1: 名無し 2011/03/06(日) 01:16:58.99 0
フランク王国の礎となった有名な3王朝について語るスレです。
4: 名無し 2011/03/06(日) 12:02:30.82 0
クローヴィスの父シルデリック(キルデリクス)はサリ族(フランク族の支族)の王だった。彼はゲルマニアに亡命していた間に、テューリンギアの王と王妃から厚くもてなされた。彼の復位後、前述の王妃バシナは夫のもとから脱出してシルデリックのもとに走り、そして生まれたのがクローヴィス。
5: 名無し 2011/03/06(日) 21:13:54.03 0
ローマカトリックに入信することがヨーロッパ人になったことの証。
8: 名無し 2011/03/07(月) 19:01:36.40 0
カペー朝はもうフランス王国だろ!
9: 名無し 2011/03/07(月) 20:44:49.58 0
>>8
国民単位までフランス王国が根付くには百年戦争まで待たないと
61: 名無し 2011/07/08(金) 10:40:43.07 0
>>9
この前、フランス人と話したんだが、
日本では、フランスの歴史として、フランク王国ぐらいから習うけど、フランスでは、ウェルキンゲトリクスぐらいから考えるそうだ
10: 名無し 2011/03/07(月) 22:47:33.65 0
クローヴィスは皇帝になる気はなかったの?
12: 名無し 2011/03/08(火) 09:54:22.61 0
>>10 クロヴィス時代には教皇はローマ皇帝を必要としていなかった
13: 名無し 2011/03/08(火) 11:52:26.59 0
トゥール・ポワティエでの勝利は世界史の転換点の一つといわれてるね
14: 名無し 2011/03/08(火) 11:55:56.79 0
でもトゥール・ポワティエでの戦いって
もともと引き返すイスラム軍を攻撃した戦いのような
やっぱり西欧勢力がはじめてイスラムに勝利できた戦い、って事で
その後の精神的支柱になった事が大きいんだろうか?
それともこの戦いの勝利で後のカロリング朝の礎が築かれた事が大きいんだろうか?
15: 名無し 2011/03/08(火) 13:43:12.25 0
ちょっと何言ってんだがわからない
16: 名無し 2011/03/08(火) 14:35:52.44 0
>>15 なんでトゥール・ポワティエが世界史の転換点と呼ばれているのか、って事
イスラム勢力がフランク王国の侵略・併合を目指して進撃して、それを迎撃して打ち負かしたなら、確かにイスラム勢力の攻勢を防ぎ後の西欧世界が構築される礎だったといえるけど、実際はカールが指摘してたように、イスラム軍の目的は略奪であって、フランク軍との戦闘が起こったのもイスラム軍が略奪を終えて帰途に入った時の事
これでどういう意味で世界史の転換点といわれているのかなあ、と
17: 名無し 2011/03/08(火) 15:02:29.06 0
昔は略奪目的も征服目的も両立してるんだよ
負けてたら征服された可能性もあったからな
とはいえ過剰評価されてるのも確かだ
10万のムスリムが全滅したナバス・デ・トロサの方が評価されていい
18: 名無し 2011/03/08(火) 15:48:49.89 0
昔から歴史の転換点は、その時には何がなんだかわからずに
10年か20年経ってあのときからといった話になるのだから
サラエボの弾丸の学生にしても、
日中戦争の時にトイレに入っていた兵隊さんにしてもだ
19: 名無し 2011/03/09(水) 03:14:33.76 0
ブルンヒルデが倒された後からカロリング朝の成立までほぼ200年(実際はその直後から宮宰として実権者)
日本の天皇と将軍と比べ興味がある
20: 名無し 2011/03/09(水) 17:23:17.62 0
>>19
日本にはローマ教皇に相当する存在がなかったから。
むしろイスラーム世界のカリフとスルタンの関係に近いかも。
21: 名無し 2011/03/09(水) 20:21:02.10 0
カリフよりは天皇のほうが教皇に近いんじゃないか。
カリフは自前の領土も軍隊も持ってるし、逆に宗教的権威としてはただの信者代表に過ぎんぞ
イスラームには教会組織が無いし
22: 名無し 2011/03/09(水) 21:58:29.94 0
ローマ教皇は一応、選挙で選ばれる。
天皇とカリフは世襲。
23: 名無し 2011/03/14(月) 16:56:26.24 0
フランクがいつの間にかフランスに変わってるでござる。
24: 名無し 2011/03/18(金) 08:16:07.49 0
ドイツ語なら今もふらんくらいひ
25: 名無し 2011/03/18(金) 18:18:08.63 0
フランク王国はフランケンライヒ。
ただenがついただけでなんら変わらないのに。
カペーの語源って合羽と同じなんだってね。もっと言うとカペー自体があだ名らしい。合羽を好んできていたからとある
27: 名無し 2011/03/19(土) 23:15:04.81 0
フランク王国はメロヴィング後期には内輪もめばっかやってるイメージだけど、よくイタリアのランゴバルドやスペインの西ゴートにつけ込まれなかったなあと思う。
当時は「辺境」扱いだったからか?
