ガダルカナル攻防戦について色々語りましょう。
ニュース
島に飛行場なぞ作らず要塞化していれば勝てた
どこへ行っても海軍設営隊は弱すぎ、役立たず
飛行場作らなかったら、ガ島に行く意味ないヨ・・・
>>26
だって日本側の作った飛行場を米軍が占領して使用するって
悪しき先例を作っちまったじゃないか
もしツラギの水上機基地だけなら米軍もそんなに来なかったろうし
要塞化して持ち堪えていればツラギに張り付いた米軍を海空から殲滅することも
できたんジャマイカとオモタが、やっぱり水際陣地なんだろうから無理か
しかし設営隊は戦力弱すぎる、せめて敵に物資を鹵獲させるなよ
>>68
ガ島には飛行場建設のための適地があるから、設営隊が行ったわけだし・・・
要塞化するならラバウルで十分じゃないかと。
米軍が予測したとうり、五千人ぐらいの戦闘部隊がいたら一定期間飛行場の使用を阻止できて
史実よりも増援しやすくなっていたのではと思います。
と、思ったが無駄に攻撃に出てすぐアボンかも
設営隊はしょうがないです。米軍と違って徴用されたただのオサーン達だし。
しかし、物資を焼却できなかったのはイタイですね。
ガ戦上陸時に輸送船にすぐ逃げられた海兵隊は、日本軍のもの結構活用してましたから。
「島嶼なんだから、補給路を締め上げればいい。
それを日本海軍はバカみたいに上陸部隊をあげて決戦方針で望んだ」
(ニミッツ)
決戦しなかったらジリ貧だyo・・・
第二次世界大戦帝國陸軍南東戦線戦闘序列
第8方面軍(今村均中将)
第8方面軍司令部
第17軍(百武晴吉中将)
第17軍司令部
第6師団
山砲1個連隊
山砲1個大隊
速射砲1個大隊
速射砲1個中隊
高射砲5個大隊
その他諸部隊
第18軍(安達二十三中将)
第18軍司令部
第20師団
第41師団
第51師団<主力再建中>
南海支隊
独立混成第21旅団
歩兵第41連隊
その他諸部隊
直轄部隊
速射砲1個大隊
高射砲6個大隊
その他諸部隊
第38師団
続き
飛行第6師団
飛行第6師団司令部
航空7個戦隊
飛行3個中隊
その他諸部隊
直轄部隊
独立混成第65旅団<2個連隊欠>
南海第1守備隊
戦車1個連隊
戦車1個中隊
野戦重砲兵2個連隊
高射砲3個大隊
その他諸部隊
第二次世界大戦帝國陸軍ガナルカナル島戦線戦闘序列1
第17軍(百武晴吉中将)
第17軍司令部
南海支隊(堀井少将)
歩兵3個大隊
山砲大隊
工兵連隊
独立混成第35旅団(川口少将)
一木支隊(一木清直大佐)
歩兵第28連隊
第2師団
第36師団
龍頭部隊
第1揚陸団(伊藤少将)
第17軍直轄
戦車中隊
速射砲中隊
山砲大隊
野戦重砲兵中隊
高射砲2個大隊
続き
第17軍予備
歩兵第41連隊
青葉支隊
その他諸部隊
飛行第6師団
飛行第6師団司令部
第12飛行団
航空第45戦隊
独立第76飛行隊
その他諸部隊
ガダルカナル守備隊(門前海軍大佐)
横須賀海軍第5特別陸戦隊
ガダルカナル航空基地設営部隊
その他諸部隊
第二次世界大戦帝國陸軍ガナルカナル島戦線戦闘序列2
第17軍(百武晴吉中将)
第17軍司令部
第2師団(丸山政男中将)
住吉支隊(住吉少将)
岡部隊
歩兵3個大隊
その他諸部隊
中熊部隊
歩兵2個大隊
その他諸部隊
砲兵隊
軽砲(野砲・山砲)5個小隊相当
榴弾砲中隊相当
野戦重砲兵15個分隊相当
その他諸部隊
続き
防空隊
高射砲2個大隊
その他所部隊
直轄部隊
軽戦車中隊(10輌)
コリ支隊
歩兵1個大隊
その他諸部隊
その他諸部隊
第二師団の戦歴
S.16.09 臨時編成
S.17.01 蘭印攻略作戦
S.17.08 ガダルカナル奪回作戦
S.18.01 ガダルカナル撤退、ブーゲンビル島-ニューブリテン島を経てフィリピンへ。ここで再編
S.19.01 ビルマへ移動、ビルマ防衛戦に従事(「インパール作戦」には直接従事していない)
S.20 一部を残してインドシナへ移動、終戦
第七師団 熊兵団 明治29年編成
一部がノモンハン、ガダルカナルに参戦。
終戦時、第五方面軍に所属、北海道にて本土決戦準備中.
