それとも現地解散?
朝鮮の役とかでそうなったらどうするんや?
敗残兵だけで一個の町ができるやん
当時の慣習とかはないんか
遠征軍とかで遠くから来た奴らなら
現地で解散して逃げたら絶対地元帰れないやん
落ち武者狩りの餌食になりそう
一介の兵は落ち武者狩りの餌食になるほど大したもん持ってないやろ
島津の連中は普通に帰ってたぞ
捨てがまりの後に
300人が80人になってるやん
勝敗決した後も戦ったからな
あと80は義久と一緒に帰った数
捨てがまりかましたけどなぜか生き残った兵士も
それとは別に帰還してるから総数はもう少し多い
捨てがまったあと自力で鹿児島まで帰るとかヤベーやつやんけ
やばくない奴らは敵陣の一番分厚い所に向かって撤退なんかしない
落ち武者狩りは今で言うと農家の山菜狩り、キノコ狩りみたいなもん。
現金収入でありレジャー、ライフワーク。
具足は身分が低かったり農兵だとしても貸し出し品を身につけている
武具も換金率がいい。具足や武具以外の持ち物もあれば略奪していい。
ちゃんとした武士の具足や武具はとてもいいお金になる。
ボーナスキャラみたいなもん。
しかも手負いで腹を減らして睡眠不足だったりするので
村の若いものは喜んで落ち武者狩り。
このシステムは農民こそ平和、いつも被害者というマルクス主義
転じて毛沢東主義が多かった昭和の教員が一切授業で語らなかったこと。
手塚治虫のマンガに出てくるいつも武士に酷い目に合わされる農民
のようなのが理想だったので語られない。
信長以前の武士なんてほぼ半農。一向宗なんてのもいたし
秀吉が刀狩をしたことからも、農民は戦闘力を持っていた。
民俗学なんてやればどれだけ農民が血気盛んだったかもわかる。
落ち武者狩りなんて当たり前。ちゃんと戦で捕らえられて
身代金になったほうがまだよかったかもな。
お家に帰してもらえるんか?
まあ負け戦というても全滅するほどの負け方は滅多にないやろうし
ある程度は組織的に撤退できるんやない?
それだとめっちゃ士気低くなりそう
敗走なら追い討ちがあるんちゃう
だから終了したあとの扱いが知りたい
現地で軍隊解散して各自帰宅になるんか?
武士ならそのまま大将と一緒に逝くか軍門に下るかやろ
農民なら逃げて国へ帰るやろ
そういうのは日本にはないやろ
人さらいはおったぞ
下校かよ
現地の農民が大半だったらしい
戦争が近づくと雑兵は農民から集って集めてた
それは知ってるけど
その徴収された農民たちが土地勘のない場所まで合戦に出かけて
終わったらどうやって帰って来るんやって
のが疑問なんや
そら逃げてく武将についてくか、追剥になるかよ
死んでる武将見つけて首と鎧パクって小銭稼ぎするのもあり
戦国時代ともなればある程度道も整備されてるし
捕虜になるやつも投降するやつも敵軍の知り合いを頼っていくものもいたかも
って書いてあったわ
でも結論としてはよくわかってないとも書いてあった
そもそも戦闘に参加した人数とか死者数もよくわからんらしい
はえーその時々で色々なんかな
初期では、
近隣で戦争してたから負けたら自国領民になるから大事に保護されたやろ。
後期では、
覇者(信長・秀吉・家康)の命令で遠方まで戦に出かけたから
落ち武者狩りなどもあった。
後期でも領地替えしたら自国民になるかもしれんやん
島津
「だって本当は東軍に参加要請してたのに断られたから
仕方なく西軍にいただけだもん」
勝馬に乗った事実を作りに来た
実際には勝馬に乗れなかったが
敗走兵「ひょえええぇぇぇ~!(全力)」
なお、桃山時代までいわゆる"農民"はいなかったもよう
誰やねん「戦国時代の悲惨な農民」イメージつけたやつ
そら生きるためにやから何でもやるわね
当然、敗残兵も襲ってるぞ
敗残兵はおろか敗残軍事力すら襲うし
何なら勝ちそうな方の軍に加わって
負けそうな方ぶっ殺したり略奪したりもするぞ
専業農家はおらんかったってこと?
士農工商はっきりするのって江戸時代からやっけ
僧侶も農民も商人も漁民も皆兼業よ
>>50
それ自体怪しいかも
厳密な身分制度はなかったってのが今の主流なんやっけ?
