春秋 戦国

【春秋時代】晋の六卿について語ろう

2020年9月28日

1: 名無し 2007/02/02(金) 21:13:01
晋の正卿
先しん、先且居、趙盾、げきけつ、荀林父、士会、げき克、欒書、韓けつ、知おう、荀えん、士匂、趙武、韓起・・・

3: 名無し 2007/02/02(金) 22:52:30
晋の六卿と言えば真っ先に趙盾が思い浮かぶ、父親の趙衰が文公の腹心だが、趙盾を立てたのは義母の君姫であり、義母の恩に報いようと腹違いの弟である趙活を趙家の頭領にして、趙同には最大の領地を与えるが趙盾の思いとは裏腹に、郤缼は下軍の将に最も使いやすい趙朔にして実質的に趙家の主に趙朔がなる。

5: 名無し 2007/02/02(金) 23:18:18
襄公の死後、次の君主には、幼い後の霊公は無理だろうと秦から公子雍を迎えに、士会らを秦へ送るが霊公の母の必死の懇願に折れ、霊公の擁立をする。何故か霊公は趙盾と犬猿の仲で、趙盾の暗殺を謀るようになる。その時暗殺者は趙盾に正義を見たのか自殺して、趙盾に自らの危機を伝える。

6: 名無し 2007/02/03(土) 00:10:12
知・趙・魏・韓・范・中行

欒氏や郤氏、胥氏や羊舌氏などはスレ違いかな。

7: 名無し 2007/02/03(土) 00:41:22
春秋末期は晋の六卿といえばその六氏のことかもしれないが、それまでは単に晋の大臣(大臣は三軍の主将と副将を兼ねるから定員六人)、という言葉通りの意味であろうから別に問題ないのでは。

9: 名無し 2007/02/03(土) 01:14:55
范、中行氏は斉に行った後存続してたの?

10: 名無し 2007/02/03(土) 07:25:29
存続してなければ范増や中行説の名はのこらんよね。

11: 名無し 2007/02/03(土) 07:52:14
あと、范雎もね。
范雎自身は魏の出身だけど、范氏の族人の中には、晋の後身である魏に戻ってきたのもいそうだし、范雎の性格や行動を見てると、士会から士鞅までのそれと結構似通っている部分が多い。

12: 名無し 2007/02/03(土) 22:08:45
范増ってそうだったのか、正直知らんかった、サンクス

13: 名無し 2007/02/04(日) 00:49:22
そうだったのか…って根拠はないぞ
氏が同じ以外

14: 名無し 2007/02/04(日) 00:51:18
当時の姓の由来は出身地が多いから、あながち根拠がないわけではないんじゃないかな。

21: 名無し 2007/02/06(火) 01:03:52
魏氏って春秋の頃ってあまり目立たないよね

24: 名無し 2007/02/06(火) 20:54:55
>>21
魏武子は大夫扱いで一等低い感じのスタートだもんな。

22: 名無し 2007/02/06(火) 04:58:21
荀林父と荀偃の間は荀庚ですか?荀騅って誰だろう。

23: 名無し 2007/02/06(火) 20:46:28
>>22
荀庚(中行庚)は荀林父の息子ですから、間違い無いです。
荀騅は多分、荀林父の弟で知首の兄でしょうか。

24: 名無し 2007/02/06(火) 20:54:55
>>23
荀驩と荀騅は同一人物なのかもしれんね。

29: 名無し 2007/02/09(金) 06:21:20
魏犨が遺言で若い妻に自分の死後は再婚させるよう言ったが、死ぬ間際には若い妻を殉死させるよう、息子?に言って息子?は魏犨の正常な時の遺言に従い、その若い妻を再婚させ、何かの時若い妻の父に助けて貰ったという話があったような、何かの小説でも載ってたかな。

