ソ連時代、
ある男が「スターリンは馬鹿者だ!」と叫んで捕まった。
彼は裁判で懲役25年を言い渡された。
その罪状は侮辱罪かと思えば、侮辱罪は5年分で
残りの20年分の罪状は国家機密漏洩罪だった。
「その男は、父が羊を盗んだのを(肉親の情より法を優先して)訴え出たのです。」
それに対して孔子いわく
「私の考えるまっすぐな人物とは、
子が盗めば父が隠し、父が盗めば子が隠すような者です。」
東洋史をやっている人には今更な話ですが。
そっちはほぼ無罪じゃありませんか。
あるいは国により罪とされたが一時のもの。
同じく孔子の「邦に道なければ行いを危くも言は孫う」は名言。
国から個人を見るのがどちらかといえば今の倫理。
共同体(最小単位は家族)から国を見たのが孔子の倫理。
共同体の論理が優先されると、国の論理が脅かされてしまう。
しかし、中国なりイタリアなりでは近代以降も共同体の論理が残っている。
毎日1人で部屋にこもり、蝿を捕まえては先の鋭く尖った鉄筆で突き刺し
他には何もせずに時間を潰していた。
そこである人が、
「カエサルは誰と一緒に部屋の中にいるのか。」と、尋ねると、
ウィビウス・クリスプスはこう言った。「蝿すらいないよ。」
どのあたりが悪いのかがいまひとつ
ルイ16世の時計作りはいい趣味だが
ハエ捕まえるような趣味は駄目だと
暗殺者のかすかな気配を感知して対応するための自主トレ・・・
怪我したと偽って包帯の下に剣を隠した使用人が、皇帝の股間をグサリ。
せっかくの鍛錬はムダだったということで、この話は悪い話。
の宴会に招かれたので、その時に履くための上等な靴を注文した。
ところが、約束の日に靴屋へ行って「靴はできたか?」と尋ねたところ、
「いや、まだです。明朝までには必ず仕上げます。」とのことだった。
するとビスマルクは、「よし、もし明朝になっても靴ができてなければ、
俺の犬を貴様に噛み付かせるからな。」と言って、帰っていった。
さて、翌早朝になると、彼は猛犬を連れて靴屋にやって来た。そして
靴屋に居座って談判し、とうとう眼の前で靴を作り上げさせた。
そりゃ納期を守らない靴屋が悪いんやん。
あ、だから悪い話か。
1985年にユーゴスラビア社会主義連邦共和国のコソボ社会主義自治州にて、
セルビア人の農家・ジョルジェ・マルティノヴィッチが
肛門へのガラス瓶の挿入による負傷の治療を受けたことに端を発し、
ユーゴスラビアの政界を巻き込んだ騒動に発展した事件である。
その後長年にわたって真相は明らかになっていないが、この事件はコソボに
住むアルバニア人とセルビア人の対立に大きな影響をおよぼした。
あまり香しい事件ではないな… (by 三船敏郎ふう in 映画1941)
こんなことで高揚する民族主義がとかやだなw
ウィキペディアの記事とか、面白がっているとしか思えないw
フランクフルトの連邦議会にプロイセン代表として赴いた時、
ある家に下宿した。その部屋には呼鈴がないので、
彼は備え付けるように家主に求めた。
しかし、家主は、
「呼鈴のことは約束してないので、
付けたいのならご自分のお金でご勝手にどうぞ。」
と言って、相手にしなかった。
それから2,3日経過したある時、
ビスマルクの部屋から一発の銃声が大きく轟いた。
主人ら家中の人々が驚いて部屋に駆け付けると、
硝煙の立ち込める室内でビスマルクは
卓上にピストルを置いて、悠然とシガーを吹かしていた。
驚きながら主人が「何事ですか?」と尋ねると、彼は冷然と
「別に驚くようなことじゃない。
ちょっとしもべを呼んだだけだ。これからも用事の時はこうする。」
と、答えた。
翌朝、その部屋には呼鈴が取り付けられた。
これは少なからず犠牲を出す事業でもあった。
鋳造過程での爆発による死亡、負傷事故、
あまりにも小さい鋳型作成のためストレスを溜めた職人の精神障害、
上官による虐待、等々・・・
個人的にはタイムマシーンで遭難した人が気になる、、、
ギュゲースの指輪
ギュゲスの指輪の話は、プラトンの著作『国家』(ポリテイア)に記されている。
ギュゲスという羊飼いは、あるとき地震によって開かれた洞窟に入り
青銅の馬をみつけた。
馬の体の空洞には金の指輪を付けた死体があった。
この指輪は玉受けを内側に回すと周囲から姿が見えなくなり、
外側に回すと見えるようになるという不思議な力をもっていた。
ギュゲスは王に家畜の様子を報告する使者の一人となって宮殿に入り、
王妃に近づいて姦通した。
それから二人で密謀して王を殺し、王位を簒奪した。
ギュゲスは豪富によってギリシャ人によく知られたクロイソス王の先祖である。
より現実的なストーリーとして描かれている。
舞台はリュディア王国で王はカンダレウス、
ギュゲスは三代前の王に粛清された宰相の子孫にあたる。
ギュゲスはカンダレウス王お気に入りの近習兵士で、
王からの信頼深くまた常にそれに応える若者だった。
ある日、自分の妃を溺愛していた王は、
その世に並ぶ者のない容姿を人に話すだけでは飽き足らなくなった。
そこで信頼するギュゲスに、自分と妃が閨に入ったら
隠れて妻の裸体を目にしたうえで出て行くよう命じた。
何度も固辞するが押し切られやむなく実行したギュゲスだが、
去る姿を見止めていた妃に後日呼び出しをくらう。
