1: 名無し 2005/11/08(火) 19:43:44 0
隋唐(特に唐)は、秦漢とならび中華を自任する人々が世界に誇る大帝国である。
隋の楊氏は漢の名家の子孫と称し、唐の李氏も五胡時代の漢人政権、西涼の子孫と称している。要するに両王朝とも漢族政権として振舞っている。
が、楊氏も李氏も鮮卑族の北魏の軍閥の出自である。北魏というのは鮮卑族の中でも特に未開な部族であるタクバツ部の族長が建国した王朝で中華風にいえば土蛮、禽獣に等しい連中である。
しかし孝文帝という君主が胡語を禁じ、胡服を禁じ、胡姓を禁じるなど極端な漢化政策を実施したため、胡馬荒れ狂う華北もようやく漢魏晋以来の威容を整えるようになってきた。
もし孝文帝がいなければ、蛮風はそのまま後継王朝に受け継がれ、華人が誇る世界帝国・唐も、辮髪に筒袖の胡服を纏って征服者に服すという清時代のように描かれていただろう。
漢文明を後世に残してくれた名君・孝文帝に中華10億の人民は涙して感謝すべきだ。
2: 名無し 2005/11/08(火) 19:49:06 0
唐の太宗などはわが李氏は、春秋時代の老子の李氏の末裔であるとまで主張しズブズブの漢人として振る舞っている。
しかしある仏僧に「あなたは鮮卑タクバツ某の子孫です」と痛いところを突かれ激怒している。
3: 名無し 2005/11/08(火) 20:00:19 0
田中芳樹は漢民族以外の異民族を嫌うが、漢文化を積極的に取り入れた鮮卑族は誉めているよな。
4: 名無し 2005/11/08(火) 20:04:54 0
現在の北漢民族は鮮卑とか契丹とか女真とか突厥沙陀などが漢化した種族の末裔だと思う。後は党項族の血も混じっていると思う。
それから漢の楊氏の末裔は弘農郡の楊素。西涼の李氏の末裔は李白(多分)。
6: 名無し 2005/11/09(水) 20:11:46 0
こいつがいらない事しなけりゃよかったのよ、ホント
8: 名無し 2005/11/10(木) 10:17:30 0
>>6
孝文帝がいらんことせんでも、鮮卑系政権が華北で続く限りは、長いスパンで胡漢融合していったと思うし、政治的中心も平城から河南・関隴に移っていったと思う。
漢化と鮮卑国粋の揺らぎ、せめぎ合いは当時において蓋然性が高かったし、多少の歴史のIFを代入しても、大きな流れとしては同じベクトルで進んだと思う。
7: 名無し 2005/11/09(水) 22:27:55 0
孝文帝が存在しなかったら、宋の時代はあり得ないはずだが・・・
9: 名無し 2005/11/10(木) 21:37:46 0
孝文帝いなくても、馮太后の路線で充分・・・でしょ。
10: 名無し 2005/11/10(木) 22:42:23 0
漢化の波はすべての征服王朝が受けている。モンゴルも女真も例外ではない。
ただ、一口に漢化といっても歯止めのきいた漢化と、歯止めのきかない漢化がある。
例えば清は前者のほうで、学問は中国そのままだし、皇帝自身が満州語を話せなくなったが
全土に辮髪を強制し、中国の民俗を特異なものにした。
だから人によっては漢化ではなく蛮化に見えてしまうかもしれない。
現代でも華夷思想を持つ漢民族だが、つい100年前まで彼らは辮髪だった。
辛亥革命も、民衆レベルでは明の復興に他ならなかったらしい。
中国人にとって清の支配は「なかったこと」にしたいのだろうか。
11: 名無し 2005/11/10(木) 23:48:12 0
>>10
もとから「なかったこと」にはしてないっしょ。
現在の中華の領域は、ほぼ清代の領域だし。
最近は清の康熙帝・雍正帝あたりも再評価されてるっしょ。
TVドラマにもなったしねえ。
12: 名無し 2005/11/11(金) 01:32:38 0
漢人は旗袍を自分達の民族衣装だと思ってるくらいだからな。
13: 名無し 2005/11/11(金) 01:49:26 0
漢人の衣装が変わり始めたのが確か唐代からだな。
唐代の衣装はどこかモンゴルの服と似てるな。
冠はどうかわからんが。多分鮮卑の影響だろう。
14: 名無し 2005/11/11(金) 11:52:12 0
北魏と隋の衣装は秦漢以来の衣装でいかにも華美的な漢族風だった。
だが唐~明までの衣装は漢風とモンゴル風が混じった衣装みたいだ。
動き易くシンプルな感じの衣装はいかにも遊牧民的。
15: 名無し 2005/11/11(金) 20:28:35 0
それって、主に皇帝の服や官僚の制服のことですか。
ちなみに、官僚の制服の胸の部分に補章(ヨーロッパ人はマンダリン・スクエアと呼んだ)が入るようになったのは、明代から。
17: 名無し 2005/11/11(金) 20:59:10 0
ゲルマン人はローマ化されないで、分裂したのになんでこいつらは漢化されちゃうんだよ。
余計な事しやがって。
18: 名無し 2005/11/11(金) 21:04:07 0
漢文化には遊牧民を引き付ける魔力があるんだよ。
それに見事に取り付かれたのが北魏で
逆に漢文化以上の水準のイスラム文化の洗礼を受けたモンゴルが漢化しなかった。
19: 名無し 2005/11/11(金) 21:46:48 0
ゴート族は一応ローマ化したんじゃないの?
