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外人部隊はアルジェリア遠征で大きな成果をおさめフランス人の代わりに血を流すことになる外人部隊発祥の地こそアルジェリアと言ってよい
見たこと無いけど話には聞いたことある
フランスでパルチザン運動やってた奴がアルジェリアで今度は独立派のゲリラと闘う話じゃなかったけ?
モノクロだったよね
俺はカサブランカが好き
特に警察所長のおっさん
かれが影の主役だよ
マシュ将軍(駐アルジェリア仏軍司令官)
ってまだ生きてるよ
1908年うまれだから今年94歳のはず
この間お亡くなりになりました
サングラスの似合うアルジェリアの英雄だったんだけどね
ド=ゴールとはアルジェリア政策で対立したりいろいろあったね
フランス マシュ将軍が死去
[2002年10月28日 東京朝刊]
フランスの二十世紀後半の歴史の証人の一人であるジャック・マシュ将軍が
二十六日夜、仏中部ロワレ県の自宅で亡くなった。九十四歳だった。
サンシール陸軍士官学校卒。一九四〇年六月十八日のドゴール将軍の
「呼びかけ」に応じてレジスタンスに参加してフランスを自由解放に
導いた。戦後はインドシナ戦争を経てアルジェリア戦争の指揮を執ったが
一九五八年七月にアルジェリアの独立問題でドゴール将軍を批判して
呼び戻されたが終生、ドゴール将軍に忠実だった。(パリ 山口昌子)
マシュ将軍亡くなられましたか…
確か『ナポレオン、フォンテーヌの別れ』でナポレオンと抱き合っているのが
マシュ大佐という人物でそれの直系子孫だったと思う
つい三日前に死去したんですか!
ビックリしました
新聞全く読まないもので・・・・・本当に驚きです
ちなみに柘植久慶という作家が「傭兵見聞録」
と言う本でマシュ将軍と会見しています
柘植久慶に仮想戦記ものを書かせるとダメだが
彼の書いた「前進か死か」は良かった
あと毛利元貞は元外人部隊と言うけれど
脱走兵なので信用しない方がイイ
五年の任期を三年で切り上げるなんて不可能
第四共和制は崩れさった
そして、大統領の権限を大幅に強化した第五共和制が誕生する
1958年5月13日、アルジェリア駐留降下部隊とコロンによる
反乱が起きた事件ですね。
サランら指導者は「ドゴール将軍、万歳!」を叫んで「復活作戦」と
称する本土上陸作戦の準備を始めました。
1962年にドゴールはアルジェリア臨時政府と停戦協定を結んだので、
裏切られたと考えたサランらは六一年に反乱を企て、この反乱は失敗に終わった
わけですが。
アルジェのコロン達には十分な手当がでたんだろうか
本土復帰したコロンを労働力にド=ゴールは
国内の復興をしたと聞く
植民地戦争に財政割いたけど何も実らなかったな
最初、引揚者に対しては大きな同情の念がよせられましたが、本国の
人たちの彼らに対する感情はだんだん変わっていったそうです。
初期の引揚者はかなり裕福だったこともありますが、彼らの大部分は
「ムスリムを白人に仕える奴隷と考える極端な人種差別主義者」であり、
本国の厳しい労働条件についていけない、と批判されました。
(たぶん、植民地でのらくらした生活をしていたんでしょう)
カサブランカがアルジェリアにあると思っているのかと小一時間(以下略)
モロッコだけどあの映画面白いから
アルジェリアの場合、ヨーロッパ人は全人口の1%。
モロッコの場合、セウタとメリリャはまだスペイン領。
セウタの人口は7万人、メリリャは6万人。
あったな。
フランス軍戦闘放棄してドイツ軍だけ
必死に戦ってた
ほぼ全員がアルジェリア側に引き渡され極刑に処された。
われらフランス市民たらんとして戦った人々にこの仕打ち、酷すぎる・・・・・・。
やっぱりフランス社会に同化しない人が多いから?
「お前らフランス人はアルジェリアを100年も泥棒してきたじゃないか!」
それなりに人類文明に貢献してきたのは事実じゃん。
で、アルジェリアには何もないわなあ。そこのところのコンプレクスを
何とかして自己正当化しようとするから、51が上げたような無茶な言い訳をするんじゃない?