30: 名無し 2007/02/09(金) 07:48:57
>>29
沙中の回廊だろう。

31: 名無し 2007/02/09(金) 16:02:18
>>30
サンクス 気になってたんで読み直します。

32: 名無し 2007/02/13(火) 19:53:47
胥臣・野人となっていた郤缼を文公に推挙した。
胥甲・霊公に近すぎて趙盾に疎まれ追放される。
胥克・病により郤缼に卿の位を降ろされる。
胥童・厲公の寵臣であり三郤を滅ぼし、欒書・中行偃に殺される。
胥午・敗れる事が分かって欒盈に協力し共に滅びる。
胥臣の家系図はどうなってるだろう。

33: 名無し 2007/02/13(火) 20:26:22
>>32
胥甲から胥童までは一本系図でつながってるが、胥臣から胥甲、胥童から胥午のつながりが分からん。沙中の回廊では、胥甲は胥臣の息子だと書いてるが、胥甲は胥臣の族人の可能性もあるかも。

34: 名無し 2007/02/13(火) 21:08:23
胥甲は胥臣と同じ下軍の佐から登場するので親子と思っていいんじゃないだろうか。
一応まとめておこうか。

【胥氏】
┌司空季子臣─胥甲─胥克─胥童
└胥嬰

胥午と胥梁帯についてはわからない。

44: 名無し 2007/02/25(日) 21:54:34
頃公の十二年時は趙鞅・韓起・魏舒・中行寅・士鞅・知櫟 が六卿かこのころは晋室の事や正卿になるより、領地を増やす事のみ考えてるみたい。

45: 名無し 2007/02/26(月) 01:20:10
趙盾が政権を執ったときから始まってると思う

46: 名無し 2007/02/26(月) 21:35:33
文公が太子を除く公子を晋国外に出したのが晋室弱体の原因か

47: 名無し 2007/02/26(月) 21:48:14
いや、やっぱり献公が驪姫に惑わされて、申生を自害に追い込んだのが、
晋室弱体の遠因だろ。

48: 名無し 2007/02/26(月) 22:02:50
公族・余子・公行の三族を定めたところで決定づいたと考える。

49: 名無し 2007/02/28(水) 16:25:16
三族のいきさつは分かるが
家臣の子弟が公族になって本当の公の親族はどうなったかわからない。
理屈がわけわかめ。

50: 名無し 2007/02/28(水) 21:47:58
晋には驪姫の乱以後、公族の官がなく晋にひとりの公子もいない卿の嫡子を公族の官に任命し田土を与える事にした。
成公が自分を推してくれた卿への礼のつもりか又は自分の子から他の国のような公族を復活させる為か卿の家が肥大化する基になった。
趙盾より、成公の方がそのつもりがなくても晋室弱体化の原因ですね

53: 名無し 2007/03/02(金) 20:36:30
先且居等が死んだ後、士穀が趙盾や狐射姑を差し置いて正卿になる予定が先克の邪魔でなれなかったという話は、もし士穀が正卿になってたらと思うな。

54: 名無し 2007/03/02(金) 21:41:16
>>53
もし士穀が正卿だったら、襄公亡き後は秦にいた公子雍が順当に晋侯になって、襄公の息子の夷皋(霊公)は、ひねくれた人生を送らずに命永らえれたかも。 

ただ、そうなると、黒臀(成公)は晋侯になれなかったけどね。そして、弟の士会も秦に亡命する事もなくなるし。

66: 名無し 2007/03/10(土) 06:27:25
このように思うがどうだろう。
 名宰相 一位韓厥、二位士会、三位趙盾
悪い宰相 一位欒書、二位趙鞅、三位趙盾

67: 名無し 2007/03/10(土) 07:37:29
>>66
いや、こんなんでは?

 名宰相 一位韓厥、二位士会、三位趙武、次点知オウ
悪い宰相 一位士カイ、二位趙盾、三位荀林父、次点中行偃

71: 名無し 2007/03/15(木) 21:43:30
知氏はどの辺りから力をつけてきたの?士会の頃は名前も出てこないのに

72: 名無し 2007/03/15(木) 23:34:06
士会のころに荀林父って人がいたと思うが、その子孫の分家。本家は中行氏だったかな。 そのころは士氏も范氏っていう名前になってる。

