1: 名無し 2014/09/12(金) 18:02:31.02 ID:vMQQ7k5E0
フランクの王カールによる「ローマ帝国」
これが843年のヴェルダン条約でカールの孫達によってこのように分割された
2: 名無し 2014/09/12(金) 18:03:29.61
ざまあ
4: 名無し 2014/09/12(金) 18:13:22.42 ID:vMQQ7k5E0
>>2
ギリシャ人乙
3: 名無し 2014/09/12(金) 18:10:16.63 ID:vMQQ7k5E0
カールの息子であるルイ(ルートヴィヒ)敬虔帝が死ぬと彼の三人の息子たちの間ですぐに争いが起こった
長子のロタールは二人の弟を敵に回したがフォントノワの戦いで敗北しヴェルダン条約が結ばれることになった
帝権はロタールが確保し皇帝ロタール一世として二人の弟の上位に立つものの以降帝国の分裂は決定的になっていく
8: 名無し 2014/09/12(金) 18:45:38.04
結局ローマ帝国の継承国家ってどこなの?
9: 名無し 2014/09/12(金) 18:47:12.39 ID:vMQQ7k5E0
ローマ教皇はそう言い張ってたが実態は全然ローマ帝国的じゃないよ
しかしローマ教皇が東ローマ帝国から独立するためにはもう一つのローマ帝国がどうしても必要だったのさ
10: 名無し 2014/09/12(金) 18:51:12.82
西ローマ帝国とはなんぞや
11: 名無し 2014/09/12(金) 18:55:46.32 ID:vMQQ7k5E0
その昔長らく分裂状態を繰り返していたローマ帝国を再統一したテオドシウス大帝が、「やっぱこれ一人の人間が統治するの無理だわ」と悟って二人の息子の統治範囲を東西に二分したのが始まり
その時の分かれた片割れが西ローマ帝国
12: 名無し 2014/09/12(金) 19:00:41.61 ID:vMQQ7k5E0
あ、なんか読み違えてた
ローマの継承国家はやっぱりビザンツじゃね
13: 名無し 2014/09/12(金) 19:05:27.50 ID:vMQQ7k5E0
ロタール一世の王国は彼の死後さらにこのように三分割され皇帝権はますます弱体化していく
14: 名無し 2014/09/12(金) 19:09:51.03
シャルルマーニュの十二将ってどこまで実在なの?
ローランは確か実在してたんだよな
15: 名無し 2014/09/12(金) 19:12:06.04 ID:vMQQ7k5E0
全部創作じゃないの?
まあそもそも騎士がまだ誕生してないしローランの歌のような騎士たちがいなかったのは確実だな
16: 名無し 2014/09/12(金) 19:13:11.23 ID:vMQQ7k5E0
ローランだけはアーサー王的なレベルで実在なのかな
17: 名無し 2014/09/12(金) 19:16:24.88
禿頭王は悪口だろ
18: 名無し 2014/09/12(金) 19:17:36.59 ID:vMQQ7k5E0
でもこの中で一番やり手だったのがそいつなんだよなぁ
24: 名無し 2014/09/12(金) 19:40:13.59
禿って頭いいって意味だぞ
今の俺らの価値観じゃわからんだろうが
25: 名無し 2014/09/12(金) 19:41:20.44 ID:vMQQ7k5E0
髪の話はやめよう!
19: 名無し 2014/09/12(金) 19:30:15.72 ID:vMQQ7k5E0
つまりロタール二世、プロヴァンス王シャルル、さらにはルイ二世も正統な後継者を持たず死ぬとシャルル禿頭王はイタリア王国と皇帝位を得た
残りは東フランクのルートヴィヒ・ドイツ人王と分割した(メルセン条約)
そしてルートヴィヒ・ドイツ人王が没するとシャルルは東フランクにも攻め込んだ
これがシャルルが勝ってたらカール大帝の帝国が再統一されるはずだったのだがルートヴィヒ幼童王を擁する東フランク軍に撃退されてしまった
22: 名無し 2014/09/12(金) 19:33:34.60 ID:vMQQ7k5E0
>>19のメルセン条約で決まったラインが今のドイツとフランスの国境線になってる
23: 名無し 2014/09/12(金) 19:34:34.19 ID:vMQQ7k5E0
あ、もちろん大雑把にいっての話ね
ドイツとフランスはフランク王国から分かれた国なのだ
20: 名無し 2014/09/12(金) 19:30:34.03
フランスの語源ってフランク王国なん?
