北海道大学の正門の横に、『新選組隊士 永倉新八 来訪の地』と記された案内板がある。小樽に暮らしていた永倉新八が、剣撃部の学生に請われて剣術の指導のために北大演武場を訪れたことが紹介されている。
「家族は年だからやめた方がいいと反対したようです。案の状、新八は剣を振りかざしたはずみで転んで動けなくなり、馬車に乗せられて小樽に運ばれてきた(笑)。親族の間では語りぐさになっています」
そんなエピソードを明かしてくれたのは、『新選組 永倉新八外伝』の著者、杉村悦郎さんだ。永倉新八のひ孫さんである。
新選組副長助勤・2番組組長の永倉新八といえば、1番組組長の沖田総司に並ぶ新選組大幹部の一人。剣術の腕は「沖田さんより進んでいた」と元隊士が証言しているほどの強者で、中でも新選組史上に残る池田屋事件での活躍はファンにはよく知られている。
新八は、会津戦争では新選組を離れ別な隊を組織して新政府軍に挑むが、ほどなく会津藩は降伏。
実家の松前藩(東京出張所)に帰藩して再び戦いの機をうかがうも、身に危険が迫り、明治4年、松前藩医・杉村家の養子(婿入り)の話を受けて北海道の松前町に渡る。
その後、幾度か東京に戻るものの、長くを小樽に暮らし77歳で生涯を閉じた。樺戸(=現・月形町)の刑務所で看守の剣術指南役を勤めた時期もある。
杉村さんのお父さんは、小樽で晩年の新八と寝食をともにした孫の一人だ。
その孫たちが成人したら読ませるようにと、新八は数々の戦いで負った傷の由来を『七ケ所手負場所顕ス』に書き残している。
「身体に残る傷こそが、自らの歩んできた歴史だったのでしょう」
手負場所の一つ、「池田屋事件で斬られた左手の親指は晩年も少し不自由だった」と、親族には伝わっている。
そんな武勇伝の似合う新八だが、杉村さんが「父から聞いた話で最も印象深い」のは、こんな静かな光景だ。
「夜中に父が目を覚ますと、新八はよく文机に向かい、書き物をしていたそうです。
コンコンと灰を落とすキセルの火は、蚊帳ごしにホタルの灯のように見えたといいます。
筆の手を止めキセルをふかすとき、何を思っていたんでしょう・・・」
新八は、新選組結成前からの仲である幹部13人のうち、ただひとり戊辰戦争を生きのびた。
そして、余生は、隊士の墓や慰霊碑の建立に奔走するほか、新選組に関する数多くの回想録を書き記している。
それらは後の新選組研究に大きな役割を果たすこととなった。今の新選組人気も新八なくしてなかっただろうと言われる。
>>599
>新八は、新選組結成前からの仲である幹部13人のうち、ただひとり戊辰戦争を生きのびた。
斉藤一は?
>>609
wikiをみてみるとこんな感じ:
永倉新八の手記『浪士文久報国記事』には、斎藤は江戸で近藤勇の天然理心流試衛館に出入りしていたと記されているが、
のちに近藤が京都に滞在した試衛館の一同に武具を届けさせたときには、斎藤は含まれていない。
浪士組にも参加しておらず、京都で新選組の徴募があった際に初めて加入したとも考えられる。
少なくとも斎藤の上洛は近藤たちとは別行動であった
ニュース
そもそも浪士隊に参加してないし
結成時の13人って、
近藤派8名
近藤勇、土方歳三、沖田総司、井上源三郎、永倉新八、山南敬助、原田佐之助、藤堂平助、
芹沢派5名
芹沢鴨、新見錦、平間重助、野口健司、平山五郎
であってる?
内部粛清や御陵衛士にスパイとして潜入したり、危ない仕事やってるのに生き延びて、
その後会津藩士になり戦いに参加しつつ、二度名家の娘と結婚。子供もいる。 警官やら警備員やって大正まで生きた。
映画なんかだと、「この人がずっと生きてるのはドラマだからであって、現実ならもう殺されてるよね」みたいな役。
二度名家の娘と結婚!?
