「広島・長崎の原爆について」(日本近代史板)
喧嘩のようになっている部分は除いてまとめています。
予告があったという方レスと思われるものを緑にしています。
バカなどの表現は目についた範囲で消去しています。
前後のつながりなどおかしい部分があれば元スレも参考になさって下さい。
予告説はオカルト板でも軍板でも論破されたんだよな
ならたとえば一部の人が盛んに叫んでいる「原爆投下予告」のビラが捲かれておりそれを司令部が認識していたと仮定しよう。
すると以下の疑問点が出てくる。
①ビラを捲いて広島市に予告するほど米軍は原爆投下に悠長だったのか?
→原爆投下は国家機密であり、一部の科学者、政治家、軍人以外は知らなかったのは周知のとおり。
さらにソ連の参戦まで時間的余裕もなく、あせって原爆投下を断行したのも周知のとおり。
おまけにリトルボーイ=ウラニウム235爆弾での原爆実験は行われていない。
7月16日の原爆は長崎に投下されたプルトニウム爆弾。つまり一発勝負だった。
このような状況下で米軍機が原爆投下を知らせるビラを捲いたとは考えにくい。
②原爆投下は原爆投下地点や米軍の行動から見て実験的要素が強かったが、実験したい米軍があえてせっかくの実験の機会にそれを
台無しにするような予告をするだろうか?
→原爆投下の目標は相生橋。これは米軍がT字型の橋を見て広島市中心街と判断して投下目標に選んだとされている。
実際、当時の中島町(現平和公園)は広島市一の繁華街だった。
もし米軍が広島の軍事施設を狙ったなら施設が密集している広島城付近か軍港の機能を有していた宇品を狙うだろう。
だが中国軍管区司令部は壊滅したが、宇品船舶司令部(暁部隊)は無傷だった。
米軍が本土決戦を食い止めるために原爆投下をしたかったなら第二総軍司令部か暁部隊を潰すのが普通。
特に宇品は陸軍基地広島から大陸への進出のシンボル。市街地を破壊して、これを見逃すあたりが明らかにおかしい。
市街地と軍事施設の隣接地帯であり、中心地に投下すれば実験的データが得られる。その意味では実際の爆心地は実験の要件を
満たしている。
③原爆予告をするほど原爆投下計画に余裕があったのか?
→だとしたら前日に延べ数十~百数十機もの航空機による幻惑空襲を行ったのはなぜか?
米軍にとってはあくまでも無警告下の無傷の広島市に原爆投下することに意義があった。
そのために広島市は周りの主要都市が空襲される中でも無傷で残してあった。
好条件で実験したかったからこそ呉は空襲しても広島市を空襲しなかったのがわかる。
実際に前日の幻惑空襲では山口県の一部の都市が空襲されている。
④なぜ司令部が壊滅したのか?そしてなぜ司令官が爆死したのか?
→通常であれば軍部がそのような情報を掴んでいれば地下司令部にするのが常識。
現に海軍では連合艦隊司令部が昭和19年には空襲を避けるために慶応義塾大学の地下壕に移っている。
しかし広島の各司令部ではそのようなことは一切なされていない。
当時の広島市にも防空壕や地下壕が他都市と比較して遅れていたとはいえ、存在していたので不可能な話ではない。
あえて言うなら中国軍管区司令部の「防衛地下司令室」=防空司令室のみが半地下式になっていただけ。
しかもこれは原爆投下のずいぶん前からこの形状になっていた。
さらに米軍のそれまでの空襲から都市中心部を狙う傾向があったため、田舎に移すなどの方法もあったはず。
中国軍管区司令部は役割上無理だとしても第二総軍司令部は本土決戦用の司令部だからそうしてもおかしくはない。
陸軍の最高クラスの元帥がいたのだからなお更。元帥とは当時の陸軍の神であるのはわかると思うが。
⑤なぜ原爆投下の際に警戒警報が遅れたのか?
→前日の5時間半に及ぶ不可解な行動、すなわち広島市の中国軍管区司令部を混乱
させた幻惑空襲と6日の天候観測機侵入の際に発令された7:09の警戒警報も7:31
にすぐ解除(7:31)するはめになったという背景があると思われる。
ただもし原爆投下予告のようなものを司令部が察知していたならそもそも簡単に
米軍の侵入を許しただろうか?
さらにそのような予告を察知していたならこのように警報が遅れる事態は発生し
なかっただろう。現に8時少し前には防空監視哨から広島市へ米軍機接近中とい
う情報を察知していた。しかし前述の背景から警戒警報の判断が遅れた。
そのため警戒警報発令と同時に原爆炸裂という事態を招いてしまった。
→予告を察知していたなら防空体制を強固にしただろう。なぜなら広島市は西日本最大の陸軍基地
であり、海軍の呉・陸軍の広島として有名だった。しかも全国7番目の主要都市だった。
にもかかわらず海軍の呉は大空襲で壊滅しており、周りの主要都市も壊滅していた。
「なぜ広島市だけ?」という疑問は当時の軍・官・民にはあったのも有名な話だろう。
そういう描写はたいていの原爆関連の物語や証言に出てくる。
それに加えて予告があったとすれば軍は躍起になって防空体制を強化しただろう。
しかし実際は原爆投下時の中国軍管区司令部の防空体制は他の管区司令部より脆弱だった。
他の司令部では防空担当参謀が十数人いるにもかかわらず中国は二人。
予告を軍が察知していたならこれはあり得ない事実であろう。
もう一つ、
これは新たな反論ネタだが
8月6日になぜあえて赤穂師団を編成したのかな?
