単純にそれだけの話。
(貴族である藤原はダメ、と聞いたことがあるな・・・)
源氏でなければ将軍になれないというのは誤りである。
結構な年だったし
成功した形態とは思えなかったんじゃないかな。
だから、>>10があたりだと思う。
ちなみに秀吉がなった「関白」は
幕府の最高権力者である「征夷大将軍」 よりかなり高位。
「幕府なんてアウトオブ眼中」って感じだったんじゃねえの?
まあ、「なぜ長期政権を築けなかった」って意味なら、
また別の言い方で答えるけど。
征夷大将軍と関白はどちらも同じランクだけど、
関白なら朝廷に実質的な影響力に加えて形式上の影響力も持てる。
東アジア全体を治めることを真剣に考え、行動した
寿命が足りなかった
世界征服を目指したのが秀吉のすごいところ
幕府ロマンとか律令ロマン以上に、
世界帝国ロマンの方を見ていた秀吉という構図であってほしい。
だからこそ、関白であり、朝鮮出兵だったのではないだろうか?
しかし、天下統一できたのが老齢であり、子宝にも恵まれなかった。。。
青春期に今は無き信長様と共に夢見たロマンゆえ、
国内統治の確立への修正も今更できずに
焦って朝鮮出兵で外征でクリアしようとしたが、そこで大失敗。
(つまり、拡大路線による「国家安泰」も、体制確保による「国家安泰」も、
どちらもこれで中途半端になってしまった)で、寿命。
うーむ、世の中ままならぬのぅ。
ってマジレスしちゃいけないスレか?
秀吉自信は紛れも無く武士だべ。
出自がどうであろうと、ね。
そもそも出自を問うなら位人臣を極める「関白」なんて、
到底成れないだろw
農民の出だぞ
征夷大将軍より関白や右大臣の方が位高いのは誰でも知ってる事
問題は征夷大将軍の居城を幕府って言うんだよ
幕府って言われたのは江戸中期以降だぞw
武家ではないと思うけど。
信長が正規軍作るまでは普通にそう
だから刈り入れ時とか忙しい時は戦争できなかった
信長も秀吉も新時代に「幕府」は必ずしも必要とは思ってなかったんじゃね?
信長は大義名分に利用したけど、利用不可と判断すると捨てたし
秀吉は信長の改革路線を引き継いでるから、
幕府に憧れも何もなかったと思われ
というか、幕府の終焉を見てるからねぇ
これは、徳川体制サイドによる、
前体制(豊臣)への侮蔑洗脳の面が大きかったのではないかと考えています。
つまり、律令とつるんだ、「出自の低い下級武士」の秀吉を、<
br />「なりたかったが、なれなかった」とすれば、
その分自然と「征夷大将軍になれる徳川」は、
権威上上位になれるし、公家との距離感も保てるし、他の大名に対し、
「律令なんかとつるむなよ。あくまでも武士の主従関係の中で徳川に仕えよ」
という暗黙のメッセージにもなるのだから。
これにより、出自の低すぎる物に対しての「下克上」を諦めさせ、
出自がある程度あっても「武家としては征夷大将軍(である徳川)が最高位」
という、ダブルメッセージにもなるわけで、
この概念構図を作りたかったのではなかろうか?徳川は。
そもそも将軍のほうが立場が上だった時代のほうがおかしいんじゃね?
いわゆる東国武将や武家の出なら「征夷大将軍」にステータスを重く置くだろうケド
秀吉はどっちかと言うと西国(近畿)の武士と農民の間ぐらいだし。
西国の地域有力者って、
「征夷大将軍」じゃない官職にステータス憧れているケースが多い。
(足利幕府が室町というモロ近畿文化にて幕府を開いて公家化したトカ、西国大内氏が、勝手に私家版で日本国王を名乗ったとか、古くは、平氏が公家化したみたいな)
つまり「似たような物」なら、
「どっちをとるか?」ってのは、これあくまでも最高権力者の「好み」なんだよね。
征夷大将軍になりたいのに、どうしてもそれを渡さない天皇なら、
例えば廃位させて別の天皇を就任させて、その天皇から受けるってのも可能。
でも、そうしなかった。
「そこまでの拘り」が無かったと考えるほうが自然なんだよねぇ。
武家の出の奴らは間違いなく認めないからまた戦国時代突入だろうな
際どいタイミング以外は旧信長軍でもある現秀吉軍と、
国を二分する程の軍事力を持ち得るところが、
その廃位させられた元天皇と、かなり同調しないとそれは難しいかと思われます。
信長軍内のゴタゴタを掌握した後の秀吉軍と、権威と権力を併せ持って拮抗するのは、
かなり至難ではないかと思います。
(まあ確かに、秀吉も現天皇を廃止したら、
内乱リスクが大きい事は懸念したでしょうけど)
つまり想定されるリスクを犯してでも「征夷大将軍が欲しかったか?」と言う点で、
リスク無く「関白が入手できる」なら「そこまでしてイラネー」
ってのが本音だったのではないでしょうか?