【いぶし銀】「魏軍絶対撃退マン」こと蜀の王平将軍を語ろう!

2019年5月18日

1: 名無し 2018/08/19(日)23:46:39 ID: ID:y2H
街亭の戦いで、王平は諸葛亮から馬謖軍の先鋒を命じられ、
馬謖が山上に布陣しようとするのを何度も諌めた。


しかし馬謖が王平の諌言を聞き入れなかったため、
結果として魏軍に大敗を喫した。

しかし、王平の指揮する部隊1,000が踏み留まって
陣太鼓を打ち鳴らし踏み堪えたため、
魏軍を率いていた張コウは伏兵の存在を疑って近づこうとはしなかった。

敵が追撃の手を緩めたところで、彼は徐々に諸営の残留兵を収容し、
将兵を率いて帰還した。これにより蜀軍は全滅を免れることができた。

馬謖及びその配下の武将がいずれも軍令違反で処罰されたが、
王平だけはこの時の功績により特別に敬意が払われた。

参軍・討寇将軍の地位を与えられ、
五部の兵を統率することを許可されると共に、亭侯に封じられている。

諸葛亮が祁山に出陣した際、王平は別働隊を率いて山の南を守備した。
この時、司馬懿が諸葛亮の軍を、張コウが王平の軍を攻撃したが、
王平は堅守して張コウ軍を撃退している。

魏の曹爽が歩兵・騎兵あわせて10万余りを率いて漢水まで攻め寄せ、
先鋒隊が駱谷に侵攻してきた。
そのとき、漢中の守備兵が三万に満たなかったため、諸将は恐れ慄いた。

ある者が、漢中を捨て後退し、漢城・楽城を固守して
本隊の援助を待つべきだと主張した。
しかし王平は、漢中を取られることの危険性を考慮してこの意見を退け、
前進して隘路で敵軍の足止めを行ない、救援を待つことにした。

王平は、劉敏と杜祺を派遣して興勢山に立て篭もらせ、
自らは黄金谷より敵が兵を進めて来たときのために、
後方での備えにあたった。
王平は、費?の援軍が到着するまで抵抗を続け、
撃退することに成功した(興勢の役)。

 

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2名無し 2018/08/19(日)23:47:41 ID: ID:y2H
魏の校尉から蜀の鎮北大将軍にまで登り詰めた王平

 

 

3名無し 2018/08/19(日)23:48:37 ID: ID:y2H
蜀の最大の功臣 王平

 

 

 

文盲とか関係ない!
王平は蜀の守護神なのだから!

 

 

6名無し 2018/08/19(日)23:51:14 ID: ID:Fn0
曹爽の軍才もどうなのかなとは思った

 

 

>>6
曹爽は司馬懿に手柄取られたくなかっただけやろうなw

 

 

曹爽は内地で皇族権力復活に勤しんでればよかったものを

 

 

 

馬謖「ほーん、で学歴は?」

 

 

>>12
王平『登山は駄目です。』

 

 

>>13
馬謖「兵法も知らないんやね(笑)」

 

 

>>14
王平『軍令違反は死んでどうぞw』

 

 

派手さでは王平に負けるけど馬忠の方がすさまじかったと思うの

 

 

 

「偏狭で疑り深く軽はずみ」
ダメでしょ

 

 

>>21
でも法には厳格や

 

 

>>23
徳治主義の世で厳格な法治主義者はちょっと

 

 

>>24
法守れない奴が蜀を守れるわけ無い

 

 

王平のハイライトがもう一つ
諸葛亮が五丈原で魏軍と対陣中に没すると、
楊儀は諸葛亮の遺言に従い全軍撤退を命じた。

ところが、かねてから楊儀と不仲であった魏延が撤退命令に
従わず、楊儀討伐の兵を挙げるという事態が起きてしまった。

この時、王平は楊儀の先鋒となり、魏延配下の兵士に向かって
「公(諸葛亮)が亡くなり、その身もまだ冷たくならぬ内に、
 お前達はなぜこのような事をしようとするのか」
と一喝した(『蜀書』魏延伝)。

魏延の兵士たちがこれを聴くと、魏延を見捨てて逃げ去ったため、
楊儀は難なく魏延を討ち取ることに成功した。

 

 

>>22
身はもう冷たかったはずだがな

 

 

>>32
細かいこと気にすんなw

 

 

「異民族」「降伏者」「無学」
三拍子そろったなかで出世した稀有な将

 

 

>>34
凄いよw
大将軍にまでなる

 

 

 

>>37
そうだとしても能力ないとなれない

 

 

>>37
オタやないがあいつ有能でしょ
前線、しんがり、攻城、全てこなすし

 

 

>>40
オールラウンダー

 

 

>>38
張翼廖化も大将軍に昇れる環境やしなぁ
でも王平有能に異論はないわ

というか大将軍っていうより征鎮将軍やろ?

