この二人がいなかったら世界が全く違っていただろうからまず外せない
実際に軍隊を率いて戦った女性の方が凄いと思う
それこそ女傑
影響もはっきりしないからな
耶律阿保機の皇后。八部大人を抹殺して耶律部の独裁を確立したのも、渤海を落したのもすべて皇后の謀略による。
阿保機自身は渤海を落してすぐに崩御しており、大興山脈以西の版図はすべて、皇后が自ら戦陣で馬を駆って平定したもの。
事実上、遼の実質的な建国者である。
ホエルン
夫のイェスゲイ亡きあとボルジギン氏を率いる。
ジャムカを破って覇権を確立した十三翼の戦いもチンギスではなく指揮を執っていたのはホエルン。
睿智蕭皇后
南征軍を起こし澶淵の盟を結び、遼の北宋に対する優越性を確立する。
史書では三軍を統率していたのは睿智蕭皇后だと明記されているのにも関わらず、なぜか教科書では聖宗の功績にされている。
三娘子
アルタン・ハーンの王妃。騎射を得意としアルタン亡きあともトゥメトの首領を率いてオイラート部の覇権を維持し
明からは宣府、大同、甘粛に至るまで20年間、兵を用いる必要がなかったと称される。
女の軍事指導者というのは、どうも学者の女性像からは大きくかけ離れてるらしく
大抵その功績は夫か息子かもしくは最初からなかったこと扱いされることが多い。
紀元前2世紀以降、それまで女王が基本的に存在しなかったスーダンには「カンダケ」の称号を持つ
女王たちが相次いで出現したが、その初代に当たる人物。
自らを「ラーの息子」と称し、レリーフには武装して描かれているが、同じカンダケで後にローマと衝突するアマニレナスも武名で知られた。
『ナショナル・ジオグラフィックス』は世界史上の偉大な女王50人の1人に挙げている。
けっこうな偉人だと思うのですが、スーダンの歴史自体がエジプトのおまけのような扱いを受けている
多分シャナクダケトはベレニケ4世よりも下だと思う
マジメなお話ではエリザベスⅠ世かな。
スペイン艦隊を撃破した「アルマダ」は、世界的に有名だが。その後の世界史の「世界に冠(かん)たる大英帝国!」の基礎を作った人物だ。
↓
( 何か、フランス帰りの「メアリー・スチュワート」を暗殺したらしいけど。メアリーは "スペインの息がかかっていた人物" で。メアリーが「イングランドの女王」に、なってしまうと。このイングランドが=スペインの領土になっってしまう!・・・と、いう「政権争い」だったようだ )
↓
その後、イングランドは19世紀まで「世界中に植民地を持って。日が沈むことのない・・・現在までの "北アイルランド及びグレートブリテン連合王国" 」を作っていくことに、なる。 ( ←19世紀のビクトリア女王の時代。ちなみに、シャーロック・ホームズの時代=日本では "明治時代" )
:現在の「世界のアメリカ合衆国!」になったのは・・・20世紀の前半くらいから。それまでの時代は「世界の大英帝国」だった。だから、明治維新以後の日本でも=「イギリスのマネ」をしていた。 今現在は「アメリカのマネ」
それだとサッチャーもその範疇に入れてしまう
その中だと信憑性の高さと歴史への影響力から
ジャンヌダルクが圧勝だな
巴は色々ファンタジー過ぎる
マッサゲタイのトミュリス女王が
おそらく最高ランク
キュロスを破った女王ならスパレトラが妥当だろう
クレオパトラ7世
――――――――――今の世界が変わっていた壁
A 則天武后
述律皇后
トミュリス
――――――――――歴史を変えた女の壁
B ボーディッカ
ラクシュミー=バーイー
ホエルン
ゼノビア
公青
――――――――――女傑の壁
C エリザベス1世
エカチェリーナ2世
卑弥呼
睿智蕭皇后
神功皇后
――――――――――動かしていたのは半分の壁
D 巴御前
ベレニケ4世
メアリー・スチュワート
ナイチンゲール
婦好
サッチャー
北条政子
シャナクダケト
Cのとこにハトシェプストがはいる権利はあると思う
アグリッピナもDには
1代で弱小貴族の娘から皇后、さらには新王朝の初代皇帝になった。皇后(実権を握る)の時代、唐王朝の勢力は拡大し最盛期の直前まで行った。さらには実権を返した後も祀られている。後のジャンヌ何とかみんな小物
武則天とどっちが上か?
別に男の皇帝でも良かったと思うが
クレオパトラだって大して歴史が動いたわけではないだろう
二大巨頭の愛人になってドラマチックな題材を提供したとはいえるが歴史の展開にはあまり関係がない
クレオパトラがなくてもアントニウスは東方を拠点に戦ったろうし
そもそもクレオパトラは古代においても文献が残ってない人
本当に最強だったらもっと伝説や物語が残っていてもいいはずだがそうなってない
エジプトとローマがガチンコになってエジプト滅亡が無かったんちゃうか
そもそも姉のベレニケ鎮圧の時点ではローマは味方やったはずだし
エジプトがローマ帝国に吸収されるのは時間の問題だったからクレオパトラはエジプトの運命に対して影響していない