なんでだろ
俺は龍且と鐘離昧の素性が分からない。
季布もよくわかんない…。
一番分からないのが、たかが肉売りだったハンカイが何故あれだけ猛将となったのか。
幾らなんでも庶民の肉売りが章カンや、司馬コウらとあれだけ渡り合えるものなのか。
ニュース
季布の一諾ぐらいしか知らないんだけど、なんかエピソードってあった?
>>496
漢に降伏して後、匈奴の非礼に激怒する呂后に追従して樊カイが討伐を主張した際、以前に劉邦ですら不覚をとったとして、時勢を顧みない意見だとして
「樊カイ、斬るべし」と諫止の言を挙げた話の方が有名だと思う。
他にも有名な話は多いし、「季布欒布列伝」を読んだ方がはやいだろうけど。
ゲイフ・ホウエツ・ハンカイ・ショウリマツ・カンシン・チョウリョウ
は、逃がしたり、殺したり、謀反されたり、とどめは呂氏の専横w。
蕭何と張良はともかく、
他は明らかにいない方が良いのばかりじゃない、
おかげで安定したってものだが。
ハンカイやホウエツって居ないほうがいいのか?
よくわからんからすまん
ショウリマイは降軍の将だからなんとなく分かるが。
カンシンは「天に二日なし」ってやつか?
名将だからこそ、
天下が定まった後はもういない方がいいのだよ。
家臣団と言うが、日本の武家の家臣みたいなんを想像しちゃだめだぞ。
建前上、人間は皆、皇帝の家臣になるのだが、劉邦在世時、そういう観念が確立してるかどうかは怪しい。
樊カイはともかく、英布や彭越・韓信と劉邦の関係は、足利将軍と大名家、もしくは天皇と各武家・有力公卿ってのに近い。
張良は…徳川将軍と高家みたいなもんか。
いなくできるもんなら、中央政府としては、いなくなってほしい存在だ。
徴税(租税・徭役)権を持ってかれた上に、中央政府の意向から独立して軍権・行政・立法権を行使されてるわけだからね。
後、韓信は確かに名将だけど、才覚のみで世を動かせると考えるのは甘すぎ。
あくまで漢王をトップに据えた勢力が、覇王のトップに据えた勢力と抗争してるからこそ、韓信に将才を振るう機会があったわけで。
社会状況を考慮せずに「名将だった」だけでif語ってもしょうがない。
あと匈奴に行った韓信[たいてい韓王信と書かれる]と淮陰侯韓信は別の人ね。
そのまま項羽に仕えていればまず一兵卒だね
ないとびっくりするくらい。
>>515
どんな政敵でも葬り去る策士や、
どんな強敵でも打ち破る名将、
どんな難しい仕事でもこなす実務屋だのは、
権力を握るまでは頼もしい味方だが、
権力を握ってしまうと、手ごわい政敵候補だ。
その優れた能力をもって、自分に刃向かってくるかもしれないからな。
ヤバそうな奴を消すと言うのは、権力者としては正しい態度。
上から
チョウリョウ
カンシン
ショウカ
かな
平和時には上から順番に怖いな
隠棲して逃亡
粛清
粛清されかかるもセーフ
張良=大江広元
呂后=北条政子
韓信=源義経
項羽=木曽義仲
て事は平家が秦か、うまい例えだ。
でも、あの部下を試すようなやり方は上司として最悪
当時の剣って本当にあんなのですか?
戦場の剣は斬ると油や骨にあたって切味鈍くなったり、変形したりするもんなのだが
あの刀では斬れないし突けないと思う
単に漫画だから簡略化されてんじゃない?
殷周→史記→項劉→三国志→水滸伝って読んでっても
たいして服装とか城の描写は変わってないし
そこらへんは読んでてちょっと残念だったなあ
↑の名前ってあるんですか?
