歴史総合

【歴女な奥様3】「歴女になったきっかけ」「白虎隊」「武家や公家の母親の出自」など

2022年6月11日

341: 名無し 2015/08/15(土) 23:34:56.21
革命で王政壊滅させたフランスのお札が長い間アンリ4世だったと知った時はびっくりしたけど
アンリ4世の生涯を知ると、そりゃこの人だよな~って。

 

343: 名無し 2015/08/16(日) 01:49:58.15
漫画の王妃マルゴでしか知らないアンリ4世だけど
ぐぐったら、なるほど。
カトリックとプロテスタントの融和政策・産業の振興
ヨーロッパ共同体の構想まで、かなり視野の広い王様だったのね。
元々フランス人ではないせいもあったのかな。

 

351: 名無し 2015/08/17(月) 14:17:30.23

>>343
王妃マルゴでは、アンリ4世フランス人じゃないことになってるの?
アンリ4世の父方のブルボン家って、ヴァロワ家と同じくカぺー朝の男系子孫の家系だよね
当時の人にフランスに生まれたからフランス人、ってはっきりとした意識があったかどうかはわからないけれど
ユグノーか、カトリックかの方が重要そうだ

私は漫画じゃなくて、映画の方の王妃マルゴ(イザベル・アジャーニ主演)を見た
カトリーヌ・ド・メディシスがえらい迫力のあるおばさまだった

 

352: 名無し 2015/08/17(月) 22:53:16.64
>>343,351
アンリ4世。どこかで聞いたことがあると思ったら、
うちの子供向け世界史辞典(マンガ)に載っていた。
この時代は、カトリックとユグノーの対立とか宗教戦争が
激しい時代だったから、融和政策はすごいんだろうなと
一人思いを巡らせてしまった。

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369: 名無し 2015/08/20(木) 09:03:43.76

おはようございます。

皆様、歴女になったきっかけは何ですか?

私は京都の八木邸に見学に行ってからです。
柱の刀跡を見て、ここで武士達が戦いを…!!
衝撃を受け身震いしました。

 

379: 名無し 2015/08/20(木) 17:49:21.44
>>369
八木邸に残る刀跡は  >武士達が戦いを というより
新選組内での主導権争いの私闘というか内訌というか粛清だよね
大酒飲んで女連れ込んで酩酊してる鴨一派を
寝床で闇討ちしたようなもんだもの

 

370: 名無し 2015/08/20(木) 09:32:05.69
私は親が見ていた大河ドラマかな。
初めてフルで見たのは「おんな太閤記」
年がばれるわ…

 

372: 名無し 2015/08/20(木) 12:36:33.78
>>370
奥様、お若い♪

 

371: 名無し 2015/08/20(木) 09:46:23.59

わたしは歴女名乗るのもおこがましいくらいの初心者。
もともと自分自身では奈良~平安時代とかが好きでしたが、最近は小学生の子供の影響と「信長協奏曲」や「イシュタルの娘」などの漫画から、戦国時代に興味を持ち始めました。

いまはかわり兜の本読んでます!

 

377: 名無し 2015/08/20(木) 17:29:26.90
私は小学5年に授業で歴史を知り、平安時代のお姫様や源氏と平家に興味を持ちました。
以来、新選組、フランス革命(ベルサイユのバラ)、関ヶ原、細川ガラシャ、春日局、→何回も見た、風林火山(映画)信長秀吉、アントニーとクレオパトラ(映画)等
ジグソーパズルの様に歴史の1コマ1コマが繋がるとなんか楽しくて。

 

378: 名無し 2015/08/20(木) 17:45:56.76
三船敏郎の「風林火山」は何回も見ました。
仲代達矢の「平家物語」や、真田宏之の「太平記」も良かった。
アントニーとクレオパトラ(映画)
徳川風雲録、大奥、フランス革命(ベルサイユのバラ)
イタリアメヂチ家等。
後歴史がらみで、千葉真一の「戦国自衛隊」が一番好きな映画です。

 

380: 名無し 2015/08/20(木) 18:45:52.73
>>378
千葉真一バージョンの戦国自衛隊!イイですよね~アレ!!
あれにちょっとだけでてくる真田広之が好きすぎです

 

