張飛「生まれた日は違っても!」
関羽「死ぬ時は同じ日だといいな!」
この三人が桃園で義兄弟の契りを交わしたので
桃園の誓いと呼ばれてます
ちなみに関羽は商売の神様として崇められていますが、何故かというと
昔塩の密売をやってたからです。しかし人殺ししたので逃げました
完全に悪党じゃないかwwww
劉備は引きこもり
張角「官軍どもをやっつけろー!」
オオー!
張角「うっ、病死……」バタリ
漢朝は賄賂等で色々と腐りまくってたので
農民たちは太平道という宗教団体を信仰してるのが無茶苦茶増えました
その教祖が張角です。漢朝の腐りっぷりに反比例して破竹の勢い信者を増やしていき、ついに官軍と戦うこととなるのですが、彼は志半ばで病に倒れます
程なくして求心力を失ったこの乱は平定されました
ちなみにこの太平道の信者は黄色い頭巾を被ってた為黄巾賊と呼ばれ
この乱の名前は黄巾の乱と呼ばれます
これに補足すれば、張角は自分が後漢王朝に取って変わろうとした
一応後漢の役人に賄賂も渡してた、スパイも送り込んでた
企みが露見して反乱に踏み切った
それっぽいのはアニメであったよね
何進「十常恃、ぶっころー!」
十常恃「させるかぁ、おりゃあー」ブスリ
何進「ぎゃぁああ!」
元々は肉屋をやっていた何進でしたが、妹が帝、霊帝の子を産んだ為一躍スターダムを登りつめました
黄巾の乱の際には大将軍の位を得て、権力をその手にしました。
先帝である霊帝が崩御し、何進は自分の甥っ子を皇帝にしようとしましたが
十常恃の一部が異母兄弟である劉協を擁立しようとしたため、両者の対立には深い溝が生まれました
ちなみにその一部は首を切られたそうです
十常恃という宦官(チンコ切って帝に仕えてる人間)は何進と色々共謀して権力を得てましたが
何進はこの十常恃を一掃しようと諸侯を呼んでたため、それに反発した十常恃が何進を殺しました
ちなみにこのことは何進の妹が告げ口したと言われてます
配下「おおー!」
袁紹「おーら殺せ殺せ!」
配下「十常恃が帝を連れて逃げ出しました!」
袁紹「な、なな、ぬわぁんだとぉおお!」
何進の部下であった袁紹は何進を殺された事で怒り爆発
自ら宮殿に乗り込んで宦官二千人くらいぶっ殺したと言われています
しかし肝心の十常恃は帝を連れてとっとと逃げ出していたのです
ここらへんは流石ですね
十常恃「俺、黄河に身を投げるわ」ポチャン...
帝「死んじゃったね」
劉協皇子「どうしよう、歩いて帰ろうか」
しかし十常恃は自殺してしまいました。困った帝(何進の甥っ子)と劉協皇子は歩いて都まで帰ろうとしたそうです
その道中、何進によって呼び出されてい董卓によって救い出されました。
この時董卓は帝に色々聞いたのですが中々要領を得ず
改めて劉協皇子に事の経緯を聞いた所終始抜かりなく答えたため、その聡明さに感激したといわれます
また、同時に帝の廃立を企んだそうです
董卓「何皇后と共に幽閉、しかる後殺せ」
配下「はっ」
董卓「よし! そういうことで俺はこの聡明なる劉協皇子を新たな帝として立てるぞ!!」
「ええ~!?」
ちなみにこの騒動の前に、権力を掌握しようとした董卓と衝突した人物がいた
その人物は丁原。何進と共謀して十常恃を殺そうと執金吾の位を得て軍勢を引き連れていた
と言う事でお互いは権力争いで衝突していたのだが、董卓はこの軍勢が欲しいなぁ、と思い
丁原の部下であった、呂布に働きかけて寝返らせたのである。
呂布は丁原の首を持って帰り、董卓は呂布を重用し、養子とする事でその信頼を示したのでした
軍勢も優秀な部下も権力も手に入る、もはや怖い者なしの董卓でした
袁紹「よくない!」
「よくない! 良くない! よくない!」
董卓は権力を手中にすると帝廃立を一として暴政を次々と為していきました
これに反発した諸侯は 反董卓連合 を結成するのです。
この時連合軍の盟主は前回十常恃を殺そうと殴りこみした袁紹でした。
袁紹は四世三公という名門袁家の生まれでした。
四世三公というのは四代に渡って、とっても偉い、司徒・司空・太尉、というこの三つの役職の人間を輩出してきたことを言います
つまりすっごいエリートだったんですね
いた
ただし関羽は乗らない
そうなのか じゃ呂布で最後?
