がどうのとか言っている以前の問題だ。
仮に天下を取ってもがたがたになりそうだね。
よくある流賊の集団みたいになるのでは。
陳友仁
陳友諒の弟、五王と称していた。
隻眼であったが、智勇に優れていたため、陳友諒からの信頼は厚かった。
陳友才
陳友諒の兄、二王と称していた。
張定辺
大漢の太尉。陳友諒の側近中の側近。
鄱陽湖の戦いでは凄まじい戦いぶりをみせ、朱元璋を後一歩のところまで追い詰めた。
張必先
大漢の丞相。岳州の守将。張定辺の義弟?。(張定辺を兄と呼んだことがある)
向こう見ずな戦い方をしていたことから溌張と呼ばれており、漢の将兵からの信頼も厚かった。
鄒普勝
大漢の太師。彭瑩玉の弟子で、天完政権発足以来の重臣。
大漢政権樹立後も陳友諒から優遇されるが、朱元璋に降伏した欧普祥を攻撃し、逆に捕えられた陳友仁を解放する為、欧普祥を説得したことぐらいしか活躍はない。
趙普勝
巣湖の水族の出自で、後に彭瑩玉の教えを受け弥勒教徒となる。
自己の水軍の要塞に彭祖(彭瑩玉のこと)水塞等と名づけていることから、かなり弥勒教の教えに入れ込んでいたと窺える。
大漢成立時かなりの勢力を築いていたことから、裏切りを恐れた陳友諒に間も無く処刑された。双刀を巧みに操っていたことから双刀趙と呼ばれていた。
張志雄
趙普勝配下の将。異名は長張。
趙普勝の処刑後も、陳友諒に仕えていたが、陳友諒の応天攻撃(江東橋、異説では龍江の戦い)の際にろくに戦いもせずに朱元璋に投降し、鄱陽湖の戦いでは朱元璋方の将として参加し、戦死している。
熊天瑞
元々は楽器工(演奏家?)。旗印に無敵と称していた。
贛州に独立した勢力を築き、陳友諒の命令を度々無視していた。
鄱陽湖の戦いでも動員をかけられたが無視し、陳友諒が死んだことを知ってようやく養子の元震を援軍として赴かせた。漢が滅んだ後は、朱元璋→張士誠と主を次々と代え、最後は朱元璋に処刑された。
熊(田)元震
熊天瑞の養子。善戦で知られ、その実力は常遇春をうならせるほど。
李明道
元々は豊城の地主で、元末の混乱に際し義兵を組織し、保身の為、天完政権に参加。その後、陳友諒に仕え、その配下として活躍。大漢が滅亡すると髭をそって山中に逃れる。しかし、結局捕えられて処刑された。李明道は愛犬家としても知られており、李明道の飼い犬は主が死んだことを知ると、悲しみに暮れ、主の後を追うように息を引き取ったという。朱元璋はこの犬の忠義に感動し、李明道と同じ墓に葬った。
鄧克明・志明兄弟
根っからの無頼漢。凶暴残忍で知られ、人々から鄧賊と呼ばれ恐れられていた。
鐃鼎臣
吉安の守将。異名は大膽(「膽」とは「胆」を意味する)。
陳理が降伏し、大漢が滅んだ後も朱元璋に抵抗を続けていた忠義の人。
張士誠は粛清しなさそう。
相性値は001~150までで、値が近いほど相性が善く、遠いほど悪い。
方国珍 001
朱元璋(明) 020
韓林児(宋) 038
明玉珍(夏) 057
徐寿輝(天完) 075
陳友諒(漢) 094
張士誠(呉) 113
順帝(元) 132
一応言っておくけど、例えば相性値001と150の場合は、数値が150を超えるとループするので、非常に相性が良いことになる。
曹操 25
劉備 75
孫権 125
董卓 0
だったかな
同じく陳友諒政権からの転向組みである傅友徳だって、戦うたびに傷を創ってたっていうから、相当苛酷な環境に置かれていたってことが分かる。
だから、天下取れなかったんだろうけど。
戦で負けても、お咎め無しだからな。
朱元璋側配下で、張士誠に寝返った将軍たちの気持ちも分かる気がする。
だが、退廃的な張士誠に見切りをつけ、裏切って朱元璋に協力しようとした張士誠配下の将もいたそうだぞ。
それが史椿って奴で、もとは張士誠の弟である張士徳の部下だった奴だ。
張士徳没後、奢侈に走った張士誠やその腹心の将軍たちに普段から不満を持っていて、更に、張士誠の股肱の臣であり、史椿とは不仲の徐義という武将から、日々謗りを受けていたため、耐えられなくなり、元朝から派遣された、これまた元朝の命令をろくに聞かない張士誠に不満を持つ汪同という人物と図って、朱元璋の軍を呼び込んで張士誠を打倒しようとしたそうな。
(最初は察罕帖木児に協力を求めようとしたが、察罕帖木児が大宋からの降将である田豊・王士誠に暗殺されるというアクシデントが発生し、仕方なく朱元璋に頼ろうとしたそうだ。)
でも、結局は、事前に露見して史椿等は処刑されてしまったんだそうだ。
ある時、謝五は李文忠からの攻撃を受けたが、降伏すれば必ず朱元璋から報復を受けると考え、堅く城門を閉ざして、城を枕に討ち死にをする構えであった。
さすがの李文忠も、これには攻めあぐね、命の保障をするから、おとなしく降ってくれと辛抱強く説得した。
