くわしく
モンゴルいなかったらアラブが今の欧米みたいになってたのか
マムルーク朝スルタンのバイバルス1世のところへアフマド・イブン・アル・イマーム・アル・ザーヒルというアッバース家の者が逃げてきて、カイロでカリフ・アル・ムスタンスィルとして即位させられた。
バイバルスはこの人をイラクをモンゴルから奪回するという名目で送り出したんだが、数百人の兵しか与えなかった。
ダマスカスから砂漠を渡った頃にはベドゥインやトルクメンの騎兵が加わって1千人以上にはなってたらしい。
で、ユーフラテス河流域の町をいくつか取ったけど、5千のモンゴル軍がやってきて敗北してその後アル・ムスタンスィルは行方不明。
>モンゴルいなかったらアラブが今の欧米みたいになってたのか
無理でしょ。当時のイスラム圏でもアラブ人は大した勢力じゃないし。
バグダードにアッバース朝カリフが存続してたらペルシャ帝国復興にむしろ邪魔じゃないのか。
徹底的に壊されてかなり停滞したみたいね
井戸じゃなくて山から農業用水を引く地下水路な。
というかモンゴル軍が来る前からムスリム同士の争いで結構荒廃してたらしいぞ。
セルジューク朝?ホラズム?ゴール朝?まったく新しい勢力?
あるいはイラン人がアッバース朝を乗っ取るとか
モンゴルの破壊と支配がなければそれが200年早まる
あまり詳しくないけど、モンゴル侵攻以前はサファヴィー朝みたいに王権神授説を唱える(←ココ正確じゃないかも)君主はいなくて、どこもカリフの名代として支配してたわけでしょ?
ファーティマ朝はまた別だったらしいが
あのままエジプトやシリアでアイユーブ朝の王族同士が抗争してる状態だと
十字軍すら追い出せない可能性があるかも
タタールのくびきみたいな黄色蔑視はいってるんだろか
外人のエッセイでササン朝時代のイラン全土から得られる税収とフレグの時代の税収を比べると90%以上減ってるとか恐ろしい話を読んだことがある。
モンゴル軍が中央アジアやイランで都市を破壊したって話は実際に当時の年代記とかにそう書かれているので良いんだけど、モンゴルだけを問題にするのも少々公平性に欠ける。
フレグがやってくる少し前にはセルジューク朝王家同士の内戦に加え、オグズ諸部族の侵入で、イラン東部中部は大混乱になっていた。さらにホラズムシャー朝によるセルジューク朝の打倒があり、しかもホラズムシャー朝は結局イラン中西部までの支配はほとんで出来ていない有り様だった。
イラン中西部の支配が不十分過ぎたせいもあって、インドからイランへ舞い戻ったスルタン・ジャラールッディーンも西部周辺のセルジューク朝系のアタベク政権やルームセルジューク朝との紛争にいたずらに費やし四面楚歌になった挙げ句、チョルマグン率いるモンゴル軍に攻められて野垂れ死んでしまった。
ジャラールッディーンは各地で掠奪や都市部への攻撃とかモンゴルと大して変わらないくらい盛んにやったせいでイラン西部では非常に顰蹙を買っていた。
実はフレグがやって来た時、ルーム・セルジューク朝やモースル、ファールスやケルマーン
地方なのではセルジューク朝系のアタベクたちなどによる地方政権が割拠していて、彼らは結局皇帝モンケとそのイランにおける代理人フレグに臣従する道を選んだ。特にファールス地方などはモンゴルの侵入をほとんど受けていない。
一方、イルハン朝はフレグ、アルグンの時代は中央アジアやジョチ家のとの紛争で毎年多大な出費を強いられ、アバカが没したあと国内の王族同士の内戦で財政状況は悪化の一方。臨時徴税の濫発で恒常的に台所具合は全国的に火の車状態だった。
七代目のガザンがかなり強力に綱紀の粛正をやったお蔭で、ともかく徴税が国庫に回ってくるようになり、九代目のアブー・サイードの時代まで徴税システムは機能していた。
イルハン朝の末期に書かれた地理書によると、当時イルハン朝領内20州の歳入総額は
年間3億ディーナールほどだったとかいう記事を見た覚えがある。
モンゴル帝国時代の文化的な影響は実はかなり大きいんだけど、それはまた今度に。
さらにその数十年後に通ったイブン・バットゥータによればすっかり荒廃しており、それはチンギス・ハーンにより破壊されたからとのこと。
…とするとバルフはチンギス・ハーンの前後にかなり破壊され、イルハン朝末期の内戦で完全破壊されたのだろうか?
また、うっかり歴史に名を残すと名を残さなかった連中の事跡もひっかぶることになるのだろうか。
支那はフビライの代なので破壊をまぬがれロシアはむしろモンゴルの影響で文明化w
モンゴルによって西方に伝播した様様な文物を改良した物によって支那世界は滅んじゃったけどねw
例えばどんなん?
当時のアラビア語では石油系の焼夷兵器も火薬を使ったものも両方「ナフト」と呼ぶので紛らわしいとか。
ガイハトゥがイランで初めて紙幣を導入したことについてフランク人が何か書き残したりしてないのかな?
他人事だということ
モンゴルが憎むまれ続けているのは、やはり降伏後に虐殺したり卑怯な戦術を常套としていたからなのかもしれんな。
ローマもイスラムも侵略者に他ならないはずだが、ビザンツは最後までギリシャ人ではなくローマ人であると称していたそうで、今現在も多くの人々がイスラムに帰依している。しかしながら、中国人とかロシア人がモンゴル帝国を賛美する事はほとんどないそうだね。
昨今モンゴルを再評価されている方々は、グローバリズム礼賛の流れで、モンゴル万歳、アメリカ万歳、投資家万歳みたいな感じだね。
「ローマ人」や「ムスリム」という枠組はのちに曖昧化して被征服民を取り込んでいったが中国やロシアでは遊牧民と定住民という枠組は、生活圏がそもそも違うためにずっと維持されることになり、最終的に定住民の側が勝利することによって遊牧民へのネガティブイメージが固定した。その差だろう。
唯一勝てる方法があるとしたらアフリカから身体能力の高い黒人兵を連れて来れば勝てた
お前らも興味無いか?
モンゴル人と黒人の白兵戦なんてシュール過ぎるだろ
エジプトのマムルーク朝はナイル奥地などから黒人奴隷を輸入していたが、軍事奴隷にはわざわざより遠いステップ地帯からテュルク系遊牧民を買い集めていた。
それだけの理由
ブラックアフリカでもマリ王国とかカネム=ボルヌ王国とか騎兵軍を使ってたが。
むしろ無いのは騎射の技術だろう。