21: 名無し 2014/09/12(金) 19:31:50.49 ID:vMQQ7k5E0
>>20
そうだよ
ゲルマン系のフランク族から来てる
26: 名無し 2014/09/12(金) 19:41:48.60
ヨーロッパって英雄がでてきてもそれに続くやつがいないよなあ。
日本なら秀吉のあとに家康、中国なら始皇帝のあとに劉邦がでてきてるのに。
28: 名無し 2014/09/12(金) 19:45:09.57 ID:vMQQ7k5E0
>>26
ポンペイウス-カエサル-アウグストゥスで我慢しよう
35: 名無し 2014/09/12(金) 19:51:51.09
>>28
そのふたりがいたな。
でもローマってヨーロッパか?
ヨーロッパってスレタイでできたんだろ?
37: 名無し 2014/09/12(金) 19:54:36.88 ID:vMQQ7k5E0
>>35
確かに「西洋」とか聞いて思い浮かべるヨーロッパの概念からはちょっと遠いかもなぁ
中世ヨーロッパの英雄というのはカール大帝以外に探そうとするとなかなか難しいね
38: 名無し 2014/09/12(金) 19:55:57.17
>>37
古代ギリシアやローマは地中海世界であって、今日のヨーロッパとは違うんじゃなかった?
39: 名無し 2014/09/12(金) 19:58:07.02 ID:vMQQ7k5E0
>>38 そもそもヨーロッパとは何かという話になるとその視点は確かに大事だね
単なる地理的範囲としてのヨーロッパではなく文明圏としてね
今の地中海世界もヨーロッパを形作った源流の一つには違いないけどそれだけじゃないからな
27: 名無し 2014/09/12(金) 19:41:52.71
ローマの継承国家はビザンチンじゃね?
ユスティニアヌス大帝が何で性急に領地広げたのか知らんが
28: 名無し 2014/09/12(金) 19:45:09.57 ID:vMQQ7k5E0
>>27
まあ普通に考えればそうなるね
ユスティニアヌスはやっぱりかつての帝国領土を復活させようとしたんじゃないの?
29: 名無し 2014/09/12(金) 19:45:12.52
ローマ帝国の科学の継承者はイスラム
ローマ帝国の文化は?
30: 名無し 2014/09/12(金) 19:46:09.13 ID:vMQQ7k5E0
>>29
ラテン・カトリック教会じゃね
ビザンツはギリシャ語だし
31: 名無し 2014/09/12(金) 19:46:12.53
>>29
文化はビザンチンなんじゃないの?
32: 名無し 2014/09/12(金) 19:47:05.67
ローマ帝国ってそんなに領土広くないじゃん
中国とかペルシャのほうがすごかったんじゃないの?