その後、謝五は李文忠の説得を受け入れ、降伏。
そのまま、朱元璋の待つ、金陵へと送られた。
しかし、朱元璋は謝五が降伏するに至った経緯を知っていたにもかかわらず、謝五を最も重い刑罰である凌遅の刑に処して処刑してしまった。
朱元璋という男の魔性は、天下をその手に治める以前から発揮されていたのだ。
地主に牛飼いさせられたりして酷使されていたのは事実。
他にも幼友達の湯和や徐達と一緒に遊んだり、こっそり牛を殺して食べて地主から折檻された逸話もある。
十五で両親を失うまではごく普通の小作農の子だったが、一家離散以後に暗黒面に目覚めたと言えるかも。
元側の軍閥がお粗末過ぎる。
靖難の役の方がまだ接戦だったかもしれん。
北は徐州から南は紹興まで支配しているんだし、その気になれば三雄の中で最大の兵力を動員できたんじゃないかな。
張士誠は、紅巾軍の系譜に属していないから、地主層を取り込むのに有利な立場だったと思う。
地主や知識人層を取り込むのに紅巾系統に属していたかどうかは実際のところはあんまし関係ないと思う。
もしそうなら、朱元璋や毛貴の政権に彼等が力を貸していた理由が分からなくなる。どちらかというと、集団の性格や、君主の資質によるところが大きいんじゃないかな。
まぁ、親元朝的な立場を取れば知識人層への受けがよくなるってのはあっただろうけど。
知識人側にしても、与しやすそうな人物に見えたんじゃないかな。
張士誠の拠点である蘇州には当代の名望家たちが張士誠達の援助を受けるため、こぞって集まってきたらしいしね。
ちなみに、以下は何となく作ってみたものなので載せときます。
元末の主要群雄一覧
東系紅巾軍系
・大宋(東系紅巾軍の本家本元)
韓林児・劉福通・杜遵道・毛貴etc
・徐州紅巾軍(紅巾の乱勃発に乗じて蜂起、元の脱脱の攻撃を受け即効で潰された)
李二(芝麻李)・趙均用・彭大etc
・濠州紅巾軍(紅巾の乱勃発に乗じて蜂起、朱元璋が最初に参加した軍閥)
郭子興・孫徳崖・張天祐etc
・朱呉(天下を統一した後の大明帝国)
朱元璋・徐達・常遇春・劉基・李善長etc
西系紅巾軍系
・天完(西系紅巾軍の本家本元、陳友諒のクーデターで潰える)
徐寿輝・彭瑩玉・鄒普勝・欧普祥(欧道人)・倪文俊(倪蛮子)etc
・漢(クーデターによって陳友諒が打ち立てた強国)
陳友諒・陳友仁・張定辺・張必先(溌張)・趙普勝(双刀趙)etc
・夏(陳友諒と袂を分かった弥勒教系西蜀軍閥)
明玉珍(旻瞎子)・戴寿・万勝・劉楨etc
・巣湖水軍(巣湖に巣食う水賊の集団、後に朱元璋軍や陳友諒軍に吸収された)
李扒頭・兪廷瑞・金花小姐etc
元朝系群雄
・察罕帖木児軍(元朝最強軍、後に拡廓帖木児軍と李思斉軍に分裂)
察罕帖木児・拡廓帖木児・李思斉・張良弼・貊高etc
・答失八都魯軍(察罕帖木児軍と双璧をなす強力な軍閥)
答失八都魯・孛羅帖木児・竹貞etc
・陳友定軍(閩の地に割拠した元朝系軍閥)
陳友定・阮徳柔・頼政etc
・何真軍(広州の元朝系軍閥)
何真etc
・納哈出軍(北の果ての元朝系軍閥)
納哈出・乃刺吾etc
その他分類不能の群雄たち
・張呉(陳友諒の漢、朱元璋の朱呉と並び立った江南三強群雄の一角)
張士誠・張士徳・張士信・李伯昇・呂珍etc
・方国珍軍(元末群雄割拠の口火を切る)
方国珍・方国瑛・方明善・劉仁本etc
>金花小姐
女の子?
金花小姐は俺の知っている限りでは、実録の兪通海伝に一番詳しく載ってる。
その部分を引用してみると・・・
元の季汝潁に盗起ち、金花小姐なる者有り亦妖術を以って聚を惑わし、江淮に兵を聚め、人多く之に応じ、通海父子亦矛を操りて田間に起し、其の徒は李善勝に従う。 金花小姐敗るるに及び、通海舟を以って巣湖に泊す。 (殆ど我流で漢文身に付けたんで、この書き下しはおかしいとか言う指摘は勘弁してね)
まぁ、これ見る限り女性とは書かれてはいないけど、名前からして女性でしょうね。道教の娘娘には金花娘子ってのがいるそうだし。
厚化粧をした女道士を想像
SS
花雲(明)
S
朱亮祖(明)・張定辺(漢)・張必先(漢)
A
張徳勝(明)・丁徳興(明)・傅友徳(明)・趙普勝(天完)・五太子(周)・頼政(陳友定)・張良臣(元)
B
常遇春(明)・藍玉(明)・田元震(漢or明)・丁普郎(天完)・莫天祐(周)・方国珍(方国珍)・脱脱(元)
何か、以前三戦板で元末の猛将を議論していたことを思い出して作ってみた。
取り敢えず、猛将と呼べるだけの武力を持ってそうな奴を思いつく限りのっけてみた。
(徐寿輝暗殺に失敗した倪文俊が自分の元に転がり込んだ)
地の利を得た朱元璋
(江南の要衝集慶を抑える)
人の和を得た張士誠
(金に物を言わせて四方の有力者を自分の配下に)