皮肉にもユスティニアヌスの再征服で文化レベルが下がったわけだが。
22: 名無し 2005/11/12(土) 08:23:12 0
宋代の誰かが「中華の衣服は胡服」とかいう文章を書いてたな。
24: 名無し 2005/11/12(土) 21:56:00 0
中華の服は馬に乗るのに甚だ不便だったから、趙の武霊王(主父)の胡服令があったわけで、唐代のようなそのまま平気で馬に乗れる服というのは、元々の中華の服とは違うでしょうな。
26: 名無し 2005/11/12(土) 23:48:53 0
漢化ってそもそも不思議な現象だよな。
たとえば秀吉が武力で明を征服したとする。
天皇を長安に住まわせて都に定めたとする。
で、ここまでやって中国語を公用語にして中華服を着て、中華の神々を祀るってことと同じだよな?
そんなに異民族の文化より中華のそれは学ぶべきものが多かったのか?
27: 名無し 2005/11/13(日) 00:17:31 0
征服者より被征服者のほうが圧倒的に数が多いし、被征服者に征服者の流儀を押し付けるより、征服者が被征服者の文化や風俗習慣などを取り入れるほうが、はるかに手間もかからず、反発も減らせるという計算ゆえのことかも。
中原を征服した清朝が、漢族の反発にもかかわらず辮髪を強制したような例もあるが、この場合は、一度清に帰順した漢人を離反できなくするという特別の意図があった。
28: 名無し 2005/11/13(日) 00:27:02 0
鮮卑が華北にやってきた時も漢族のほうが多かったのかな。
29: 名無し 2005/11/13(日) 04:18:31 0
漠北の人口って漢の2,3郡に匹敵する程度だろ。
そりゃ圧倒的に漢族のが多いに決まってる。
それから漢化、漢化っていうけど、胡風だって随分残ってるだろ。
馬に乗った女の絵とか唐代にあるけど、漢代にあんなもの考えられるか?
30: 名無し 2005/11/13(日) 10:34:19 0
そういえば、後唐の荘宗の李存勗の画像って李淵の画像と結構似てるね。
やはり、鮮卑と沙陀突厥が同じ遊牧民でトルコ系だから?
31: 名無し 2005/11/13(日) 14:10:43 0
鮮卑はツングースじゃなかった?
32: 名無し 2005/11/13(日) 15:28:44 0
最近はトルコとツングースの混血説が最有力。
モンゴル系とする説もあるがモンゴル人の祖がトルコ系の一派だから、
トルコ系と見ても問題はないと思う。
33: 名無し 2005/11/14(月) 14:02:46 0
鮮卑だけじゃなく南匈奴も沙陀突厥も高車勅勒部(斛律氏)も漢文化に影響を濃く残している。
34: 名無し 2005/11/14(月) 21:24:42 0
孝文帝は確かに100%漢化を強行したけど、それで漢化が完了したわけではないよな。魏が東西に分裂した後はむしろ先祖返りがみられる。孝文帝の治世から100年以上経た隋唐の時代にも宇文氏、独孤氏、蔚遅氏、長孫氏といった禁止されたはずの胡姓が見られる。隋の楊堅も、鮮卑語では普六如堅(だっけ?)と呼ばれたとあるが、これも、禁止されたはずの胡語が周末・隋初には使われていたことを意味している。
少なくとも隋や唐初は、漢化が完了しておらず、胡漢の連合政権だったのではないだろうか。聖徳太子の「日出づる処の云々…」の挨拶状に対し、煬帝は「蛮夷は文の書き方も知らぬ」と怒ったというがひょっとするとその煬帝も鮮卑語で怒ったのかも?