会津藩家老の娘の時尾とは再婚なの?
一度目の結婚は誰と?
>>618
斎藤は斗南藩領の五戸に移住し、篠田やそと結婚した。
篠田家は『諸士系譜』からも確認される名家で、会津藩士としては大身に属する。
白虎隊士中二番隊に属し、飯盛山で自刃した篠田儀三郎とは遠縁にあたる。
のち、元会津藩大目付・高木小十郎の娘・時尾と再婚した。
この時、氏名を藤田五郎に改名している。
時尾との間には、長男・勉、次男・剛、三男・龍雄の3人の子供を儲けることになる。 (wikiヨリ)
こういう昔の恩給の書類とかまだしっかり残っているんだねえ
篠田家が、今で言う所の戸籍ロンダリングに協力した、みたいなかんじだったのかな?
>>624
そのへんはハッキリわからないんだろうね
いろんな研究者たちがずっと調べているようだけど、まだまだ謎が多いというか…
結婚の形態も当時は今とは随分異なるだろうしねえ。混乱期でもあった。
斎藤は永倉みたいに自伝的なものは残していないようだね
息子たちもあまり父親の話は聞いてないのかな。
斎藤の話(体験談)が子孫に伝わっていたら、新撰組の実態や評価も随分かわってくるのに、ちょっと残念だ
斉藤一研究の第一人者の某先生は時尾で初婚と主張されてたけどね
自伝については昔からずっと議論のあることで
その某先生が隠し持ってるのでは? との声もさんざん出たけど
先生は「昔からそう言われているが持っているはずなど無い。
持っていたらとっくに発表している」と歴史読本誌上で弁明する始末で
それと斉藤(藤田五郎)の長男の勉が語った内容を妻のみどりが記した紙片は
残っていて新人物往来社の斉藤一本でも検証はされていたはず
以前にも斉藤って話題になっていた気が
謎の多い人物では有るけどねー
あれは子母澤さんが情報の出所だから信憑性は薄いかも
もし本当にあったらすごい価値があるよね
でも個人的には確実に存在したはずの土方の日記がよみたい
「ご先祖が歴史上の人物」な芸能人たちを紹介しよう。
●毛利元就→吉川晃司
毛利元就の次男・吉川元春の末裔。大河ドラマ『天地人』で織田信長を演じたときは親戚から「敵じゃないか」と言われたらしい。
●松永久秀→太田光代(爆笑問題・太田の妻)
戦国武将・松永久秀の子孫。松永久秀は裏切り、暗殺など悪逆の限りをつくす一方で、
連歌や茶道に長けた教養人でもあった。最期は茶釜に火薬をつめ、日本初の爆死をした「濃い人物」としても有名。
●明智光秀→クリス・ペプラー
クリス・ペプラーはドイツ系アメリカ人を父に持つハーフ。自身の看板番組『TOKIO HOT 100』の中で、母方の先祖が明智光秀であることを明かした。
●蜂須賀正勝→釈由美子
蜂須賀正勝は小六の幼名でおなじみの、秀吉直参の戦国武将。末裔が出家して四国に渡った際に「釈」に改名したという。
●伊達政宗→サンドウィッチマン・伊達みきお
伊達家の分家である大條(おおえだ)家の末裔。高祖父の大條道徳は仙台藩の奉行をつとめ、戊辰戦争後、功労が認められ、伊達姓に戻る。
お笑いを目指して仙台から上京する際、父親には「伊達の姓は使うな!」と言われていた。
●岩倉具視→加山雄三
母方の高祖父が明治の元勲にして維新の十傑の一人、岩倉具視。母・小桜葉子の祖父にあたるが、岩倉家との交流はないと『NHKファミリーヒストリー』で明かされた。
●西郷隆盛→武豊
西郷隆盛の遠縁にあたる。西郷隆盛の孫(西郷吉之助)が、武豊の曾祖父の兄弟である園田実徳の娘・ノブと結婚している。
生き馬の目を抜く芸能界で勝ち残っている人は、ご先祖様もスゴかった! 歴史の偉人に守られているから強運なのかも?