んで、中行氏と范氏が、趙氏を滅ぼそうとしたときに、知氏の当主が晋の宰相だったが、趙氏の味方をして、中行・范氏を倒し、その領土を分け取りにしたあたりで、晋国内では一番強くなったのかな。

73: 名無し 2007/03/16(金) 07:36:29
趙氏って三度滅亡の危機をよく乗り切ったよな

77: 名無し 2007/03/25(日) 23:28:10
中行・范氏との戦い開始が前四九七年で、中行寅・范吉射の斉への逃亡が前四九〇年、知瑶が韓・魏・趙氏と共同で中行・范氏の領地を分割して所領にしたのが前四五八年らしいのだが、それまで中行・范氏の残党が残っていたのか?又はそれまで知瑶の暴走を抑える人物がいたのだろうか。

78: 名無し 2007/03/26(月) 21:09:05
>>77
知瑶の祖父の知櫟や趙鞅達が、名目上は中行・范氏の領地のままで、晋公を差し置いて実質的に支配してたんじゃね? 

知櫟は知瑶以上に強欲だけど、かなりの慎重居士でもあるから、趙鞅達と示し合わせて、事を荒立てないように名より実をとる方策を取ったのかも。
 
で、知櫟の死後は、趙鞅が紀元前463年に死去するまで知瑶を抑えてたと。

79: 名無し 2007/03/27(火) 06:23:32
なるほど趙鞅が長い間、実力者の位置にいたみたいですね。

80: 名無し 2007/03/29(木) 06:55:33
知氏も知櫟の父、知盈が亡くなった時に卿から降ろされそうになった事があったが、(実際に士魴や魏相の後は卿になれなかったので)一大夫のままなら、これほど力を持てなかったと思われ。平公が独断で寵臣を卿に任じたら、厲公の二の舞になるか又は、六卿の力を削ぐ最後のチャンスだったか。

81: 名無し 2007/03/30(金) 15:16:42
知首・知罃の遺徳は残っていたからだろうが、何で料理人があんなに偉そうなんだろう。

82: 名無し 2007/03/30(金) 21:19:35
>>81
料理人って誰?

83: 名無し 2007/03/31(土) 05:09:23
晋の知盈が亡くなった時、葬儀も行わぬ内に平公は酒宴を催した

その席で料理人の屠蒯は楽師に酒を飲ませ

「汝は国君の耳にして、聰(鋭敏な聴力)を司るのが役目、股肱が毀損したのは忌み日にまさる痛心時。しかるに汝がこれを国君に申し上げず音楽を奏したのは聰ともうせぬ。」

更に寵臣に酒を飲ませ
「汝は国君の目にして、明を司るのが役目。しかるに国君の容は卿佐の喪にふさわしい物でないのに、汝がそれを目に止めぬのは明とは申せぬ」

こんどは自分で酒を飲んで
「味は気を流通させ、気は志を充実させる。志によって言が決まり、言によって命令が出る。臣は味を司るのが役目。この二人が役目を果たさぬのに国君が処罰命令を出さなかったのは臣の責任でございます」

平公は納得して酒宴をやめさせた。これまで平公は知氏を廃して自分の寵臣を立てようとしていたが、この件で考えを改め知櫟を下軍の佐に任命して、申しわけにした。

87: 名無し 2007/04/06(金) 17:52:17
宰相にあたる正卿でも本当に実権があった人はかなり限られてるね

88: 名無し 2007/04/06(金) 22:11:25
>>87
実権のないというと誰だろう?
とりあえず、中行偃<范カイかな。

89: 名無し 2007/04/06(金) 23:51:52
>>87
後、荀林父<先穀、士会とか。

90: 名無し 2007/04/06(金) 23:57:28
基盤の弱い正卿だと先軫が浮かぶかな。
兵権のない士爲や荀息が正卿に準えられないのが残念。

91: 名無し 2007/04/07(土) 15:15:48
叔向って何で正卿にならなかったの?