しかも当人がそれを真剣に主張しているところが話しにならない訳で。
山内昌之氏が書いてたけど、アルジェリアのエリートには、イデオロギーの
差異を問わずどこか倒錯したところがあるのだとか。
「腐敗した侵略者である西洋への敵意を本心から口にするものがいざ可能になれば、
いかなる機会を利用してもフランスに亡命しようとするのも珍しくない」
「口先だけの左翼評論家は、本質的にパリのモードや贅沢にあこがれたFLN
のボスと同じ」
「フランスについて、憎悪の対象でありながら同時に愛情の対象であるという
複雑な感情や分裂症が公私のレベルで残っている」
理解できないだろうなあ。
(ドイツに自由を求めてレジスタンスしてた連中が、アルジェリアの自由や
平等を認めないなんて言ったら本末転倒)
アルジェリアでゲリラを拷問した兵士の中には
マキの元メンバーも多かったそうだ。
>>61
OAS幹部に元自由フランス軍兵士がいたくらいだから……。
でもアルジェリアに関してはコロンが100万人もいたんだから、
死守を唱えるのもそれほどおかしくない。
なんで拷問したかについては映画「アルジェの戦い」のマシュの言葉を聞いてちょ。
場面が出てきますね。
もともとフランスは極端な中央集権国家ですから、裏では拷問などもよくあったのでは。
その反動か、テロなども多いですし。
ベルベル人はフランスに味方する者がいたの?
フランスはアラブとベルベルを分裂させたの?
イギリスはそういう分割統治を行いましたが、フランスはどうだったのかな?
ちなみに現在のアルジェリアではベルベル人は人口の約2割。
多数派のアラブ人から差別されているとして、タマジット語(ベルベル語)の
公用語化や独自文化の尊重を求めている。
フランスはベルベル人をアラブ人よりも上と考えていました。
トクヴィルもアラブ人は野蛮だが、ベルベル人はそうではないと書いたりしています。
こうした見方の根底には、かつて北アフリカがローマ帝国の版図に含まれていた
時の住民がベルベル人だったことによります。
アルジェの大司教ラヴィジュリは、北アフリカにキリスト教を布教し、
アウグスティヌスの時代にもどすことを考えていたようです。
コヴァ系は妙に植民地所有国に同情的だな。
ここにも何人か…
ウルトラマンの怪獣ジャミラはアルジェリアの少女の名から
取られたってのは本当か?
ジャミラは独立戦争に参加して捕らえられ陵辱され殺された
アルジェリアの少女の名からとられたと、切通利作が書いていたと
思います。
ボーヴォワール、シモーヌ・ド&アリミ、ジゼル著
『ジャミラよ 朝は近い―アルジェリア少女拷問の記録』(集英社)
という本もあります。
スペインとフランスの関係調整のためらしい。
現在のタヒチやニューカレドニアも「海外県」という扱いらしい。
ゆえに本国の国民議会にも代議士は送れる。
アルジェリア人は参政権があったのか?
アルジェリア人については知らないけど、
フランス革命のあと、カリブの海外県出身の黒人代議士がいた。
ハイチのトゥサン・ルーヴェルチュールでは?
ジャン=バティスト・ベレー氏です。
現在のフランスでもっとも高名な哲学者で
アルジェリア出身のジャック・デリダはユダヤ系だけど、
アルジェリアにはユダヤ人が少なくなかったみたいですね。
今アルジェリアのユダヤ人は大部分フランス本国に移住してしまったらしいけど。
ユダヤ人はアルジェリアがフランスに植民地化される前からいたのかな?
