蒲生再生工場(一)
松倉右近と言えば『筒井家の右近左近』と呼ばれ、島左近と並び称された士だったが、その弟の権助秀政はなにが原因か、臆病者として隣国まで知られた存在だった。
家中の陰口に耐え切れなくなった権助は、筒井家を出て蒲生氏郷に仕官を申し出た。
「それがし臆病者と言われてはおりますが、そのような者でも、良将ならば使い道があろうかと存じます。なにとぞ、召抱えていただきたい。」
蒲生の重臣達は失笑をこらえた。そもそも筒井家など松永久秀に押しまくられた上、『洞ヶ峠』などという日和見の代名詞になった逸話を持つ家である。
そんな武辺のまずい家で臆病者と呼ばれた男、役に立つわけがない。
しかし氏郷は、権助の口上の不敵さに見どころを感じ、彼を採用した。
果たして、まもなく起きた戦で権助は奮戦し、兜首を二つも上げる手柄を立てた。
「おれの目に狂いはなかったわ」喜んだ氏郷は権助に2千石を与え、物頭に取り立てた。
感激した権助は、次の戦でも先陣を切って戦ったが、深入りしすぎて討死にした。
「権助は剛勇にして大志があり、人の上に立つべき男だった。ゆえに早く取り立てたが、いま少し出世を遅らせておけば無理な働きなどせず、討死にすることもなかったろうにおれの過ちで、あたら良き武者を失ってしまった…」
氏郷は、そう言ってはらはらと涙をこぼしたという。
蒲生再生工場(二)
松田秀宣という侍がいた。
ある時、町人とケンカになり、さんざん殴りあった末、逃げ出してしまった。
屈辱のあまり切腹しようとしたが周囲に止められ、以来おのれへの戒めに鎧の背中へ
『天下一卑怯者』 と大書して各地を転戦した。
背中の字を見て秀宣に興味を持ち、近づいて来る者もいたが、その由来を知るとあざけりの笑いを浮かべて去っていった。 ただ一人を除いて。
氏郷「お主の背中に書かれている字の由来を教えてくれぬか?」
秀宣「書いてある通り、わしは天下一の卑怯者にござる。」背中の字の由来を語った。
「ですが、こんなわしでも役に立つ事もあるやも知れません。かなうならば、氏郷様が召抱えて下され。落ちる所まで落ちた身、せめて名将のもとで己の運命を占いたい。」
偽りなく己の不始末を語り、正直を好む所に尋常の者とは違うものを感じた氏郷は彼を召抱えた。秀宣は戦のたびに戦功を上げ、鉄砲頭にまで出世した。
秀宣は氏郷の死後、長束正家に仕えた。関ヶ原では水口へ退却する主君の殿をつとめて、『卑怯者』は池田輝政隊に突撃し見事に散った。
蒲生再生工場(三)
佐久間盛政の弟、久右衛門安政は天下の猛将である兄のもと、武辺者として知られたが、賤ヶ岳の戦いの後、没落して各地を転々としていた。
ある日、会津へ移封され、新しく家臣を求める蒲生氏郷の誘いを受けた。
目通りの当日、貴人と面会するのも久しぶりの安政は緊張のあまり畳のへりにつまづき、派手に転んでしまった。氏郷の小姓たちは笑いをこらえきれず、吹き出した。
「汝ら若造が、なにを笑う!!」氏郷の鋭い叱責が飛んだ。
「久右衛門は汝らのように畳の上で行儀良くするのが、奉公ではない。戦場を駆け抜け、敵を討ち取るのが奉公よ。汝らは戦場で久右衛門に笑われぬ自信があるのか?!」
自分の恥を消して余りある氏郷の言葉に、安政は涙を流して感激し、採用された後は大いに働き、葛西大崎一揆の鎮圧に多大な功績を上げ、一城を与えられた。
氏郷の没後は蒲生家から独立、関ヶ原で東軍に味方して、最終的に飯山3万2千石の大名にまでなった。
同輩斬って逐電中のキミ!家中で悪い噂が立って浮いてるアナタ!
蒲生再生工場でもう一旗あげてみないか?!m9(・∀・)ビシッ!!
主君の弟を暗殺して、大仏焼いたり、将軍暗殺して悪いうわさ立ってますが再生していただけるでしょうか?w
>>891
お前はもう無理だwwww
蒲生は人を使うのがうまいな
早くに亡くなってしまったのが悔やまれる
怒りに任せて兄貴分の茶坊主を斬っても仕官できますか?
ソロバンはじいて蓄財に励む小者になれば大丈夫だと思うよw
父を射った。
弟を斬った。
母は歎いて家出した。
家臣も歎いて出奔した。
神保隊が邪魔だったので一斉射撃した。
でもかわいいからってみんなゆるしてくれるんだ。
カワイイは最強!
>>897
氏郷「オマエだけはお断りだ!!」
いちいち真面目にこんな奴らの相手してれば、そりゃ早死にするよな氏郷
江戸初期の信長と家康の両方の子孫なんてのは小笠原と本多と蒲生
お家騒動が原因なのか、減封されてリストラされたのかどっちだろな