382: 名無し 2015/08/20(木) 22:08:49.52

歴史にハマったきっかけは
小学館漫画日本の歴史を親が全巻買ってくれたからかなぁ

子供の頃は全20巻だったけど、今は巻数が増えてて複雑
昭和は遠くなりにけり

 

385: 名無し 2015/08/21(金) 00:07:38.64
>>382
もともと得意科目だったんです。
自分にとってはちょっと頑張ればすぐ90点代余裕でとれる科目だったので。
でも、大人になってから、テストの点数とかそういう細かいことを気にせずに
好奇心の赴くまま、勉強する歴史が一番楽しいです。

 

383: 名無し 2015/08/20(木) 23:24:35.97
きっかけは小学生のころ読んだシュリーマンの伝記かなあ。
今でも洋の東西問わず古代がすき。
邪馬台国がどこか、生きてるうちに決定的証拠が出ないかなあ~。

 

386: 名無し 2015/08/21(金) 00:24:24.26
このスレに出入りはしてるけど
自分は歴女と言えるのだろうか。
なんとなく、歴女=戦国マニア、って感じがして。
(私は古代史ファン)

 

389: 名無し 2015/08/21(金) 05:01:04.79

新選組では土方歳三。
戦国武将では織田信長が人気だよね。
腐女子人気狙うのはこの時代ばかり。

日本書紀とか
イケメン天皇や悲劇の皇子、闘うプリンセス
おられるのに。。。

 

390: 名無し 2015/08/21(金) 09:18:07.49
日本史は高校の教科書レベルのものですが、新撰組について知りたいと思っています
司馬遼太郎の「燃えよ剣」と「血風録」は読みました
史観が偏らないように他の作家の本を読みたいのですが、お勧めはありませんか?

 

391: 名無し 2015/08/21(金) 09:22:58.01
>>390
浅田次郎の壬生義士伝がお勧めです。
泣けます。

 

394: 名無し 2015/08/21(金) 13:17:08.74

>>391
偏らないように思うならまず小説より史伝モノを読んだほうがイイじゃんw

古老からの聞き書きや当時の伝聞の伝承の記録でもあり
それゆえに最新の研究成果や史料発掘からみたら多少のズレもあるけど
子母澤寛の[新選組3部作]はまず読んでおくべきものでしょ

あとはごまんといる新選組や幕末緒隊研究家が新人物往来社から出してた
資料集や史料発掘本とか共著の銘々伝とか
新選組関係の書籍は同人研究家も含めて山のようにあるわ

 

397: 名無し 2015/08/21(金) 14:13:47.24

>>394さんが紹介されてるものの方がいいんじゃないかな

しかし新撰組は人気あるねー
自分はあまり詳しくなくて(小説すら「燃えよ剣」を読んだくらい)、
この流れで新撰組関連のもの読んでみようと検索してみたら、乙女ゲーまであるのね…
そんな私は平安中期が好き。「なんて素敵にジャパネスク」の影響です

 

397: 名無し 2015/08/21(金) 14:13:47.24
>>390さんの質問が、司馬遼太郎とは別の角度から見た
新撰組関連の小説を読みたい!だったら「壬生義士伝」でもいいけど、
史観が偏らないように、より史実に近い新撰組の姿を知りたい…ってことなら

 

408: 名無し 2015/08/22(土) 08:17:36.86
>>390です
お勧めいただきありがとうございます
ひとまず浅田さんの子母澤さんのを読んでみます

 

396: 名無し 2015/08/21(金) 14:12:29.11

栗塚旭が演じた「燃えよ剣」の土方歳三は最高でした。モノクロですが、味わいがあります。
今は時代劇は時代劇チヤンネル(有料)でしかみれないものが多く、不満です。

「血風録」と「始末記」も読みましたが、「燃えよ剣」だけは何度も読み返しました。お気に入りの本です。

 

401: 名無し 2015/08/21(金) 18:33:09.15

>>396
> 栗塚旭が演じた「燃えよ剣」の土方歳三は最高でした。

リアルタイムでご覧になったのですか?
だったらお仲間がいて嬉しいです。
この板ではあまり知ってる人(リアルで見た人)はいないようですが…
歴代土方役では一番良かったと思います。
あと印象に残っているのは、ドラマ「白虎隊」での近藤正臣。これは他スレや他板でもちょくちょく名前が出るので、評判が良いみたい。

