ケプラーの法則を知っていた
60進法を考案した
宦官がいた
「黒い油のパン」
「白い油のパン」といった様々な種類のパンを食料にしていた
大学みたいなものがあって論文とかも書いていた
などなど
高度な文明を築いていたシュメールについて
彼らが一気に忽然と消えた訳でも、
全くセム系民族と言葉が通じなかった訳でもなさげ
とにかくシュメールであまりにも完成している
から後の歴史は蛮族侵入で現代まで同じ事を
延々と繰り返してるだけに見える
併用期の頃にはもうシュメール人はいなくなっていたらしい
つまりアッカド人がシュメール語とアッカド語を使い分けていた
アッカド語はシュメール語をお手本として文法が変わったくらい
セム語は基本語順がVSOなのに
アッカド語はシュメール語のようなSOVに変化した
その伝統は後裔のバビロニア語、アッシリア語に続いた
発明で着ていたらアムル人に負けなかったのに
業務効率化のために紙と火薬の知識を与えると思うけどな
教育と人材育成が大事だと
気づいて
そこに力を入れたのがいるんだろうな
頭脳ある人間をそろえることができたのは確かだろう
あればDNAを調べられるのに
忽然と現われるしかありません。
シュメール人以降の民族はシュメールに近づいた時点でシュメール人が「蛮族のxxが来た」とか記録してくれるので、前フリありの状態で歴史に出てこられる。そゆこと。
だからシュメール人は、地球上に忽然と現われたわけじゃなくて、それ以前から存在してたけど「俺らシュメール人やねん」とアイデンティティを確立して、自分たちで記録を残し始めた時点で我々から見えるようになったっちゅーだけのことなんですわ。
これも何でかめっちゃ誤解されてる話。
シュメールの文明はめちゃくちゃ優れた状態で最初から出現した謎の文明だ、みたいな感じで言われてるんだけど、前段あります。シュメールの前にウバイド文化があって、彩文土器とか文字の元になる概念とか都市文化のはしりとかを作ってる。数千年の準備期間がある。
メソポタミアでの最古の印章の出土は紀元前7000年くらい。
のちにシュメール人の活躍する地域でウバイド文化が始まるのが紀元前5000年くらいだが、それ以前からちょくちょく人が来ては適当に住んでいたらしい。
民族というのは歴史に登場してそう名乗った時に始まるもので、それ以前は部族とか家族の単位で小規模な人間集団が存在していたということだ。
「ウバイド期」のつぎに始まるのが紀元前4000年頃から「ウルク期」で、ここからいわゆるシュメール人の文化になる。
http://55096962.at.webry.info/201604/article_16.html
いきなり登場したことは事実だろう
甲骨文字でも似たようなことがあるが、
その前の半坡文字というのは断片的な「符号」でしかない
どこからか来て元の文明の痕跡が発見されていないだけだよ
シュメールってサマーと綴りが似ているから夏王朝だったりしてね
意味不明な上に突飛すぎ
文字体系の発達に大きなミッシングリンクがあることは事実であり、
ありもしない過渡的文明を想定するより、謎を謎と言ったほうがまだ科学的だ
そうまでしてシュメールを過小評価する意図も恣意的にすぎる
夏を英語でsummerと言い
シュメールはアッカド語の音でsumer
偶然のように思えるけど
人間の言語は実は同一だという説もあり
何らかの関連性を感じさせる
英語のsummerとアッカド語のsumerの語源は同じだったのかもしれない
シュメール語、アッカド語の語彙集をいくつもネットで調べたが
「夏」summerに当たるシュメール語やアッカド語の単語は出てこなかった
シュメール語は孤立言語であり
アッカド語はセム語族でアラビア語やヘブライ語の仲間
「夏」は
アラビア語ならsayfサイフ
ヘブライ語ならkayitzカイツ
シュメールもsummerもこれらのどちらにも似ていない
英語やドイツ語が含まれるゲルマン語の領域とは何万キロも離れている
