「ヒロシマ」あの時原爆投下は止められた・・・いま明らかになる悲劇の真実で被爆者の高蔵信子さんが日時指定の予告ビラが投下されたと証言している。
「広島・長崎の原爆について」(日本近代史板)
喧嘩のようになっている部分は除いてまとめています。
予告があったという方レスと思われるものを緑にしています。
バカなどの表現は目についた範囲で消去しています。
前後のつながりなどおかしい部分があれば元スレも参考になさって下さい。
同じ筑紫の番組の慰安婦問題で捏造疑惑出た時に、「被害者の証言にケチをつけるのか?」
という根拠のない押し付けをした連中と同じにならないようにな。
アメリカ側記録には欺瞞ビラ、謀略ビラを散布した記録しかない。
その中には、投下後に撒かれた投下予告のようなものもある。
60年前の混乱の極みにあったときの記憶だから時系列のちょっとした間違いは起こりがちだ。
高蔵さんは同僚と予告ビラの話をした直後に原爆が落ちたと証言している。間違うはずがないだろ。
ふーん。そうなのか。
そんで、その人は予告ビラの話はしたんだろうが本物を拾って見たのかな?
それとも話を聞いただけだったんだろうか?
本物を見たとしたら米軍のリーフレットABの何番だったかを番組は検証したのかな?
もし、していなかったら、こんな簡単な照合をそのルポはなぜ割愛したんだろう?
「『原子爆弾』を8月5日の8時過ぎに広島、小倉、長崎、新潟の何れかに投下する」というようなリーフレットは米軍には無いと思うよ。
誰が撒いたんだろうね?
http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/singata.htm(リンク切れ)
新型爆弾投下の予告ビラ ~2001.8.6
私の母親は、戦時中の女学校時代を広島市で過ごしました。ところが、昭和20年8月6日の原爆投下の時は、母親は、危うく難を逃れたのです。なぜ逃れることができたかというと、事前に新型爆弾投下の予告のビラが市内にまかれたからです。
そのビラによって、「近々、アメリカが広島に新型爆弾を落とす。その爆弾は水爆といって、町中が凍りついてしまう」という噂がワッと広がったそうです。私の母親は、とても心配性というか、そういうことをすぐ信じてしまう質でしたので、すぐに田舎に帰りました。
そうしたら、何日か後に原爆が落されたわけです。田舎は広島湾の沖合いの島でしたが、突然、空がピカッと光ったのです。大慌てで防空壕に逃げ込んだものの、その後何も起こりません。恐る恐る防空壕から出てみると、広島市の方角に物凄いキノコ雲が立ち昇っていたそうです。
◇ 原子爆弾が投下される前に広島に原子爆弾が投下される前には、その爆弾を投下する予告の宣伝ビラが投下されました、その宣伝ビラには「やせ細った人、がお米屋さんの前に行列している姿のマンガ」が書かれていて、広島はマッチ箱ぐらいの爆弾で全滅すると書かれていたように記憶していますが、口田国民学校の北側にある弘住神社の裏の山には沢山落ちていました。
もちろん小倉にも予告があった。
http://www.geocities.jp/yoshidaiwao/part4/nagasaki_genbaku.htm(リンク切れ)
筆者の手元に、平成元(1989)年10月1日付「産経新聞」朝刊の、「私の歩んだ昭和史」という特集で募集された「談話室」(投書欄)冒頭の切抜きがある。題して”「長崎」原爆機は撃墜できたのに” [2]。
投書者は、ボーリングセクレタリー 森誠一郎 74 東京都品川区(当時)とある。(以下、本稿抄出または引用の原文はすべて縦書き)
「八幡製鉄所の守備のため、周囲の山々に高射砲が据えられておりました...」
と始まる文中から以下のような記述が見られる。(筆者文責で抄録)
(1) 森氏は、この高射砲用レーダーの電気技術者(上等兵)として、二回目の召集を受けた。