 

403: 名無し 2015/08/21(金) 21:53:02.65

>>401
私が中学か高校の時に、深夜11時にテレビ東京でリアルやっていて、
父母が寝た後だったので、
1人で居間のテレビで見ました。

子供時代は父がテレビのチヤンネル権で、
夜は自由にテレビが見れませんでした。

ただ水戸黄門、大岡越前、遠山の金さん、素浪人月影兵庫、花山大吉 等の時代劇は
父と祖母が見ていたので、一緒にみれました。

白虎隊は、堀内たかおの「いとしき日々よ」がエンディングに流れたものを
何年か前にテレビで見て、泣きました。

 

406: 名無し 2015/08/22(土) 00:01:51.46

>>403
年末ドラマ白虎隊は、テレビ番組板や芸スポ等でも今なお話がでてきますね。
松平容保役の風間杜夫さんも、ハマリ役だった、と。写真で見る容保公のお顔や雰囲気も、風間さんと似ていると思います。

なんだか、歴史というより時代劇の話になってしまいますが、…
あの主題歌も名曲でしたね。
白虎隊士の1人は坂上忍サン(まだ10代だった?)

 

398: 名無し 2015/08/21(金) 14:25:50.15
私は平安時代は紫式部の「源氏物語」と古典の方に関心が行きます。
あと安倍晴明の様な陰陽師と
小野篁に興味があります。

 

407: 名無し 2015/08/22(土) 06:01:59.42
>>398女子はだいたいそう。
小野篁は冥界に出入りしていた人?
小野道風出した学問の家よね。
菅原家とはまた違う。
阿部家は土御門家に名前が代わってずっと明治に変わるまで
陰陽道の役職。

 

400: 名無し 2015/08/21(金) 14:58:49.31
私は幕末からww2直前辺りが興味あるんだけど、最近清朝の末裔が日本におられると知って本当にびっくりした。

 

404: 名無し 2015/08/21(金) 23:15:43.82
>>400
福永嫮生(愛新覚羅嫮生)さんのことかな?
ぐぐったら、自伝も書いてらっしゃるようですね。
愛新覚羅浩さんの書いた「流転の王妃の昭和史」は読んだけど
こっちは知らなかった。

 

423: 名無し 2015/08/25(火) 00:00:14.97

『宇治拾遺物語』は読んでいませんが、
ネットで知ったのは、嵯峨天皇のころ、「無悪善」という落書きを「悪(さが(嵯峨のこと))無くば、善けん」(「悪なからば善か らん」とも読めるが、

嵯峨天皇の命で、これをなんと読むかと問われた小野たかむらが,
「嵯峨天皇がいなければ良いのに」の意。)と読み、

これが読めたのは篁自身が書いたからに違いないと立腹した嵯峨天皇は

『子』を十二個書いたものを読め」というなぞなぞを出したが
子子子子子子子子子子子子
、見事に「猫の子の子猫、獅子の子と読み事なきを得た。と言う逸話を知りました。

小野たかむらは凄いと思いました。

 

425: 名無し 2015/08/25(火) 10:41:20.44

>>423
そのエピソードは
宇治拾遺物語『小野篁、広才のこと』だと思います。
また、宇治拾遺物語には安倍晴明の話がいくつかあって、
上記の篁の話と、晴明が蔵人の少将(イケメン)を守る話『晴明蔵人少将を封ずる事』は
学研の「まんがで読む 竹取物語・宇治拾遺物語」に収録されていて
非常にわかりやすいです。篁もめっちゃイケメンに描かれてますw

これを読んでなんか帝都物語を思い出して、もう内容全然覚えてないので
中古で買って読んでみようかなぁ・・などと思ってます。
歴女というにはヨコシマですがw

 

431: 名無し 2015/08/26(水) 14:33:56.94

>>423

まあ、嵯峨天皇も生きているときに「嵯峨天皇」とは呼ばれていないけどね。

 

434: 名無し 2015/08/26(水) 16:40:18.16

>>431
では嵯峨天皇は生きている時は何という名前だったのですか?

宇治拾遺物語の小野篁、広才の逸話がでっち上げとなるのですか?