英語が世の中に現れるのは古英語でも6世紀頃で今から1500年前
シュメール人がシュメール語を使っていたのは4600年前から4000年前
現在全く互いに意思疎通できない言語が5000~7000ぐらいあると言われるが
これでも過去の数百年に半数以上が死滅した結果であり
その前は万単位で言語が存在したと見られる
英語もシュメール語もそれらの一つに過ぎない
英語を含むゲルマン語が何千年も前のシュメールの名の由来に関係していた可能性も限りなくゼロに近い
だから文字とかいきなり現れたように見える
おそらく元はトルコのギョベクリテペに住んでいた民族なんだろう
話が逆立ちしている
シュメール人が現れた頃は、西アジアにも他の地域と同様に系統の異なる言語を話す多数の民族が存在していた可能性がある
広大な西ユーラシアに印欧語とセム語とチュルク語以外があらかたいなくなったのはここ3000年のことで、むしろ異常(ウラル語族とバスク語とコーカサス諸語はかろうじて残存)
シュメール語もエラム語も、ミノア文明のクレタ語も、アナトリアのハッティ語も、最初に文字を持った言語として現れ、やがてセム人や印欧語民族に文字と宗教と文明を乗っ取られたが、みんな「系統不明」だ
古代エジプト語~コプト語もハム語派ということになっていたが、現在の説では否定されていて、セム語とはもちろんクシ語やベルベル語などとも同系ではなく、類型論的な少々の類似があるに過ぎない
文字体系が「いきなり現れる」現象は近年でもカメルーンのバムン文字の例がある
いったんセンテンスを余さず書こうと志すと、少数の天才が一気に作るという形態のほうが完成しやすいのだ
チェロキー文字でも、セコイヤは村外れの小屋にこもって一人で完成させた
甲骨文字の成立の際にも、伝説の蒼頡のような人物は案外いたのではないかと思う
日本人=シュメール人=ユダヤ人という無茶苦茶ぶりだったかと
日ユ同祖論は北イスラエルの人間までがヤハウェを崇拝していた、とするミスリードを誘っているのが良くない。
秦氏と蘇我氏が日本に持ち込んだのはそれぞれ東方ミトラ教と弥勒教で、ヤハウェ信仰じゃないと思うよ。
日ユ同祖論を広める人はヤハウェ信仰に擬態したバアル・ミトラ教を広めることが目的。
だから彼らは神様の名前をいつもぼかして語る。
バアルとミトラは関係ないだろ
北の王国がみんな異教徒だったというのなら、北の移民の子孫のサマリア人はなんでモーセ五書を暗記しているのさ
彼らはバビロン捕囚に行っていないから、バビロンでタルムードとラビ制度を作った南のユダヤ教徒と違う進行の形を持っているってだけ
むしろ文字など、より古いヘブライの伝統を保っている
アッカド語とも聞いたけど
アッシリアと名のつく国や民族はいろんな時代に現れるが、前千年紀中頃まではアッカド語(セム語族)北部方言を使っていた。
アッカド語南部方言を使う新バビロニアに取り込まれてほどなくして、新バビロニア自体がアラム語(セム語族)を実用の道具として重宝し、アッカド語を碑文だけの死語に追いやった。
アケメネス朝ペルシアは多言語の国で、碑文には楔形文字アッカド語(バビロニア語)を使い、実務には少ない表音文字だけのアラム語を羊皮紙やパピルスに書き、学者は楔形文字のエラム語(系統不明)の粘土板の書物を扱った。
支配層の母語であるペルシャ語(印欧語族イラン語派西イラン語)は読み書きされることがなく、後になって作られた楔形音節文字で碑文に書かれたが、この文字はほとんど使われず、ペルシャ人はアラム語で読み書きした。
国教のゾロアスター教の経典アヴェスターは東イラン語派の古い言語の口伝で、ササン朝まで文字化されなかった。
それぞれの筆記用具に合うように発達して洗練された文字と文体だったので、遠縁のセム語同士で使い分けるのが当たり前だったのだ。
楔形文字文明の諸王国にとっては、たった二十数文字で書けるアラム語は、簡単すぎて国家ステータスを誇示する「国語」には使いたくない言語だった。だから実務的な「公用語」には大いに活用したが、碑文には使わなかった。新アッシリア・新バビロニア・アケメネス朝と基本的な事情は同じ