原爆投下が予想されたならあえて新兵団を編成する必要あるの?
しかも広島でw
西練兵場はおかげで普段の何倍も人が集まっていたんだけど??
これでも予告を軍が掴んでいたと主張し続けるの??w
そうなるともはやそれはオカルトなんだよ。
なんでこんなに簡単に反論できる主張をするかな?
①ビラを捲いて広島市に予告するほど米軍は原爆投下に悠長だったのか?
②原爆投下は原爆投下地点や米軍の行動から見て実験的要素が強かったが、実験したい米軍があえてせっかくの実験の機会にそれを台無しにするような予告をするだろうか?
→米軍は原則的に空襲前には事前予告するポリシーを持っておおむね実行していた。
③原爆予告をするほど原爆投下計画に余裕があったのか?
→もちろんあった。
④なぜ司令部が壊滅したのか?そしてなぜ司令官が爆死したのか?
→仮に司令官自身が原爆投下予定を確信していたとしても、当時の状況で逃げ出せるはずがない。
⑤なぜ原爆投下の際に警戒警報が遅れたのか?
→投下直前に警戒警報が出ている。
⑥なぜ容易に原爆投下をさせてしまったのか?
→新潟原爆疎開の実例でも明らかなように、当時の政府は原爆投下予告がかなりの確度で予想されても住民の混乱を恐れて情報を握りつぶす方向で対応した。これは軍の内部でも同様だっただろう。
原爆を無警告投下で使用するというのは米上層部の当初からの方針で、文書にすら残っております。
>>398
だから「はだしのゲン」の作者でさえ、投下予告があったと主張しているんだよ。
原爆投下予告を否定している奴は、被爆者の方々を嘘つき呼ばわりしたり、日本軍の司令官が空襲予告があったらこそこそ逃げ出すだろうと言ったり、およそ日本人らしくないことばかり言っているな。
錯覚だと思うが?だいたい「はだしのゲン」の作者もけっこう作品内で錯誤を展開しているじゃないかw
あれは原爆投下後の混乱による錯誤だ。もしそういうことがあればもっと多くの人間が主張する。
②原爆投下は原爆投下地点や米軍の行動から見て実験的要素が強かったが、
実験したい米軍があえてせっかくの実験の機会にそれを台無しにするような予告をするだろうか?
→米軍は原則的に空襲前には事前予告するポリシーを持っておおむね実行していた。こんなポリシーどこにもないぞ?w降伏文書をまいていたのと混同してないか?ww
それなら日本軍もシンガポール攻略の際には爆撃機からまいたわなw
→もちろんあった。だいたい広島型原爆は実験する暇もなかったんだよ。
長崎は行き当たりばったり。どうやって予告するんだ?w
アホすぎなんだよw
あんたが被爆者の方々をどこまでもコケにするつもりだということは
よくわかったよ。
>>409
被爆者をコケにするというより一部の被爆者の錯誤だって考えた方が妥当だよ?w
常識的に考えて・・・w
あまりにも根拠に乏しすぎるし、状況証拠と一致しない。
また軍を陥れすぎ。だいたいゲンの作者なんて日本軍大嫌いの非国民だったんだぞw
どれだけ信憑性があるんだよ。しかも当時小学生wwアホか、お前らw
中国軍管区司令部や憲兵隊司令部は壊滅したんですが??
ビラを回収するとしたら憲兵隊ですが、何で壊滅したんですかねー?
市長まで死んでるんですが?
→仮に司令官自身が原爆投下予定を確信していたとしても、当時の状況で逃げ出せるはずがない。出張なり何なり理由をつけていくらでも外出できるよな?
広島では藤井中将と小谷少将が死亡している。
おまけに畑元帥まで軽傷だったが、二葉の里で被爆してるんだぞ?
李殿下も爆死しているぞ?