 

436: 名無し 2015/08/26(水) 17:35:22.59

>>434
「〇〇天皇」の〇〇の部分は 死後 の尊称としての送り名
嵯峨天皇の場合は即位前は「神野」が諱
諱なので実際に世間でそう呼ばれていたわけでも無いと思う
中務卿とか、皇太子になってからは東宮、春宮、日嗣の皇子とか
そういう職務役名や立場としての名で呼ぶのが普通でしょう

とくに尊い人の実名を呼称することは禁じられてるに等しいことでもあり
「今上帝、今上の帝」「当今(とうぎん)」、帝、御上等々だったんじゃないの
その辺は実際に史料を読まないとはっきり答えられないけどね

で、「宇治拾遺物語」は採取されてる逸話や物語の舞台の時代に書かれた、
史料性や記録性の濃いものではなく 「説話集」 だよ

小野篁が生きたのは平安時代初期
宇治拾遺物語の成立時期は鎌倉時代前期
なのですでに伝説化されていた篁についての史実ないまぜの伝承や
人々の間で愛されてきた逸話が採録されているもの
「そういう風な逸話が残っている。伝承されている」ことを
聞き集めたり、まとめたものだと思ったほうがいい

この点)

 

424: 名無し 2015/08/25(火) 08:40:25.36

昔中学の時にヤンキーがたくさん回りにいたんだけど、白虎隊スゲェって言ってたな。
なんか城?が燃えたのを知って自害したってやつ。
勘違いでも忠誠心とか男気溢れるぜー!
って騒いでたけど…

今も昔も勘違いで自害とか犬死と変わりないんじゃないか?って思っちゃうんだけど、それはただ私が無知なだけなんだろうか?
なんにも格好いい要素を感じられない…
誰か分かりやすく教えて奥様

 

426: 名無し 2015/08/25(火) 12:38:05.43
>>424
そういう話にされてるけど
勘違いで死んだんじゃないよ
隊士たちが議論の果てに自決を選んだ

 

427: 名無し 2015/08/25(火) 23:17:11.43
>>426
城が燃えたのは勘違いではなかったってこと?
主君の城が本当に燃えて陥落してしまったから、自決を選んだってこと?
それならすごいなって思える

 

432: 名無し 2015/08/26(水) 15:40:45.41

>>426 >>427
城を取り囲む町が燃えていると天守や櫓まで白煙と火の囲まれて
炎上しているかの如く見えた

それゆえ、「あっ、お城が燃えている!」と勘違いをし
本丸、天守にまで火がまわるというコトは「城はすでに敵の手に?」
「では戦はすでに負け戦? お家はもう潰滅か?]
では、自分たちはどうすべきかということになり

「われら年少なれど会津武士のはしくれ、殿と城に殉じよう」

で、互いに刺しあったり自刃した・・・と、いうこと

あの時点では教導役の藩士が隊から離れてしまっていたし
隊(白虎隊の中でも身分の高い家の子の隊)の少年たちは疲れ果てていたからね

 

428: 名無し 2015/08/26(水) 08:21:06.36
当事の道徳観というものもあると思う。第二次大戦下の日本人のお国の為に…とか、
赤穂浪士の主君の為に…とか、
沖縄ひめゆりの女学生達の様に捕虜となって辱しめを受ける位なら自害を選んだ…等。

 

435: 名無し 2015/08/26(水) 17:26:37.19
>>428
そうそう、お国や主君のためになら私も納得できるのよ。
むしろ大和魂だなって感動する。
でも白虎隊は、自分の城が燃えたと勘違いしての自害なんじゃないの?
それだと確認してからにしろよ、って思っちゃう。

 

440: 名無し 2015/08/26(水) 18:20:32.52

>>427>>432>>435

白虎隊自刃の地の案内なんかにも書いてあるけど
自刃したものの傷が浅く生還した隊士の手記「白虎隊顛末略記」には
落城と誤認し悲観しての自刃ではないとあります

城下の焼ける様子を見て
鶴ケ城に戻り死ぬまで戦おうという者と
敵陣に切り込んで玉砕しようという者に
別れて激しい議論をした結果

「負け戦覚悟で行動したうえに捕虜となり生き恥を晒すよりも潔く自刃しよう」
ということに決着したため
白虎隊士たちは城が焼け落ちていないことを知りながらも、武士の本分を明らか
にするために飯盛山で自決しました