第三十八師団 沼兵団 昭和14年編成.
編成後中国で治安任務に従事.昭和16年香港攻略作戦に参加.その後蘭印攻略
作戦に参加後、ガダルカナル島へ派遣.昭和18年ガ島撤退後、ラバウルで再建
され同地で終戦.
簡単な日本軍師団編制。4単位師団バージョン。
師団司令部
歩兵旅団
歩兵連隊(歩兵3個大隊、歩兵砲中隊、速射砲中隊他)
歩兵連隊(同上)
歩兵旅団
同上
野砲兵連隊(10糎榴弾砲12門、75粍野砲36門)
又は山砲兵連隊(75粍山砲48門)
騎兵連隊(騎兵3個中隊、機関銃小隊、速射砲小隊)
又は捜索連隊(装甲車2個中隊、乗車2個中隊)
工兵連隊(工兵3個中隊)
輜重兵連隊(2個大隊)
ガ島戦時、第二師団は三個単位制を取っているのでこれとは少し違う。
第三十八師団も編成は、第二師団とおおむね同じ。
簡単な日本軍師団編制。3単位師団バージョン
師団司令部
歩兵団司令部
歩兵連隊(歩兵3個大隊、歩兵砲隊、等)
歩兵連隊 同上
歩兵連隊 同上
捜索連隊(騎兵2個中隊、装甲車2個中隊)
又は師団捜索隊(騎兵中隊、装甲車中隊)
又は騎兵連隊(中隊2、機関銃小隊)
野砲兵連隊(10糎榴弾砲12、75粍野砲24)
又は山砲兵連隊(山地10榴12、75粍山砲24)
工兵連隊(工兵中隊2個乃至3個)
輜重兵連隊(車両中隊、自動車中隊)
その他
アメリカ軍歩兵師団
師団司令部
歩兵連隊
第1大隊(歩兵中隊×3)
第2大隊
第3大隊
歩兵連隊
歩兵連隊
師団砲兵
野戦砲兵大隊(105mm砲中隊×3:105mm榴弾砲×12~18)
野戦砲兵大隊(105mm砲中隊×3)
野戦砲兵大隊(105mm砲中隊×3)
野戦砲兵大隊(重砲中隊×2:155mm榴弾砲×8~12)
偵察中隊
工兵大隊
通信大隊
段列(整備・補給等)
ただし、開戦直後の状態と大戦末期との状態では、兵員・装備の充足率等で大きく異なります。
また、これ以外にも上級部隊から、戦車大隊や対戦車大隊(自動車化対戦車砲大隊・駆逐戦車大隊)、対空大隊等が臨時に配属されます
(もっとも、これは一度配属されたら、引き上げられることは少なかったらしい)。
アメリカ軍の装備・編成で特徴的なのは、「員数外の装備が多い」「完全自動車化」ということでしょうか。
その為、部隊によって実際の装備の数が定数と異なっていることが多いようです。
105mm砲編成の砲兵大隊は、大抵の場合、各歩兵連隊に一個大隊ずつ張り付けられ、その支援にあたります(もちろん、集中して運用されることもあります)。
155mm砲大隊は、重点的な火力支援が主要な任務です。
砲兵大隊の砲門数が12~18とあるのは、大戦初期では四門、その後徐々に火砲の生産数が増加し、
大戦末期には六門と定数を満たすようになったためです。ただし、太平洋戦線では終戦まで実質五門だったと聞いたことがあります。
海兵師団については、分隊の人数が陸軍は12人なのに対して13~15人なのと自動火器が多めに配備されていること以外は、
陸軍の歩兵師団の編成に準じていると思います(例によって、臨時にいろんな部隊が配属される)。
対米戦で浸透戦術をうまく発揮できなかったことの理由に、
「1.アメリカ軍自体が日本軍の戦術を研究していた」ことと、
「2.多くの場合、前線の日本軍は物資の不足により戦力が低下していた」
こともあげられると思います。
前者「1.アメリカ軍自体が日本軍の戦術を研究していた」はとりあえず、
「a.夜間浸透の防止」「b.浸透を許した際の対策」の二つに分けます。