→投下直前に警戒警報が出ている。何で投下直前まで出なかったんだ?実際は投下直前というより同時なんだよな。
お前はもっと勉強しろや、当時の状況ってものをw
→新潟原爆疎開の実例でも明らかなように、当時の政府は原爆投下予告が
かなりの確度で予想されても住民の混乱を恐れて情報を握りつぶす方向
で対応した。これは軍の内部でも同様だっただろう。原爆と一般の空襲は違うぞ。原爆投下は国家機密としてアメリカでさえ一部しか知らなかった。何で敵国にわざわざ知らせるの?w
「はだしのゲン」作者中沢啓治氏の証言
http://www.kamatatokyo.com/gen/dna/source/51.html
原爆投下予告のビラ
原爆投下3日か4日前に、バラパラーッと、空からビラがいっぱい降ってきました。僕らは追いかけて拾ってきたけれど、字が読めなかった。
それを大人が悲壮な顔で回収してまわっていた。後でわかったことだけど、それは「広島から逃げろ」「広島は大惨事をむかえるぞ」という予告のビラだったんですね。
だけど当時の日本人は、これは米軍の騙しだから信用するなといって全て回収した。だからアメリカとしては、原爆投下の警告はしたぞということでしょうね。
http://tenmin-photo.cocolog-nifty.com/papa/2006/09/post_73bd.html
埼玉県朝霞にある士官学校で生活していた時、東京に大空襲(昭和20年3月10日と5月25日)がありました。朝霞からも、低空飛行で飛ぶ米軍の飛行機が見えました。
米軍機で真っ黒になっている空から、大量の焼夷弾が真っ赤な光の帯となって、地面に向かって落ちていき、東京中が火の海になっていました。
米軍は事前に空襲を予告するビラを撒いていました。
私たちはそれを「伝単(でんたん)」と呼んでいました。
士官学校で教官が「渋谷・赤坂・世田谷出身者はいるか!?」と訊ねますので、「はい」と私が返事しますと、「渋谷は5月25日に空襲だ!」と言われました。
おそらくこれが予告ビラと錯誤されているもの。
米軍は空襲を事前に予告するほど余裕でもなかったんだがな。
米軍がB-29どれくらい撃墜されたか知ってるの?
B-29がどれだけ高価な航空機か知ってるのか?
米軍は日本軍をまだ侮りがたしと考えたからソ連に参戦を頼んだの知ってるの?
B-29の撃墜率は1.5%程度。延べ出撃数約33000回、うち撃墜が418機。諸説もあるが700機喪失という米軍記録もある。
日本軍は防空戦を片手間でやっており航空兵力は全体の27%以下しか投入していない。
その程度の兵力で新鋭重爆撃機が撃墜されたわけだ。
おまけに昭和19年から開始された特攻作戦で米軍はかなりの打撃を受けている。
戦争にもけっこう疲弊していたのも事実なんだが。
だから領土保全を付け加えたんだけどな。
さらに弾丸7000万発、兵員700万人がいた。
米軍は硫黄島、沖縄で大打撃を受けたため、日本軍未だに侮りがたしと考えていた。
そんな状況下で空襲前にわざわざ予告するのかー。優しいなw
とてもこの60年間で800万人を虐殺した国とは思えないよなw
結論から言えば、昭和19年6月19日のマリアナ沖海戦で大敗した時点で戦争を止めるべきだった。それならあの戦争は敗北程度だったのにな。
あの時止めていれば本土空襲、硫黄島、沖縄、神風特攻隊もなかった。
だいたい頼みの連合艦隊の機動部隊が壊滅したのに戦争を継続したことが愚。
陸軍は健在だったが、主力部隊は中国大陸に釘付けだったし海軍が協力しなさすぎ。
まともな戦争遂行能力はマリアナ沖海戦に惨敗した時点で喪失している。
あとのあがきがかなり米軍に衝撃を与えたが、失ったものがあまりにも多い。
世界三大強国の連合艦隊が本格的に破滅への道(自滅)をはじめたのは昭和19年から。
余裕がなくて、日本の余力を知ってたからプライドを捨ててソ連に要請したんだから。
ソ連に参戦を要請したのは、45年2月のヤルタでだろ。
ルメイが低高度無差別爆撃に切り替える以前だぞ。
ドイツ降伏後、米ソはヨーロッパの戦後処理をめぐって利害が衝突し、アメリカはソ連の参戦前に原爆投下を成功させて日本を降伏させ、戦後のイニシャティブを握ろうとしてたはずだ。
>>470
だから日本への爆撃効果がイマイチで悩んでいたわけだが。
おまけに日本軍の余力がまだ随分あると見積もっていたわけだ。
単独で屈服させるのは難しいってことでソ連に参戦要請。
けど土壇場になって原爆投下して、日本への権益の主張を行う腹。
しかし原爆は降伏させるために投下したものではないだろ。
ソ連に「原爆で日本は降伏した」と主張したいため。
原爆だけでは日本が降伏しないことをアメリカは予想してたからソ連に参戦要請した。
そして案の定日本は原爆投下ではなく、ソ連参戦に衝撃を受けて降伏。
当時ソ連を通じての和平工作に必死だったからショックだったんだろうな。
一回の出撃あたり1%以上は喪失してるからな。重爆の喪失率としてはけっこう大きい。
ちなみに戦争を通じての喪失率は1.5%程度。
喪失率が3%越え(実際達成した国はないが)すれば確か戦略転換することになっていたはず。
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