もっとも、当時の肖像画を見ると北周の武帝も隋の文帝煬帝も、秦漢以来の伝統的な皇帝像で描かれており、辮髪、筒袖の服といったような胡風は見られない。鮮卑文化は姓や言語は遅くまで残ったが、外見上はすっかり漢化していたのかもしれない。
35: 名無し 2005/11/14(月) 22:08:37 0
長孫氏はどう考えても漢風の姓。
春秋時代でいえば公孫氏と同類する。
長孫氏の鮮卑姓は賀若氏か賀抜氏といわれてる。
まだ確かではないが。
或いは北魏の拓跋氏の支流ともいわれる。
36: 名無し 2005/11/14(月) 23:57:49 0
『顔氏家訓』では北斉の朝廷では鮮卑語が流行していて
鮮卑語を学ぶのが出世の早道だったと苦々しげに書いている。
37: 名無し 2005/11/17(木) 23:03:22 0
北斉は、鮮卑族の漢姓をもとの胡姓に戻したんだよな。
でも皇室の高氏は、漢族風なんだが。
38: 名無し 2005/11/18(金) 20:23:21 0
皇帝の画像はいわゆる龍顔の定型に当てはめてるから、民族的な特徴とかは消されてると思われ。歴代皇帝の画像を見ると、どいつもこいつも無個性なまでにトレス顔だし。
胡姓禁止ってのは、南北朝末期に集中した現象じゃないの?
賀蘭とか慕容とか豆盧とか、そんな胡姓も残ってるぞ。
少なくとも五代までは。
むしろ、年月が経つ内に「姓の由来? なにそれ?」みたいな感じで溶けこんでいったのでは。
39: 名無し 2005/11/18(金) 20:40:31 0
金時代の著名な詩人、元好問は姓が北魏の拓跋氏なのを誇りに思っていたらしいが
42: 名無し 2005/11/22(火) 03:58:51 0
漢化ってそもそも何を意味しているの?
43: 名無し 2005/11/22(火) 11:21:23 0
華夷思想は出自は問わないからね。
異民族だろうと何だろうと漢化してくれれば、今日から君も僕らの仲間さ、という感じ。
具体的な漢化とは束髪加帽し寛衣を纏う(これ重要)、漢語を喋り漢字で書く、周以来の教養を身につける
かな。
鮮卑族は北魏太武帝の代から唐初にかけて漢族に同化し、ついに民族消滅した。ただ、起源論にこだわれば、隋も唐も鮮卑族王朝だと思う。出自は問わない中華思想からすれば、事実上の漢族政権だろうけど。
歴代の異民族王朝も漢化の2番目と3番目は実践してるが、清王朝は1番目に関しては征服の証として全土に辮髪を強制した。(先代の金もそうだったかな?)現在でも中国の歴史ドラマで清を悪役にしたものがあるけど、満族に対する複雑な思いがあるのか。
49: 名無し 2005/11/22(火) 20:20:34 0
>>43
漢化という表現より「華」化というほうが適切ではないかな。
あと。鮮卑については胡服や正音(洛陽方言)の強要といっても、その効果の範囲を考えると「華」化がどの程度現実的に、鮮卑のエスニシティに影響をおよぼしたか。
44: 名無し 2005/11/22(火) 15:28:46 0
現在の北漢民族は回族・沙陀突厥・鮮卑などのトルコ系の人々末裔がいることにもなるな。
45: 名無し 2005/11/22(火) 16:50:18 0
>>44
回族は漢族に同化されていませんよ。
46: 名無し 2005/11/22(火) 18:25:58 0
>>45
現代の回族ってのは、ムスリム化したもと漢族だろ。
まあそもそも漢族じたい血統で追うとおかしな話になるけどな。
48: 名無し 2005/11/22(火) 19:24:14 0
>>46 「北」漢民族ってのは二つ分かれる。
一つは黄河文明を築いた古代チベットとも古代トルコ系ともみられる黄河人。
もう一つは五胡以来に中国に進出した南匈奴・鮮卑・羌氐・渤海などの各民族が漢化した種族のことを指す。もちろん現在の「北」漢民族の直接の祖に当たるらしい。
一方、「南」漢族ってのは越部族やタイ諸族らが古来から揚子江付近に住んで、黥(いれずみ)・断髪の風習があり、米や魚を主食とした種族を指す。
後に江南に移住した西晋の残党による漢族と混血した民族をも表す。
そういう意味で「北」漢民族と「南」漢民族と大まかに分けただけ。
元の時代でも、金の支配下の北方の人々を“漢人”として、南宋の支配下の南方の人々を“南人”と分類したのと同じ。
50: 名無し 2005/11/22(火) 22:36:21 0
>>48
黄河文明を築いたのは確か北方モンゴロイドでしたよね。
実際にチベット系やトルコ系は北方モンゴロイドですし。
一方、長江流域に、長江文明を築いたとされるのは南方モンゴロイド、つまり、タイ族や越族などの東南アジア系の住民ですね。
87: 名無し 2006/05/24(水) 14:03:37 0
