義時の実績
・政子が時政の義兄である宗親に命じて頼朝の愛人の家を破壊させた事件で、激怒した頼朝が宗親の髻を切り落とし、北条一族が伊豆に引き上げた際、義時は時政に従わず頼朝の側に残り称賛される
・病気の頼家が子供の一幡に権力を譲ろうとしている事を知った時政が権力を失う事を恐れ、比企一族を攻め滅ぼし、頼家も政子に押さえ付けられ寺に幽閉された後、一幡と共に義時の手勢に殺害される
・時政が畠山を言いがかりで滅ぼすことを容認し、畠山を滅ぼした際、政子によって所領が政子の女房に分配され、畠山の遺児や縁者には一切与えなかった
・北条一族の嫡男であった政範(15)が何故か急死してしまい、本家を継ぐ事を許される
・父親の時政と義母のりくが実朝を暗殺しようと目論んでいることを知った政子が義村と相談し、事が起こる前から陣を張り、時政を将軍の命だと呼び寄せた後伊豆に強制送還し、義時が二代目執権に就任
・和田義盛に対して政子と一緒に執拗な嫌がらせを行い、挙兵させるよう仕向けて滅亡に追い込む
・公暁を唆して実朝を暗殺させた疑惑あり
・どさくさに紛れて全成の子供や公暁の弟を暗殺
・上皇が義時を倒す事を宣言すると、政子が幕府全体を倒そうとしているとすり替えた演説を行い、義時や泰時が主張していた鎌倉防衛ではなく上洛して京を攻める事を政子が押し切り、京を制圧
・自分の考えではなく近臣が勝手に起こしたものであると弁明する上皇を島流しにする
・後妻に毒殺された疑惑あり
義時って地味に悪人だよな
最悪の朝敵のひとりとして語り継がれて行く派手に悪人なんだよなあ
ニュース
鎌倉殿の13人生年表
1135 安達×
1138 時政
1140 三善 梶原×
1142 八田
1147 頼朝× 和田
1148 大江
1150 範頼×
1153 全成× 義円×
1157 政子
1159 義経×
1163 義時
1164 畠山×
1167 仁田×
1168 義村
1175 時房
1180 後鳥羽上皇
1182 頼家× 平賀
1183 泰時
1192 実朝
不明 比企 りく 実衣
そだよ
しかも足利は政子の妹婿で徹頭徹尾政子派
結局武蔵は政子派のものになった
じゃあなんで鎌倉を滅ぼすんや…
徹頭徹尾幕府についてるいうても当主切腹したりしてるから必ずしも美味い思いばっかしてるわけやないんや
執権の権威も形骸化して執事が政務を取り仕切って腐りまくる
&ロイヤル革命戦士にメンヘラ戦チートが惚れ込んでしまう
はえー
モンゴル攻めてきて北条の本流が板東中心で縮こまってになって京に太いパイプもってる足利から離れていったからや
止めは足利とタッグ組んでた赤マフラー殿を殺しちゃったこと
足利は北条の主流から嫁をもらってたのに途中から傍流や上杉から嫁をもらうようになってたのが色々と察してしまう
>>750
足利当主とか血の99%北条なのにな
なお足利顔と呼ばれる特徴的な遺伝子は室町に入っても残るくらい強力やった模様
困り眉とか受け継がれてて笑ってまうよな
足利顔はどんな顔なんやろな
よく出てくる足利尊氏の絵って実は足利尊氏じゃないんだっけ
伝頼朝像のあの絵って足利直義説あるよな
説というかほぼ確定やろ
北条の血を引く義氏が当主だったからちょうど兄が浮いてた
このドラマでは全然出てこないけど、足利と北条の関係はかなり深いで
こいつら半分北条家では?
上杉ってどの辺から出てきたん?
上杉は京都から付いてきて足利氏の嫁入りさせて家名をあげたんや
上杉氏(うえすぎし / うえすぎうじ)は、武家・華族だった日本の氏族。京都の地下家だったが鎌倉将軍宗尊親王の関東下向に供奉して武家になったとされ、室町時代には足利氏との血縁から関東管領を世襲して関東に広く勢力を広げたんや
これは博識民
・中川大志くん、足利尊氏やろう!鎌倉の息の根を止めるんや!
・畠山殿が小四郎の首を取らなかったのはそれが目的ではなかったからだよね
・結婚するなら花沢さんが一番だと今は思える
・釣り野伏せは囮部隊をけしかけて敗走を演じさせないと駄目だろ
・畠山重忠・息子・奥さんの最後は史実ではどうだったの?
・殴り合いの時に重忠が矢を食らったのかと勘違いした
・題名見た時は北条が縁組で味方を多く集めて権力握った話かと思った
・八田殿は結構汚れ仕事も受け入れるから正義漢という訳でもないんだな
・歴代大河の主役がここまで凶悪に描かれた事ってあるの?