伊達家

小田原攻めがもっと遅けりゃ、いずれ佐竹は伊達に滅ぼされたでしょう

2022年11月15日

107: 名無し 2000/12/29(金) 04:20
小田原攻めがもっと遅けりゃ、いずれ佐竹は伊達に滅ぼされたでしょう。

 

111: 名無し 2000/12/29(金) 08:09
>>107
逆でしょう。秀吉の関東奥惣無事令以後義重は明らかに勢力拡大を躊躇しています。
秀吉の令を無視したから政宗は摺上原で勝てたけど,義重が惣無事令を守って大きな合戦になるのを避けたおかげでしょう。
政宗対義重の合戦場が年ごとに北上しているのは一目瞭然ですよ。

 

114: 名無し 2000/12/29(金) 10:55

なんか佐竹氏の熱狂的(失礼な言い方で御免)な支持者がいるみたいだけど、ほんとにそんなに凄い大名なの?

単なる名家のヘタレ大名とは言わないけれど、伊達・上杉・北条・武田・毛利・長宗我部・島津といった所に比べると、一段格下の感はぬぐい難い。
イメージとしては今川、朝倉といったところに近いのだけど。あるいは、大内、大友とか。
だから、どうしても、伊達政宗に食われる大名にしか見えないのだけど。

とはいえ、あんまり詳しくないので、上の評価を覆すようなことがあったら、教えて下さい。
(ここで、やることじゃないかな・・・)

 

115: 名無し 2000/12/29(金) 11:55
名家っちゃー大名家だね。上杉の養子迎えてるけど、義光流の嫡家だからさ。(武田との反論もあるだろうが)武門の棟梁にもなれる家柄、乞食の得川なんかカスよ。
最盛期の領土じゃ伊達よか上だし、義重は政宗に簡単に食われるようなヘタレでも無い。惣無事令の時判断ミスしただけ、それでも致命的ではない。ただ真面目で地味なのよね。

 

117: 名無し 2000/12/29(金) 14:23
 そりゃ関ヶ原の実質上の負け組だからね。佐竹は。
義重の息子義宜が石田三成びいきで藩論が割れ、結局中立で通して秋田に転封をくらっているからね。
まあ佐竹の場合、外様だから徳川についても石田についても徳川方だと常陸太田から「栄転」の名の転封石田方だと史実通りでしょ

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118: 名無し 2000/12/29(金) 14:37

 秀吉が伊達を助けたのは徳川を牽制して欲しかったためでは。政宗の若さを秀吉は買っていると思う。

だけど伊達疑惑に徳川のあっせんにようやく伊達家が助かっている構図をみると秀吉の伊達助けの狙いが薄れてくるような気がする。

 

119: 名無し 2000/12/29(金) 15:18
 伊達疑惑は秀次疑惑かな?
秀吉や三成は秀次疑惑を利用して大名再編を狙ったんだろうけどあてがはずれたのよね。

 

120: 名無し 2000/12/29(金) 16:01

>>118
>>秀吉が伊達を助けたのは徳川を牽制して欲しかった
>>ためでは。政宗の若さを秀吉は買っていると思う。

それはないでしょう。伊達は豊臣恩顧でもなんでもないんだから。政宗が黙って家康の抑えになるような可愛い男でないことぐらい、秀吉もわかっていたはず。
地方の大大名を完全に取り潰さず、ある程度の規模で残すというのが、天下統一にあたっての秀吉の基本方針だったのでしょう。天下統一を早々に為し得たのは、その成果。
しかし、そのために豊臣政権の基盤は、極めて弱いものになってしまった。
結局のところ、戦国時代を早期に纏めた一次政権としての豊臣政権が、より安定した二次政権に取って代わられたのは、歴史の必然だったのではないでしょうか。
(スレの主旨から外れてしまった。すんません)

 

121: 名無し 2000/12/29(金) 17:22
確かに小田原攻めがもっと遅けりゃ、伊達は佐竹に滅ぼされた可能性もあるなぁ。
ただ、佐竹にしてみりゃ奥州より関東の方が神経つかってたろうからだいぶ時間かかるだろうが。