34: 名無し 2014/09/12(金) 19:49:06.22 ID:vMQQ7k5E0
>>32
何を持って「すごい」と考えるかにもよるが人口からくる国力ならアジアの国の方が多いよ
36: 名無し 2014/09/12(金) 19:52:56.60 ID:vMQQ7k5E0
西ヨーロッパで古代文化の復興が行われたのがカール大帝治世下でのカロリング・ルネサンス
40: 名無し 2014/09/12(金) 20:01:00.41 ID:vMQQ7k5E0
よくいわれるのがヨーロッパはヘレニズム(ギリシャ・ローマ)、ヘブライズム(キリスト教)、ゲルマニズム(ゲルマン民族)の三つの文化で成り立ってるってやつ
そういう見方をすると古代には「ヨーロッパ」はまだなくてその概念は中世にできたってことになる
41: 名無し 2014/09/12(金) 20:06:06.96 ID:vMQQ7k5E0
そしてもっと考えると古代末期に「衰退」して中世に「停滞」した文明っていうのは主に地中海世界のことなんだよ
ガリアやブリタニアといったアルプスの北の属州はローマに取っては「おまけ」みたいな要素が強くて文明や経済の中心はずっとイタリアや東方にあった
43: 名無し 2014/09/12(金) 20:07:53.22
>>41
そもそも中世ってヨーロッパより中東の方が栄えてたような気がするんだけど
45: 名無し 2014/09/12(金) 20:10:35.79 ID:vMQQ7k5E0
>>43 だからそれは古代からずっと続いてる流れなんだってば
ローマ帝国でも東方が経済的に重要な地域で文明も進んでたから東ローマ帝国は1000年生き残り西ローマは速攻滅んだ
既にテオドシウス大帝が東西にローマを分割した時から東>西状態だった
44: 名無し 2014/09/12(金) 20:09:45.36
正直世界史全体を見るとヨーロッパはルネサンスまで見るべき点はないと思う
46: 名無し 2014/09/12(金) 20:12:36.17 ID:vMQQ7k5E0
>>44
中世にはヨーロッパ世界が形成されたという意味で見る価値があるんじゃね
47: 名無し 2014/09/12(金) 20:14:30.46
中世って衰退、暗黒木って言われるけど、農耕技術が発達して人口が増加しているはず。
48: 名無し 2014/09/12(金) 20:14:54.59
>>47
ペストで死にまくったんじゃなかった?
49: 名無し 2014/09/12(金) 20:17:14.19 ID:vMQQ7k5E0
>>48
それは近世を迎える前の中世後期
それまでの数百年間人口はずっと増えていた
50: 名無し 2014/09/12(金) 20:20:56.94
ペストの流行や十字軍などの戦争の多発で人口激減。
あらためて人間の価値の重要さに気づいて、人間賛歌のルネサンスへ移行する。
51: 名無し 2014/09/12(金) 20:23:37.08 ID:vMQQ7k5E0
十字軍より百年戦争とかかな
十字軍はヨーロッパの人口が増えてきた結果だし欧州が戦場になったわけではないので影響は少ない
52: 名無し 2014/09/12(金) 20:29:19.69 ID:vMQQ7k5E0
ローマ崩壊以降の「蛮族」ゲルマン人の侵入やこのスレで書いてるような本来ヨーロッパを統率すべき皇帝権の政治的分裂、ヴァイキングやマジャールなどの異教徒の侵入などを克服して西ヨーロッパがキリスト教を軸に再編成されたのが中世中期だった
十字軍というのは安定期に入って膨張しようとする西ヨーロッパのエネルギーが宗教的情熱と結び着いたものだったと言える
やがてその中世社会も行き詰まりを迎えてペストやらなんやらや教会への不満などが出るのが中世後期という時代
54: 名無し 2014/09/12(金) 20:33:28.55
オドアケルって李自成みたいなもんか?
59: 名無し 2014/09/12(金) 20:38:22.01 ID:vMQQ7k5E0
>>54
オドアケルはりじせいよりスケール小さい気がする…
既になんの実力もなかった西ローマ皇帝を廃位したあと自分がローマを乗っ取ろうとか思ってたわけじゃなくて諸権利を東ローマ皇帝へ返上したりしてるからね
東ローマ皇帝のお墨付きを得て自分がイタリア周辺を実効支配してやろうくらいに思ってたんじゃないかな
56: 名無し 2014/09/12(金) 20:36:14.58
カール大帝ってロシアで負けてなかった?