「a.夜間浸透の防止」は、「日本軍が浸透してきそうな箇所を重点的に警戒する
(沖縄戦での照明弾大量使用等)」「阻止砲撃で日本軍の移動・集中を妨害する
(ガダルカナル戦等)」などがあげられると思います。
# ()内であげた例はかなり極端な例ですので、あまり気にしないように(^^;;;
「b.浸透を許した際の対策」は、
「日本軍が自軍陣地に接近してきても、障害物等を活用して移動を妨げ、
火力を集中することで突入を防止する」「部隊が孤立しても容易に支援を要請できるよう、
小部隊にも無線を配備する」等があると思います。
後者の「2.多くの場合、日本軍が物資の不足により戦力が低下していた」は、
部隊が全力を発揮できる状態ではなかったであろうことを指します
(銃剣が役にたつのは最後の最後ですし、武器弾薬以外の食料等がないと、体力・持久力の低下は避けようがありません)。
これ以外にも、日本軍を確認次第、昼のうちに可能な限りの損害を与えておくことはいうまでもありません。
そもそもドイツ陸軍の浸透戦術は、
1.戦線の「穴」から足の速い部隊が侵入し、
2.敵拠点を自軍の後方からの火力支援を受けつつ制圧し(敵の前面の部隊は攻撃を受ける)、
3.敵の後方を攻撃する
4.戦果を拡大するため、後続の部隊が前進する
というものであったのに対し日本軍のそれは、
1.(特に夜間)戦線の「穴」から部隊が侵入し、
2.敵に覚られぬよう迂回し(この段階でも敵部隊はほぼ健在)、
3.敵陣に部隊を「流し込む」 or 敵の後方との連絡を遮断する
4.敵が壊走する(それを前提とする)
という傾向の強いものだったのではないでしょうか。
戦意の低い、あるいは容易に増援等を得られない敵に対しては有効でしょうが、
それを察知し、待ちかまえている相手に対してはどうでしょう。
浸透して包囲したはずの敵がパニックを起こして手をあげるどころか、
鉄条網を張り巡らした陣地で自動火器で待ち受けていたら。
敵陣周辺までたどり着いた日本軍は有効な火力を発揮できず、
重機や擲弾筒で、残弾を気にしながらの支援の下での敵陣内進入は難しかったでは、と思うのです。
しかも、「浸透に成功する」ということは「敵中に突出している」状態なわけですから、
早期に敵陣に突入するなり移動するなりしないと、反撃を受ける可能性があります。
いずれにしろ、大規模な火力支援が必要となります。
もっとも、「日本軍が浸透した部隊に対して容易に後方から火力支援をできるような軍隊だったら、
混乱しやすく自軍の損害も多い夜間浸透なんか滅多にやらなかったであろう」というオチがつくのですが(+_+)
782 名前: ばばぼん♪ 投稿日: 02/03/07 22:19
上の最後の二行は個人的な感想です。
つ~か、日露やその後の第一次大戦のような大規模消耗戦(火力戦)に国力や生産が追いつかないだろうから、
歩兵中心の夜間浸透をやろう、ということになったのではなかったかと記憶しているのですが
日本陸軍部隊は作戦中に、31400名が上陸。
10652名がガ島より撤退。戦死者5~6000名。15000名前後が戦病死。消耗率66%
海軍は戦闘艦25隻喪失。作戦機、約1000機を失う。
アメリカ軍は計60000名ほどが上陸。
戦死者1000名。負傷者4245名。消耗率8.7% ほかに9000名ほどが病気にかかっている。
戦闘艦25隻喪失。作戦機、約900機を失う。
商船の損失はよく分からない。
―参加部隊―
日本陸軍は、
一木支隊2108名(歩兵第二十八連隊基幹:ミッドウェー作戦参加の際に編成が変更され、兵力が三分の一になっていた)