複数の言語使えないといけなくないかいそれ
それはそうだが、新アッシリアと新バビロニアまでは、パピルスのメモ書きや手紙文か、粘土板の公文書や碑文かで2つのセム語を使い分けるだけだった。
パピルスではアラム語、石っぽい正式文書ではアッカド語、と。
言語が少し似ているということもあり、安定した併用期間が数百年続いた。
余談だが表語文字と表音文字を併用する表記体系が滅ぶのは、国家が崩壊して社会システムが根本的に変わり、教育もままならなくなって以降が多い。
案外と「使いやすさ」だけでは変わらないのだ。
線文字AとB、古代エジプト文字、ヒッタイト文字も「不便だから」廃棄されたのではなかった。
ルは人で、ガルは大きいだから、大きい人という意味
そして、ルは混ぜ合わされた者、奴隷、家畜でもある
そこで、疑問なのは神々の王アンとかを原文では称号を何としているのか
ルガルを使ったら人間、もっと言えば奴隷や家畜というのを神に使っている
ルは人で、ガルは大きいなのだから
ルガルが大きい人から作られた言葉なのは明らか
そうなると神の王もその後に考えられたもの
世界の最大多数である一神教はユダヤ系列である事実を鑑みると真理だな
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%A2%E3%83%E3%A9%E3%BC%E3%88
ユダヤのYHWHにも女YHWHと言える女神がいたのかな。それこそ他のセム系からユダヤの祖先が分岐した直後とか
エール(イルゥ)-アシラト(イラト)
アッラー-アッラート
のような対応は西アジアに古くから広まってるけど、ヤーウェもエールの代わりにアシラトが配偶神として見なすグループがいた時代があったようだ
ちなみにバアルもアシラトと配偶してるからこの女神の人気強さはすごい
時代が下ってくるとヤーウェとアシラト(アシェラ)は無関係とする勢力が強くなってヤーウェは晴れて独神に
しかし、ヤーウェ自体の本当の起源は謎で、アシェラとの配偶もカナン進出後だろう
エル・エロヒムと他の関係のが重要じゃないか
日本でも神々や何々の神っていう概念がある中で「ひとつの神」みたいな宗教が生まれる場合を考察してみれば
旧概念踏まえておかしなことになるのは間違いない
エル・エロヒムは「神」を意味する普通名詞(アッラーとも同源ということになる)だが、
ヤハウェは聖書の中で神が自分で預言者に名乗った固有名であり
その意味において「神」を表す単語ではない
みだりに唱えてはならないというのも人格神らしい、自己の固有名に対する禁忌
それに近いのはイザヤ書45章5節か
アニー ヤーウェ ヴェ エイン オード
わたしがヤーウェ 他にはいない
ズーラティ エイン エロヒーム
わたし以外には神はない
イスラム教の「ラー・イラーハ・イッラ・ッラー」(英直訳 No・god・other than・al-lah)についてのヘブライ語の説明を見たら、
一回目の「神」はイラーハと同義の普通名詞エル(かエロヒムかもしれない)
二回目は定冠詞を付けてハ・エルと直訳していた
ヘブライ語の聖書ではYHWHは「みだりに神の名を唱えてはならない」という禁忌のため
聖書において朗読を助ける為の本来の母音をそこだけ付けない
(ヘブライ語は元々ふだん子音を書かないが聖書のテクストは例外)
古くからそこは「アドナイ(あのお名前)」と言い換えてきたので、YHWHと子音を書いてアドナイの母音を付ける
エホバという呼び名はここから生まれたが、おそらくキリスト教徒が機械的にそう読んだのが始まり
本当の母音付きの発音は忘れられているが、言語学的考察によってヤーウェだろうと考えられている
文字ではガルを先にルを後に書くんだよね
Gal Luと書いてLugalと読む
ヒッタイト語も王や神を意味する言葉の発音が不明なんだっけ