64: 名無し 2014/09/12(金) 20:52:56.92
>>56
ナポレオンとヒトラーの失敗がカール大帝にまでおよぶ風評被害。
57: 名無し 2014/09/12(金) 20:36:32.71
カール大帝とカール・マルテルの被りっぷりは異常。
紛らわしいんじゃ。
60: 名無し 2014/09/12(金) 20:41:37.85 ID:vMQQ7k5E0
>>57
たし蟹
61: 名無し 2014/09/12(金) 20:44:55.13
今話題のスットコランドの誕生から英国に呑まれるまでの経緯を説明してください
65: 名無し 2014/09/12(金) 21:01:14.41 ID:vMQQ7k5E0
>>61
グレートブリテン島全域には元々ケルト系民族が住んでいた
↓
ローマ人はイングランドを征服したがスコットランドはド田舎すぎて手出ししなかった
↓
ローマ帝国あぼーんしてイングランドにアングロサクソンが侵入して混乱する傍らケルト系スコット人がスコットランド王国を建国する
↓
しかしアングロサクソンが立てたイングランド王国に中世の間ずっと手ひどくいじめられ続ける
↓
エリザベス一世が未婚のまま死んだらなぜかスコットランド王ジェームズ6世がイングランド王国の継承者になってたでござる
↓
スコットランド王ジェームズ6世兼イングランド王ジェームズ一世爆誕。
↓
だが彼はイングランドに行ってしまって政府はロンドンに置かれ王家は二度とスコットランドに帰ってこなかった…
70: 名無し 2014/09/12(金) 21:17:40.62
>>65
クロムウェルさん無双はあんまし関係ないの?
75: 名無し 2014/09/12(金) 21:28:29.03 ID:vMQQ7k5E0
>>70
ごめん、近世のことあんまり知らない…
71: 名無し 2014/09/12(金) 21:17:43.11 ID:vMQQ7k5E0
スコットランドがイングランドにどれだけひどい目にあったかというと
・スコットランド王がイングランド王ヘンリー二世に臣従の誓いをさせれた
・王の直系がいなくなったら後継者問題にイングランド王エドワード一世に口出しされた
・スコットランド王がその上で戴冠式を挙げる「スクーンの石」を攻め込んできたエドワード一世に強奪された
・エドワード一世は「スクーンの石」をイングランド王の玉座の下にはめ込む
・スコットランドの王位継承者である王子がイングランドに拉致られイングランド式教育を叩き込まれた
などなど枚挙に暇がない
63: 名無し 2014/09/12(金) 20:51:16.65
もういいじゃん昔のことなんだし
65: 名無し 2014/09/12(金) 21:01:14.41 ID:vMQQ7k5E0
>>63
そんなこと言うなよ(´・ω・`)
68: 名無し 2014/09/12(金) 21:04:39.94
>>63
過去があるから今があるんだぜ
69: 名無し 2014/09/12(金) 21:05:10.98 ID:vMQQ7k5E0
>>68
いい事言った
76: 名無し 2014/09/12(金) 21:29:39.33
あんまり詳しくないけど百年戦争が好き
百年戦争周辺の面白い話して
77: 名無し 2014/09/12(金) 21:33:51.68 ID:vMQQ7k5E0
>>76 クレシーの戦いで死んだヨハン盲目王って人カッコいい
リンク
「ヨハン盲目王」
ルクセンブルク家のボヘミア王(1310年 - 46年)およびルクセンブルク伯(1313年 - 46年)。父はローマ皇帝ハインリヒ7世、母はブラバント公ジャン1世の娘マルガレータ。息子に皇帝カール4世がいる。父と息子は皇帝に即位したものの、自身は帝位を得ることはなかった。後に病によって失明したため、ヨハン盲目王(Johann der Blinde)と呼ばれる。
79: 名無し 2014/09/12(金) 21:44:14.18
>>77
俺は百年戦争でも小説とかで読んだ部分部分しかよく知らないけど
知らない人物でも辿ってくとよく知ってる人物にたどり着くのが面白い
80: 名無し 2014/09/12(金) 21:48:15.73 ID:vMQQ7k5E0
>>79
Wikipediaそういう風に使ったりするのも楽しいね
この時代のこの人にこんな繋がりがーとかはワクワクする
78: 名無し 2014/09/12(金) 21:42:20.18 ID:vMQQ7k5E0
アジャンクールの戦いでフランスの指揮官だったブシコー元帥って人いるじゃん?