調べてみたところ、劉邦は廟号というものがあって、高祖というらしいんですけど、劉邦 高祖なのか、高祖 劉邦なのかが調べても、どっちもあるんで分かりません
他にも廟号は太祖と書いてあるところもあって、訳がわからないです
項羽は廟号ではなく、名が籍というらしいですが、こちらも
どっちが前になるのかは分かりません
こういうこと気になるんで、どなたか詳しいこと教えていただけない
でしょうか?曹操孟徳みたいに、キチッとまとまった名前が知りたいですw
支那の普通の個人には氏・名・字があり、呼び合うのは氏+字です。名で呼べるのは父親とか君主だけです。氏+名+字や氏+字+名と連称することは少なくとも会話ではありえません。曹操孟徳みたいには言わないんです。
名や字の外に号を持つ人もいますが、三國時代にはまだいません。しかし功績のある人には死後に天子から諡が贈られます。天子自身も崩後に諡が奉られます。後世では生前に尊号を奉られることがあります。また皇帝のうち特に偉大な人には廟(位牌の安置場所)号が贈られることがあります。
項羽は項が氏で籍が名で羽が字です。楚の土地では字は1字が普通ですが、後世では圧倒的に字は2字が多いです。かれは西楚覇王と自称しましたが敗死してしまったので、諡号や廟号はありません。
劉邦は劉が氏で邦が名です。字は季となっていますが正式に付けたものではなく、単に生まれ順が4番目という意味で自然に呼ばれるようになったもののようです。彼は後に皇帝になったので、崩じた際に高皇帝の諡号と太祖の廟号を奉られました。従がって正式には太祖高皇帝と称すべきなのですが、史書では高祖と呼び習わしています。
普通は称号+氏名の順で呼びますので、高祖劉邦と書くことはありますが、劉邦高祖と呼ぶことはありません。
「史記」の「楚元王世家」に「高祖の兄弟は四人あり、長兄は伯、伯は蚤(はや)く卒す、始め高祖の微なりし時に嘗って事を辟(さ)け、時時に賓客と巨嫂過(よ)ぎりて食す、嫂は叔を厭ふ」として、長兄の未亡人が友達を連れて飯にありつくため突然と来る義理の弟を嫌い、釜の中をカラカラと掻き回して「もう何にも残ってないのよ」というパフォーマンスを演じる話を書いていますが、この「叔」とは他ならぬ劉邦ですから、彼は3番目ということになります。次兄は字は仲で名は喜です。次が高祖で末子は楚王に封じられた人物で、字は游で名は交で諡は元です。なおこの人は上の3人とは腹違いです。高祖が季と呼ばれたのは実母が亡くなり後妻が入ったので、本腹の子で末子になることから、季っ子の意味でそう呼ばれたのかもしれません。
「名」すらも持ってませんでした。
「邦」は名ではありません。これは「アニキ」の意味の語です。
つまり劉邦は「劉あにい」のニュアンスなのです。
故郷の若者達からそう呼ばれてて、それが一般名称になってしまったのです。
当時の庶民に名がないのは珍しくありませんが、中流以上の劉家でそれとはよっぽど疎まれてたのか面倒だったのかのどっちかなのでしょう。
劉邦の弟が魯へ留学するほどの余裕があった点はさんざん指摘されてるし、劉邦自身が故郷で小役人のようなことをしていた以上文盲でないことは確かなので、中流という言い方が連想させるようなブルジョワジーではないにしろ十分に裕福だったと捉えるのが普通じゃなかったの?
亭長なら、(江戸時代の日本でいうなら)十手持ち程度じゃねえか?
つか「邦=アニキ」
ってのがそもそも怪しいわけだがな。
まさか司馬だけがソースじゃないよな、信じてるヤツは?
三国志で面白いのは赤壁までだし
諸葛孔明が超能力者なんて,リアリティなさ過ぎて,萎える.
史記のリアリティ,まんせー.
>史記のリアリティ,まんせー
全否定はせんが、おいおいおい……
570>
全部がリアルじゃないとは思うが,どこが脚色?
馬鹿
背水の陣
鴻門の会
覇王別姫
四面楚歌
人ブタ
史記ってさ、
神話時代のことも普通に歴史として書いてあるんだけど?