元NHKの松平定知アナウンサーは
徳川家康の異父弟・松平定勝を祖とする、伊予松山藩・久松松平家の系統
戦国自衛隊(元祖)映画観て、
旗印でどこかわかる人凄いなと、ふと思いました
今の武器車輌は燃料補給無くなったらアウト
戦国時代とはいえ人海戦術で負けるよなぁ
戦争自体、補給路断たれたらダメだしね
燃料もそうだし、食糧も補給しないとね、
いわゆる「兵站」てやつ?
戦国時代とか、どうやって兵隊の食糧を確保していたんだろう?
要所要所で調達したのか、その場その場で略奪とかしていたのか…
何を食べて行軍していたのかな
京から九州とか
朝鮮出兵とかね…
水や食料とか大変だっただろうね
戦国自衛隊(元祖)、大好きな映画だわ!
家紋、わたしも覚えたくて、先日コンビニにちょうどよさげなムック(歴史人別冊)が売ってたので衝動買いしてしまった。
ちょっとはわかるようになったけど、
ひとつの家にいろんなマークがあったり、
違う家なのに同じ家紋がバンバンあるのも知ったw
ところで、放送当時は全然知らなかったんですが
「今夜はヒストリー」というテレビ番組のシリーズをようつべで偶然見つけてみてみたらすごくわかりやすかったので今更オススメ。画質悪いけど。
スタジオトーク以外の部分が面白い、タイムスクープハンターの戦国時代有名人取材版っぽいかんじの番組です。
古代エジプト第18王朝あたり、ルネサンスくらい
発達してないか?
また、アラビアとか先進国だったそうなのに。
なんであんなに停滞したんだ。
>>605
キリスト教の進行じゃないの?
アラビア文化が好きでたまにそっちの方に旅行にいくけど、
例えばシリアとかヨルダンとか、古い寺院が軒並みキリスト教に上書きされてたよ。
十字架が書かれてた。
ちなみにシリア、戦争が起こるほんの少し前に母と二人で行ってきたけど、すごくよいとこだったなぁ。
十字架が描かれてしまった寺院はきちんと地元に人が使ってて、門をくぐると大理石の広場があって、老若男女がおだやかに日向ぼっこしてるんだ。
そこはみんなの交流の場だって言ってた。
少し先には市場があって、昔からの伝統の型で作られたクッキーがすごくきれいな形で美味しそうだった。
(ガイドが昔から型を使ったクッキーを作るのが伝統で男性の仕事だったと博物館で教えてくれた)
今も母と二人で、そのクッキーを買えなかったのを悔やんでるよ。
>>605
第18王朝だと新王国だね
新王国時代の終焉は海の民をはじめとした外敵の侵攻による国力低下
ラムセス11世の統治した第20王朝が新王国時代の最後なんだけど
ラムセス11世の統治末期にはアメン大司祭も力を持つようになって
第21王朝になった頃にエジプトは第21王朝とアメン大司祭国になる
これがエジプト末期王朝期の始まり
エジプト末期王朝期の終わりはアレキサンダー大王の侵攻
アレキサンダー大王に征服されてEND
アレキサンダー大王の死後にプトレマイオス朝が建国されるけど
これが有名なクレオパトラの王国でクレオパトラ知ってる人はご存知の通りローマに負ける
ローマに負けた後にエジプトはローマの属州となる
7世紀になるとイスラムの帝国がエジプトを支配するようになる
18世紀末~19世紀の始め、オスマントルコが衰退するとムハンマド・アリー朝エジプト(エジプト王国)になるけど
ムハンマド・アリー朝はオスマントルコがイギリスと結んでた不平等条約をそのまま押し付けられイギリスの実質的支配が始まる
第二次大戦後に第一次中東戦争でアラブ連合としてイスラエルと戦い敗戦
これがエジプト革命の引き金となってナセルが王制を打倒してエジプト共和国になる
その後にシリアとアラブ連合共和国になったりするけどシリアがクーデターもあって離脱
ナセルの死後にエジプト・アラブ共和国に名前が変わってこの前のアラブの春から現在にいたる
これが新王国時代の終わりから現在までのエジプトの簡単な歴史
こういう、北アフリカの先進国が、当時はくそ田舎のローマなんかにやられる構図というのは
近世でいえば北アフリカが「欧州」でローマが「アメリカ」な立ち位置と余り違わないと
考えてる。近代のアメリカが勢いあったようにローマの勢いも凄かったけれど
その新興国が出てくるのを支えた旧式?な国にもひっそりと文化の片鱗が残ってておもしろいよなぁ
そちらのほうに浪漫をそそられたり
マリーアントワネットって、フェルゼンとの恋仲が諸説あるうちの一つでしかないってほんと?