川口支隊6217名(第三十五旅団)
第二師団10295名
第三十八師団7636名
その他、海軍陸戦隊が何百名か。
アメリカ軍は、
第1海兵師団19514名 (1,5,7海兵連隊)
第2海兵師団 (2,6,8海兵連隊)
アメリカル師団 (132,147,164,182連隊)
第25師団 (16,27,35,[161]連隊)
その他、海兵空挺部隊(パラマリーン)、急襲部隊(レイダース)
俺としてはたぶんシカゴだと思うんだけど。
>>71
不明。
6Sの戦闘詳報を見る限り、「ポートランド型」大巡が隊列に突入してきたという記述はあるが、すでに第二次戦闘が始まっている時刻(0007~0008)で、古鷹他が鳥海らと分離した時刻とは合致しない。。
両軍の資料をつき合わせて作られたソロモン海海戦行動図(その2)を見る限り、日本軍の隊列に接近しているのはキャンベラと米駆バークレー。
また古鷹の射撃記録では、分離時刻前後に「オーストラリア型」と距離3000で射撃をしているので、シカゴよりキャンベラの可能性の方が高いと思われる。
ニカラグアでサンディーノ率いるゲリラとのジャングル戦を経験していたため
ガダルカナルでの戦いも要領を得ていたという話がありますね
サンディーノ戦争含む中米での諸作戦で、海兵隊は経験値を稼ぎましたね。
古くは米西戦争の頃から働いてるし、第1次大戦前にはベラクルスで上陸作戦やったり、
サンディーノ戦争では、ジャングルでの掃討戦や、航空機運用をいろいろ。
調べてみました
ガダルカナル戦に参加したニカラグアでのサンディーノ戦争参加者
・メリット・エドソン大佐
・ルイス・チェスティ・ピューラー(ニカラグア国家警備隊の創設に参加)
ぐらいしかわかりませんでしたが多分もっといるはず
ウィリアム・H・ルパータス少将はハイチでの戦闘に参加してたようです。
http://yasai.2ch.net/army/kako/982/982552446.html(リンク切れ)
↑見てるとルパータスって凄い人みたいですね。
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USMC/V/USMC-V-VI-2.html
ここの697ページにニカラグアでのヒットエンドラン戦術がどうこう書いてあります
気になった人
メリット・オースティン・エドソン少将(1897~1955)
彼は”Red Mike”として知られている。
名誉勲章、2つの海軍勲功章、銀星勲章、2つの勲功章を授与されている。
1928年から1929年にかけて、ニカラグアでサンディーノのゲリラと戦闘。
1937年から1939年にかけて、中国の上海で日本軍の作戦を観察。
やがて彼は第1挺身大隊長となり、大佐になる。
エドソンが最も名をはせたのは、なんといってもガ島戦の“血染めの丘(百足高地)の戦い”である。
第1挺身大隊と第1落下傘大隊とで丘に陣取り、川口支隊の猛攻に耐えた。
この戦いの活躍により、第5海兵連隊長となる。
1943年に第2海兵師団参謀長となり、後に同師団副長になる。
1945年the Office of the Chief of Naval Operations(?) 、1947年Marine Corps Headquarters(?)に任命された。
1947年に軍を除隊し、ヴァーモント州警察の初のコミッショナーや全米ライフル協会の専務取締役になったりしている。
1955年、自殺(!)
