陳宮は曹操が惜しむ程の人材だが呂布を御する事はできなかった。それと同類。
『赤龍王』では「あほ」だったな
ガキだったオイラは「あほ」と呼ぶ項羽を見てワロタ
取り合う設定にしたのが余計だったな・・・・・
まぁ、「天地を喰らう」も際物だったから何も言わんが。
項羽の強さが尋常じゃなかったなw
確かに虞の取り合いは俺も正直いらんかったと思う
でも項羽のマジで山を引っこ抜きそうなパワフルさは好きだった。
あと呂后と趙高がインパクトありすぎて怖い。
韓信は、横山版の方が好き。
赤龍王の魅力は、あの迫力だったんだろうな。
今まで、この漫画より迫力のある函谷関の絵は見た事がない。
ほんとそだね
見せ場の「背水の陣」すら描かれてなかったから、赤龍王しか知らない奴にはただの大ぼら吹きの股くぐりにしか思えんだろな
陳平が名前だけ出てたり・・・・
鐘離昧が最初の方で少し出ただけとか、キャラを持て余してる
感じもして勿体無かった。
ちゃんとしたブレーンが原案やってりゃ、マシだったかも。
ニュース
ニュース速報 - 諸葛亮孔明より周瑜公瑾のが上
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/news/1218088991/
925
蕭何なんて脇役以外の何者でもないわ 脇役ありがたがって俺って個性的!ってか?
蕭何の役割を理解出来ないゆとりがスレで難癖付けているので
彼を言い負かせる事が出来る人はどうか懲らしめてやって下さい
あるいは、旧日本軍の牟田口と同じともがらかも。
こういうやつらを、今の現状では思い知らすことはできないな。
項羽好きの俺でも劉邦陣営の蕭何だけは言葉を尽くしても貶せない。
あれだけでも十分に説得力は感じられるもんだが
彭城で惨敗してからは基本的に守勢続きの劉邦が何故に戦線を維持できたかを考えんとね
地道で合理的な内政努力の賜物でしょうが。
極度の民衆徴発とか、そういうのは大いにありそうだけど。
むかし、誰かが考察していたが
蕭何が秦の行政文書、地勢資料等をいち早く押収した際の
文書の中に、旧六国併合時の、秦軍の後方兵站体制の資料が
存在していて、そのシステムを活用したのではないか、という説を
見かけたな
とは言え、いくらシステムが存在しても、それを使うのは所詮人間だからな
やはり、蕭何が異常に優秀だったとしか思えない
凡庸でもカスでも脇役でもないのだけど、若い人にはそれがわからんのです。
ましてや単なるルーチンワークではなく、有機的に運用するということが
どれほどのことか、想像することくらい容易だと思うんだけどね。
前線で一人奮戦し、大勢を覆して一発逆転するような豪傑や
神算鬼謀で敵の裏をかき、鮮やかな策で少数で多数を翻弄する天才みたいな
分かりやすい活躍が本当の戦上手だと思うのも仕方ないさ
孫子の戦上手とは勝ちやすきに勝つものという言葉も理解できないだろう
重要な地の関中を運営したのは単に蕭何がもっとも高祖の信頼が厚かったからかも知れないじゃないですか。
多くの兵を送れたのは単に関中が人口が多くて、蕭何のポストになれれば誰でも出来たかもしれないじゃないですか?