 

122: 名無し 2000/12/29(金) 17:27
>>121
神経使うどころか、常陸諸豪族がみんな北条になびいて滅ぼされてたかもね。
それもあっての北条伊達同盟でそ。

 

123: 名無し 2000/12/29(金) 17:51
>>122
それはないでしょ。政宗が葦名領を取っても離反しなかったんだから。

 

124: 名無し 2000/12/29(金) 17:57

>>123
でも上野が終わって、里見は既にジリ貧ってことは
北条氏の次の標的は本格的に常陸・下野でしょ。

無かったことをどうこう言っても無意味だけど。

 

125: 名無し 2000/12/29(金) 18:36

そのとおり。あのままでは北条を相手にするのは難しかった。
だから佐竹は豊臣を同盟相手に選んだ。その代償が葦名領だった。

伊達は同盟相手の北条を切って上手いこと生き延びた。やはり葦名領を差し出した。
結局佐竹のものだった葦名領で生き延びたのだから伊達政宗は名君と言える。

 

126: 名無し 2000/12/29(金) 21:23

新しい領土を支配体制にしっかり組み込んで、今度はそこを足掛かりにまた新しい領土獲得に乗り出すといった仕方で、次々と版図を広げる北条と伊達。
それに対して、なるほど影響力の及ぶ範囲は広いが支配が安定せず、外からの攻撃に対しては共闘して頑張るが、積極的な版図拡大に乗り出すことのできない佐竹。
この辺に、旧型の戦国大名としての佐竹氏の鈍さと古さを感じてしまう。

 

127: 名無し 2000/12/30(土) 06:18
>>126
新興勢力で家臣の殆どがかつて実力でねじ伏せた敵だった北条はともかく
古くから土着していた伊達家中を纏めた政宗はやっぱりすごいのかも。

 

131: 名無し 2000/12/30(土) 14:33
たしかに政宗の家臣統治能力はすごい。古くからの家臣をまとめるのは守護や国人から戦国大名になった大名達の共通の課題であったが、政宗はみごとにまとめ上げた。
江戸時代に家格として残った一門は戦国時代の残滓といえるが・・・。ま、結局、後の藩主たちがこの一門の勢力が抑えられなくなって、伊達騒動とかおこるわけだけど。

 

132: 名無し 2000/12/30(土) 19:41
輝宗公は無意味なお家騒動が起きないように、四十二歳の若さで政宗公に家督を譲りました。輝宗公の最期は無残でしたが、息子思いの良い父親だったとおもいます。でなければ母親との関係がアレだと伝えられる政宗公がかわいそう。

 

136: 名無し 2000/12/30(土) 21:32
そろそろ支倉の件に触れてもいいかな。スペイン、ローマに派遣した目的は、通商とローマ教皇との会見が目的と言うのは表向きで、実はスペイン艦隊派遣の要請が目的だったて本当かな。

 

137: 名無し 2000/12/30(土) 22:29

いや、その前に家康も田中勝介をメキシコに送ってるし、この一連の動きは家康主導で行われたのでは、と思われるのだが…。

実際艦隊が日本まで来るって経費、補給その他から言ってもすごい大変な事だよ。

 

138: 名無し 2000/12/30(土) 22:41
>>137さん、幕府が了承しなければ派遣などできませんが、政宗公の場合どうしても何かたくらんでいたような気がするんです。

 

139: 名無し 2000/12/30(土) 23:30
いや、幕府主導云々よりは、艦隊を派遣するのにかかる桁外れな額の戦費、マゼラン艦隊の再現のようなその航行距離。
しかも当時の帆船から考えれば嵐がくれば艦隊が一つおジャンになるかもしれないような状況の元で、極東の小国の虫がよ過ぎるような要求を受け入れる土壌は100%イスパニアにはないってことはいくら奥州の田舎者とはいえ、政宗公程の方なら解っているんじゃあないだろうかと。スペイン艦隊派遣要請は余りにも現実味が無さ過ぎるんですよ。本当に考えてたとしたら余計に評価が下がると思います。

 

141: 名無し 2000/12/30(土) 23:54
>>139
艦隊とまで言わなくとも、大砲積んだ軍艦に10隻か数隻程度来てもらうということは考えられないんだろうか?