 

443: 名無し 2015/08/26(水) 19:09:45.99

>>440
自分が432で書いたことが絶対に正しい! というわけではありませんが

>生還した隊士
有名な飯沼貞吉のことかな
叔母が家老・西郷頼母の妻でもあったという会津名族の家の次男で
「白虎隊の生き証人」ということで顛末略記はわりと最近に発見されたもので
貞吉の語り残しというものだけど
未だ要検証という部分も多く飯盛山での最期状況については
未だ諸説ありなのでは? と思います

飯沼は維新後の会津社会とは距離を置いていて交流も控えていた等の事情や
記憶違いが無いともいえない・・・というコトもあります

会津史学は独特なものが有りまた研究者間の論議も激しく
検証方法や思想の相違等々いろいろ派閥もあるためあまり上手く説明できませんが

大河になった新島八重と山本覚馬も「会津を捨てて異郷で成功した人」
という見方が多く大河以前はあまり顕彰されていなかったという事実
同志社大学が山本家の跡地に生誕碑を建立しようと協力を仰いださいも
協賛を得られなかった過去もあったり(現在の碑とは違うものですが)

いろいろ複雑な部分がおおいんですよね、会津は

 

444: 名無し 2015/08/26(水) 19:11:05.23
>>440
さらに詳しく…
そっか、そういう理由だったんですね。
勘違いだという私こそが勘違いだったてことで、申し訳ないです。
とても納得しました。
武士道を知らなかったり馬鹿にしたりする目的で書き込んだつもりはなかったけど、不快にさせてしまってごめんなさい。
皆さん詳しくありがとうございました。

 

442: 名無し 2015/08/26(水) 18:53:11.17

>>432
おお!
詳しくありがとうございます!

勘違いっていうのはやっぱり間違いじゃなかったのか。
それならもう少し頑張ってほしかったなぁ。
でも、「少年兵も疲れてた」って言われて、確かにこれ以上頑張るのも酷かもね。
色々キツいこと言ってごめんねって思いました。

でもヤンキーが崇めるかっこよさではないんじゃないかな…やっぱり。

 

478: 名無し 2015/09/02(水) 00:10:20.17

日本の場合、母方は家系ロンダリングして、身分の高い家に嫁がせているケースが多々あるみたいですね。

聖武天皇の母、藤原宮子も和歌山の海女の娘で、美人の宮子を見初めた文武天皇が、
藤原不比等の養女経由で妃にしたと逸話があります。学者、梅原猛 説。

 

479: 名無し 2015/09/02(水) 00:33:05.69
徳川綱吉の生母、桂昌院も公家の娘ということになってるが、実は八百屋の娘だとか畳屋の娘とか言われてる

 

480: 名無し 2015/09/02(水) 01:24:38.34
桂昌院が公家の娘だなんて説があるの?

 

481: 名無し 2015/09/02(水) 01:34:29.93

ああ、小説などでは最初から八百屋の娘だもんねw

◆wikiより抜粋
京都の大徳寺付近で産まれる。
『徳川実紀』によれば、父は関白・二条光平の家司である北小路(本庄)太郎兵衛宗正だが、実際の出身はもっと低い身分であるという噂が生前からあった。
…従一位の官位を賜ったときに西陣織屋の娘であるという落首があったことが記されており、
また戸田茂睡の『御当代記』には、畳屋の娘という説が記されている。
…死後やや経ってからの『元正間記』には大根売りの妹、さらに後の時代の『玉輿記』には、父は八百屋の仁左衛門で養父が北小路太郎兵衛宗正という説が記されている。
寛永16年(1639年)に御小姓として家光の側室のお万の方に仕え、その際に春日局の部屋子として家光に見初められ、家光の側室となる。正保3年(1646年)1月に綱吉を産んだ。

 

482: 名無し 2015/09/02(水) 06:35:17.32
いや待って待って!!
そこにも公家の娘だなんて書いてない...

 

483: 名無し 2015/09/02(水) 09:53:18.68

厳密に言うと、公家=三位以上の昇殿許されてる家の人じゃないの?