歴史上の馬ってかっこいい
松風とか絶影とか
諸侯「やっぱりいかんいかん」
袁紹「あいつよくないもんねえ~」
諸侯「ねぇ~!」
大義を掲げて集った反董卓連合でしたが、その実皆はあんまり熱心ではありませんでした
なぜかというと、ぶっちゃけ皆漢朝は最早終わりだろ、と思ってたからです
だから皆自分の軍隊を無駄に減らしたくはないと思っていたんですね
正直この連合に加わってさえいれば、それなりの名声は得られますから
特にことこの袁紹君は仲間の邪魔もし始めたのです
まともに戦っていたのは遠い南の方の孫堅と言う将軍と、その後方支援をしていた弟(腹違い)の袁術だけでした
しかしこの袁紹、もう独立のこととか考えてて色々邪魔立てばっかしてました。あんまり弟が活躍するのも嫌だったんですねえ
董卓「てことで遷都しちゃお!」
配下「えええ~!?」
董卓「こ、都である洛陽は捨てましょう! 天子の墓とか暴いてお金集めて! あと奪われた時嫌だし火をつけて焼け野原にしちゃお!」
董卓「長安に行くぞ~」パカパカ
と言う事で董卓は長く歴史ある都の洛陽を捨て、お隣の長安と言う所へ引越しました
多くの人はこれに反発したそうですが、皆結局董卓の権力には敵わなかったんですね
結局董卓は帝(劉協皇子こと献帝)を引き連れて、行ってしまいました。残ったのは無残な都、洛陽だけです
袁紹「えぇ~……やめとかない? 駄目駄目。許可できないよ~」
曹操「じゃあ、いつやるのか? 今でしょ!」
と言う事で曹操は進言を取り入られなかったので勝手に自分の兵隊引き連れて攻撃しようとしたんだね
しかもこの人私財を投じて兵隊集めてたんだ。連合軍の解散は自分の兵隊食わせるのにも困るってのもあったんだね!
けど結局この戦いは董卓の部下である徐栄っていうョ羽軍にけちょんけちょんに蹴散らされちゃうんだ
大敗北の末敗走するんだけど、部下は死にまくるし、配下の将軍も死んだりするし、もう散々
曹操自身も馬を亡くして死にかけるんだけど、親族の曹洪、って奴が
「天下に俺はいなくてもいいけど、お前はいなあかんのや!」
って言って自分の馬に乗せるんだよ。凄いね。しかも自分も馬なしで生き残っちゃうもんだから、物凄い奴だよね
ちなみにこんな感じのことがたくさんあったし、袁紹と袁術は前述のとおり仲が悪かったから
董卓が洛陽捨て兆分へ引っ越した、という事を名目に連合軍は解散したんだ。おかしな話だね!
まさに隠れた名将
三國志おもしれえな
袁紹「ってことでおいら色んな文官や武官集めてよっと」
袁紹「おいらの名望があれば人なんて余裕で集るっしょ!!」
と言う事でこんな感じなんやかんやで諸侯は独立していくんだね
それぞれが天下の覇権を握る戦いへ突入していくんだ
ちなみにこの時孫堅は洛陽に一番乗りして、色々と宮殿復興したりしてたから
孫堅さんすげえ! マジ良い人やん! って事でかなり株が上がってたみたいだよ
この時に手に入れれば国得て、失えば国を亡くすと言われる伝国の玉璽を手に入れたとかなんとか……
関羽「いかがなさいますか?」
劉備「まぁ、相も変わらず公孫[王賛]の所にやっかいになるしかあるめぇべ」
張飛「かぁ~、大変だな」
この頃の劉備は公孫[王賛]の所に身を寄せていたんだ
ちなみにこの公孫[王賛]と劉備は学友だったんだよ。まぁ、とは言っても劉備は知人にお金融資してもらってたんだけどね
公孫[王賛]は東北の方で異民族相手に頑張ってた人だよ! 対して劉備はまだまだ地盤もなにもないただの一兵卒ってところかな
まぁ、元言う事で劉備はここら辺の頃はまだまだ色んな知人に寄生しながら過ごしてたんだ!
王允「はぁ、董卓マジ許せないなぁ」
王允「呂布将軍、董卓殺そう。そしたらあんた英雄だよ」
呂布「ほほう、やりましょう」
この王允と言う人は気骨あるおじいちゃんでかなり人望が篤かったらしいよ
そんでその気骨とか色々買われて董卓は王允を重用してたんだ。
董卓はなんやかんや色々やってたけど、優秀な人間は重用してたり、ただの暴君じゃない一面を多々あるんだよ!
董卓「ひぇえ~! たしけてぇええ! 呂布、呂布はどこぞぉ~! あ! 呂布! 助けてくれぇ!」
呂布「詔勅である」ザシュッ
董卓「ぎゃあ!」
しかし、と言う事で董卓は呂布に斬られて死んでしまったのでした。そし三族皆殺しにしたんだって。残忍だね!