 

143: 名無し 2000/12/31(日) 00:06
確か石巻港に慶長遣欧使節が使用した船が復元されていたと思います。船名忘れたスマソ春になったら見に行こうと思います。

 

145: 名無し 2000/12/31(日) 02:14
「支倉常長」は日本史では頻出用語であった。
さぞ立派な人だろうと思っていたので、ノブヤボの能力値を見て愕然とした。

 

159: 名無し 2000/12/31(日) 12:56
政宗の伝記をよく読むと、ろくなことやってないな。
ほとんど謀略か。

 

160: 名無し 2000/12/31(日) 13:07
強い大名はみんなそんなもん

 

161: 名無し 2000/12/31(日) 13:13
>159
もう中央が固まってる時代だったから戦に強くても
しかたないでしょう。

 

163: 名無し 2000/12/31(日) 13:27
>>159
当時の価値観からも「調略」が最善の戦法。
徒に兵馬を失う実戦は下策と考えられていた。
戦国最強といわれる軍団を擁していた武田信玄も実は調略の人。

 

165: 名無し 2000/12/31(日) 13:32
ていうか、勢力がかたまってんのに
無理矢理謀略で領土を拡大しようとしたところに
一片のド窮鼠さが垣間見える。

 

166: 名無し 2000/12/31(日) 13:41
>>165
無理やりでも拡大したから仙台伊達藩62万5千石があるんじゃないの?
じっとしていたら最上家や相馬家クラスの大名になっていた。

 

167: 名無し 2000/12/31(日) 13:47
>>166
最上家もお家騒動が起きる前は57万石だったぞ(藁

 

168: 名無し 2000/12/31(日) 13:50
そうかなぁ。
政宗の謀略はほとんど何の効果もなかったような気がするねんけど・・・。

 

169: 名無し 2000/12/31(日) 13:54
>>168
例えば?

 

171: 名無し 2000/12/31(日) 14:01
例えば
大崎葛西一揆
蒲生氏郷
上杉領侵略
越前少将
ほか

 

172: 名無し 2000/12/31(日) 14:42
小田原の役の参陣や、秀次失脚の際に秀吉相手に見せたあの死装束での演出。時代劇で見る分には面白いけど、政宗公はギリギリの勝負が好きなのかな。

 

179: 名無し 2000/12/31(日) 23:23

政宗の功績として

貞山堀設置(阿武隈川と北上川から水路を仙台まで引っ張ってくる)

北上川の河川改修(北上川を石巻に繋げる)

家臣のイスパニア、ローマ派遣

仙台開府

とまあ、目立つ内政、外交面だけでこれくらいやってます。

イスパニア、ローマ派遣はそれほど政治的には評価されてないと思いますが、仙台領から排出された大槻玄沢、工藤平助、林子平、高野長英などの優れた面々がまず西洋を知るのに、かなり役に経ったのでは。

余談ですが宮城県北部には常長時代からの隠れキリシタンの子孫が結構沢山おりまして、なんでこんな山奥に教会が?というところに教会がちょこちょことあったりします。

 

180: 名無し 2001/01/01(月) 00:25
大航海を終えて皆に祝福されると思っていたのに、帰国するとキリスト教が禁教となっており、政宗公も幕府に従い弾圧したので、やりきれない気持ちになったと思う。 でも名前は残ったよ支倉さん。

 

193: 与六 2001/01/03(水) 18:54
米沢に大雪警報でてるよー。雪の中でも兵馬の鍛練を怠らなかった伊達軍にしろ上杉軍にしろ凄いね。

 

195: 名無し 2001/01/05(金) 05:12
米沢、記録的な大雪らしいですけど与六さん大丈夫ですか?

 

196: 与六 2001/01/05(金) 07:50
>>195さん、心遣いに感謝です。 一日で80cm積もりましたが、私の仕事は来週からなので、自宅の除雪に集中できます。 雪の中の上杉神社は、白の世界に毘と龍の旗がなびいていて、みとれてしまいました。

 

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