宰相中将国道が藤原国通のことらしい
詳しい人なら気付くんだろうけど
俺はwiki見るまで気づかなかったwww
…建保2年(1214年)に蔵人頭を兼ねて頭中将となり、建保6年(1218年)には参議となって公卿に列した。翌年、従三位に叙され、鎌倉の鶴岡八幡宮で行われた源実朝の右大臣拝賀式に坊門忠信・西園寺実氏・平光盛・難波宗長とともに公卿として列参し、そこで実朝暗殺事件に遭遇している。国通は妻に幕府初代執権・北条時政の娘を迎えており、以後も京都・鎌倉間を往来するなど武家方とは親密な関係にあった。(藤原国通wikiより)
都鄙間を往来していたということは、
>>393
ワガママで贅沢三昧な義母に悩まされるも、北条ファミリーのため人肌脱ぐ国通さんか。出るとしたら誰が演じるのだろうか。
(牧の方wikiより)朝雅の妻だった娘は公家の権中納言・藤原国通に再嫁し、牧の方は時政の死後、京都の娘夫妻の元に身を寄せ、贅沢に暮らしていたという。嘉禄3年(1227年)3月に国通の邸で夫・時政の13回忌を行い、一族を引き連れて諸寺詣を行っている様子が『明月記』に記され、筆者の藤原定家はこの時の牧の方の振る舞いを批判している。
(国通wikiより)当時の朝廷にあって、滋野井実宣と並んで北条時政の娘を妻に迎えており、嘉禄3年(1227年)には国通の有栖川亭で時政の十三回忌が盛大に執り行われている。また寛元2年(1244年)には北条泰時の娘の富士姫君を猶子に迎えている[3]。藤原定家は両者の婚姻を用いた栄達に否定的な見解を示しつつ、家勢のためにもその姿勢を見習おうとしている[14]。自らも嫡男為家の妻に北条氏の血を引く娘[注 5]を迎えた定家とは交流があり、嘉禄元年(1225年)に妻が伊豆に帰ったきり帰京しないことについて相談を持ち掛けている[25]。
↑国通さんと定家先生との掛け合い、ぜひ見たいわw
ニュース
京都情報を政子・義時側に伝える支援者的な立ち位置になるかもね。
ドラマでは伊賀氏がさっぱり出て来ないし。
自分1人が死ねばりくは許されると信じていたのだろうか?
とりあえず重要と思われるイベントは
「頼朝時代に貰った領地は大罪を犯さぬ限り召し上げないと定める」
「新古今和歌集鎌倉着」
あたりかな?
あ~あと公暁猶子になると朝時登場か
疱瘡まで行くの?
以前ここでみかけたりくの目指すところが政子の超克であったなら
みすぼらしい恰好で名越の館を抜け出して政子(や実衣)の前で時政の助命を請うた段階で
十分辱めを受けたに値すると思う。時政は一応剃髪している点で終了。
やらかしたことに対しての贖罪としてバランスがとれているかというと甚だ疑問だけどw
吾妻鏡だと
りくが実朝に代わって平賀朝雅を将軍にしようと企んでるという噂があるので時政のところにいる実朝を保護するために御家人を遣わしたら時政配下の者も尽く実朝の警護について、時政は出家した。
すなわち、事件は噂の段階で未然に防いだだけ。これは直後の宇都宮頼綱の出家と同じ。その半年後に頼朝時代に貰った領地は大罪を犯さぬ限り召し上げないと定めたwなんかうまく出来てる?
何とか父時政を助命しようと本音では考える義時、助命されて伊豆に流刑になる時命は助かっても
共に鎌倉を盛り立てられず今生の別れを悲しみその辛さのあまり泣き出す義時、泰時に時期執権になる
ことも見込んでの帝王教育をするためかあえて時政館を囲む際同伴させる義時、好敵手でもあり親友でもあった
畠山重忠を冤罪で亡き者にした平賀朝雅を友の仇として見事に打ち取らせた家族・友人思いの義時。
三谷のこういう描き方は好きだわ。
畠山冤罪の遠因は後鳥羽上皇だから承久の乱が楽しみ
できればOPの粘土細工のように義時VS後鳥羽のシングル戦時間無制限1本勝負が見たい
もちろんVS畠山戦のオマージュ伏線回収、あるいは弔いとして
BGMはビバルディの冬一択
この大河にビバルディ合うよね
後鳥羽上皇と義時が殴り合うのならそれを見た今上上皇が興奮して近習に殴りかかるかもしれんw
>>401
義時の狡賢さを描いただけだろ
上皇の意に逆らえなかった朝雅と、執権時政(実の父親)の意に逆らえなかった義時
主犯は朝雅や時政りくだとしても数万の幕府軍を率いて重忠を殺した実行犯は義時だ
仇というなら義時も含まれるのに、自分の事は棚に挙げ自分の身の安全は確保した上で
朝雅だけを悪者にして粛清した
これくらい狡賢くないと鎌倉幕府の実権は握れないって描いただけで美談に見えるのはご都合主義なだけ
義時のプライオリティは
「鎌倉を守る」
鎌倉を守るためには自分が政に関わり続ける
そのためには御家人の信を失うわけにはいかない
だから謀反を企てた父のみを誅殺しないわけにはいかない
建前で時政を殺す態度を取り続ける
八田は知ってて煽っていたのか知らなかったのか
時政を助けたい泰時を侍らせれば義時の非情さ(上に立つものとしての公平さ)が際立つので利用された?w
義時は鎌倉を守ることを最優先、その上で時政が死なずに済む僅かな可能性のある手段として「自分以外の人間の助命嘆願を利用して助ける」を選択した。最終判断を他人に求めるのだから「死も已む無しと思っていました」かな?
・不意打ちが得意なスタイルだったのに今回は善児らしからぬ雑な仕事だったように思う
・あの真っ白なお酒ってどんなんなん?米から作ってるの?
・善児がタイマンや複数相手でも強いのってどうなん?元農家やろ
・9月に時政、10月に和田、11月実朝、12月承久の乱みたいなスケジュールかな
・巴とトウが相討ちになる気がする公暁をトウに討たせる意味ないし
・総合視聴率が過去最高らしい。従来より若い人が見てるって記事があった
・北条政子の演説って大河で出てきそうなんか?
・来年は明るそうやし今年は暗いとこ詰め込んでもええやろの精神やな
・頼家が床に伏せた原因って結局なんやったん?