お公家さんって言うと、烏帽子被って直衣・狩衣着て、白粉はたいて丸い眉毛で
「まろは~でおじゃる」みたいな口調でしゃべる人(一言で言えば麻呂aa)、みたいな安直なイメージあるけど

 

486: 名無し 2015/09/02(水) 10:34:54.93
>>483
そうだね~失礼しました~

 

487: 名無し 2015/09/02(水) 11:45:56.63

>>486
大奥にはいった公家の姫や宮家の娘たちは蒲柳の質も多くて
安産でなかったり生まれた子もとくに虚弱が多かったという事実がある
それととりあえず幕末までは幕府も安泰だったので
疲弊して弱体化した公家や宮中の権力なんて怖い存在ではなかったと思う

それより江戸の御家人や旗本の健康な娘たちのほうが丈夫な子を産むとされていた
それでも育たなかった幼児のほうが多かった時代だけどね

大名家にはいった公家の姫たちも出産はしている
徳川慶喜の母は有栖川宮家の王女
貧乏や宮家や公家にとって姫が大名家に嫁ぐ=経済援助をしてもらえる事
大名家にとっても都の貴顕の血がお家にはいるのは目出度いことだったから

 

484: 名無し 2015/09/02(水) 10:02:41.51
ものすごく大ざっぱな知識で言うけど
武家って跡継ぎの生母の出自はどうでもいいのかしら
公家は逆に母親の出自にこだわりまくったというのに

 

486: 名無し 2015/09/02(水) 10:34:54.93
>>484
公家の娘が跡継ぎを生んで、その親が外戚として権力をもつのが嫌だったらしい。
だから正室として公家の娘をもらっても、正室との間に子供は作らなかったのだとか

 

487: 名無し 2015/09/02(水) 11:45:56.63

>>486
大奥にはいった公家の姫や宮家の娘たちは蒲柳の質も多くて
安産でなかったり生まれた子もとくに虚弱が多かったという事実がある
それととりあえず幕末までは幕府も安泰だったので
疲弊して弱体化した公家や宮中の権力なんて怖い存在ではなかったと思う

それより江戸の御家人や旗本の健康な娘たちのほうが丈夫な子を産むとされていた
それでも育たなかった幼児のほうが多かった時代だけどね

大名家にはいった公家の姫たちも出産はしている
徳川慶喜の母は有栖川宮家の王女
貧乏や宮家や公家にとって姫が大名家に嫁ぐ=経済援助をしてもらえる事
大名家にとっても都の貴顕の血がお家にはいるのは目出度いことだったから

 

485: 名無し 2015/09/02(水) 10:09:18.98
借り腹って言葉があるくらいだしね。
桂昌院は二条関白の家臣(武家)の娘とされているだけで、公家の娘ではない。

 

487: 名無し 2015/09/02(水) 11:45:56.63

>>484
「腹は借り物」
もちろん江戸屋敷にいる正室から嫡子が生れればそれが良いけど
側室やお手付き侍女が産んだ子でも「正室の子になおす」家系図にして
正室を母ということにすればOKだし

もし生母の出自が気になるのならその実家を取り立てるとか
しかるべき身分の家臣や一族の娘ということに直してしまえば良い

公家だって「家女房」とかいって正室以外の家の女房に子を産ませて
正室の子になおしたりしてるよ

 

488: 名無し 2015/09/02(水) 12:41:42.26
正室じゃないけど家治の母も公家の出じゃなかった?

 

489: 名無し 2015/09/02(水) 14:14:40.74

公家の出だね。梅渓家。

徳川将軍家も4代から8代までの生母は身分が高くないんだよね。
罪人の娘とかそれこそ八百屋の娘とか。

それが9代以降は側室が旗本の娘か養女が基本になってきている。
家柄の良くない女が側室になる時点でどこかの旗本の養女にしている。

ようするに母方の血筋もかなり気にし始めているってことで。

 

490: 名無し 2015/09/02(水) 14:33:53.77
元御用邸の天皇家の家系図には大正天皇の実母の名前はなかったし
旧岩崎家には家系図が展示してあるけど第二代の当主の生母は一代目の正妻だった。
家系図ってそういうものなのね。

 

495: 名無し 2015/09/03(木) 15:46:55.14
江戸時代の武家官位がよくわからない。
あれは大名の私称を幕府が公認したってことでいいのかな。
その場合、同じ官職名が2家で被ってもOKだったのかしら。
例えば信州松代の真田家と知恵伊豆で有名な松平家はともに伊豆守だったりするけど。

