死の茶会
稲葉一鉄は織田信長に降参したが、信長は一鉄の忠誠心を疑い、茶室に招いて暗殺する計画を立てた。
茶室に一鉄と三人の織田家の侍が入り、侍が一鉄の油断を誘おうと茶室の掛軸の画讃の意味を問うた。
僧侶出身の一鉄はよどみなくその讃を読み、意味を説明した。
隣の部屋でそれを聞いていた信長は一鉄の知識の深さに驚き、茶室に入ってこう言った。
「実は、今日の茶会は貴殿をもてなすものではなく、暗殺するためのものじゃ。しかし、貴殿の博識に免じ命を奪うのはやめた。これからはわしの謀臣として仕えてくれ。」
と、三人の侍の懐刀を一鉄に見せた。
一鉄は信長に助命の礼を言ったあと、
「実は、それがしはこの茶会が自分を殺すためだと薄々気付いてました。その際には一人でも多く道連れにしようと懐刀を忍ばせました。」
と、懐中から短剣を取り出して信長に見せた。
信長は一鉄の覚悟を大いに誉めたという。
(武将感状記)
義光の場合、ターゲットの鮭の食べ方が気に入って中止したんだっけ。
戦国ってこんな時代だしなw
「彼ら(日本人)は鞭で人を罰することをせず、もし誰か召使が主人の耐えられないほどの悪事を働く時は、彼(主人)は前もって憎悪や激昂のしるしを表すことなく、彼ら(召使)を殺してしまう。何故なら、召使は嫌疑をかけられると、先に主人を殺すからである。」
宣教師オルガンティーノの報告書より
関ヶ原の時の事
家康が小山の陣を引き払った後、下野では上杉襲来の風聞があり、動揺が大きかった。
さて、この時家康に後を任されたのは、結城秀康である。
彼は上杉景勝に書状を出した
「この度、上方に兵乱が起こったため家康はここの陣を引き払い、私が留守居を任されております。
ですが、ここでダラダラすごすのは退屈で仕方がありません。そこで、戦争でもしましょう。
もしご同意なされるなら、構わないので、 ど こ か ら で も か か っ て こ い !」
景勝から返書が来た。
「御使者、ありがとうございます。内府は引き払われ、あなたが留守居との事。私に何かできることがあれば、何でも承りたいと思います。
さて、合戦の件ですが
我らは謙信以来、人が留守しているところに攻めかけたことはありません。
内府がお戻りになりましたら、どうぞ、先手になってかかっていらっしゃい。その時はいくらでも相手になりましょう。
あなたのような若者が留守をしているところに合戦を仕掛けるなんて我々には
思 い も よ ら な い こ と で す !」
この書状の内容が広まると、上杉襲来の風聞はピタリと止んだとか。
が、ぶっちゃけて言えば、
秀康「つまんねーからケンカしよーぜー」
景勝「お前みたいなガキ相手になるかバーカ。親父連れて来い!」
と言う書状の内容。秀康は侮られたと不満だったとか、どうとか。
まあ、景勝が合戦を受けるにせよ受けないにせよ、方向性が定まって無駄な動揺を
抑えることが出来る、って計算はあっただろうね。