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【戦国いい話51】北条氏綱と長尾為景の親友付き合い、鮭様が壁紙になりました

2022年8月19日

332: 名無し 2008/10/08(水) 09:35:24

息子同士は血で血を洗う激戦を繰り広げた、北条氏綱と長男為景。
実はこの親同士は、親友付き合いをしていた。

なにせ手紙をやりあう時、大名同士だと言うのに、長男為景に対しては、為景を略して「為」、北条氏綱にいたっては、氏綱の綱の字を、さらに略して「岡」と呼び合う仲だった。

岡より

酒と酒の肴送りました。遠路はるばる運んだのだから、きちんと賞味してください。

為へ

こんな感じでやり取りしてた。

 

333: 名無し 2008/10/08(水) 09:59:00
息子どうしも「虎より康へ」みたいな手紙を出し合う仲だったら関東は平和だったのにw

ニュース


334: 名無し 2008/10/08(水) 10:01:43
ところでなんで諱の略なんだろう?

 

338: 名無し 2008/10/08(水) 11:41:25
>>334
書状だし、「気軽に諱を使えるほどの仲」って事じゃ無いかね?

 

335: 名無し 2008/10/08(水) 10:01:49
関東は平和だったかもしれないが甲信が

 

339: 名無し 2008/10/08(水) 13:26:02
>>335
虎が暴れてるんだからしょうがない

 

336: 名無し 2008/10/08(水) 10:05:02
「長尾」が全部長男になってる事に今気付いたのだぜ…orz

 

337: 名無し 2008/10/08(水) 11:26:19
ちょうなんためかげって誰だろうって思わず一瞬ググろうとしただろw

 

340: 名無し 2008/10/08(水) 17:07:45
謙信が「とら」って書いた書状とか
信長が「のぶ」って書いた書状とかあるよな。
親近感を見せるのに諱を省略した署名するのは結構ある。

 

341: 名無し 2008/10/08(水) 19:33:03

日本三大植木市の一つとされる山形市の「薬師祭植木市」は義光が大火で失われた緑を取り戻そうと
住民に呼びかけたのがはじまりとされている。

日本戦国に生まれた自然保護の男

 

342: 名無し 2008/10/08(水) 20:02:47
鮭様ktkr

 

347: 名無し 2008/10/08(水) 22:02:41
おまえらの好きな鮭様が壁紙になりましたよw

http://mogamiyoshiaki.jp/?p=log&l=115258

 

349: 名無し 2008/10/08(水) 22:08:31
>>347
なんだこれwwwwwwwwwwwwwwwwwww

 

352: 名無し 2008/10/08(水) 22:26:29
なんだかビックリマンシールのようだw

 

356: 名無し 2008/10/09(木) 00:37:05

平成の癒し系歴史施設・山形市鮭様歴史館

・館長自ら戦国武将兜ペーパークラフトを作るw
http://mogamiyoshiaki.jp/?p=log&l=109443
・鮭様の呼び名は「義光クン」
・展示品は太っ腹な子孫が全部寄贈
・こどもページの鮭様はがんばりすぎだ
http://kids.mogamiyoshiaki.jp/?p=listlog&c=332264
・喫茶室の気合いの入り方が謎
http://mogamiyoshiaki.jp/?p=log&l=106542
・公式ブログがなんかかわいい
http://mogamiyoshiaki.jp/?p=list&c=840
・配付グッズがゆるい
http://mogamiyoshiaki.jp/?p=log&l=115258
・甲冑武者の名前が「ジョンくん」

鮭様らしい謎の施設であるw
ちょっとイイ話じゃないんだけど、タダで音声ガイドが借りられるあたり
ちょっといい施設、ということでw

 

357: 名無し 2008/10/09(木) 00:40:22
>>356
喫茶室のメニュー、ほとんど喫茶マウンテンじゃねえかw

 

359: 名無し 2008/10/09(木) 00:49:42
>>356
さすが鮭様の資料館w是非行ってみたいな

 

360: 名無し 2008/10/09(木) 00:51:50
こういう意図せぬお役所的ハズしっぷりこそゆるキャラの真髄だよなぁ

 

361: 名無し 2008/10/09(木) 01:31:16
鮭様記念館は展示物少なすぎでちょっと萎える。
霞城公園(山形城跡)の鮭様銅像はかっこいいんだぜ。

 

362: 名無し 2008/10/09(木) 18:15:31

寺を助ける冴えたやりかた

鷹狩に出かけた家康は、喉の渇きを癒そうと寺に立ち寄った。
寺はみすぼらしく、屋根や土壁は破れ放題であった。見かねた家康は「なぜ寺の修繕をしないのか?」と住職にたずねた。
住職は答えた。「寺の修繕となれば、この辺りの農民に負担を掛けます。貧しい農民達の心の拠り所の寺が、彼らを苦しめる事は出来ません。」
感心した家康が寄進を申し出ると、「我が寺のみ将軍様から目をかけていただいては、他の寺社から妬まれます。お気遣いご無用でございます。」
家康は寺を立ち去る際、小姓を集め命令した。
「お前達、遠慮はいらぬ。暴れ回ってこの寺を存分に打ち壊せ!」
将軍家康の命令に小姓達は逆らう事も無く、寺を散々に打ち壊した。

数日後、途方に暮れる住職に家康から書状と金が届けられた。書状には
「先日、小姓達が暴れて寺を壊してしまって申し訳ない。ついては謝罪金を送るので、壊れた寺を修繕して欲しい。」
将軍の寄進と言えば妬まれるが、弁償と言えば角が立たない。
寺は立派に建て替えられ、住職も農民達も家康の心遣いに涙して感謝した。

 

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