三河物語の著者、大久保忠教の話
大坂夏の陣の時、真田信繁らの攻撃のために本陣の旗幟が倒れてしまった
これは大変不名誉なので家康は責任の所在を明らかにするため家臣たちを事情聴取した。もちろん忠教も聴取されたのだが
「旗は確かに立っておりました」と言う
家康はそんなはずはないと言うが忠教は主張を変えない
そこで家康は刀に手をかけるが、それでも忠教は譲ろうとしない
とうとう家康は「強情な奴め!」とかんかんになってしまったので本多正純が忠教を下がらせた
後に忠教はこのことを思い出して
「わしは確かに旗が倒れたことを知っていたしかし御高齢の家康様には名誉を挽回する機会もないだろうから、徳川家の名誉のために嘘をついたのだ」と語っている
ニュース
いい話かどうか判断に迷ったが、なんとなくこっちのほうがいいような気がしたので
先生
大阪落城のあと、隠れていた長宗我部盛親が捕まり、京の町を引き回されることとなった。
その姿を大勢の町民達が見物したが、その中に、近江の浪人、米原九郎衛門の娘も人に連れられ見物に来ていた。
やがて引き連れられてきた盛親の顔を見て、娘は驚いた。盛親は、柳の厨子で親しくしていた寺子屋の先生、祐夢さんだったのだ。彼女はいたたまれなくなり、泣きながら家に走り帰った。
後に米原九郎衛門は土佐の山内家に召抱えられ、娘も一緒に土佐に渡る。彼女は人に聞かれる度に、大男で、優しかった祐夢先生の思い出を、涙ぐみながら語っていたとか。
長宗我部関連でもう一つ
大坂夏の陣の時のこと。佐竹親直の子息、忠次郎(母は元親の娘)が伊達政宗の軍勢に捕らえられた。
忠次郎の顔を見た政宗、「これはただ者じゃなさそうだ」ということで家臣の家を継がせた。これが後の柴田外記で、寛文の伊達騒動に際して活躍し、主家を救おうと奔走することになる。
しかし彼は、長宗我部氏としての意識も忘れたわけではなく、香宗我部氏が牢人していた際には、伊達家への仕官を斡旋している。
そんな柴田外記の、船岡城跡に作られた墓石には柴田家、佐竹家、長宗我部家、3家の家紋が刻まれている。
かっこいい
>>695
恩に応えるつつ、長宗我部としての誇りを失わないのは見事。
しかし政宗は失ったポイントを他のところでしっかり補給してるなw
政宗もそうだけど振り幅大きくねえか?って奴多いよな。
まあそういう奴だからこそ逸話が残るのかもしれんが。
これは良いね。
読んでるだけで泣けてきた。
立派だ。
いい話というか何と言うか
天下より大切なもの
信長があるとき、近習達を前に、「わしには天下にも変えがたい大切なものがある。これが何か当ててみよ」
と言い出した。
信長の宝物と言えば、それこそきら星の如くありとあらゆるものがある。
あるいは高名な茶器か、あるいは名馬か、あるいは白鷹かと上げていったが、どれも違うと信長は言う。
「馬や鷹ではないが生き物だ。もう一度良く考えてみよ。」
するとそれまで黙っていた小姓の森蘭丸が、ついと進み出て、答えた。
「もしかして、私でしょうか?」
信長は、蘭丸に向かってニコリと微笑んだ。
まあ、間違いなく後世の創作だと思われるが、森家の家譜にまで堂々と載っているお話。
>>701
「それはお主ら家臣じゃ」とでも言えばかっこいい話として様がついたろうにな(´・ω・`)ノブ
ぶっちゃけ、最初はなんて答えようとしたか分からないけど、先に蘭丸なんかに「それは私ですか?」って言われると何とも言いにくいなw
それ人前でイチャイチャし過ぎだろw
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