高虎が天下に名が響いた渡辺了を雇った時のお話
嘉明「お前2万石で渡辺雇ったんだって?もったいないなぁ俺だったら二百石の奴百人雇うよ。そっちのほうが強いし」
高虎「いやいやお前はわかってない。百の凡夫は一人の賢者に劣るわい」
これはこれで話の流れではここで終わりなんだけど
嘉明は別の場所(高虎いないところ)で
「真に信ずべきは剛勇のものではない。彼らは勝っている時は
調子がいいが旗色が悪くなると途端に利己的に己のためだけに動き簡単に仲間を見捨てる
剛勇のものより個々の力は弱くとも律儀なものたちを多く雇うべし
彼らは個々では負けるがその団結によって必ずや素晴らしい力を発揮するだろう」と言っている
そして義明は豪傑で知られる塙団右衛門を重用せず塙は加藤家を去った
一方、2万石の渡辺は戦果をあげたが独断専行が多く損害も多くだし次第にうとまれ藤堂家を出奔。奉公構えになった。
高虎がのちに出した和解も条件が悪いと拒否。京で浪人のまま生涯を終えた
どちらが正しいかは別として人間に対する価値観が真逆の彼らは仲悪かったんだろうなぁというお話
これだけだと全然いいいい話じゃないので有名な話でお茶を濁しますね
(1)
高虎が14歳ぐらいの時、まだ親父と一緒に浅井家にいたころ。出撃する親父に「お前はまだ若いから来るな」と言われ
(あんまり関係ないので中略)なんだかんだで武功を立てた高虎
主家の浅井さんから備前長船の刀と黄金一枚を貰った
この後主家を転々とする高虎だがこの刀と黄金はどんなに生活に苦しくなっても手放さず常に肌身離さず持ち歩いたという
(2)
藤堂高虎もうそろそろ死ぬ頃
「わしが死んだら殉死してくれる人の名前知りたいからこの紙に名前書いて」と触れを出す
なんだかんだで家臣には結構人望があったので70人を超える人間が名前を書いた
高虎はこの紙をって幕府のお偉いさんのところへ
「この者たちは忠誠心の厚い我が藤堂家の宝物です。彼らが死ねば藤堂は弱体化し幕府の先鋒を務められなくなってしまいます。なにとぞ幕府の命令で彼らに殉死を禁じていただきたい」と。
結果幕府がそれに応えたため藤堂は高虎の死後に有用な家臣を殉死で失わずにすんだという
>>391
高虎と浅井家と言えば、
後年高虎が官位を得た時に藤原氏を名乗ったのは、最初の主家である浅井家にあやかったのだとか。
生涯秀長の墓前を弔ったり、信澄の遺児を取り立てたり、別れたとは言え主家を大事にする高虎らしい逸話。
ま、それが元で近衛家と接近して朝廷とのコネを作り、ひいては和子入内に繋がっていくところが、またなんとも高虎らしいんだがw
ニュース
「鮭様がみてる」
鮭様の墓とならんで、殉死者四名の墓がある。そのうち寒河江十兵衛は、一番軽輩だ。中級家臣に過ぎない彼が殉死するのは珍しい。
寒河江十兵衛はかつて敵方の一族だったが、鮭様に敗北し帰参していた。
そのため、昔の研究者は「殉死にかこつけて、潜在的な敵族を葬った義光の陰謀ではないか」などと言っていたが…
近年、真の理由が史料から明らかになった。
十兵衛はある時、義光近習とトラブルを起こし、死罪を命じられた。
しかし鮭様は彼を惜しみ罪一等減じ、領外退去処分とした。
浪人となった十兵衛夫妻はやがて蓄えも底をつき、暮らしに困るようになった。
そんなある日、誰かから米と金品が届けられた。
感激する十兵衛、送り主はなんと鮭様だった!
彼はどうやらひそかに十兵衛を心配し、困っていないか見守っていたようだ。
やがてほとぼりがさめた十兵衛は最上家に再仕官をはたした。
十兵衛の命は義光あってこそのもの、そう考えれば殉死の理由もわかるだろう。彼は今日も主君の隣に眠り続けている。
あと、鮭様の悪名はただの誤解によるものが大きいとよくわかる話
(;∀;)イイハナシダナー
謙信の義は近隣諸国の武将に向けられたものだけど鮭様の義は領民や配下に向けられたものなんだよ。
あと当時は『虎将』って呼ばれてた。狐イメージは後世に作られたらしい。
迄読んだ
しっかり読んでんじゃんかw
伊達に隷属していた属国のような山形5万石からスタートして伊達に並ぶ大国にまでのし上げた義光を政宗は嫌って貶めまくっている。
伊達中心史観から描かれる悪辣な義光像が独眼竜政宗で決定的になり、独眼竜の人気に便乗しようとした謀略暗殺大好きな狐将イメージの信長の野望で追い討ちをかけられた。
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