あんまり利発に見えなかった小早川秀秋は
養母の北政所に露骨に嫌われた
それを知った秀吉は北政所に
「あいつの親はお前とわしかおらんのだ。お前とわしがあいつを嫌っては誰があいつを愛してやるというのだ」と怒った
その他の秀吉の事例や秀秋の行動を見るとどうだろ?って気もするが
コノ瞬間だけは今の虐待親とかよりは秀吉は立派な親であったと思う
一方家康は顔が醜かった秀康と忠輝を生涯愛さなかった
顔が醜かった ってよく言われるけど
親が嫌うほどってどんなんだ?って思ってしまう
子供を○×で嫌うってのは秀吉的にはトラウマな部分あるだろうからな。
木下家定の五男だったよね確か。
>>179
秀秋のほかの兄弟(家定のほかの子息)と北政所の交流を見る限りだと、
そこまで疎まれたとも思えないんだけどね
ニュース
史実でもわりとよく聞くし創作の世界も含めれば小説やドラマとかでもよく見る
子供だから無条件に愛せるってのはないよ
「いやそんなことはない。親の心はすべて凌駕する無償の愛」って
言える人は幸福な人生を歩んできたんだろうなぁ
動物とかでも子供殺すし次代への遺伝子の受け皿だから
本能的に無条件に優先するという説も個人的には微妙だと思う
秀康も忠輝も、きちんと史実追っていけば、特に嫌われちゃいないわな。
特に忠輝に関しては、逆に甘やかされている印象が強い。
「顔が悪くて嫌われた云々」は、後世の創作だと思うよ。
秀康に関しては、年上なのに人質にだされたり、将軍になれなかったりしたことを後世の人が邪推して、というのは十分ありうるな。
生まれとしては
秀吉の姉の息子でよかったっけ?
という見方も……何歳くらいで養子になったんだろう?
俺が聞いた話だと秀秋は幼少時顔がかなり可愛かったらしいよ
あと木下勝俊が品とか歌才とかで「あれと兄弟とは思えぬわ」とかいわれてたらしいから
関ヶ原以前にすでに周囲の評価は低かったっぽい
できが悪いのは本人の責任じゃないのにね
親子関係といえば、政宗が伊予宇和島十万石の藩主となった、秀宗と和解した後に、出した手紙
「先日課題を出しておいた歌は、まだ完成しませんか?こんなに遅いようでは、歌会などがあったとき、物笑いの種にされますよ。もっと勉強しなさい。」
小うるさいながらも、父親らしい愛情のある手紙かと。
こんな政宗を想像したw
伊達政宗が酒飲んで大暴れし、小姓の蟻坂善兵衛をぶん殴った翌日、蟻坂の同僚に出した反省文。
「いくら若輩とはいえ、小姓頭まで命じた者を、脇差の鞘で、しかも頭をぶん殴ってしまった事、これは俺が悪かった。酒を飲むとつい、我を忘れてしまう。頭の傷が治ったらまた召し出すと、善兵衛によく伝えておいてほしい。」
酒宴でその小姓とはしゃいでたときに、
政宗を馴れ馴れしく触ったとかでブッ叩いたんだっけ?
むしろ悪いスレ向きのエピソードかとw
無礼講だからなにしてもいいしむしろ
きにせずバンバン本音だし給えよってんで本当に本音だして無礼にしたら
絶対あとで恨みもたれて復讐されるもんね
戦国も現代もこれはかわらん
戦国時代はむしろ、無礼講でも秩序がしっかりしてたそうな。
一番危険だったのは室町時代だったらしい。ちょっとした事で流血の惨事。
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