【大侠客】朱家・田仲・劇孟・郭解
人材が枯れたからなのかな?
しかし、人材を養うのは金がかかる。
一流の人材であれば余計に待遇に気を使わなければならない。
そして、金が無くなれば人は去っていく。
人材が枯れたのではなく、失脚して収入が減ったんだろう。
チェンウェンの漫画「東周英雄伝」だとマジカッコヨス
楽毅を援助して大成させた手腕は、中華史上にも例を見ない。
まさに戦国魔神モーショークンだ。
四君と言ったらその二人が双璧だろうな。
でも正直、信陵君はともかく、孟嘗君はそんなすごい人物とは思えない。
まあ「史記」の場合、司馬遷が孟嘗君の領地だった所に行ったとき、とても風紀が悪く、「乱暴な連中は孟嘗君の食客の子孫」と教えられたのと。
漢の高祖が信陵君のファンだったのが大きいかも。
まあでも、平原君が好きなやつは少ないだろうな。
孟嘗君の領地だった山東省滕州市と棗荘市薛城区ってところにいったことがあるけど、当地の人間は誰も孟嘗君の領地だったってことを知らなかった。荒っぽいやつも多かった。
あと、棗荘市薛城区は抗日戦争時代の鉄道遊撃隊で有名だった。
多くの孟嘗君の逸話を削ってるところを見ると司馬遷は孟嘗君が嫌いだったとしか思えない
諫言は聞くし調整型の宰相としては有能だとはおもうが、如何せん華がない。
よくよく考えたらたった21人で秦軍に包囲された邯鄲抜け出して楚に行くって
ちょwwwwおまwwwww宰相wwwwwwwと芝生生やしたくなるな
元祖!光源氏計画かいな?
いや、呂不韋のはしりか・・・
自分の子を云々ってあたりが似すぎてるあたり、嘘の可能性もあるが
他の3人の所はどうなんだか。
春申君の所の荀子は食客と言って良いのか…
孟嘗君・・・鶏鳴、狗盗、馮驩
信陵君・・・候エイ、朱亥
平原君・・・公孫竜、雛衍、毛遂
春申君・・・李園、朱英
「平原君ってダセえなww」とか言われたんで
誰か平原君の格好よさについて語ってください><
「平原君は身体に障害のある客も大切にしました。
そんな人物をダセえの一言で片付けるあなたはそれ以下ですね。」
とでも言っておけばおk
平原君の振る舞いをみていくと、潔さを感じる。長く高位にありながら国内で揉め事らしい揉め事も起こしていない。性質はよほど良かったのではないかと思える
男気溢れる気持ちのいいオッサン
性格も素直でいい意味で「エエとこの子」みたいな育ちのよさみたいなのがある気がする。
真っ直ぐで純粋な性格だったんだろう。
だからこそ人の諫言も素直に受け入れられたんじゃないだろうか。
平原君は母親の身分がそこそこ高く、信陵君は妾の子丸出しな感じがある。
信陵君は癖の強そうなおっさんだ。
信陵君、実はすっげー短気なんじゃねえのかw
平原君以外は
信陵君は直情型。
まあ趙奢や李談に言わせれば、公子が国に尽くすのは当然で
信陵君の義侠とは比べられないって事か
函谷関で秦を撃破するというのが、むしろ信陵君最大の業績なんじゃないか
秦に対抗し、時には信義のために王にも背く信陵君が
最も好かれてるのは当然かもしれない。
実際の知名度はともかくとして。
古典の教科書に鶏鳴狗盗のエピソード載ってたし。
なんで春申君ってあの殺され方で墓残ってるんだろう?
国の中心人物だったから後の時代の人たちが作った可能性もあるのでは?