93: 名無し 2007/04/07(土) 20:29:04
>>91
趙武らの後ろ盾はあったものの、叔向=羊舌氏の地力は趙、韓、魏、范、中行、知はもちろん祁氏より小さいはず。

叔向の下に祁午、張趯、籍談、女斉、梁丙、張骼、輔躒、苗賁皇の八大夫あり、とあるが六卿の下はどんな位があるのですかね。

94: 名無し 2007/04/10(火) 14:23:23
申生ら三公子が追放されたときに兵権が卿大夫に移ってしまったのではないかな
献公が桓荘族を滅ぼしてしまったから、親族に三公子のあとの受け皿がなかったわけだし

95: 名無し 2007/04/11(水) 23:18:50
晋の悼公即位時に任命されてる人たち。(春秋左氏伝より))

【太傳】士握濁
【司空】右行辛
【卿】魏相・士魴・魏頡・趙武
【公族大夫】荀家・荀会・欒黶・韓無忌
【公車御】弁糾
【公車右】荀賓
【中軍尉】祁奚
【中軍副尉】羊舌職
【中軍司馬】魏絳
【中軍候奄】張老
【上軍尉】鐸遏寇
【上軍司馬】籍偃
【公御者】程鄭

96: 名無し 2007/04/12(木) 03:33:23
予想ですが、名君悼公即位時の卿は韓厥・知罃・中行偃・范カイ・魏相・士魴・魏頡・趙武の順番で4軍でしょうか、魏頡は魏絳の兄で魏本家の当主という感じですかね、いきなり2卿の魏氏はまだ魏絳の活躍前なのに

97: 名無し 2007/04/12(木) 04:16:19
BC573の2月に悼公即位してその時点では、欒書・韓厥・知罃・中行偃・魏相・范カイ・士魴 ・魏頡という感じか、そして11月前後に韓厥が正卿になって12月に魏相没後に趙武が卿になる方が正しいかな。
魏絳は魏犨の末の子という話もありますか。

98: 名無し 2007/04/12(木) 22:39:47
悼公即位時点では中軍の将、欒書・佐、中行偃・上軍の将、韓厥・佐、范カイ・下軍の将、魏相・佐,知罃・新軍の将、士魴・佐、魏頡。が、つじつまあう感じ
かな、公族の官と公族大夫は別物みたいだが、四軍だから四人の公族大夫となる
かと考えるのだがどうだろう、太傳=晋公の教育係で実権はありそうだが、特に権力があり大夫の中で上位とかあるのだろうか? 

中軍候奄の張老=張孟に、中軍尉の祁奚、上軍司馬の籍偃、このあたりの大夫は存在感が大きいですね。

100: 名無し 2007/04/12(木) 22:58:29
>>98
太傳と司空は名誉的ポジションだと思う。
士握濁は范氏の本家だから上位に祀り上げられたのだろうし
右行辛はこの頃の晋公室では最長老じゃなかったかな。

99: 名無し 2007/04/12(木) 22:53:34
公族大夫に荀家・荀会・欒黶・韓無忌が並んでいる。
ということは欒黶・韓無忌(荀家・荀会の系譜は不明)の父にあたる欒書・韓厥が卿、あるいはそれに相当する地位なのはほぼ間違いないだろうね。

101: 名無し 2007/04/14(土) 16:40:17
魏絳は魏相・魏頡の後をうけて魏氏の当主になったものだと思うが、傍流にいた者が急に当主となる事に、一族内から不満がでるという話は公族ではよくあるが、大夫の一族間の勢力争いというのは、あまり聞かないな。趙朔 の時に趙同・趙活が、それぞれ当主としての根拠を持っていた事により不満を持っていたぐらいか。

102: 名無し 2007/04/14(土) 21:54:54
趙括は初めて公族大夫になったうえ、文公の外孫だもんな。
趙朔が成公の婿なだけに対抗心があったのだろうか。

時代が下って邯鄲午は本家の趙氏に反乱していたり、知氏と中行氏が揉めてたりするのは同族争い。 叔向が叔魚を見捨てたりするのも同様かな。

112: 名無し 2007/04/18(水) 21:22:28
春秋時代で一番好きな話が、士会が秦に亡命して晋を攻撃するようになった時、士会の重要性を郤缼が説き、趙盾が受け入れる事なんだよな。 