王の破廉恥な行いに憤怒した妃はギュゲスに対し、
この場で死ぬか王を討って自分と結ばれるかの二択を迫る。
進退窮まって汗ダラダラのギュゲスはやむなく王を誅し、
妃と王国を我がものとし新たな王統を作るにいたった。
・・・ちょっと悪い話というか、
色ボケ王とその臣下のちょっと間抜けなストーリーとして仕上がっている
ぶっちゃけ
「女は自分を強姦した男についていこうとするのか」
という偏見も俺の中にできた。
原作だと、おひとよしな夫が賊に騙されて弓矢を渡し、脅され、
目の前で妻を強姦された上に弓矢も馬も奪われる。
賊は去り際に、妻に向かって
「お前を愛しいと思うが、連れて行くわけにもいかない。
お前に免じて、本当なら殺すはずの夫の命は助けてやる。
お前が乗っていた馬は、逃げるために必要なので貰っていくぞ。」
と言っており、騙された間抜けな夫は終始賊の情けと妻の犠牲に救われ、
また賊は情けをかける余裕を見せている。
賊が去って行ってから縄をといた妻が
「甲斐性なし。こんな体たらくでは、今後もうだつが上がらないわね。」
と言い、当初の予定通り二人は夫の赴任先である丹波へ向かった。
以下評語。
「たいしたものだ、賊の男は。女の着物までは奪わなかった
(それに引き換え今時の賊と来たら情けがない)。
それに引き換え、騙された男の方はまったく頼りない。
山中で弓矢を相手の手に委ねたりするとは、愚か者よ。
この男、妻が言った通り、とうとう名を挙げぬままであったそうな。」
踏んだり蹴ったりですね。
中世に今の日本人並みの平和ボケをしていればしょうがないですが。
中学生時代に国語で読まされたから一種の刷り込みになってしまった。
なんであんなの教科書に載ってないのにわざわざプリントしてまで
国語で勉強させられたんだろうな。
世界史的な格言なのかもしれない、、、
「船荷が一杯でなければ客は乗せない」
積荷の確認を怠ったダビデさん、しょうがないので一計を案じる
物語はダビデが王宮の屋上を散歩している時、
水浴中のウリヤの妻バト・シェバに目を留めた事を伝えている。
ダビデはすぐに彼女を呼び寄せ、関係を持ち妊娠させた。
ダビデは自らの罪を隠そうとし、
ウリヤを妻バト・シェバと性交させ、
子供が自分のものだと考えることを期待して、
ウリヤを戦闘中の軍から呼び戻した。
ウリヤは戦闘中の兵士を律する古来よりの習わしに背く事を望まず、
自宅のベッドで寝るよりも王宮の兵士たちと共に滞在する事を選んだ。
ウリヤ自身がバト・シェバを妊娠させたと信じ込ませようとする試みが
不首尾に終わった後、
王は彼の将軍ヨアブ (Joab) にウリヤを激戦の最中に見捨て、
敵陣に置き去りにするよう命令を与えた。
皮肉にも、ダビデはウリヤに彼自身の死を命ずる書状を持って行かせたった。。。
ベレロポーンは、ギリシア神話に登場するコリントスの英雄である。
天馬ペーガソスに乗ってキマイラを退治したことで知られる。
ベレロス殺し
ヒッポノオスはあるとき誤って兄弟のベレロスを殺してしまったことから、
ベレロポーン(ベレロスを殺した者)と呼ばれるようになった。
ベレロポーンはティーリュンスの王プロイトスのもとに身を寄せ、
王によって罪の清めを受けた。
このとき、プロイトスの妃ステネボイア(アンテイアともいう)が
ベレロポンを誘惑したが、
ベレロポーンが相手にしなかったことから妃の恨みを買うことになった。
妃はベレロポーンに言い寄られ、犯されそうになったと王に告げ口した。
プロイトスはベレロポーンに手紙を持たせてリュキア王イオバテースのもとに送った
ちなみに、この逸話から「自分の窮地をもたらす状況を自分で作る事」を
「ベレロポーンの手紙」と言う事がある。
この有名な警句を制定したジョン・スミスさん
周辺のインディアンから食料を調達しまっくったという
しかも、その手法は人質と恐喝
とても働き者でした、、、
それ聖書の言葉
テサロニケの信徒への手紙二 3章10
>実際、あなたがたのもとにいたとき、わたしたちは、
「働きたくない者は、食べてはならない」と命じていました。
横からだけどありがとう。
「働かざる者~」の初出が何だったのかよくわからなくてね。
元が聖書の言葉なら欧州で広く受け入れられたのも納得できる。
実に旧約聖書らしい逸話は有名ですが。
いわゆる「鶏鳴狗盗」の一件の後、趙で歓待された孟嘗君一行。
評判になったので見物人が集まったが、人々は孟嘗君がチビだと嘲笑した。
怒った孟嘗君は車を下り、食客一同と数百人を殺し、
遂には一県を滅ぼして立ち去った。
無礼であれば殺しても許された時代の話ですが記録されるぐらいの話でもある。
サー・ジョン・フォルスタッフ(Sir John Falstaff)
彼は、ウィリアム・シェイクスピアの作品に登場する架空の人物
おでぶちゃんで知られる
シェイクスピアの生み出した数多くの劇中人物の中でも、
「劇を飛び出して生きた」息子は二人だけだと言われている
そのうちの一人がフォルスタッフでした。
当時から人気の高かった
フォルスタッフを勝手に登場させた戯曲などがまかり通っており、
シェイクスピアはそのような事態を防ぐために、
自らの「息子」を死んだことにして守らなければならなかったといわれている。
逆のパターンがシャーロック・ホームズ?