他の凡人とはどう違うやり方をしたのかを教えてほしいのです。
さぁ? 具体的なシステムや運用方法までは知らないけど
そういうの、研究しているのもあるかもしれないなぁ。
単に一般論として、補給ことに後方の備えが重要だ、っていう話で
これに失敗して敗退した軍隊のなんと多いことか。ナポレオンとかそうだよね。
なので、どの軍隊でもある程度マニュアル化、システム化されたであろうけど
それをソフトウェアで効率的に運用できると、その属する軍隊は非常に強い、といえる。
強いってのは、単に衝撃力とかではなくて、粘り強さとでも言うか。
ただ、地理的な要因もむろんあるよ。関中に機能を集中して、人員、物資などを
集中的に集め、そこから合理的に割り振る。
甬道とか、秦の整備した兵站路を使って、各地に最短時間で必要分送る。
それができたのは、まさに過去に秦が統一したという実績があるからでしょうね。
似たように、補給を重視したものの、地形的条件から失敗した例もありますわな
諸葛亮の北伐とか。項羽はそもそも補給を軽視していたきらいがある。
>>949
諸葛亮は補給を結構重視していたと思うが。
そりゃ蕭何には及ばないが、彼も元を正せば後方の補給役。
木牛や流馬の開発なども、兵糧をより大量に運ぶための彼の思案。
第二次北伐では確かに二十日ほどで撤退しているけど。
また、北伐の撤退理由が兵糧不足というのも、認識不足によるものというよりは、当時の蜀という地域の地理的な限界や、兵糧輸送技術の限界なのではないかな。
補給を怠った李厳を罰しているし。
(これに関しては政治的な思惑があるとも言われるが)
だから、「地形的条件での失敗」例として挙げているわけで。
人間のちからが及びのつかない一例でしょう。
そういえば、牟田口中将のインパール侵攻作戦中の、ジンギスカン作戦も
地形によって挫折させられた一例にはなるけど、あれ、補給を軽視した将軍として
諸葛亮といい対比になると思わないか?
なにしろ、補給困難とわかっても作戦を強硬したのだから。
どう考えても、補給兵站を重視していたとは言い難い。
だから、補給が切れた上で、兵に被害が出る前に、目先の勝利を放棄しても
軍を撤退させた諸葛亮は、一般に言われるように軍才は最高ランクに届かない
かもしれないが、将として統率者として、衆を預かる責任者として、超一流であり
信頼の置ける指導者だったといえるでしょうね。
鉅鹿の戦いでは敵の補給線を絶って、
勝利のきっかけを作った。
項羽陣営に、蕭何並みの能力と役割を持つ人物がいなかったのは事実。
彭越のゲリラ活動があったにせよ、楚軍の兵站線は貧弱だったと思う。
咳下の戦いでは、百万の漢軍よりも先に兵糧が尽きるという状況。
転戦続きの楚軍にとっては、蕭何の能力が漢軍以上に重要だったかも知れん。
楚軍の人物を考えると、張良に対する范増くらいしか思い浮かばんなぁ。
蕭何は元より、韓信に匹敵する人物もいない気が。
まぁ、戦に関しての楚漢最強は項羽だろうけど・・・・・・
項羽の強さが異常過ぎるんだが、彼は一体何者だったのだろうか?
寧ろ項羽自身が韓信ぽくない?
蕭何が本拠地で後方管理運営した制度が合理的かつ効率的だったから
という面が強いのじゃないかな。
蕭何のそういった実務能力は、旗揚げから見知っているということで
十分その任に耐え、また信頼できるからこそ、だろう。
困難を承知の上で攻めなければならん場合もあるんだよ
進撃路が豊富というわけでもないからね。
後蜀期でも、子午谷ルートで強襲したことあったけど
出口抑えられて関中に出られなかった、という…
同時期に陳倉には本隊主力が進んでいたけど、やはり頭抑えられた。
劉邦はさんざん負けたじゃん。それでも何とも出来なかった項羽がヘタレ。
何も出来なかった、じゃなくて出来るチャンスが何度かあったのに全部自分で潰した。
ヘタレとは言わないが天下取る器じゃないわな
さんざんというほど負けてない
というのは、最初の大敗以外は劉邦が敗走している間にも韓信が趙、斉、燕を侵食しているから、劉邦としては死にさえしなければ戦略的には勝っているようなものなんだ
沛県には人材揃いすぎじゃね?