>>48 おいら昔東京で、中国人と話をしたことがある。広島弁を使っていると「福建省出身者でしょう」と声をかけられたんだ。
いや違うといったら、いやぁ、体型も顔も南の人の姿かたちをしているし福建省出身者の話す日本語に聞こえたんだがなぁと言われて、じゃぁ、中国人は姿かたちを見ただけで南と北がはっきりわかるのかと聞いたら、「そうだ、だいたい7~8割がたわかる」といっていた。
51: 名無し 2005/12/06(火) 23:24:10 0
孝文帝が100%漢化を強行したけどその後先祖帰りしてるんだな。
漢化政策をことごとく撤廃した北斉なんか特にそう。しかも北斉の王室高氏は、その姓が示すように漢族。漢族でありながら精神的には鮮卑化していて、せっかく元に戻った中原文化を再び胡化してしまった。
唐の太宗の皇太子も宮殿内にテントを建てるのを好み、家来に辮髪を強制したというし、唐初までは遊牧文化が根強く残ってたんだろうな。
52: 名無し 2005/12/07(水) 00:53:42 0
着飾った女たちが武装して馬に乗り、弓の腕前を競い合って、一本の弓矢で二羽の鳥を一度に射落としたなんていう話もあるくらいだしな。
実際には唐末~五代十国~宋ぐらいの間にゆるやかな漢文化のリバイバルがあったんだろう…と思うんだが。
53: 名無し 2005/12/07(水) 03:10:41 0
>着飾った女たちが武装して馬に乗り、弓の腕前を競い合って
あ、俺、そういう中国人のほうが礼だの孝だののたまう奴らより親しめそう。
ポロ教えてもらいながら恋歌でものどかに交わしたい…
55: 名無し 2005/12/07(水) 15:33:27 0
後周の郭威も定説としては漢族らしいが・・・
ただ生まれた邢州が古来から鮮卑などの非漢族が多かったとか・・・
56: 名無し 2005/12/08(木) 22:35:19 0
母親の連れ子の形で郭氏に入ったから不明だな。
62: 名無し 2006/01/15(日) 13:30:28 0
高句麗が中原の覇権争いに食い込んでいたらどうなっていたろうな。
その気はあったみたいだし。
64: 名無し 2006/01/15(日) 21:52:59 0
>>62
五胡十六国の時代だったら面白いかも知れないね。
63: 名無し 2006/01/15(日) 17:32:50 0
唐の高宗(実質的には武則天)にあっさり滅ぼされたけどな>高句麗
65: 名無し 2006/01/30(月) 03:25:34 0
高句麗が滅ばなかったら
朝鮮民族は成立していない
67: 名無し 2006/02/06(月) 15:24:13 0
明の朱元璋が胡語・胡姓禁止して漢族と胡族の完全分離完了
69: 名無し 2006/02/06(月) 15:31:16 0
「胡語を禁じ」たというのは違うだろ。
近代国家と違って、大衆の話す言語に政府が口出しするなんてことはない。
五胡の言語が雑多だったため、宮中では共通言語として漢語を採用したということ。
70: 名無し 2006/02/06(月) 15:33:55 0
胡服・胡姓の禁止は、部族意識の標識を表したままだと内ゲバ起こすからというのが理由。
71: 名無し 2006/02/06(月) 19:28:48 0
明朝は露骨に遊牧民族を迫害したからな。
折角中世レベルまで社会が進歩したものを、元朝の作ったものだからとインフラ破戒しまくって古代に逆戻りだし。
73: 名無し 2006/02/07(火) 07:28:30 0
清朝は露骨に漢民族を迫害したからな。
折角近世レベルまで社会が進歩したものを、明朝の作ったものだからとインフラ破戒しまくって中世に逆戻りだし。
コッチの方がしっくりくるな
75: 名無し 2006/02/19(日) 19:48:35 0
>>73
辮髪逝ってよし、チャイナドレス逝ってよし。
漢民族風の格好を出せよ。
74: 名無し 2006/02/07(火) 12:08:42 0
そういや
元はあまりそう時代のものを壊してないな
83: 名無し 2006/05/01(月) 20:18:16 0
清は異民族を普通に受け入れて漢人化させてたらしい
そりゃ人口が多くなるわな
モンゴル系とか先祖をたどれば4億人ぐらいいそうだ
84: 名無し 2006/05/03(水) 19:01:14 0
秀吉の征服が定着していたら、日本列島が逆に漢化していたろう。
今頃は海南島のようになって、日本語は山奥だけになる。
85: 名無し 2006/05/07(日) 14:01:13 0
陸続き同士だとほとんどそうだろうけど、海を隔てた場合はどうなるだろうね。
近代の列強支配を除くと、海の向こうに本国を持つ国の領土にされた例ってあまりないよね。