そういう神話とか物語のように容易に判別できる脚色はまだいい。
皇帝や有力者の目の色顔の色を伺って、
都合のいいことや無難なことばかり熱心に収集し、
都合の悪いことは書かかなかったり政権の都合のいいよう書き換えたりする脚色は始末に終えない。
これがかの国、中国という国の正史というもの。
五帝本紀、夏本紀、殷本紀、周本紀の西周時代の分は脚色というか実際に起こった通りの事実じゃないわな。おそらく。
神話みたいなもんだしな。
伯夷・叔斉・老子・孫武・伍子胥辺りだって、書いてある通りの人生だったかと言われると怪しいわな。多分。
前三者は存在そのものが疑わしいし、孫武はあのエピソードしか載ってない。
伍子胥は呉の勃興を代弁させられてる人物でもあるしな。
呉越春秋での伍子胥はミートくんばりの解説係だから、史記より絶対者っぽいけど。。
三皇本紀に至っては後付だしな。
>皇帝や有力者の目の色顔の色を伺って、
>都合のいいことや無難なことばかり熱心に収集し、
>都合の悪いことは書かかなかったり政権の都合のいいよう書き換えたりする脚色は始末に終えない。
その結果、あちこちにつじつまの不整合や展開の綻びが現れるのも
かの国、中国という国の正史というもの。
断片化された紀伝体の記録を、より事実に近いであろう形に近づけるのも歴史学の醍醐味よ。
(その原則ができたのは史記より後の時代だが)
戦の天才らしいですけど、韓信のように作戦を考えるのが上手いのか、強い兵士を養成するのが上手いのか、組織を統制する能力に秀でてるのか、横山漫画で描写されているように単に項羽個人が戦場で強かっただけなのか、戦が上手いと言われているのによく解らないです。
鉅鹿の戦いでは、背水の陣を敷いてから敵の補給線を断ち、圧倒的な兵数の包囲軍を撃破。
彭城の戦いでは、漢軍の連絡線がある西側から奇襲をかけ、混乱した劉邦軍を大破している。
項羽は天才的な作戦能力を持った将軍と思われ。
>>590
天才とは思わないが、失敗によって過小評価されてるのはかわいそうだな。
ただ、日本陸軍将兵などと比べるとりやはり項羽は小物過ぎるって気がする。
戦術的に補給はともかく大局的な兵站に関しての思考能力が弱い。
もしくはスケールが小さすぎた。
日本軍が実行したようなスケールの大きい兵站戦略ができなかったところが、項羽の知恵の足りなかった所かと。
朝鮮問題では半島内部の反対派潰しだけでなく、要めの後ろ盾である清国を潰して黙らせ、次にロシアが援助者となるとそれも駆逐して庇護を遮断し、半島内の反対者を無力化、最終的に半島を手中に収めるのに成功。
対中国では正面突破のみではなく、戦略的に援蒋ルートを絶ち、同時に対米戦見越して石油備蓄や南方資源地帯を確保。
補給面では戦術的なミスはあったものの、根本的な対中援助者であるアメリカの手を引かせることが、解決策と熟知してるなど日本は大局的、戦略的な兵站面の思考は正しかったものの、それが簡単な問題でなかったことが、日本の悲運だったが。
その比較にどんな意味があるのか??
戦略的思考ができる日本軍と
それができないDQN項羽との違いが明らかになる。
>>654
>戦略的思考ができる日本軍
ネタですか?
戦略的思考が出来たら、てめえから戦争仕掛けておいて無条件降伏に追い込まれるような
ブザマな戦争しねえよ。
知らない?
作戦能力は確かだと思う。
・島津くそ楽しい。周りの城落としてから序盤の大ボス大友家に挑むこのRPG感
・弱小勢力が歴史の表舞台から消えるのが早すぎて薄っぺらく感じるのが勿体ない
・信長「ごめんな、安土城から備中高松までコメもたないので」
・遠国登用で大浦為信って知らん武将来たんやけど、かなり優秀、どこの誰やろ?
・側室ってどういう意味があるんだ、正室だけよりも姫が産まれやすくなるとか?
・北条が毎回強過ぎなのはコーエーの中の人が北条大好きだからなんじゃね?
・群雄繚乱シナリオの北条えぐすぎだわ…東海道通って織田ボコってる
・うどん氏、佐竹家で滅亡・・・北条問題を周知して修正にも寄与してくれそう
・【大名の格付け】従属させられない理由の大半は威信不足