 

 

 

>>43
ちょっと調べたけど
大将軍メインじゃなくて鎮将軍のランクアップ版らしい

 

 

46名無し 2018/08/20(月)00:13:25 ID: ID:ouT
何進とかの大将軍号とは格違うみたいやで

 

 

>>46
そもそも蜀には 鎮北 鎮東 鎮南の大将軍がいる。

 

 

大将軍は四征将軍や四鎮将軍、車騎将軍より上や

 

 

59名無し 2018/08/20(月)00:23:14 ID: ID:ouT
姜維も
鎮西大将軍→衛将軍→大将軍やし
大将軍が四鎮大将軍よりも格上なのは明白や

 

 

>>59
だとしても大将軍に変わりない

 

 

そもそも曹爽相手なら誰でも勝てたやろ

 

 

>>47
郭淮も司馬昭も従軍してたし(震え声)

 

 

65名無し 2018/08/20(月)00:26:35 ID: ID:9Uj
>>64

 

 

78名無し 2018/08/20(月)00:34:18 ID: ID:ba1
どれだけ褒めても字が読めんので伝わらない模様

 

 

>>78
字読めなくても出世できるから良いやん

 

 

王平って普通に諸葛亮に並ぶ活躍してるよな正史で

 

 

>>90
上の下くらいやな

 

 

>>92
なぜや
王平の活躍なかったら蜀はもっと早くに滅びたはずやで

 

 

>>94
末期蜀が
魏からのFA選手や戦力外通告受けた武将ばかりでなあ

 

 

>>101
姜維取り込みは涼州安定のための一歩やろ(適当)
馬超ポジ

 

 

>>90
王平って軍人としてはガチ優秀やからな
余計な事はしないが結果はしっかりだす
アホな指揮官には従わない

 

 

>>106
盛大に馬謖ディスってて最高!

 

 

王平の名声
鄧芝と馬忠がそれぞれ蜀の東と南を防備していたが、
王平の名声は彼らと並び称されるほどであった。

また『華陽国志』によると、
同郡出身の句扶や後任の大将軍である張翼・廖化と並んで
賞賛されていた。

 

 

王平の出世歴
曹操が漢中に侵攻して張魯を降した際、
恭順した異民族の指導者である杜?・朴胡に伴い曹操に帰順し、
洛陽に赴き校尉の位を与えられていたが、
218年 - 219年の定軍山の戦いを含んだ一連の漢中攻防戦の際に
劉備軍へ降り、牙門将・裨将軍に任命された。
以降、蜀漢に仕えることとなった。

参軍・討寇将軍の地位を与えられ、
五部の兵を統率することを許可されると共に、亭侯に封じられている。
後典軍・安漢将軍に昇進し、呉懿の副将として漢中に駐屯した。
また、漢中太守を兼任した。

237年に呉懿が死去すると、
後任として漢中方面の守備を任され、安漢侯に封じられた。
その後も、前監軍・鎮北大将軍に昇進し、漢中の軍事・行政を一任された。

 

 

ゲームやと一軍半の扱いにしとったなあ

最前線は関羽さんや馬ナントカさんやらばっか使って
オウヘイさんはギエンさんあたりの下につけて
防御用の微妙な城の人数合わせに置いておくか
安全地帯の大守にして表舞台から消えてくかしてたわ

 

 

>>129
もったいないな~

 

 

>>129
昨今はイベントあるから雑にできんよ 王平
蜀の重要キャラとゲームでも知る事できる
横山がモブキャラフェイスしたのが悪いわ

 

 

>>134
横山は王平を軽視したんやな

 

 

>>135
これやもん
資料ないからしゃーないけどね

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146名無し 2018/08/20(月)01:13:19 ID: ID:Oia
王平がインテリやったら馬謖も言うことを聞いていた
よって王平にも責任の一端がある

 

 

>>146
異民族出身とインテリ(名士)は両立し得ないので街亭は必然の敗北やったわ

 

 

>>146
はぁ?やっぱり傲慢やな馬謖

 

 

>>151
名士が非名士を見下すのは普通
劉巴もやっとる

 

 

>>154
人がやってるからやっていいわけ無い

 

 

>>157
劉巴だけじゃない
名士はみんなそう

 

 

文盲のや奴が学歴のワイに指図しやがって!
オラ!兵ども!山登りすんぞ!

 

 

>>155
ばちょーだか馬岱だかいう奴やろ

 

 

166名無し 2018/08/20(月)01:18:15 ID: ID:9Uj

>>165
馬謖です。

 

 

三国志(字幕版)
アンディ・ラウ
2018-11-02

 

 

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