ヒッタイト人の楔形文字の使い方は日本人の漢字の使い方に似ていて、
日本式に言えばシュメール文字そのものとシュメール文字にアッカド語の訓や送り仮名がついたもの
全体を一つの「文字」(意味の塊としての「漢字」)のようにとらえ、
それに表音文字でヒッタイト固有語のふりがなや活用語尾の送り仮名を付ける
だが振り仮名がそんなに多くないので、わからない時は送り仮名を参考にしつつ
ルウィ語などの他のアナトリア語派を参考にして語幹を推定する
それでもヒッタイト語の「読み」がわからないものもある
使い方としてはアッカド語とアラム語の併用の後継みたいな漢字なのかな。
あまり似ていない
新アッシリア人の文字が書ける人は恐らく皆2言語を使い分けていた
対して漢文とアラム語を両方使っていたのは唐の人のうち景教徒だけだったろう
それはほんの少数だ
使い道はおそらく今の回族がアラビア語のコーランを読み祈祷し、日常生活で中国語を読み書きする
そんな違いで、ユダヤ人も世界各地のディアスポラ先で似たような生活を送った/送っている
ベルギーだとフランス語だよね
やはり、イエスと同じでアラム語なのかね
初期はアッカド語だけだった
晩期は口語はアラム語、文語はアッカド語をたしなんだ
それでも最後まで上流階級は会話もアッカド語だったかもしれない
それは別のアッシリア
現代ウイグル人が古代の縦書き仏教徒ウイグル人とは違うのと同じ理屈
というかもっと離れている
英語版のウィキには書かれてないんだよな
日本語版だけは書いてるが
本当に違うんだろうな?
現存する民族の主張も尊重して、不連続と断定していないだけ
内容的には違うって断定していいよ
現在中国にいる羌族も、古代の羌の末裔である確率は高いけど、唯一の末裔とは言えないんだっけ
あれも本人たちの自称は別にあるみたいだし、他の周辺のチベット系民族をさしおいて漢族から羌と呼ばれるようになった経緯はなんだろう
もともと羌なんだから今も羌で何の不思議もないだろ
むしろ羌と呼ばれなくなった方に理由があるんじゃないか?
隆盛してないやん
アッカド語もシュメール語まざっただけで元々エブラ語と同じセム語だろうし
東セム語派のアッカド語自体は長い間広く用いられ、それは隆盛したと言える
エブラ語は特殊な方言で、アッカド語と西セム語との中間的な特徴を持っている
エブラ語は、アッカド語の影響力がなければそのままの形では存在し得なかった
マケドニア人はスラヴ人で住み着いた場所の故にマケドニア人を名乗っている
それなら「ウイグル人」のほうが近い
古代の仏教徒ウイグル人と、現代のイスラム教徒ウイグル人は
同じチュルク系の言語を話す民族だが直接つながっていない
今のウイグル人は、人種的に半分はタクラマカン砂漠周辺のオアシス農耕民だった印欧語族の血筋。
現代アッシリア人は、「現代に生き残ったアラム語話者集団」といったほうがいいな。
古代のアッシリア人とはそれほどずれてないので、違う違うを連呼するのは、どうも違和感を覚える。
ウイグル語話者集団のうち「印欧語族の血筋」は一部の現象
血統ではなくチュルク諸語内部の方言の系統がそもそも違う
かつて、蛇も、さそりも
ハイエナも、獅子も
野生の犬も、狼も存在せず
恐れも、恐怖もなく
人間に敵するものはなかった
かつて、シュブール(Subur)とハマジ(Hamazi)の国には
王子の法によって治められる偉大なる地、シュメールと
同じ言葉を話す人々が住んでいた
また、ウリ(Uri:アッカドをさす)は、すべてがしかるべくあり
マルトゥ(Martu:アムル人の国)は、安らかであった
世界全体は、神エンリルのもとでひとつの言葉を話し
調和のなかにあった
そのとき、多産・豊穣の主であり
知性の主であり、地を知悉する者であり
神々の指導者である神エンキは
エリドゥの主に知恵を授け
ひとつの言葉を話す人間たちの
口から出る言葉を変えさせ、争いをもたらした
エンメルカル、シュメール『エンメルカルとアラッタ市の領主』より
なんて時代が実際にあったんかねぇ。