 

502: 名無し 2015/09/03(木) 19:44:36.70

>>495
私も昔から官位というのがよくわからない。

薩摩とか出羽とか筑前とか、そういうのは、住んでる(治めている)地域と関連があるのかないのかもよくわからない。
だから、詳しい方がいろいろ書いてくださると大変勉強になります。

 

503: 名無し 2015/09/03(木) 20:32:44.32
>>502
加賀の前田=加賀守、薩摩の島津=薩摩守などの国持大名は一致してるけど、
それ以外は殆ど関連ないみたいです。
例えば青森の津軽家が何故か土佐守を名乗ってたりするし、
ウソかホントかしらないけど蝦夷の松前家が志摩守なのは蝦夷島の「島」
(=しま=志摩)から語呂合わせしたと言う話もあります。

 

496: 名無し 2015/09/03(木) 16:28:03.20

私称っていえばそうなんだけど、大名や旗本が名乗る時はちゃんと幕府の許可を得るんだよ。
それにちゃんとしたルールはある。

例えば現在の老中と同じ名乗りはできない。

とか、同じ苗字の中では重ならないようにする。
一番厄介なのは「松平」で、本当の(って言い方もおかしいけど)松平さんもいれば
「松平」の苗字を下賜された家もある(岡山の池田家や薩摩の島津家も松平さんだよ)
ダブらないようにあっちこっちに聞いて回らないと。

家々によって名乗っていい官位がある。
島津家は「大隅守、薩摩守」それ以外はダメ。とか、

○○家の嫡子は「△△」しか名乗れない。とかね。

決めて幕府に許可をもらう時にこのルールから外れると処罰の対象。
もちろん朝廷にも申請するのよ。

 

525: 名無し 2015/09/06(日) 11:34:34.85
>>496
「松平」姓は将軍の娘を迎えると、親戚認定で名乗れた
徳川の姫が降嫁した大名家は、幕府との繋がりを誇示する為に、こぞって松平姓に
徳川家直系と、その他大勢の松平達との区別は葵の紋所
三つ葉葵の紋章が、徳川家所縁の者との証

 

497: 名無し 2015/09/03(木) 17:04:49.21
なるほど。ややこしいのね。要するに条件をクリアすれば(なおかつ幕府が許可すれば)
同じ名乗りの大名が何人いてもいいわけか。
代々続く大名家でも必ずしも同じ名乗りを継承するわけじゃないね。
大和郡山の柳沢家なんか甲斐守と美濃守を交互に名乗ったりしてるけど、どういう基準があったんだろう。

 

498: 名無し 2015/09/03(木) 17:32:58.99

とりあえず柳沢家のルーツは「甲斐武田家家臣」だからね

天正十年に武田が瓦解した後に信玄次男で盲目だった龍宝の子が生き延び
(信玄次男の龍宝はその天正十年に自死)
家名存続はしたんだけど大久保長安事件のあおりをくって流罪になったり
その子らが江戸に戻されても経済困窮してたのを救ったのが柳沢吉保

「元主君武田信玄の子孫」の困窮を元家臣筋の柳沢家が救って
かつ幕府にとりなして高家の職を世話してあげたという逸話があるけど

 

499: 名無し 2015/09/03(木) 18:21:53.60

>柳沢家が救ってかつ幕府にとりなして高家の職を世話してあげた

それは知らなかった。吉保時代の高家と言えばまっさきに吉良上野介だけど
吉良氏は足利一門の名家だから上野介も由緒があるのかと思ったら、
初代は何故か上総介だったらしい。
そう言えば織田信長は最初上総守を自称してたけど、
後で上総は親王の任国で守がいないと知って上総介に改めたんだよね。

 

504: 名無し 2015/09/03(木) 23:22:54.19

>>499
「江戸時代の高家」というのは幕府の職名なんだけど
室町時代から江戸初期以前の武家の名族が就任世襲するもので
(なので戦国時代の下剋上武家はなれない)
江戸時代にわたって二十六家あります。吉良家が特に有名

で、いま武田家正統当主と名乗っているのはその高家武田家の筋です

 

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