劉邦側が勝ったからそれらの人材が有名になったってのもあるだろうな
負けてたらもっと無能に書かれてたか、名前すら残らないで終わったと思う
正直、蕭何以外は普通だろ。
彼らの将器や武は、長い戦で培われ磨かれたものだと思うが、飛び抜けた
才能だったという感じはしない。
劉邦と同郷で、古参故の経験や地位が良い方向に動いた結果かと。
樊櫂は、ガタイの良さもあったんだろう。
とは言え、劉邦に従い続けた忠誠心は本物だと思うが。
漢軍初の騎兵指揮官だし、
項羽の本拠を陥落させているし、
項羽を追撃して自殺に追い込んでいるし。
同僚の周勃や灌嬰は漢統一後どんどん出世していったのに、夏侯嬰は死ぬまで太僕のまま。
夏侯嬰は出世欲とは無縁の男だったんだろうか。
灌嬰は五千の兵を率いて平原で戦えば、同じ兵数を率いた韓信に勝てると思う
>>975
太僕って九卿じゃなかったっけ
普通に高位じゃないのかな
太僕ってのは皇帝の御者であると同時に、国有の馬全ての育成から管理までを扱う
地位では丞相とかの方が上だが、ステータスは太僕も十分高い
それに、もしかすると物凄い利権が集中しててウハウハだったかもしれん
烏合の衆だったのは確かだな・・・・・。
という事は、星野が魏豹か。
中華を一国にまとめるという構想なら、なかったと思うが。
>>985
劉邦(とブレーンの張良)以外、誰も再統一なんて考えていなかった。
あったとしても、旧六国の子孫を温存しての春秋の覇者のような政権運営か
新たに、漢による諸侯の封建か、項羽は前者に近かったように思う。
劉邦は、秦の失敗を鑑みた上で、再統一を志向したんだから
ある意味、先見性・戦略眼は項羽なんぞ足元に及ばなかったわけだ。
(ただ統一すりゃあいいやというレベルではないから)
そういう見方でいくと、劉邦陣営が再統一ってのを本気で考え出したのはいつだろうね。
三秦倒したあたりから?
>>988
一度項羽にボロ負けする前から殷王を廃して河内郡を直轄化とかしてるから、かなり早い段階から考えてただろうね
項羽は秦を倒した後に自分が主導して国を配分してるから、この段階で項羽にとっての「天下統一」は終わってるんだよね
諸侯の支持を受けた周王のような存在であればいい、と思っていた(ただし、国を細分化しているので項羽が主導権を握りやすくしている)
だがこの国分けが諸侯の支持をまるで得られないもので、不満が爆発し各地で反乱・紛争が勃発し、そこに劉邦が突け込めた
「彭城の戦い」って中国史上においてかなり絶望的なシチュエーションだよな
本拠地は落とされて、士気は下がるわ、補給は断絶だわ、手持ちの勢力以外
中原諸国は完全に敵側だわ、滅亡寸前の群雄でもここまで酷いのはなかなかないぞ
ここから、戦局を引っくり返して逆に関中を圧倒するんだから、
項羽は化け物扱いされるわけか
少なくとも、春秋戦国期でここまで速攻・流動的な指揮采配を振るった将軍はおるまい
まったく。
かろうじて追従するのは李存勗くらいだな。
本拠地の失陥は免れているので、状況はまだまだだが。
おおむね同意だが、項羽は関中を圧倒はしてない。
劉邦たちは常に関中から進出しており、項羽はそれを退けているが項羽から関中に進出してはいない。
しかも、代趙燕斉を韓信に平定されながら有効な対策を打てず、楚にまで劉邦の調略の手が伸びた。
絶望的なところを五分近くまで持っていたとは言えるんだろうが、防戦一方で実際には優勢になったことはない。
項羽という一代の怪物がいたからこそ、韓信始め多くの人物も才能を
発揮したという感じがする。
良くも悪くも、項羽中心の時代だったんだろうなぁ。
「中華の運命は、あんな股夫などに好きにさせるものではない。
全ては我々楚軍と貴様ら漢軍とで決着を着けるものだ。
違うか!違うか!違うかァ!!
なぁ、劉邦。」
衝撃の項羽か
カッコいいな