いますた。
チュニジアやモロッコにもいますしね。
何冊かあったような
『屏風』とかでつね。
アルジェリア戦争で、フランス軍は「洞窟犬」と呼ばれる犬を使っていて、
FLN(アルジェリア民族解放戦線)が隠れ家や倉庫にしていた入り組んだ
洞窟の奥からゲリラ兵を追い出すことを、専門の任務にしていたと
書いてあった。
あと、フランス軍はトゥアレグ族との戦いで、ラクダも導入しています。
トゥアレグ族はメハリラクダに乗っており、そのおかげで、きわめて機動性が
高く、強力でした。
(時速25キロの速歩で、一日平均70キロから80キロのペースで100キロ以上を
進むことができた)
ラクダ歩兵によるさまざまな数多くの経験を経て、1902年初頭、ついに
あの有名なサハラ中隊が正式に誕生します。
当時は一介の司令官にすぎなかったラプリーヌが指揮をとりました。
インドシナでも深入りしてよくわからん国だな
2正面作戦ができるほどの大国ではないだろうに
かつての栄光にしがみついてるのかも知れないな
アルジェリアはいまも大変みたいだがね
欧米の世論がどちらを支持してるのかは知らないが
インドシナ戦争とアルジェリア戦争は平行していない。
ディエン・ビェン・フーでフランス軍が敗れたことがFLNを勇気づけたようだ。
そして、FLNの決起はフランスにとってかなり意外なものだった。
平行してないのは知ってるけどさ
大英帝国のイギリスがインドを放棄したのに
ようやく戦勝国入りしたフランスが
インドシナ問題に深入りしたのが解せないんでね
コロンの問題があるアルジェはしょうがないとしても
フランスごときにといっては失礼だが
フランスに対共産主義戦争は荷が重過ぎるんじゃないのか
べトミンにしてもフランスがあれほど強硬的にならなければ
インドのような社会主義的な国家になったかもしれないが
共産圏にはそれほど近づかなかったのではないかというのが
私の推測ですがね
う~ん。イギリスやアメリカだけが上手かったんでは?
オランダはインドネシアで手こずったし、
ポルトガルは欧州では一番最後まで
「植民地帝国」の栄光を求めていたし。
フランスだってなかなか簡単には手放せなかったんでしょ。
FLNと独立を前提とした交渉をしないまま断固鎮圧を命じていたら、
果たして今もフランス領のままだった可能性はどれ程なのだろうか?
そしてもしアルジェリア独立が歴史的必然だったとするなら、
ポイントオブノーリターンは何時だったのだろうか?
その場合、フランスという国家自体が分裂してたかもね。
>>122
コロンを切り捨てた訳じゃないんだよ。
独立アルジェリアでもコロンの権利は保障されるはずだった。
なのにOASが無茶苦茶やって、脱出せざるをえなくなったんだ。
独立するか植民地に留まるかは形式的な問題で経済は関係ないとドゴールは思ったんだよ。
だいたいそんな、何十万人もいる派遣軍を戦闘体制で置いとくだけでも負担がかかりすぎる。
関係大有りだろ。アルジェリア問題は昔も今も資源問題からだ。石油だ。
ドゴール派が軍事クーデターを起こしたのも戦費から財政破綻したから。
そもそも19世紀以来独立紛争が散発的に起きていてイスラム諸国の
独立が始る第一次大戦以降すでに時代の流れを読むべきだった。
二つの大戦でも北アフリカに拘泥し英仏は時代の流れが
読めなかったドンキホーテだ。先の大戦の松明作戦でその真意はほぼ露呈
している。
1956年のスエズ紛争では米ソの圧力で英仏軍は撤退し、英国は僅か1年で内閣が
崩壊する。旧植民地相チャーチルの腹心イーデンがそれだ。
ソ連の核兵器による恫喝も原因とも言われているが、以降ドゴールは核武装を
目指す。しかし当時英国は既に核兵器は所有していた。
兵器の有無の問題ではない。既に古典的英仏式植民地主義の時代ではなかったと言うことだ。
それがわからん馬鹿は第四共和制のように財政破綻することになる。
インドシナ紛争さえ米国の軍事支援がなければ戦えなかったほど国力が貧弱な国が
既に世界の中心や宗主国にはなりえなかったと言うことだ。
下僕も馬鹿ではない。役立たずの主などは当然の様に見切りをつけるものだ。
以後英国は福祉引き篭もり社会へ、仏国はECによる国力回復へと邁進する。
フランスって日本から遠いよね。全然知られていない。
榎本武揚と最後まで戦ったフランス人はなんか外人部隊の匂いがするね。
ドゴールの凄いのは、耐えるときと諦めの良さを知ってたからじゃない
かな。あとユダヤを守った。
戦後フランスにクーデターが起こってて
今のフランス体制はクーデターで作られたなんて
知らない日本人の方が多いだろうね。
高校の教科書でも「ドゴールが国民投票で第五共和制を発足させた」
くらいの書かれ方しかされてないから。
より遥かに多いらしい。
宗教回帰なのか?
