義時が、立ちはだかるのはあの男って言ってたけど
源仲章ってそこまで大物じゃないだろ。
人材不足だから鎌倉では重宝されていただけで。
それとも公暁の計画を知ってわざと源仲章が巻き込まれて
討ち取られるように仕組むためあえて大物感だしてるのか?
史実はともかくドラマでは平賀の件、泉親衡の件、船建造の際の夢日記とかあって義時が後手後手になってるから強敵なのは間違いない
ドラマでは有能ぶって、かえって小者感が滲み出ているけど、ググった程度の知識だが
足跡からは文官、官僚としては有能な人物だと思う
京都・鎌倉間の飛脚を駆使し、世間でも噂になるほどだった、と特記しているので、
少なくとも慈円の眼には実力者に見えていたらしい。
ニュース
源仲章単体の能力を買っているわけでも恐れているわけでもなく「朝廷が源仲章を介して立ちはだかるよ」と。
愚管抄を素直に読むと
「源仲章は源光遠の子で儒家を起こし菅原長守(漢学者か、息子は凄いw)の弟子になって学ぶ。鎌倉に下り実朝の師になり武よりも文を教えた。鎌倉と京都を行ったり来たりして世間の知るところとなる」じゃね?
まんま文学博士だけどこれと言って輝かしい業績も役職もないのが源仲章。武芸に関しては恐らく資質ゼロw
直訳はその通り。後続の漢家の例が~を踏まえて帝王学(たぶん貞観政要とか)と解釈・意訳した。
わざわざ名前出しているので、やはり権勢はあったんだろうと思うけどなあ。
>>495
愚管抄読んでて気づいたけど慈円は人から聞いたことを書いてるので必ずしも本当のことを書いたのではなく、当時言われていた(噂含む)ことを書いてんだね(検証してるわけもない)
で、源仲章の父や師匠が本当ならサラブレッドが一流の人に学んだわけで文学者としての素地は疑いようがない。また、光遠が父なら光行などが兄弟となり「あぁ、あいつかw」と業界ではちょっとした有名人の可能性も?実際には文学や漢学でそれほど名を残せなかったが、暗殺事件に巻き込まれていなかったら、鎌倉に関わらなければそっちで名を残せるだけの才能はあったかもしれないなとは思った。政治家、官僚としてどうだったのかは吾妻鏡と愚管抄では未知数な印象かな?(読み飛ばしてる可能性あり)
たぶん、まともな学者なら長期間京都を離れて地の果ての鎌倉に行きたいとは思わないようなwむしろ京都で後ろ盾がないゆえに鎌倉に追いやられたか志願したか~
あ~妄想が過ぎましたね
京都と鎌倉を行ったり来しろとか鎌倉の武士達と一緒に働けとか高貴な人間や有能な人間にはやらせないだろ
頑張り屋でやる気もあるけど特に優秀ではないから足で稼ぐくらいの人間なのでは?
「有能なら鎌倉に来ない」説は疑問。それなら大江広元は何なんだとなる。
仲章は鎌倉に関わるようになった経緯が不明なので憶測になるが
「頼朝にとっての大江広元」のようなポジションを狙っていたのではないか。
大江と同じく政所別当になっているし。
大江は鎌倉に来た理由を京の連中にギャフンと言わせてやりたいからと言ってたじゃん
京では重ポストにつけなかったんだろ
>>499
大江広元は低級貴族で一旗揚げるために鎌倉へ~ってなかったっけ?元ネタが何だったのか~吾妻鏡に書いてあったんだっけ?
愚管抄に「儒家ヲ起コシ」だったかな?この言い回しが気になるんだよね。間違いなのかもしれないけどそれを覚悟で勝手に解釈すると源仲章は嫡男ではないので家を出なければならず、どこかの養子にもなれなかったので家を起こす。歌人は本家とかぶるからじゃあ儒者になろうと決意して菅原長守の弟子になった?みたいな実は人知れず苦労人の源仲章~
それこそ今をときめく東国の武家による行政機関という新しい世界で一旗揚げようと希望に満ちて臨んだ鎌倉wせっかく実朝にも気に入られ信用もされたのにあの雪の日に義時と勘違いされて~あぁ無情~(≧∀≦)
鎌倉で一旗上げたいならなんで北条に嫌われるようなことするんだろうね
泉の件や実朝の日記盗み見くらいは裏で何かやらかすのはわかるけど
実朝や政子の前で三善さんにキツくあたったり、義時やトキューサにもあいつムカつくとか言われてるし
ずっと猫かぶってりゃいいのに北条側についた大江さんに対して小物に見える
のえさんに取り入ったところで何も意味ないのにw
>>503
それはドラマの話だね
実は源仲章が悪役になる根拠は史料には無いんじゃね?と思うわけよ。慈円の愚管抄に書かれている源仲章は風聞レベルでドラマにあるような親密さは感じられないし。にもかかわらず妙に悪役がハマってる源仲章w
源仲章を将来の政敵演出したいなら、実朝の泰時への恋文はもうちょっと丁寧に演出して欲しかったかな
実朝と藤原定家の和歌の添削を仲介してたんだから、実朝作と気付きながら知らぬ体で泰時を揺さぶるくらいはしてくれないと…恋文スルーのアレで仲章ボンクラだなって思ってたw
個人的には頼朝死後の後半は三谷さんが考えたキャラと見せたい場面と史実の擦り合わせに、だいぶやっつけ感があるなぁと思って見てる
やっぱり台本を最後まで仕上げてから、演出考えた方がいいと思ったw
源仲章
朝廷のスパイ
以上でも以下でもない
うん
別にドラマ上でも大物感ないよね
上皇のさしがねで今の鎌倉では好き放題できるから義時にはすごく邪魔なだけ
「此儒依無殊文章、雖無才名之誉、好集書籍、詳通百家九流」
(たいした文章を書けず、認められてもいないが、書籍コレクターで諸子百家に詳しい)の出典は
明月記の建暦2年(1212)9月26日条。文言が全く同じ(ただし卑しむべからずと一応フォロー?)。
慈円とは異なり、藤原定家の方は直接仲章と会っている。
仲章への微妙な評価の源流は定家かもしれない。
藤原定家「あいつはただの評論家、学校の先生さ(文章博士)w俺は歌人だぜ!一緒にすんなよ!」
って感じかな?