完全な史実だと思ってた。
恋仲ではなかった説もあるってことだよね。
それだと二人の仲はどんな感じなんだろう。
・忠誠を誓った主従関係
・どちらか一方の片思い
・特に忠誠はない割り切った雇用関係
・恋愛感情も主従関係もない友達
・ただの顔見知りの他人
とか?
>・ただの顔見知りの他人
これだけはないと思う
国王夫妻の逃亡に自ら借財して手を貸したり
幽閉された夫妻を救出するためにテュイルリー宮に忍び込んだのも史実
昔、池田理代子さんと遠藤周作さんが対談している記事を読んだことがあって
池田さんはフェルゼンがテュイルリーに1泊した記録が残っている事から
一晩だけ関係があったと主張し(ベルばらと同じ展開)
遠藤さんはアントワネットが性的に非常に潔癖であった事から
王妃に仕える騎士といった疑似恋愛的な関係を主張していた
へぇーその見解は興味深いね。
特に遠藤周作。
潔癖すぎた故のフランス革命か。
伝統的にヨーロッパの貴族階級以上は
結婚前の処女だけ守り通して、跡継ぎ誕生後お互い自由にどうぞになるからね。
アントワネットが恋愛遊戯していれば、後の様々な事件とも無縁だったのかなというタラレバになるわ。
特にカジノで散在はフロイト的に申すなら性的欲求不満の表れとなりそう。
>>664
> 結婚前の処女だけ守り通して、跡継ぎ誕生後お互い自由にどうぞになるからね。
これ時々聞くけど、貴族じゃなくてアントワネットみたいな王妃もそうなの?
>>665
>結婚前の処女だけ守り通して、跡継ぎ誕生後お互い自由にどうぞになるからね。
こう言われるけどこうばかりじゃないんだよ
モンテスパン侯爵夫人は野心からルイ14世に取り入り寵姫となるもモンテスパン侯は妻を取り戻そうとルイ14世を公然と批判した
結果モンテスパン侯はルイ14世から10万エキュを渡され強制的に離婚させられたけどね
ゾフィー・ドロテアやブランヴィリエ侯爵夫人は不倫が原因で幽閉や投獄されてる
フアナ女王は夫フィリップ美公の不貞に悩まされ精神を病む
王は公妾制度があったり毒殺の時代とか頽廃の時に守られなかったことがあるとはいえ
文化・教育・精神などの中心となってるキリスト教が不貞ダメのルールだから当然公に自由にしていいなんてことはない
何より公にそんなことしちゃいけないからこその「公妾」制度だからね
オーストリアとかない国もあるけどヨーロッパ中にある
イギリスのチャールズ王子の妻になったカミラ夫人の先祖が公妾だったのはけっこう有名
(アリス・ケッペル、エドワード7世の公妾)
王が愛妾を持つことはよくあるけど、王妃が公然と愛人とか持つことはできないでしょう。
それこそ正当な後継ぎがわからなくなってしまう。
もちろん愛人がいた王妃は沢山いただろうけど、公然の秘密という感じだったのでは。
あ、でも女王になると違うかな。ロシアのエカテリーナ女帝は愛人との子供を後継ぎにしたんだっけ。
>>668
娼婦であり王であったと言われるのはエカテリーナ2世ともう1人いたけど忘れちゃった
エカテリーナ2世の子パーヴェル1世は愛人との子であるとも言われるけど夫との子であるともされて真偽は不明
パーヴェル1世はエカテリーナ2世と確執があってエカテリーナ2世はパーヴェル1世に帝位を譲ろうとしなかったり
パーヴェル1世はエカテリーナ2世に暗殺されると思い込んでたそうだ