ヨーロッパの場合、公立学校より私立校のほうがレベルが高い、
という理由もあるかも。
フランスに移住してきた異民族を、
自由・平等といった国家の基本的な価値観を受け入れさせて、
同じフランス人、フランス国民として同化する。
それってどこの国でも同じでは?
英国・オランダといった国の場合、
移民を自らと違う「集団」とみなし、一定の権利を認める多文化主義。
その結果、移民の閉鎖社会が各地に生まれる。
彼らは慣れ親しんだ文化や習慣の中で暮らせる一方で、しばしば
差別の対象ともなる。
フランス型は移民を自分達と同じ「個人」とみなし、社会に溶け込ませる
同化主義。
フランス国家の理念を受け入れさえすれば差別は少ないが、受け入れ
ようとしない個人への風当たりは厳しい。
もちろん、過去の植民地政策の影響も大きい。
文化や習慣とは関係ないような・・・・・・・・
自由・平等・人権・法治といった普遍的な価値観が受け入れられていない
社会も地球上にはイパーイあるよ。
そういうところから移民してきた人たちが、フランス人の価値観から
すれば受け入れがたいこと(たとえば女児割礼など)をフランスに
来てからも続ける、ということ。
移民コミュニティには治外法権認めるとか?
かつてのアルジェリアではムスリムと欧州人で
適用法規が違ったそうだけど。
フランスの場合、政教分離の原則から、カトリック系やイスラーム系の
学校に助成金を出したりはしない。
オランダの場合、イスラーム学校に財政支援を行っている。
フランスは1970年まで典型的なカトリックの国だ。堕胎と離婚が合法的になった年だ。
アルジェリアやインドシナでカトリック政権を推進しようとした愚かな政策はこういった背景からくる。
だからイスラム独立派やホーチミンが台頭することになったのだよ。
保守的な国だからこそ左翼の反動があるのだ。
力はないわけで。初等教育の普及一つとっても不十分。
結局は一部のエリートを同化し、お飾りのごとく議員や裁判官にする程度。
もちろん、イギリスなどと比べれば同化政策とはいえるが、理念先行で
実体がどこまであったかといえば、そう大したことはない。
植民地自治やエリート育成ではより徹底してた。
人材は一杯いる。
海外に出て行くが^^;
ムスリムにも完全な市民権が付与されていただろう
オーストリア-ハンガリー型同君連合のようにすれば
今に恨みが続くことが少なかったろう?
放り出したあとでも悪し様に言われない。
アルジェリアも、インドも、マレーシアも、香港も、フィリピンも、本国を悪く
言わない。
インドネシアではオランダが収奪一方だったから悪口を未だにいうし、朝鮮に到っては
廃藩置県よろしく両班の特権を廃して全体の底上げをしたからあとあとまで悪し様に
言われてる
アルジェリア反仏じゃないの?
派遣軍やOASがやったこと思えばとても信じがたいが。
日本の植民地朝鮮では、京城帝国大学の大学生の過半数が朝鮮人で、
道知事の過半数が朝鮮人。
郡役所の郡長以下に至っては、圧倒的多数が朝鮮人で、日本内地出身者は
ほとんどいなかったそうだぞ。
それが全体の底上げということじゃん。
両国の友好関係に大きいんかしら
感を利用してるように見える。
正しい感想。正しくドゴールの独自路線だな。その結果が今のEUだよ。
1966年には一時フランスはNATOからも脱退。
アルジェリアは県で本国の延長。チュニジアは保護国。
モロッコも保護領だった。
・秀吉様が臆病になられますように、米粒をいただきたい、焼き塩鯛の身を焦がしつつ
・元旦から不機嫌な信長と木下藤吉郎、長宗我部元親と羽柴秀吉の饅頭
・静御前が使ったといわれのある薙刀、伊達政宗の愛馬「五島」
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