おもな戦歴、
Banana Wars(なんですかこれ?)
ガダルカナル
サイパン
テニアン
>>91
バナナ戦争はアメリカ側からみた20世紀初頭の
対中米・カリブへの介入紛争の総称のことみたいです。
当時の中米らへんは『バナナ共和国』(ユナイテッド・フルーツのバナナプランテーション国家)
が殆どだったからじゃないですかね?
見てて思ったんですが、当時の日本軍が考えてた程米兵は弱くなかったんじゃないでしょうか。
兵卒は弱くても将校レベルの人材は胆力にあふれてそうなイメージです
うーん、でもこんな英雄がどうして自殺しちゃったんでしょう?
アメリカって中米によくちょっかい出してるようですね。
アメリカの歴史についてはまったく無知なもんで勉強になります。
海兵隊は日本陸軍をバリバリ意識していたっぽい。
エドソンさんは、爺さんになってからPTSDが酷くなったとか
9月12日~9月14日の攻撃参加部隊
川口支隊(川口清武少将)
・第三十五旅団司令部
・中央隊 左第一線攻撃部隊
第一大隊(国生勇吉少佐)〔第百二十四聯隊〕
・中央体 右第一線部隊
第三大隊(渡辺久寿吉中佐)〔第百二十四聯隊〕
・中央隊 第二線部隊
青葉大隊(田村昌雄少佐)〔第二師団歩兵第四聯隊第二大隊〕
・右翼隊
熊大隊(水野鋭士少佐)〔一木支隊残余〕
・左翼隊(岡明之助大佐)
第二大隊(鷹松悦雄少佐)〔第百二十四聯隊〕
・第二師団野砲兵第二聯隊第一中隊(萩原国衛大尉)
・その他
すぐ組織的戦闘やれってのが無茶な話だから
青葉大隊が一番進撃した要因は、大隊長自身がずっと指揮できる状態だったからかと思います。
国生少佐は死中に活を求めて突撃して戦死していますし、水野少佐も砲撃を受けて戦死しています。
鷹松少佐は空襲で戦死、というか第二大隊は戦う前から戦力の3分の1を消耗・・・
9月12日~9月14日のアメリカ軍のガ島における戦力
・第1海兵師団(第7連隊欠)
第1海兵連隊
第5海兵連隊
第11海兵連隊(砲兵)
第1水陸両用トラクター大隊
第1挺身大隊
第1落下傘大隊
第1工兵大隊(Pioneer)
第1工兵大隊(Engineer)
第1特別火器大隊 (40ミリ高射砲、90ミリ高射砲、対戦車砲)
第1(軽)戦車大隊
第3防衛大隊
多分こんな感じ・・・
第3防衛大隊はよく分かりません。
ツラギ方面に行っていた第5海兵連隊第2大隊と第1落下傘大隊と第1挺身大隊がガ島に転戦しています。
日本軍の中央隊の正面には、第1落下傘大隊と第1挺身大隊が布陣。
その後ろに第5海兵連隊第2大隊と第1海兵師団司令部、砲兵隊が布陣。
アメリカ軍は飛行場を守るために戦力が分散していたと思われます。
川口少将「総攻撃は12日にやります」
川口少将「やっぱり13日に延期します」
連合艦隊「もうちっと早くできないか」
川口少将「じゃあ、1日繰り上げて12日にします。状況によっては11日にやります」
十七軍「総攻撃は11日にします」
連合艦隊「わかりました」
川口少将「11日は無理です」
連合艦隊「ふざけるな」
っていうのが大まかな流れだよな。川口少将は見得張って無茶な攻撃繰上げを口に出すし、十七軍は勝手に11日だと思い込むし、連合艦隊は尻を叩くばっかりだし・・・・・
一木支隊も、川口支隊も、焦った一因は糧食不足。