長安の民は皆これを祝ってどんちゃん騒ぎだったらしいよ!
呂布「うむうむ」
てな感じに王允は董卓を見事殺して漢朝に権力を戻したんだ
けど彼も色々やっぱ思う所あったらしくて、董卓に重陽されてた、文人の蔡?を投獄したんだ
けど蔡?は名望アル人手多くの人士からどうか助けてやってくれ、頼まれたので仕方なく解放しようかと思ったんだけど
結局すでに蔡?は死んでしまってたらしいよ……
呂布による当宅暗殺の動機は
侍中の女を~ってていう説はあるけど、別に王允の娘とかはうそっぱちらしいね!
皆「けえっててきとーに暮らすべかぁ……」
賈[言羽]「お待ちくだされ、今散り散りになれば最早再起は望めませぬ」
賈[言羽]「しかし、それは今一度兵を集め長安を攻めてからでも遅くはありますまい」
李カク「確かにその通りである! 攻めるぞー!」オオー
と言う事で董卓は以下の将軍であった李カクらは賈[言羽]の進言を取り入れて長安に攻め入ったんだ!
呂布も頑張ったんだけど、結局敗走。どっかへ逃げ延びたんだ。
王允はマジでビビっちゃったので献帝を連れ出してまで戦闘を避けてたんだけど、ついに李カクに見つかっちゃったんだ。
献帝は「マジお前兵使ってなにしてんの。反逆すんの?」と聞いたけど、ここは李カク、中々の機転で拝礼して、地に頭を叩いて平伏したんだ。
「いやいや、も我々は仇討ちに出ただけでございます。ですから仕事を片付けてから出頭しますので、処罰はそのときにしてくだされ」
と答えたんだ。もうこうなったらしゃあないよね。王允はもう観念して出てって
妻子ともども一族は殺されたのさ
鮑信「今や賊軍の軍勢は百万人余り。農民はビビってますし、兵には闘志がないですな、しかし!」
鮑信「敵はただの賊軍! 見れば人が集っておるだけで指揮すべき統率者がおりませぬ!」
鮑信「しかも拠所もなく食料は全て略奪によるもの! 今は堅守し、軍勢の英気を養い、精鋭で要害を占拠して敵を討てば離散しましょう!」
劉岱「いやいやwwwwwそんなんせんでも所詮賊っしょwwww」
劉岱「打って出rゴファ!! つええええ!」
と言う事で劉岱は進言を聞き入れずに戦ったから死んでしまったんだ
この劉岱という人は?州って言う所の牧(要するに太守みたいなもん)だったんだけど、死んじゃったんだ
だからどうしようかーどうしようかーと、思ってる所に陳宮っていう軍師が曹操は適任だぜーと説得して周ったんだ。
と言う事で曹操は後任となって黄巾賊と戦うことになったんだね!
結局この黄巾賊は曹操によって制圧されたんだ。最後は降伏を申し出てきてそれを受け入れたんだ。
投降兵は30万くらい、女や子供は百万くらいいたらしいよ。
そのうちの彼らを選りすぐった精鋭の事を 青州兵 と言うんだよ!
2人いたのは王忠じゃなかったか?
劉岱が二人
ややこしいことに字も同じ「公山」
因みに関羽の部下にも「呂布」がいたりする
二人目の劉岱が出た時に一人目の劉岱として紹介されてて混乱する
袁術「うぜえーうぜえーぶち殺そー」カキカキ
袁術「とりあえず公孫[王賛]と陶謙に兄貴責めるように働きかけとこー」
と言う事で袁術の要請でこの二人は反袁紹の機運だったんだよ!
逆に曹操は袁紹側についていたので彼らとは対立していたんだね!
ちなみに劉備はこの時はまだ公孫[王賛]の元にいたから、袁術側の人間ってことになるね!
そしてここらへんの頃、正確にはもうちっょと後にだけど、陶謙の部下が曹操の父親を殺しちゃうんだ!
怒った曹操は陶謙のいる徐州に向けて進軍するんだよ!
劉備「うん分かった」
公孫[王賛]「敵のさあキク義って奴強いよぉ~」
劉備「任せろ任せろ」
と言う事で劉備は公孫[王賛]の命で袁紹と戦っていたんだ!
すると曹操が陶謙の民を虐殺しで゙目輝って言うからまぁ大変!
しかも助けてくれと言われたから劉備たちはそのまま陶謙を助けに向うんだね!
まだ残ってたか
すまん正直飽きてきてたんだ
おつおつ
三国志は三国平定までもけっこう長いしなw
おつおつ