あくまでおれの想像だけど。
孟嘗君(+靖郭君)、平原君もかなりちゃんとした墓が残ってる。
信陵君のだけえらいことに…
と思ってたけど名前だけでなかなか出てこない・・・
B.C.247
B.C.245
秦のヒョウ公によるケイ陽攻め
魏の信陵君はすでに讒言によって安釐王から遠ざけられて、酒浸りになってる。秦王政の在位期には、孟嘗君と趙の平原君はすでに没していて、秦王政とやり合ったことがある戦国四君は楚の春申君のみ。
信陵君は実力も人気もあるから簒奪しようぜーって言い出したら軽く魏乗っ取れると思う
春申君は「実質越王」だし王さしおいて楚の第一人者だし
孟嘗君は自分で国作っちゃったから簒奪はしないと思われ
平原君は性格的にない
人士を好み食客を数千人集めていた
平原君にとっての人の付き合いは見栄を張りたいだけ
軽く客人を馬鹿にするだけで食客が半分に減っていく
妾を庇い客人を馬鹿にする事も
それが原因で食客が去っていった
しかも慌てて妾を殺して客人に謝る始末
平原君の脱税を指摘した名将の趙奢を殺そうとしたのはあまりにも有名
しかも逆に趙奢から説教されてしまう
食客や兵士や義弟に助けられることなんてザラ、国を救われる事も
義弟の信陵君に「姉を見捨てるのか」と情に訴えて援軍出させた
信陵君と親しかったというだけで領地を貰えそうになった
たった21人で秦の包囲かいくぐって楚まで援軍を求めに行ったのはあまりにも有名
のこのこと秦に行って趙へ帰れなくなった
妻の前で命の恩人の信陵君を馬鹿にする事も
しかも信陵君の耳に入ると慌てて冠を脱いで謝る始末
それが原因で食客が去っていった
平原君が楚へ送った使者が要らぬことをして恥をかいた
雄弁家の魯仲連を金で引き止めようとしたが笑って流された
ちょっと王に意見を述べただけで趙兵40万が死んだ
趙が滅亡する非常時にいつもと変わらず贅沢をするというファンサービス
どんな身分の人間の諌言にもよく耳を傾けて、自分が間違っていたと感じたら謝り行いを正し、秦の脅威から趙を守ってきた
この一事をとってみても戦国時代を生き抜いた傑物と見ても良いと思うのだが
その時代時代で法や道徳、美学などがあるから何とも言えないが現代人の英雄像からすれば
まず受けないキャラだよな
妾の件一つを取っても、庇うなら庇いきれって思うな
結局、首差し出してんじゃん
妾といっしょに土下座して客に謝りに行って許しを請うたのなら立派だと思うが
それを>自分が間違っていたと感じたら謝り行いを正しってw
保身のために媚びたって受け止める人のほうが多いと思うぜ
まあその時代を生き抜くための術ではあったんだろうが、
現代人に受け入れられるような人物ではない
戦国四君は皆、人に媚びるのが上手く、人身掌握に長けてるので現代社会においても
生き方の参考になる部分があるが、見習いたいって思えるのは孟嘗君くらいだろ
まあいつの時代も演義の趙雲みたいなエピソードを持つ英雄の方が万人受けするんだよ
一度誓った事を守らないことの過ちを知ったからこそ食客の言う通りに妾の首を差し出した
あなたの提案した行動では結局誓いは破られたままだよ
くらいの差があるな
彼の食客は利権に群がってただけで
平原君に侠気を感じたからじゃないようだ
仲間の潰された面子を全員でストライキして取り返しただけに思える
食客は利権に集る奴だって憑カンと孟嘗君の話にもあるぞ
孟嘗君の食客は利権に群がってはいないのか?
食客なんてものは大なり小なり利権をむさぼる輩だが
そいつらの程度に主人が合わせていいなんて理屈はないだろ。
食客を嘲笑うのは侠気に欠ける。愛人を殺すのは男気に欠ける。
殺すなら言われた時点で殺すべきだった。
被害が明らかになってから言うとおりにするなんて
みっともなすぎて面子も何もあったものではない。恥。恥。
いいとこと言えば毛遂と李同の件と、魏斉をかばったことくらいじゃないか?
晩年は成長したのかもなあ、と思うことはあるが
総じて彼は他の二人に比べてへタレのボンボンと言っていいだろう。
何が気に入らないのかサッパリわからないんだけど。
あなたの言う通りに食客たちが感じていたら、妾を切った後も食客たちは戻ってきただろうか、進言を容れて当初の誓いを守った平原君の行いに再び侠気を感じたからこそ食客たちは戻ってきたのだ
それをみっともないだの恥だのと断言するあなたは現代的な思考でのみ当時に生きた人の心を計っている
春秋戦国から中国人の面子の原理は現代と大差ない。
主人と食客の関係は上下関係ではなくギブアンドテイクの契約関係。当然、お互いの面子は立て合わなければならない。その暗黙の了解を平原君は破った。
そもそも躄者が殺しを頼んだ理由は、平原君の価値基準が美人<食客ということだから。その人物評価だけは受け取って空約束で誤魔化し、後で躄者を豎子扱いしてコケにするというのは、アホでウソツキでどーしようもない。自分の侠客としての程度を下げている。