史実でもなかなか嫌われてるなw
それを書いたのは源仲章の学問の師匠(菅原長守)の息子だとか
そういう話もある
wiki見てたら平安時代の文章博士は大江家と管原家が独占してたんだとか。で、文章博士から公卿になる人(菅原一族)もいたので地位や出世を欲する人にとっては結構憧れの職業だったか?だから源仲章は文章博士になるために管原長守に弟子入りしたのか?しかし、菅原姓でも大江姓(滅びかけてたんじゃ?)でもないために京では美味し職にありつけず、その結果就職先が地の果て(政子談)鎌倉にいる実朝の家庭教師~と(ほぼ妄想ですw)
>>510
いろいろ繋がるんだね~
仲章は宇多源氏だそうだから、本来学問とは関係が薄いような。
京都時代の仲章はよくわからないが
弟?の源仲国(実朝結婚の時に西八条に付き添って鎌倉下向)は
妻が丹後局の縁者で「後白河の託宣」と称して呪詛・妖言を繰り返し流罪。
ところがその後、丹後局から卿ニ位に鞍替えし復活。
なんというか周辺は想像以上に「やばい」においが・・・
>>513
すまん、源仲章の家系がよくわからんので愚管抄基準で考えてるだけなんだが、父と思われる源光遠がよくわからんのよ。吾妻鏡だと源光行という人物がいてwikiだとその父の名も源光遠。しかし源仲章と兄弟という記述はない。が、光行もどうやら文化系。光遠の息子が仲章って偏諱はどうした?とも思うしw自分で言うのもあれだがツッコミどころ満載の謎人物w
光遠の詳細と本当に親子なのか?が気になる
>>516
源光行の父の名前を光季で覚えてたからどうやって仲章の父と混同するんだと思ったけど、光遠を名乗ってたこともあるということか。
なにげにどちらも河内守の経験がある。
宇多源氏の仲章の系統は「仲」が通字だったみたいで、むしろ光遠が例外。誰かの養子になったことがあったのかも。
ちなみに、仲章には親章と遠章という2人の息子がいたらしい。
源仲章は宇多源氏左大臣源雅信の孫仲舒の子孫は通字として「仲」を頭に付しました。しかし、父光遠は加賀守光行 の子となったため、「仲」を用いていません。なお、仲章の兄弟はすべて通字「仲」ですなお、光行の氏名(うじな)は不明です。仲舒の子孫は受領級の下級貴族で、文章道関係の者はいません。仲章は左衛門尉で検非違使でした。儒門に入った時期は不明です。
なるほど。父親の源光遠が鍵みたいだね。
国会図書館デジタルの「吉記」や「玉葉」では確認できなかったが
光遠は法住寺事件の時に伊豆守を解任されているらしいので
(つまりそれ以前に伊豆守に任官している)
鎌倉とのコネクションも父の代にできていたかもしれない。
あたしは当代一の歌人よ〜藤原よ〜って気持ちは絶対あるだろう
・第43回視聴率11.5%父・頼家の真相知った公暁「許せぬ」“惨劇”が迫る
・義時が悪巧みで仲章に勝てそうな気がしないんですが
・北条義時と源義経って坂田銀時と志村新八やったんやな
・13人全員揃ってた時代も長かったしタイトルは間違ってない
・政子「夫が浮気!相手の家燃やしたろ!」←ほのぼのファミリー回やった
・義光「義ちゃん元気?よしあきお兄ちゃんやで」
・家康は浜松に籠城して信長軍待つ作戦はあかんかったんか?
・実衣ちゃんの小物感が好きなやつおる?1番人間臭くて良いキャラや
・第43回「資格と死角」のMVP