(2) 高射砲は、横須賀配備のものとともに最新型で、従来のものが七、八千メートルの有効高度だったのに対し、新型は一万五千メートルの高さまで飛び、有効高度は一万メートルと称されていた。不時着したB29から入手した地図には、高射砲の威力圏内が明確に図示されていた。
(3) レーダーは当時としては最新型で「三型」といい、始めは探知機のみの性能であったが、補助アンテナを付けて性能を増し、東は別府、西は博多までカバーでき、それまでの電話情報に頼ることがなくなった。
(4) 原爆投下の当日、前以てバラ撒かれた「新型爆弾投下予告」のとおり、八幡製鉄所の上空にB29が高高度で現れた。当日は、曇り・小雨模様であったが、レ-ダーにははっきりと方向・速度・高度が三つのブラウン管に点として現れた。
(5) 砲隊の観測所では、刻々と電気表示板でレーダーからの情報を受信していたはずだが、砲隊はいっこうに発砲しない。森氏が直接電話したら、「なにをいうかゴタクサめ」と言う暴言が返ってきた。”眼鏡”と”観測機”で見えないもの(当日は雨空)には砲撃しないという、弾薬節約令が出ているからであるという。
予告ビラが投下されていたとテレビ番組で証言した高蔵信子さん
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/visit/testimony/testimo07.html
大量にまかれたのなら1枚ぐらい現在残っててもいいはずだし、アメリカがわざわざそんなものをまくとは思えない。
だったら最初から無差別虐殺を目的に2発も原爆を落とすだろうか。
10万人以上が確実に死ぬように市のど真ん中に。
後から捏造された話としか思えない。
無茶苦茶だな。アメリカ政府・軍内部にも日本への原爆投下反対論は強かった。
こんなの少し調べればわかることだ。だから原爆投下が決まってもラジオやビラで住民への退避勧告がたびたび行われた。
>>314
あんたの言うように、スチムソン、フォレスタル、グルー、アイゼンハワーなど無通告または原爆攻撃そのものに反対の者は多かった。
しかし「無通告で原爆攻撃を出来るだけ速やかに行え」との公式の大統領命令で出ているよ。
しかし上記の誰にも原爆攻撃部隊への命令権やルートは無いよ。
マッカーサーやルメイの部下に大統領命令に反する命令を出した者がいたと言いたいのかな?
残念ながら、それを証明可能な記録も、それを類推可能な記録も無いよ。
あるなら出してくれ、オレの研究にも大変役に立つから。
なければ、勝手に無茶苦茶な憶測を騙っているのはあんたってことになるな。
ついでに、オレは横浜出身の日本人で、横浜・東京空襲と原爆を素人としてはそれなり丁寧に追いかけてる者だよ。
あんた、左巻きの反日だろ。
警告されていたのに、日本政府や軍部が握りつぶして被害が大きくなった事にしたいんだよな。ご苦労なこった。
政治性が無いと、情報の受け入れに縛りがなくて楽だぜ。
>>315
せっかく当事者による力作があるんだから、この本について評価してくれ。
容易に入手できるぞ。
原爆投下は予告されていた!―第五航空情報連隊情報室勤務者の記録
黒木 雄司 (著)
広島への原爆投下予告は3日前から朝・昼・晩の3回、延べ9回、長崎への原爆投下予告は2日前から朝・昼・晩の3回、延べ6回にわたってニューディリー放送が行なった―。情報室勤務の昭和20年3月11日から8月21日までの約5ヵ月間の情報入手の日々を克明に書き綴った迫真の記録。戦争を考える1冊。
>>316
その本は読んだ、著者はなかなか誠実そうな人だと思うが、幾つかの疑問もある。
細かくは書かないが
これだけのものを信頼出来る内容として世に出すなら、一次資料の手記なり、日記なりを著者が現有していることが条件となるだろうが、そちらを公開せず近年になって執筆している点
それを割愛可能な、現地で別れた上官に迷惑がかからないようにという理由に集約している点
専門の考証者の手を経ていないであろうと想像される点
2回目の原爆攻撃の予告を第二目標の「長崎」と明言している点
などが気になった。
あと、この本と直接関係は無いが、ニューデリー放送の正体ってナンだ?