一木支隊の携行糧食は7日分。上陸が8月18日深夜なので、25日頃には兵糧切れとなる。
それでも20日深夜~21日未明の総攻撃は、さすがに急ぎすぎの観ありか。
19日に出した斥候が消滅しているあたりで、もう少し慎重になっても良かったような気がする。
>>141に出てくる川口支隊の急ぎぶりも、
9月13日には熊大隊(旧一木支隊第二梯団)など一部で、草の芽を食べる状態なのでまあ。
なお熊大隊の編成
本部、歩兵中隊x2、機関銃中隊(HMGx4)、連隊砲中隊(75mmx4)、
速射砲中隊(37mmx4)、独立速射砲中隊(ラ37mmx4)
「襲撃における部隊の典型的な配置は両翼に分かれ、主力攻撃を割り当てられた翼には優勢な兵力が与えられるのに対し、
他の翼は二次攻撃を行う。」
と、米軍の日本陸軍マニュアルに載っているそのままの戦術なので、
日本軍にとってポピュラーな戦術のようですね。
そういや、8月15日ごろにソ連の駐在武官から「敵の目的は飛行場破壊。すでに米軍は撤退に腐心しつつあり」っていう電文が届いたっていう件はどうなったの?
戦史叢書見ても、「当時の駐在武官は記憶にないと言ってるけど、戦藻録にもそれに関する既述がある以上、何かしらは情報提供があったんだろうけどよくわかんね」みたいなこと書いてあるし。
個人的には、情報提供はあったけど、当時の駐在武官がしめし合わせてなかったことにしたのかなぁと思う。
亀井さんの本だと駐ソ陸軍武官矢部忠太さんの書簡で、
「補佐官(野原博起少佐―戦死)が処理した電報の一通だったと思われます。」ってあります。
うやむやにして責任を回避しようとしているようにも取れますね。
戦争録の8日と10日の判断の違いが面白い。
第一次ソロモン海海戦の結果だろう。
8日までは、敵は思い切った兵力だと見ていたのが、
8~9日の海戦で連合軍水上部隊が一掃され、
戦果確認に入った潜水艦と航空機の報告で、船団の引揚が確認されたのを受けて「総退却」と判断。
12日にラバウル根拠地隊の参謀が航空偵察して、敵主力は退却したという報告したとも。
もともと海軍側は1個旅団投入を最初から希望していたみたいだね。
それが、海戦の結果でこちらも楽観論に変わってしまう。
陸軍側にしてみれば、予想通りというつもりか。
南東方面海軍作戦<1>を見返したら、二水戦の戦時日誌を出典として海軍部第一部長から16日に情報があったになってる。
それによると「8月12日「ソ」連によれば、米海軍省は「ソ」連海軍武官に左記を通告せり請う」として、その概要は
「ソロモン方面に上陸した海兵隊は空路以外に脱出の方法がないので、他国特に支那に対する影響を考慮して、
ガ島の上陸は日本軍基地の破壊のみを目的とするという口実の下に、モレスビー・ニューカレドニアへ航空戦力を増派し、
海兵隊を収容して本作戦を打ち切ることを急務とする」となってるね。
>>152
海軍部内でもレベルによって判断材料とその判断に微妙な温度差があるので、海軍でひとくくりはしない方がいいと思うけどね。
・【春秋戦国】魏の有能人材逃し率の高さは異常【呉起、范雎、楽毅、商鞅、孫ピン】
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