同業者の食客が離れるのはKYな主人に対する当然の制裁。形式的には一件落着したが、いきさつを考えれば、利権にたかり直すため以外にないな。一般的な食客は人物でははるかに上の孟嘗君でも、あっさり見限るような人種。平原君にだけ侠気を感じたから戻って来た、とかそんなウェットな理由になる要素はほぼない。
物事を一事のみで判断しようとすれば、孟嘗君は大量殺人鬼、春申君は王室を乗っ取ろうとした悪臣になるでしょう
食客は利権に群がっているだけだとあなたは再三言う、なるほど孟嘗君の食客は彼が利権を失えば去っていき、利権を回復すれば戻ってきた
これは利権に群がっていると見ても良いかもしれない
しかし平原君の食客は彼が侠気を失えば去っていき、侠気を回復すれば戻ってきた
これは食客が平原君の侠気に感じいったと見ることはできないのか
利権に食客が従うのならば、どうして平原君のもとを去る必要があるのか
誤解のある言い方になったかもしれないが、食客は侠気のもとにのみ集まるわけではなく、また利権にのみ集まるわけではない
彼らも生きた人であったからには彼らの動きを見ることである
平原君が過ちの後に示した行動は食客という人の心を動かしたことは事実である
あなたの言う通りに平原君がボンボンのヘタレであったりアホであったならば、閼与の戦いでは趙は敗れ、邯鄲は包囲された後に陥落していただろう
あなたは低俗な言葉を用いて不当に平原君を辱めている
食客の能力あっての四君であり、同時に四君の後ろ盾あっての食客な訳だが
どうも平原君は「自分、偉い人ですからー。それに見る目ありますからー」ってな奢りで失敗するエピソードが多い
で信陵君の前で失敗した時はもう挽回の機会は巡ってこなかったとさ、チャンチャンって感じ
ここだけは同意かな。
利権があろうが最低限の侠気もないやつの下で働けるか、という感じでしらけたから去った方が人情として自然。そして一度失った信用はまず戻らない。そのことは信陵君との一件を見れば分かるんじゃないの。
侠気を感じて戻ったならなんで再び去るのか。それは表面を繕っただけで何も変わってない平原君に呆れてたからだ。
贔屓なしに考えれば愛人の首だけじゃ帳尻はあってない。平原君が躄者にウソついて豎子扱いした過失は結局償っていないからな彼が大侠に相応しい人間ならそれに対しても言うべきことがあるという認識があるはずだが、記録にないから言ってないだろうな。
なんで自分が謝らねばならないのか理解さえ出来てなかったことだろう。愛人の首が授業料にもなってない。だから同じ失敗を繰り返す。つまりアホということじゃないか。
大昔の故人に対する低俗な表現が不当だと思うなら、約束を反故にするようなウソツキで人をコケにして大恥を掻いた人を信陵君にさえ手厳しい侯嬴がなんと評すか考えればいいじゃん。
>孟嘗君は大量殺人鬼
孟嘗君がいつ大量殺人を行ったんだよw
戦のあった時代に生きた者は皆そうなっちゃうだろ
多分これのことだろう
孟嘗君過趙,趙平原君客之。
趙人聞孟嘗君賢,出觀之,皆笑曰:「始以薛公為魁然也,今視之,乃眇小丈夫耳。」
孟嘗君聞之,怒。客與撃者下,斫擊殺數百人,遂滅一縣以去。
何ぼ戦乱の世とはいえ容姿を馬鹿にされたってだけで一県根絶やしはやりすぎだ罠。
そのようなことを行っても孟嘗君の名声に傷がつくエピソードはいっさいなく、孟嘗君が魏で亡命した際に趙も含めた対斉連合の立役者になれたのは不自然に感じる
戦国策だと趙での虐殺エピソードは無く、代わりに孟嘗君が趙に寄った際に、恵文王に邑を贈られそうになって、それを断り、身支度をしてさっさと斉に帰ろうとするエピソードがある
史記だけだと孟嘗君はただ単に客をたくさん集めた人物的には少々小物な人間だという印象を受けるが、対して戦国策の孟嘗君は客だけでなく自身にも能力があり外交官、政治家としても優秀で人格も優れているという描かれ方をしている
史記と戦国策の孟嘗君の描き方の違いを見るに、宮城谷氏が言ってたように司馬遷は孟嘗君が嫌いだったというのはあながち間違いではないと思う
虐殺エピソードは無理があるよな
孟嘗君のそれまでの逸話から見てとれる人間性からしても理解し難い行動だし
先行史料でメジャーなものに書いてあるものは放置したかではないかな
何様のつもりだw
史記は楚漢時代に比べて戦国時代は年表が滅茶苦茶、間違った記述も多い
ついでに言うと宮城谷氏は史記について杜撰なとこもあるけど、それを補って余りある魅力のある書物だと言ってるよ
司馬遷の好みが入りまくりの本だってこと
実際歴史書としては客観入りまくりんぐじゃん
自分の書いた駄文には個人的好みは入ってないとでも?
何だその信者脳は。
前後の史記の記述と戦国策の記述などから、虐殺のエピソードには信憑性に疑問符がつくと言っている
終わりが良くないとどうしても評価が下がってしまうねえ