1: 名無し 2007/06/21(木) 13:39:41
モンゴル帝国崩壊後、西アジアをほぼ制覇しながら、明への遠征途上に倒れたティムール。 もし倒れることなく、明に攻め込んでいたら果たしてどうなっただろうか?
待ち受ける明を束ねるのは、靖難の変の激戦を勝ち抜いて、甥から帝位を奪った永楽帝朱棣。
いずれ劣らぬ歴戦の覇王が束ねる東西の二大帝国の激突。
世界帝国の座を賭した激戦の行方や如何に?
2: 名無し 2007/06/21(木) 14:34:36
まあ遠征して来たティムールの方が不利だろうね。
敵地で戦う形になるし。
モンゴル高原の遊牧民をどれだけ糾合できるかにもよると思う。
3: 名無し 2007/06/21(木) 15:00:10
敵地で戦うことは不利ではないよ。むしろ軍の一体化という意味では敵地で戦いなさいと孫子なんかは言ってるし、歴史的に見ても敵地で戦うほうが勝率なんか高いよ。まあロシア遠征とかは別だけど。
6: 名無し 2007/06/21(木) 23:50:13
>>3 敵地で戦う不利ってのはやっぱり兵站の問題が一番大きいと思う。
かなりの遠征になるわけだから。
まあ遊牧民だからそのあたりは強いのかも知れないけど。
実際に攻め込むとなると、どういう進路を取るかな?
河西回廊を通って陝西方面へ侵攻するか、
あるいはモンゴル高原を迂回して北方から山西、河北に侵攻するか。
4: 名無し 2007/06/21(木) 15:57:45
まともに戦えば漢人部隊より遊牧民のほうが強いのは歴史が証明するところ。結局永楽帝は敗れて北京を放棄、南京あたりに遷都して、金宋時代のように北に遊牧民の政権、南に漢人の政権が鼎立することになるような気がす(ただし、その前にチムールの部隊の兵站がもつかどうか気がかりだが…)
14: 名無し 2007/06/23(土) 17:15:22
>>4
永楽帝もその配下の漢人部隊も、対遊牧民戦を長年繰り返してきたエキスパート。
遊牧民出身の将軍も多いし。
正面から野戦を行なっても、簡単に負けるとは思えん。
5: 名無し 2007/06/21(木) 18:54:54
永楽年間のティムールは老衰してまぶたが常に垂れ下がっていた程の状態だし、果たして長途の遠征に耐えられたかが疑問。
それに対して永楽帝は壮年の男盛りで前線でバリバリ戦える。
難を言えば靖難の変の後遺症で江南の支配階層(士大夫)が素直に永楽帝に従うかどうか。最悪の場合、腹背に敵を抱えかねない危険性を抱えている。
7: 名無し 2007/06/22(金) 01:39:51
>>5
逆に外患に対して一致団結って可能性も
9: 名無し 2007/06/22(金) 09:54:48
まあ普通に甘粛あたりで衝突だろうな。
西安が包囲されるかも。
10: 名無し 2007/06/22(金) 16:20:50
とりあえず永楽帝は鄭和を呼び寄せて、できるだけ陸で戦わない。
大きい川で戦おう。
11: 名無し 2007/06/22(金) 19:48:14
初歩的な疑問で申し訳ないけど、ティムールには優秀で覇業を継いでくれそうな後継者(非血縁も含む)がいたの?
モンゴルの時は金・南宋を滅ぼすまでに数代費やしてるから、ティムール一代だと時間制限が厳しそうな気がします。
12: 名無し 2007/06/22(金) 23:35:29
ティムール死後、後継争いで一時的に帝国が分裂してしまったから、そのへんはかなりやばいだろうな。
長男が早くに死んで、朱元璋と同じように嫡孫を後継者に定めていたんだけど、各地に領土を持った王子がいたから、それが内戦の原因となってしまった。
結局四男シャールフが何とか帝国を再統一することはできたけど、基本的に征服はしない穏健政策で、近隣国とは友好関係を結んだし。
13: 名無し 2007/06/23(土) 15:02:27
長男が先に死んでしまって、後継者が孫ってあたり、朱元璋に似ているんだよね。
年齢的にも、朱元璋に近いし。
15: 名無し 2007/06/23(土) 17:59:10
戦力はあるが、長距離の遠征で兵站に不安が残るティムール軍、大してティムール軍より戦力は劣るであろうがカリスマのある永楽帝が率いており、兵站も万全で士気は高いであろう明軍。
16: 名無し 2007/06/23(土) 22:34:20
ティムール軍は、正攻法ばかりだと、がっちり守りを固めてしまった明軍を撃ち破るのが難しくなると思う。
明側は、ティムール朝の版図を占領する意図はなく、勝たなくても負けなければいいのだから。
17: 名無し 2007/06/24(日) 04:05:47
鄭和の大艦隊でティムールの背後を突くなんてできたら面白いんだけど、現実問題無理だよな。
19: 名無し 2007/06/24(日) 22:14:09
永楽帝は雷帝バジットと同じような運命をたどる気がする
洪武帝なら勝てないまでも負けないとは思うが
永楽帝の不戦勝は世界史ファンの最もガッカリのひとつ
20: 名無し 2007/06/24(日) 22:34:10
いくら永楽帝が軍人皇帝と威張っても、オヤジには勝てないだろうしな。
むしろ朱元璋vsティムールの方が燃える。
いかにもモンゴル帝国の後継者の座を巡る決戦みたいで。
21: 名無し 2007/06/24(日) 23:15:29
>>20
性格がどっちもひねくれてるな、その二人
二人とも政治には熱心だが、かたや粛清、こなた捕虜虐待
どっちかと言えば、朱元璋のほうが庶民には優しそうだから、応援したいな
22: 名無し 2007/06/24(日) 23:20:43
永楽帝は800で10万の軍に勝った実績もあるし、相当なもんだと思う。
23: 名無し 2007/06/25(月) 15:00:53
まー、靖難の変で、簒奪に成功できただけでもかなりのもの。
でも父親が凄まじすぎるから。
24: 名無し 2007/07/05(木) 23:16:00
戦場がどこになるかでかなり違ってくるだろうな。
ティムール軍は遊牧民主体だろうから。
モンゴル高原の遊牧民たちにしたら、ティムールと永楽帝のどちらに親近感があったんだろう?