28: 名無し 2011/03/22(火) 04:03:07.81 0
たしか、西ゴートとは婚姻関係とかをうまくやってて仲良かったとどっかで読んだ気がする
29: 名無し 2011/04/03(日) 02:31:38.62 0
フランスではシャルルマーニュをフランス史の英雄と教えてるらしいが
ドイツも同じだから本家争い(?)が有るらしいw
31: 名無し 2011/04/04(月) 00:53:18.02 0
>>29
フランス人にとっては、シャルルマーニュって
「カエサルやナポレオンと並ぶ史上最大級の英雄」って感じだよね
30: 名無し 2011/04/03(日) 14:23:22.42 0
王族の言葉がフランク語(ゲルマン語)からフランス語に変わったのはいつ?
34: 名無し 2011/04/07(木) 01:39:46.42 0
>>30
イル・ド・フランスの領主だったカペー家の登極以降じゃないかな?
32: 名無し 2011/04/04(月) 22:44:59.28 0
ウード、ロベール一世という二人の西フランク王をだしたロベール家って
このカペー家の前身だったらしいね
33: 名無し 2011/04/05(火) 14:19:45.01 0
ウード、ロベール一世の父親もロベールっていうでしょ?ロベール家のその前ってわかってるの?
35: 名無し 2011/04/07(木) 22:52:12.73 0
ロベール・ル・フォールってライン地方から北フランスに移ってきたというから元々はゲルマン系の貴族だったんだろうね
恐らくカロリング家が分裂したとき西フランク系の王についていきガリア土着の貴族と結びつくことによりフランス人になったんじゃないかな?
37: 名無し 2011/04/08(金) 23:17:35.47 0
クローヴィスCLOVISとカロリング家・カペー家の王の名に多いルイLOVIS,Louisは、同じ名前だって聞いたことあるけどほんと?
フランス王にルイという名が多いのは、フランスがメロヴィンク家以来のフランク王国の正統な後継者だとアピールするため?
ルイ14世がシャルルマーニュの末裔だというのを誇っていたのは有名だが、名前はクローヴィスを引きずっていたのか?
クローヴィスは2世までだが、ルイは19世までいる(17・19世は王党派の僭称だけど)
38: 名無し 2011/04/08(金) 23:34:02.98 0
クローヴィスとルイは名前としては同じ
フランス王にルイが多いのは
偶々ルイの名前で無事成人し王位についた人が多かっただけ
改名して即位した王がいたならともかく正統な後継者アピールの意図はないでしょう
あと現在の王位請求者でルイ20世を名乗っている人もいる
42: 名無し 2011/04/12(火) 21:54:40.78 0
>>38
日本にだってルイ53世を名乗る人が
44: 名無し 2011/04/16(土) 10:22:11.20 0
>>42
「ルネッサーンス!」なら
せいぜいルイ11・5世ぐらいにしとけばよかったのにな
45: 名無し 2011/04/16(土) 11:29:55.47 0
>>44
そういう数字にしちゃうと
本当に末裔だと信じちゃう人がいるからではないか?
46: 名無し 2011/04/16(土) 17:29:02.68 0
>>45
ええっ! 本物じゃなかったの??