これは生まれてすぐにパーヴェル1世がエカテリーナ2世から引き離されたのもあるけどね
ルイ16世は公妾がいなかったんだよね
公妾は王妃を批難から守る盾で公妾がいなかったからアントワネットに批難が集中したと言われる
アントワネットとフェルゼンは、関係があったとしても一度だけ、っていう感じなのね。
なんか勝手にやりまくりなイメージだった。
だから子供たちは本当にルイ16世の子供なのかな?って疑問に思ってた。
アントワネットは性的に潔癖なのか。
だから性的不満が散財という形で表れて、結果フランス革命を起こすことになってしまったということなんだね。
そういえばあまり覚えてないけどクレールの奥方を読んだとき、奥方は初めての恋愛感情を抱いたけど、その候とは合わないように自制してた。
結婚前も後も、貞淑なのが好まれるんだなぁと思った。
サロン開いて啓蒙思想家と親交あって啓蒙思想を振興するようなことしてたよね
ポンパドールとか世が世なら妾程度にとどまらず、もっと出世してたんじゃない
だろうかと勝手に想像してしまう。
歴史見てるとたまにかっこいい人とかいて素敵だと勝手にトキいたりする。
王妃だとどうしても女性の社会的地位の低さで損をするから、ディズレリーと
手を組んで女王として君臨したヴィクトリアあたりが一番羨ましく見える気もする。
その辺の歴史は詳しくやってないからよくわからないけど。
ヴィクトリアは私生活が陰気極まりないから羨ましいとは思わない
ポンパドゥールは時代と人物がジャストマッチしたラッキーウーマンだと思う
王権絶頂期の寵姫で性的に淡白だったから、新たな女性にも嫉妬する事もなく、
むしろ女衒のような真似までして王の歓心を買い続けた
個人的に本当にこの人自由だなぁと羨ましく思うのは
アリエノール・ダキテーヌだな
公妾は当時は立派な役職
国からお給金まで出ていた
公妾を退く(追い落とされるとか王が変わるとか理由はいろいろ)と年金が出る仕組みも会った
まあ修道院に押し込まれたり暗殺されるような人もいたけどね
サロンを開くのも仕事の1つ
出自の悪い公妾は上位階級から話し言葉などをバカにされたので上位階級が寄ってこないこともあったけど
同じく出自の悪い芸術家にとっては居心地の良い場所だったなんて話もある
公妾は王に気に入られる程度の教養は必須で役職として政治的助言を行うこともあった
それが良かったかは別として当時の欧州女性の知的頂点の1つだったんじゃないかな
古代ギリシャの時代にも高級娼婦の話がいっぱいあるくらいだから欧州は女性人権運動が起きるまではそんなだと思う
そういった職業に就けるのは男性だけっていうイメージがあったから意外だったなぁ。
この時代、他にも女流画家が結構いた気がする。
アントワネットは彼女の描く肖像画が一番お気に入りだったとか
自画像を見ると中々の美人さん
良く描く技術がピカイチだったらしい
アントワネットだと、コンプレックスに感じていたらしい、ハプスブルク顎は面長うりざね風味にしたりとか
お喋りも上手で、ルブラン夫人との女子トークもアントワネットにとって楽しみだったとか
すごいねルブラウン夫人
ルイ15世によって無理矢理別れさせられたポンパドール夫人の元旦那の存在も、ちょっと思ってしまう。
美人の奥さんを持っても、権力者に狙われたら、結局旦那は泣き寝入り。
旦那がいたが、ジユリアーノ・デ・メヂチに見初められ愛人になった。