ニコポリス十字軍とかにも参加してるけど
あの人完全武装の鎧を付けたまま腕の力だけで梯子を裏側から登るって特技あったんだって
なんかすごい
81: 名無し 2014/09/12(金) 21:58:26.88 ID:buxFmGcIi
メロヴィング朝ってなんで滅んでカロリング朝になったの
83: 名無し 2014/09/12(金) 22:07:10.67 ID:vMQQ7k5E0
>>81
クロヴィスの子の代にはすでに分割相続で分王国が乱立したりと同族争いを繰り返していたからかな?
クロタール二世が再統一したけど既に分王国時代に各地の宰相が力を持つようになってきていた
カロリング朝は元々その中のアウストラシア王国の宮宰だった
82: 名無し 2014/09/12(金) 22:04:50.80 ID:bPKOiZ+b0
ローマがキリスト教を国教にしなかったら今もキリスト教は広まらなかった?
83: 名無し 2014/09/12(金) 22:07:10.67 ID:vMQQ7k5E0
>>82
どうだろうなぁ
少なくともヨーロッパには広まらなかったとは思う
東方ではどうなってたかわかんないけど
86: 名無し 2014/09/12(金) 22:12:58.81 ID:bPKOiZ+b0
>>83
キリスト教によって科学の発展が抑制された感があるからもしもローマがキリスト教を国教にしなかったらって考えるの好きなんだ
87: 名無し 2014/09/12(金) 22:17:45.26 ID:vMQQ7k5E0
>>86
科学の発展かあ
でも地中海世界の衰退はキリスト教を抜きでも避けられなかったのではないかなという気がしなくもないんだよね
元々古代科学とかあったのは地中海世界でしょ?
84: 名無し 2014/09/12(金) 22:07:31.86 ID:d0FdzWm00
世界史は聞いてておもしろくて好きだったけどテストでは全然駄目だったな
このスレもおもしろい
87: 名無し 2014/09/12(金) 22:17:45.26 ID:vMQQ7k5E0
>>84
俺も近代勉強してないからさっぱりだぜ!
85: 名無し 2014/09/12(金) 22:10:07.11 ID:MRStJ0MaI
底辺層のキリスト教の普及は
もはやローマ政府にとって抑えられないものであった
86: 名無し 2014/09/12(金) 22:12:58.81 ID:bPKOiZ+b0
>>85
まぁ結局そうなんだよね
87: 名無し 2014/09/12(金) 22:17:45.26 ID:vMQQ7k5E0
div>
>>85
都市部では確実にそうだったろうな
ただ西ヨーロッパではどうだったろう…
88: 名無し 2014/09/12(金) 22:27:20.95 ID:vMQQ7k5E0
ヨーロッパで一番ローマ化が遅れていたブリタニア属州のことを考えると
ブリテン人のキリスト教徒はウェールズとかに追いやられてイングランドはその頃長らく異教徒のサクソン人の王国が乱立するようになってしまった
大陸との条件の違いは侵入したゲルマン人が異端のアリウス派キリスト教徒ですらなくて純粋な多神教徒だったこと
そしてブリタニアでは軍団が引き上げてしまえばローマによる征服以前のケルト的社会が復活してくるくらいの影響力しかなかった
言わばサクソン対ローマ文明の生き残りではなくサクソン対ケルトになっちゃったのかブリタニアなんだよね
そしてサクソン人はキリスト教なんか考慮に入れずとも被征服民族を統治することが可能だったからイングランドは異教時代に戻っちゃったわけだ
89: 名無し 2014/09/12(金) 22:29:27.69 ID:vMQQ7k5E0
ガリアなんかの大陸では異教徒やアリウス派のゲルマン人は
被征服民族であるラテン教会のローマ人を統治するために自らの宗教を合わせなければいけなかった
なにせ都市の統治技術とかは被征服民であるローマ人、そして教会が握ってたからな