あんた知ってたら教えてくれないか?放送が事実だとしても米軍筋では無いように思う。
そのビラが撒かれた日にちと真偽が明らかになると言っているのに
片側の記録だけでそれを鵜呑みにする姿勢が問題なんだと俺は言っているのに・・・
事実をつきつめると何かマズいことでもあるのか?
多数の日本人被爆者の証言が信じられない君って何人?
原爆投下は当時、軍の最高機密だったんですぞ。
新潟が退避令を出せたのは残念ながら新潟に市民の力なくしては戦争続行不可能な施設などがなかったため
でも、情報戦略に長けたアメリカは退避令もキャッチしてそうだな。
で、結局投下されなかった?
>>345
原爆目標から新潟が除外され「広島、小倉、長崎」の優先順に固まって正式命令が出たのが1日。
新潟は投下対象都市から既に外れていた。
因みに、長崎では長崎県知事が、広島被害を8日に聞き住民避難以外に方法が無いと確信していたというが、避難令を出すには、内務省、海軍などとの調整が必要であったろうから、原爆投下には間に合わなかった。
「3発目」の投下目標には再選定されていた可能性が高い。
実際、その前に終戦になったのだが。京都、新潟は3発目の目標だったらしいな。
当時の国民は原爆投下を知ったときどう思ったのだろうか?
核兵器など知っているわけもなく、威力としてはWTCに激突したボーイングの衝撃の100倍1000倍の凄まじさが
あったのではないだろうか?
燃料を満タンにしたボーイング747が100機ほど東京都の高層ビルや高層マンション100棟に突入したらどうなるか考えてみてほしい。
一機で1000人殺してもボーイング100機で10万人であり、
広島長崎30万人の犠牲には追いつかないということなんだ。
都市部の国民は空襲慣れしていたから、それ程のインパクトは無かったみたいよ
じいちゃんも、前線の兵隊さんが心配だと思った程度だと聞いている
人間は結構どんな状況にも慣れるもんだ
平和ボケと強国の油断に付け込まれた9.11の方がずっとショック大でしょ
>>347
>広島長崎30万人の犠牲]
ってのが事実じゃないからなあ。
広島についていえば、1945年末までの死亡者が約10人と推定されている。
死亡者の推移はこんな感じじゃないか?
・原爆投下直後
熱線・爆風とそれによる建物の倒壊等で即死 合計1,2万人
・原爆投下から3日後まで
原爆投下による火災と怪我の悪化で死亡 合計3,4万人
・原爆投下から2ヶ月後まで 合計7,8万人
・1945年末まで 合計約10万人
正確な数字は分からんってことだろ?
数字では計れないんだよ
20万~30万といっても、実際10万人の差がある
間違いないのは、アメリカが世界で唯一、核兵器を日本に使用したということだ
2回もな
当時はただの「新型爆弾」
でっかい爆弾程度にしか認識されてねえよ。
ごくごくふつうのことだろが。
人体実験だ!とかほざいてるマヌケどもはそこんとこ説明しろよ。
人体実験しなくちゃ兵器の性能がわかるわけねえだろバカ!
「もうすぐ終わりそうだったのに」とか「勝敗は決していたのに」とかいって原爆投下をなじる連中もマヌケだよな。
負ける側が白旗あげない限り、どこで戦争が終わるんだっての。
徹底抗戦だの本土決戦だのいってるんだから戦争継続意志があったんだろ。
終わらないんだから戦争するんだよ。その結果として原爆が使われた。
そんだけの話だろ。
負ける側が「負けました」といわない限り戦いは終わらない。
こんなの至極当たり前の話。
戦いが終わらなければ殴られる。
これまた至極当たり前。
「勝敗が決していたのに使ったから悪」というのはまさに詭弁。
無差別大量殺戮兵器はハーグ条約でも、一般的な戦時国際法でも禁止されてるんだよ
一般的な戦時国際法とは具体的に何か。
原爆は当時のあらゆる法に明文化されておらず、故に無差別大量殺戮兵器として規定されていない。
原爆を明記して禁止した法律があればそれを示せ。
要するに原爆を批判するやつは戦争を嘗めてるんだよ。
ルールによって行われるべきだとか思ってるんじゃね?
