>>197
吾妻鑑の貞応3年6月28日条の原文は
「相州武州為軍営御後見可執行武家事之旨有被仰云々」
"相州武州、軍営御後見ヲ為シ"と読み下すのが自然。
”相模守(時房)と武蔵守(泰時)に、軍営(将軍)を後見し武家の事を執行するよう仰せられた”
これだけだと政子は時房と泰時を同時に執権に任じたように読める。
ただし1960年代の上横手雅敬さんの「連署制の成立」という論文以来、
時房の地位や出仕開始時期について疑問が出ており、未だ確定していない。
(辞書によっては時房の「連署」就任を政子死後の嘉禄元年7月とする)
おー、なるほどありがとう
軍営は将軍の意味になるのか
ニュース
太郎は「父上は間違っている」連呼戦法やめたのかな
と思ったら予告でまた別セリフで叫んでた
来週は泰時の恩賞拒否伝説やるんだろうか?
やったら意味が真逆に?孝行息子が拗らせ息子の反抗期にw
また鶴丸に諭されて受けるのだろうか?
鶴丸、ルックスの割に有能だな、さすが盛綱w
「あーハイハイ、度胸いいw」と思ってしまう
戦闘仕切れるし太郎叩き起こせるし家壊して板用意しろって言われたらすぐやれるし
太郎の意を組んですぐに話も合わせてくれるしめちゃくちゃ有能
ただ、その一族の長崎光綱が権力を握って長崎円喜につなげてるのがな。
前半の貞時は優秀だからね
後半の貞時の事はワスレテワスレテ
なんの脈絡もないんだけど
吾妻鏡に「急いで橋を壊す方法」が書いてあったw畠山重忠はそれを知らなかったらしいが。それは「近くの小屋をぶっ壊して、それを橋の上に乗せて燃やす」だ。屋根は茅葺きだからそりゃあ簡単に燃えるわw坂東武者侮りがたし。俺より賢いw
この場合どんな作りの小屋を想像していたのかは不明だが、考古学的にはこの時代未だに竪穴式建物があったそうでwもしそうなら藁満載で燃えやすい。が、大豪族の畠山重忠の知っている小屋は最低でも掘立柱建物だろうから想像できなかったのかも?(んなわけ無いかw)
ちなみにこのときに長沼宗政が弾劾状に花押を書かなかった理由も判明。宗政の兄曰く「頼家を恐れて書けなかった」だそうでw「二度と偉そうにすんな!」と戒められた宗政であったw
>>171
火を起こしたほうが火を使わないで壊すよりは早いってことかな?もしくは戦闘状態ならば常に火はある?話的には橋を壊して敵の到着を遅らせて時間稼ぎをするのが目的なので橋の上の小屋が燃え始め消火できなければ通行はできなくなるのでとりあえず目的は達成だしね。
>>171
>鎌倉時代だと火を超すのに時間がかかると思うんだが。
昔しは毎日煮炊きするのに毎回火起こしするのが大変なので
民家の囲炉裏とか竈門とかの灰の中に熾火を保存している。
橋があるような人通りの多い場所なら付近に民家や宿屋があるわけで、
種火を近くの家で貰って来れば良いのでは。
軍勢なら夕方暗くなった時用に松明の用意とかあるだろうし。
頼家じゃなくて梶原景時でしたね
>>173
エピソード的には畠山重忠が即席籠城法を知らないで合ってるよ
その話の前段は、梶原の乱の顛末をサロン(御所)に集まってwダベッている時に
下っ端若手が籠城すればよかったのに…と言ったことに対して、畠山の意見は館を固める時間がなかったのでは?
それに反論して、若手があんたは部下にやらせて現場知らないお坊ちゃん(大武士団の総領育ち)だから的なニュアンスで答えたヤツ
梶原は京都に伝手があったから、鎌倉方に体制を整えられる前に坂東を出たかったんだと思う
ドラマとは違ってw時政の根回しが梶原の知略を上回った
もう少し詳しく知りたい。
>>176
私は、そのエピソードの解釈を細川重男さんの「頼朝の武士団」で読みました
大武士団と弱小武士団の戦術談義みたいな感じで紹介していたと思う
鎌倉殿で軍事考証をしている西脇総生さんもブログや著作で籠城法を詳細に解説していて面白いので是非読んで見てください
吾妻鏡での景時動向は
「梶原平三景時が、先日来相模一の宮で砦を構えて、防戦の支度をしておりました。皆この様子を怪しいとにらんでいたところ、昨夜丑の刻(午前二時頃)に子供達を一緒に連れて、そっとそこから逃げ出しました。これは鎌倉幕府へ謀反をするために、京都へ上るらしいと評判です。
…梶原平三景時親子は、駿河国清見関に来かかると、その近辺の侍たちが的当て競技のため集まっていましたが、解散しようとした時に、景時達と出会いました。駿河の連中は、一行を怪しんで弓を射始め…」
…で乱戦から最終的に打ち取られた
これに対して、一の宮で籠城した方がワンチャンあったんじゃね?と、弱小武士団の若手が重忠に即席籠城法を述べた…だったと思う
座談会出席者は
畠山重忠
小山朝政
長沼宗政←兄に窘められるも反論できず
和田義盛←全く喋ってないw
安藤右宗
渋谷高重←弟の重助は名前だけドラマに登場してる(仁田忠常のセリフw)
橋の壊し方を言ったのは安藤右宗。吾妻鏡にはあまり登場しないが、平家物語では刀振り回して暴れる文覚をとっ捕まえて後白河法皇の前の突き出した信濃の武人(そのシーン読んだはずだけど名前覚えちゃいないw)。
後鳥羽も結構がんばったんだなって思っちゃったんだけど
ちょっとだけ見たよ
鎌倉幕府の成立年は未だに確定できてないって話で締めてたね
史実厨に聞かせてやりたかった
・和田にも巴にも何の救いもわずかな安寧もないENDだったな
・痛いンゴしたのって次郎?太郎はかばって嘘ついて恩売ったの?
・実朝役の柿澤くんは声優でも大成できそうやね声が迫真すぎる
・東海地方の大河なら岡崎のイントネーションそろそろ正しくやって欲しいわ
・善人悪人番付・カフェーライオン番付を皆で見よう!
・義時は汚れ仕事全部引き受けて泰時にバトン渡すつもりやろなあ
・秋元才加ってこんないい女優やったっけ?巴御前ほんまハマっとる
・今回は和田さんの為の回やったな。メフィラスよ、お前は許さんぞ
・握手会で推しからパワーを貰った文官を無礼るなよ!