もう一人はシャイロックでした
これに関しては異論なしww
まぁ、ウィキペディアの引き写しなんですが
なんとかシャーロックと絡めたかったけどこれは断念
「敵国とはいえ、この美しい街並みは何が何でも守らなくてはならない」
ええ話やわ~
「原爆の正確な効果が知りたいから、絶対につまらん攻撃はするな。
投下まで何が何でも無傷で守れ」
本当に京都に落とされたらもっと早く日本は降伏していると思う
ショックが大きすぎる
日本列島が戦後70年間米軍の支配下に置かれてたというのは凄い事だな
米軍は、今は日本の一般市民でも
基本的にどこにどんな建物があるか全部把握できるんだもんな
解析用マトリックスが事前に引いてある実験場はそうはないぞ。
それでもおおよそはあったものの、建物疎開による破壊(道路拡張)もあり。
先祖代々住んでいた家を建物疎開で破壊されて泣いていたら終戦、
という泣くに泣けない話もあります。
山田風太郎は、
終戦前に京都がいずれ焼かれるのだろうと日記で惜しんでいます。
しかし、焼かれずに終戦を迎えたらそれはそれで忌々しく感じたという。
悪い話といえば、ウォーナー神話ですかね。
なお、京都も空襲を受けていた頃、大阪も当然空襲を受けていましたが、
そんな中リヤカーを曳いて炎上
中の高級住宅街に行き、「そんな場合か」と言って
避難中の家の主に代金を渡して屋内の掛軸を引き取る
とリヤカーに乗せて避難する書画商がいたそうです。
そして、焼け跡にリヤカーを曳いていくと
「これが欲しかった」という好事家が群がっていた由。
戦災でオオサカランチュウが絶滅してしまったのが惜しい。
トサキンも一時は絶滅したものと考えられていました。
「ローマは燃えているか」
マルクス・リキニウス・クラッススは共和政ローマ時代の政治家、軍人。
ポンペイウス及びカエサルと共に三頭政治を行ったことで有名です。
さて、この方とりたてて戦上手などの取り柄があった訳ではないのですが
他の二人に比べてとても優れた点がありました。
それは「金持ち」だったことです。
借金王カエサルに金を貸したことで歴史に残った彼ですが
彼の蓄財方法については、いろいろとありまして
その中の一つが「消防団」でした。
彼の私設消防団は火事が起きると直に現場に駆けつけ、
燃える建物の前で家主と交渉し、家の権利を売り渡すことを約束させ
その後やっと消火に取り掛かったったww
アウグストゥスが常設消防隊を創設するわけだ。
優れた篆刻家であり、呉昌碩や羅振玉らと交友があった河井荃廬。
彼は趙之謙を始めとした書画の蒐集家でもありました。
しかし、空襲を恐れて疎開を奨める人がいたにも拘らず、
皇居の近くだから大丈夫だと拒否。
1945年3月10日の「東京大空襲」で、自宅と書画もろとも炎に消えました。
本人と日記は焼け残ったものの、
「蒐集したものだけでも田舎へ」という奨めを拒否し、
やはり江戸の文献や浮世絵、肉筆書画を炎上させたのが永井荷風。
父から受け継いだ、王一亭の掛軸も含まれていた筈です。
私の気のせいなら良いのですが、彼の蒐集していたという書の中に、
現在確認出来ないものがあった様な。
下手すると江戸期の文献でも既に逸書。
五条通りまでの距離が10mほどの場所にある学校だったので
市内でも限られた事象でしょうが
多くの人命が失われている状況で、何を寝惚けたことを言ってるんだ。
これだからオタク気質の人間は困る。
軍事的な価値も無いし
東京大空襲みたいな大規模な焼夷弾の絨毯爆撃じゃないから
被害少なかったけど。
軽いジャブ、みたいなものですよね。
現に大した被害は出なかったわけですし。