48: 名無し 2011/04/17(日) 09:45:41.03 0
>>42>>46
あれは「『貴族の』お漫才」(つまり「『王家の』お漫才」ではないから王家は無関係)だと自ら言っている
39: 名無し 2011/04/09(土) 18:37:53.43 0
クローヴィス=クロートヴィヒ=ルートヴィヒ=ルイ
全部同じ名前
41: 名無し 2011/04/11(月) 19:12:56.67 O
ローマ文化はメロヴィングカロリング期にどう受け継がれたのか
43: 名無し 2011/04/14(木) 20:52:49.60 0
神聖ローマ皇帝やフランス王はカール大帝(シャルルマーニュ)の後継者という
ことになっているからクローヴィスの後継という意識はまずないはずだよ
メロヴィング側からみればカロリング王権というのは王位簒奪者以外何者でもないからな
51: 名無し 2011/04/24(日) 00:19:30.59 0
メロヴィングはイエスとマグダラのマリアとの間に出来た子の子孫がつくった王朝だとも言われている。 「レンヌ・ル・シャトーの謎」参照
イエス血脈を守る王朝に対して王位簒奪者たち(カロリングの宮宰)はローマカトリックと結託してこの王朝を潰そうとしたのである。
85: 名無し 2011/10/17(月) 00:36:58.25 0
>>51
それ、「歴史シリーズ 古代をめぐる冒険」てアメリカの番組で嘘が実証されてたよ。
マグダラのマリアから女系で繋がるはずのメロヴィング朝の王女(Aregund)の遺歯を借り、ミトコンドリアDNAを解析したが、もろヨーロッパ系(≠マグダラのマリア)の遺伝子だった。ふつーに蛮族だわな。よくてローマン・ガリアとの混血ってとこだろ。
117: 名無し 2011/11/23(水) 08:01:52.25 0
メロヴィング朝は>>85の通り、セム系血統はいっさい入ってないけどね。
その手の伝説がでてきたのはもっと後の時代でしょう。
53: 名無し 2011/04/26(火) 00:09:44.05 0
早死に率と幼君率が半端ないのがメロヴィング朝だな
平均寿命が20~30代前半なんだぜ?
長生きの王もいるけど、すごい例外
54: 名無し 2011/04/26(火) 00:34:41.66 0
そう思うとブリュンヒルデは長生きだったな。
60歳くらいまで生きたんだっけ。
最期は悲惨だが。
55: 名無し 2011/04/26(火) 09:15:08.94 0
王が短命なのは、
年から年中動き回らなくてはならないからだと、
ミッタイスが書いていた
58: 名無し 2011/07/07(木) 11:43:08.45 0
カペー朝ってメロビング朝かカロリング朝と血統つながってないの?
59: 名無し 2011/07/07(木) 21:39:12.81 0
ルイ8世の母親がカロリング家の血を引いていたから、ルイ8世の子孫は血統的にはカロリング家と繋がっていることになる。
60: 名無し 2011/07/08(金) 10:35:50.44 0
アジアは傍系や側室の子を認めるから、長く続くけど、
ヨーロッパの家族は庶子には相続権を認めないし、
傍系が後を継いだら家門名が変わるから、
王朝が変ったように見えるけど、血統的には続いた場合が多いよね
ということで、カロリング家もメロビングの血を傍系・女系・庶系で続いている可能性はないの?
62: 名無し 2011/07/08(金) 12:08:32.49 0
>>60
メロヴィング朝テウデリク3世の曾孫ベルトレドがカロリング朝ピピン3世(小ピピン)の妻にしてシャルルマーニュの母親。
ということで、血統的はメロヴィングとカロリングも繋がっていることになる。
63: 名無し 2011/07/10(日) 22:58:32.11 0
だいたい、ヨーロッパの王様たちは先祖をたどると、ユーグ・カペーに繋がる家が多いと聞いたから、もっとたどると、メロヴィングまで遡れるのか・・・クロービスもサリ族の族長の家だしな
結局、支配者って、最初から変わっていなないんだな・・・としもじもの人間の僻みでした
64: 名無し 2011/07/11(月) 11:30:33.62 0
繋がってると言っても女系でって場合が少なくない。つまり有力者の娘を嫁に下からのし上がった何処の馬の骨か判らん者もいる筈だ。
65: 名無し 2011/07/11(月) 11:46:25.18 0
それは、男系の場合でも同じだろ?
特に、愛妾なんて、結構身分が低かったりする
日本や中国も同じ
大体、日本なんて側室制度があるから、天皇だって、女系をさかのぼったら、何世代かでどこの馬の骨かわからなくなる
だから、東アジアは近親婚の弊害が少なかったと言われているが
68: 名無し 2011/07/30(土) 12:58:18.60 O
メロヴィング朝がガリア人の血を引いている可能性もあるか。
73: 名無し 2011/08/30(火) 18:03:38.54 0
>>68
フランク族ってゲルマン人とは限らないぞ。
ケルトもスラブも居る混成部族で、フランク族は政治的に結成された部族だそうだ。
75: 名無し 2011/09/07(水) 22:04:06.93 O
>>73
クローヴィスもウェルキンゲトリクスの血を引いてたりしてもおかしくないと。