せやな農民でも収穫が終われば内職して売り歩いてるし
それでもヨーロッパよりも多いくらいやろ
後はみんな兼業兵士みたいなもんだろ
その寺社関係の中に兵士が居たもんでね
神社とは書いたが寺とは書いて無いやで
寺が兵力持ってたのは有名やし
神社関係は歩き巫女なんかはスパイ網の一翼だったりと
割とそこら辺のボーダーが無いのよな
これが東北だと国人衆の家臣クラスでも農民や漁民も兼ねてるからな
>>61
ごめんなさいそうだな
修験者も旅芸人も実質あれだからな
むしろ宗教関係は土地も銭も利権も持っとるから
下手な武家より専属兵士いっぱい雇っとるで
そのまま豪族化武家化しとるとこも多数や
神社関係は商業との関わりが厚くて
普通に武士を金で使う関係のが多かったと記憶してるが
普段から警備しとるいわゆる神人とかって専属兵士やろ
戦に参加しとる神社も当然しとるは
戦って負けてホモに取り込まれた諏訪湖ジンジャーとかな
なんかバチカン市国の衛兵みたいで草
ただし農兵は刀を持って戦うのでなく
農機具みたいなのを武器にして戦ってたみたいだぞ
敵兵をぶん殴って気絶させたり、殴り殺すような酷い武器
土地と頭張ってる奴次第やで
とはいえ投石と竹槍でも必要十分なんやけどな
略奪した武器を使う奴も居るしそこら辺はケースバイケースや
ただ農閑期狙って組織立って他所の土地攻め込む奴らは
武装してるケースが多い感有る
竹槍は戦闘飛行機落とせるんやぞ
強いんだぞ
片足吹っ飛んでも飛行に問題ない兵士とか
敵の飛行場に降りて味方助けてまた飛び上がる兵士とか
一人でソ連軍数%減らす兵士とか居るし
竹槍で落とす奴居ても不思議ではない気がする
大名が農民に兵役を課し、お金を出すと兵役を免れる仕組み
それで武装した農兵達を集めて、農閑期にいくさをするのが基本的な在り方
織田家は例外的に常備軍を持っていて
農閑期でも戦う事が出来た為、急拡大できた
ただし織田家の軍隊は他国との比較でかなり弱かったと言われてる
傷病兵に関しては、農兵は何とか帰村するんだろうが
足軽身分の連中は帰る場所などないから
その場に定住して落ち武者の集落ができる
関ヶ原の時もそんな感じで落ち武者の集落が出来てる
だいたいいつもメンツが決まってんのよ
農村は働き盛りの真面目くんを取られたら困るから
普段から陽キャやウェイ系がぶらぶら遊んでんのを許しといて
徴兵来たら
「いままで遊んでたんやから分かるよなぁ?(威圧)」
で処分すんの
落兵を治療して手伝わせて飯もやる
↓
村人「うちの村から10人出さなイカンやで。分かるよね?」
元落兵「はい……」
村人に気に入られて婿入りでもせにゃ、まあ奴隷やな
いくさに行きたくない場合には、金を払って免除して貰う事もあった
江戸時代まで郷士として続いた家系ですらそんな感じだった
豊臣(四国連合軍&大友)vs島津で豊臣の敗北やが
長宗我部→大将がおる伊予火振島に敗残兵が集結
大友→大将のパッパ(宗麟)がおる臼杵城に敗残兵が収納される
仙石→大将が部下を置いて讃岐に逃げてしまったためどん詰まりの敗残兵を
島津側が収納&外交カードとして使うため船で上方まで送り返してやった
こんな感じで結果が分かれた
もちろん落ち武者狩りに襲われた連中もたくさんおる
中馬輸送なんて言葉があるように、あの辺の農兵は馬に乗れた
それで足軽身分で騎乗して、騎馬武者として編成されて戦ってたりもする
もっともあれは落ち武者の集落で、元は武士だった家系の農兵だから、
ちょっと特殊なんだけどな
金に雇われればどこへでも付くだろ
それは浪人者とか戦闘集団みたいな連中でしょ
そうかそうだな
織田さんも地元の宿無しや悪さする輩を徴集させたんだろ
そら強いは
現地まで一緒に船で行って
じゃワイは三好方なんであっちワイは長宗我部なんでこっち
って分かれていくさが終わったらまた一緒の船で帰ってたで
日本も昔は似たようなもんやんけ
人権無視というか単に無法地帯だっただけかと
税の値段も反攻ちらつかせれば下がったりするし、
領地も戦争で決まる部分大きいし
そもそも武家による支配って
本来は暫定的な処置を拡大解釈して押し通してるだけだし
戦国時代なんて滅茶苦茶だぞ
いくさに勝って城下に兵が流れ込めば
女を手籠めにするわ、民家から物を盗むわ(=強盗)
女を捕まえて遊郭に売ってお金に換金するわ
やりたい放題やってたよ
家に帰ったら母ちゃんがいない、家が焼かれて消えた
金目の物が全部無くなってるとか普通だし
そら農地だけ取って農民居なかったら困るの自分やしそらそうやろ
建国から1650年まで戦の連続とか辞めたくなりますよ
でもその代わり天皇家さえ保持してれば革命的な変革させ放題やで
そうなんだぁ
リベラルって平安時代から居たのかな
右翼貴族
「ワイらがこの国を支えてるのはワイやー!
少々犠牲が有っても仕方ないんや!」
リベラル貴族
「『貧窮問答歌』書き上げたろ!
子を思い親を思うのは貴族貧民かわりなしやで~!」
サンキュー犬公方
なおその朱子学が今の日本の悪習の原因になった模様
戦争は経済活動の一環やぞ
そうなのかならしゃーないやり続けなさい
民主投票を行っとる国家でも人権ないとこはいくらでもあるわね
人権を大事に思うなら
人権に頼るのもエエが自分が人権を支える意識を持つのもまた必要なんやで
ワイが今思い付いたんやが
人という字は互いに支えあい尊重し磨きあっているんやで
ワイは「人」の左半分をやったるわ