25: 名無し 2007/07/05(木) 23:24:19
>>24
モンゴルはティムール側に付くんじゃない?
元々、明が元を北へ追いやったわけだし、その辺を考えるとかつて敵だった明に味方するのもどうかと思う。
26: 名無し 2007/07/06(金) 05:54:17
明はモンゴルと不仲なのでティムールについて当然だな
27: 名無し 2007/07/06(金) 08:18:08
ティムールについて明滅ぼしたら、モンゴルもやばいだろ。
しかもどこから出てきたか分からん奴にチンギスの後継まで名乗られてるんだ、ティムールの覇道に協力するとは思えんけどな。
強大な敵が出てきたら、昨日の敵も今日の味方ってのは普通だぞ戦の世は。
28: 名無し 2007/07/06(金) 14:33:08
じゃあ、モンゴルは中立を保つ、と。
29: 名無し 2007/07/06(金) 19:59:31
モンゴルはひとまずティムールに道を貸しながら明との戦いを見てチャンスを狙うってのがありそうだな
30: 名無し 2007/07/06(金) 21:04:11
女真族~はどお~した~♪
31: 名無し 2007/07/06(金) 23:21:59
モンゴル人と女真人って何となく仲悪そうな気が。
32: 名無し 2007/07/14(土) 03:59:35
チムールがインド遠征をやってなかったら
靖難の役に乗じて中国へ侵入した可能性が高いから
けっこう勝率は高かったと思われ
33: 名無し 2007/07/14(土) 06:23:08
インドはモンゴル帝国の版図に組み込まれなかったから、直接支配しようとは思わなかったのかな?
インドってよく西方からの侵入勢力に支配されているから、明を征服するより容易だったと思うけど。
34: 名無し 2007/07/14(土) 23:12:50
ティムールの子孫がインドを征服してモンゴル帝国を再興している
35: 名無し 2007/07/15(日) 01:00:24
ムガール帝国はモンゴルのなまりだっけ
37: 名無し 2007/07/20(金) 23:58:23
インドってモンゴル帝国の版図には組み込まれなかった地域だからね。
モンゴル帝国と言われてもぴんと来なかったかも。
39: 名無し 2007/07/24(火) 19:41:24
>>37
さすがにちょくちょく侵入はされてるけどね
38: 名無し 2007/07/24(火) 12:39:32
インドのデリーあたりは侵略され慣れていたと思う。
いっつもアフガンの方から侵入されて王朝立てられているし。
そういう意味では華北と似ているのかな?
40: 名無し 2007/07/24(火) 23:47:07
インドはヒマラヤ山脈が超強固な万里の長城になっているね。
でなきゃ、チベット人からも侵攻を受けただろうな。
42: 名無し 2007/07/31(火) 10:47:56
河西回廊の東進は無理なのか?
43: 名無し 2007/07/31(火) 22:51:00
>>42
河西回廊の東進で問題ないとおもう
寧夏の六盤山や祁連山、青海の一帯は遊牧民の騎兵の基地たり得るでしょ
チンギス、モンケ、クビライも六盤山を基地にして西夏、南宋、雲南攻略にあたったし
月氏、吐谷渾、オイラトのホシュートは祁連山、青海の一帯を根拠地にしていたしさ
44: 名無し 2007/08/12(日) 23:37:07
ティムールが河西回廊を進んだ場合、永楽帝は蘭州を拠点として、黄河を防衛線を敷くと見た。
46: 名無し 2007/09/12(水) 14:25:25
西安城の城壁が強化されたのは、モンゴルの残党の脅威もあるだろうけど、その背後のティムールも意識していたのかな?
47: 名無し 2007/09/18(火) 23:53:49
>>46 朱元璋の代で、西安府が置かれて防衛体制が強化されているし、どう見ても、北元への警戒。
当時は一応の天下統一を果たしたとは言え、モンゴル高原に退いた元朝が、虎視眈々と中原への再進出を狙っていたわけだし。
48: 名無し 2007/09/23(日) 03:31:45
ニコポリス十字軍を一蹴した軍事的天才、雷鳴のバヤジットですら、フルボッコにしてしまうのが全盛期のティムール
49: 名無し 2007/09/28(金) 23:37:53
ティムールはどちらかと言うと朱元璋と同世代だよね。
モンゴル帝国の東西の後継者と言える。
51: 名無し 2007/10/01(月) 01:48:59
明の側からティムールの勢力圏へ密偵は送られていたのかな?
52: 名無し 2007/10/04(木) 06:52:58
両国を往来している貿易商人などを通じて情報を収集していたと思われる。
それに使者の往来もあったわけだし。
53: 名無し 2007/10/08(月) 21:03:39
ティムールの中国への遠征は本拠地からあまりにも離れすぎているし、明の側だって、サマルカンドまで遠征する力はとてもない。
互いに相手にとどめを刺す決定力はない以上、だらだらとした戦いが続きそう。
54: 名無し 2007/10/21(日) 23:54:52
>>53
二人とも世界史上に名高い名将だし国政の決定権も持ってるから、互いの国力を消耗する戦をだらだら続けるような馬鹿な真似はしないだろうな。膠着状態になった所で和議を講じると見た。