おまえはルール破られたときは「ずるい!」とわめきながら死ぬのかってのw 殺し合いを甘く見すぎ。
法律で禁止されてたのなんだの。机上の空論だろが。
それがすでに後世の人間ならではの平和ボケ歴史観だってことに気付け。
法は勝者が作るんだよ。
>>359
>要するに原爆を批判するやつは戦争を嘗めてるんだよ。
>ルールによって行われるべきだとか思ってるんじゃね?
そうではない。
原爆攻撃を行わなくても、8月以前に日本を降伏させる
実質的な手段→「天皇の地位保証」が米国指導部内で提案されていた。
実は「ポ宣言黙殺」も「上陸作戦の100万人の戦死者予測」もでっちあげであり、原爆投下は米国の勝利や戦争の早期終結とは無関係に(むしろ原爆使用のために戦争を長引かせたとする研究者も少なくないが)計画された実験とデモンストレーションであったことが問題なんだ。
このことを我々は日本国民として正しく知っておくべきであり、
アメリカの指導者の判断は批難されるべきものであるということだ。
陸軍省暫定委員会ジョージ・A・ハリソンが7月21日にヘンリー・スティムソン陸軍長官に京都を目標に加えるよう提言 ~22日に京都の代りに長崎の追加を指示
・・・とある。この時、京都は投下目標から外された事になってるけど逆に京都を想定したパンプキン作戦は7月24日から始まってる・・・
第20航空軍と第509混成部隊ではずっと京都を想定していたって事じゃないの?
>>365
>第20航空軍と第509混成部隊ではずっと京都を想定していたって事じゃないの?
なるほどな、確かにティベッツあたりならともかく、可能性がある以上、士気も考慮して実行部隊に上の意向を全て伝えるとは限らないってのは普通にありそうだね。
さあ、どうだろね・・・
8月7日にパーネル少将、パーソンズ大佐、ファレル将軍が目標選定の変更を進言して再度「東京」も目標へ含める意見具申とやらがあったらしい
8月10日にグアム島の第20航空軍司令部から米陸軍航空軍最高司令部宛への電文内容に
~心理的効果を狙って次弾投下目標を「東京」にする様に強く進言する~
・・・旨の記載内容があるそうだ。これに対して8月11日付のトルーマン大統領の通達が
「これ以上の原爆投下は望まない」との内容で以後の投下作戦は中止・・・となってる
ただ、意見具申に対しての返答が無いから実際には何とも・・・
天皇を焼き殺し政府機能もマヒさせてしまったら
それこそ戦争が終わらないのだが?
政治的に考えたら>>368の言うように多分東京へは落とさないだろうと私も思う
ただ、投下に関わる人間がはたして皆そう考えていたのかどうか。特に天皇に対して
京都の選定(はずされたけど)理由は大型都市である事と
~心理的な観点からすれば京都は日本にとって知的中心だから
人々はかような兵器の重要性をより理解しやすい~ ・・・とある
両都市選定理由の ~心理的観点、~心理的効果・・・というのが何ともひっかかる
東京は既に破壊されてるとの理由で選定からはずされた訳だけど
投下目標が皇居だった事を考えると都市の状態よりも「天皇」に対して何か固執した考えが作戦現場側にはあったのではなかろうか・・・と
3回目の原爆攻撃となるとかなりハイリスクになる
周到に用意されたエノラ・ゲイはかなり安全に攻撃を終えたけど単機でも油断出来ないと判ったボックス・カーの方は小倉上空をさまよったせいもあって、高射砲に撃たれてるし迎撃機とも遭遇してる
衰えたとはいえ帝都上空の防空は強力だったから、東京は狙えないと思う
小倉も一度狙われた上に、長崎攻撃を許したこともあり北九州の防空部隊は経験を生かした対応をするだろう
原爆の効果は物理的な破壊力もさることながら、心理戦の意味合いが強かったから、せっかく「誰も対抗出来ない兵器のデモンストレーション」に成功しておきながら、原爆攻撃機が撃墜されるという不手際は絶対に許されなかったと想像される
3回目の攻撃があったとすれば、目標、戦法とももう一度詳細に研究されてからになったのではないだろうか
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