苗賁皇・伯州犂・伍子胥など亡命して活躍する人物は多いけれど、再び戻って活躍したのは、士会ぐらいかな、その場を与えた趙盾が評価されて欲しいな。

113: 名無し 2007/04/19(木) 08:22:50
趙盾の場合、突っ込みどころも多いもんね。
いくら暗君とはいえ主君殺しの汚名は消せない。
趙括を公族に見立てて公室の基盤を決定的に弱めている。
趙穿を処分せずにいたら悼公の代で卿になってしまっている。

そら反感も買うわなと。

114: 名無し 2007/04/19(木) 20:27:00
趙盾は器が大きい反面、鈍感な感じがする。
趙穿を処分しなかったのも、あえて汚名をきたのかと。
仮に士会があのまま秦に残れば伍子胥並に活躍してたかも。
趙盾ひいきの意見だけど。

115: 名無し 2007/04/20(金) 23:50:19
趙盾の悪い面は霊公・趙同・趙括を指導する事ができなかったことか。

116: 名無し 2007/04/22(日) 00:46:54
趙盾が弟たちを指導できないのは仕方ないと思う。

118: 名無し 2007/04/22(日) 22:03:57
趙盾自身の述懐で「自らは夷狄に生まれ育ち云々」てのがあって、文公の子ふたり(趙盾の従兄弟でもある)は狄に残っている。文公の義理の甥であったとしても、屏季括は文公の外孫。

趙家の中では意外と発言力がなかったのではないかと。

119: 名無し 2007/04/23(月) 01:10:14
賢夫人とされる君姫は、文公の亡命時のいつごろの娘だったのだろう。
趙盾よりは若いはずだが狄を出てからか、案外趙盾の従妹という事はないだろうが。

120: 名無し 2007/04/23(月) 15:25:11
蒲城にいたころは舅犯の娘が妻。これは夭折して子がない。
文公の滞在期間が長いのは狄と斉。狄では2公子を儲けるも晋に入国せず。
んで重耳の亡命に付いて他国に出た妻子は太子歓とその母・杜祁以外に記録がない。
鄭を通過するときに趙衰が60才。享年が76だったとして君姫が子を産める年齢を逆算。
こう考えると君姫は斉以降に生まれた可能性が高いね。

121: 名無し 2007/04/23(月) 15:38:56
紀元前655年 

重耳が80人の従者と共に狐氏の邑へ行く。 
654年 
趙衰と(隗氏の族長の娘)叔隗の間に趙盾が出生する。 
651年 
献公死去。里克・丕鄭乱を起す。 
650年 
恵公夷吾即位する。
 
645年 
恵公、秦軍に敗れ捕虜となる。子圉を人質として、恵公帰国する。 斉の管仲死去 
644年 
趙盾10歳の時、重耳は狐氏の邑を去る。 
637年 
懐公圉即位する。 
636年 
文公重耳帰国し即位する。 
635年 
文公の妻、季隗は二人の子を狄に残し晋へ行く。 
634年 
叔隗・趙盾のもとに文公・趙衰からの迎えの使者が来る。君姫は趙盾に才能ありと認め、文公に固く請うて、趙盾を嫡子として自分の生んだ三子の地位を下げ、叔隗を嫡妻として自分はその下位についた。

622年 
趙衰死去。趙盾が33歳で趙氏の総帥となる。

621年 
董の蒐により、趙盾が晋の正卿となる。

君姫が趙盾より年上でないと合わないかな、趙朔と趙同が同じ年だったかな。

122: 名無し 2007/04/23(月) 20:58:58
君姫≧趙盾でも君姫≦趙盾おかしくないではないね。
ただ>>120を読んで重耳が子供を連れて亡命していないなら君姫≦趙盾じゃないかね。

123: 名無し 2007/04/24(火) 19:25:40
70前後の爺さんに幼い娘を嫁がせる文公
キッチリ子を作ってよこす趙衰

124: 名無し 2007/04/25(水) 06:56:59
重耳が亡命した年に、晋に虞国が滅ぼされ、重耳の異母姉穆公夫人が秦に高齢で嫁ぐというケースもありますね。

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