歴史を語り合いましょう
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釣りだよね・・・?
信濃源氏=小笠原
その上に、何故に義清の個人名・・
小笠原は甲斐源氏の流れ。
村上氏、井上氏が信濃源氏といわれる。
村上氏は頼義の二弟、頼清
井上氏は頼義の三弟、頼季を祖とする。
村上氏http://www2.harimaya.com/sengoku/html/murakami.html
井上氏http://www2.harimaya.com/sengoku/html/s_inoue.html
高梨氏http://www2.harimaya.com/sengoku/html/tnasi_k.html
信濃源氏の定義を教えてくれ、
井上氏が信濃源氏と書いてある物も知っているが、
木曽義仲も信濃源氏ととらえられているし(率いているとも思われる)、
小笠原氏も信濃源氏と書いているウェブサイトがある(村上よりは先に守護だし)。
仁科すらある。
信濃源氏って頼信流なのか?
信濃に本拠地を置いた源氏は5流あり
1、満仲の五弟満快の系統
2、頼光の孫頼実(頼綱の兄)の系統
3、頼義の次弟頼清の系統
4、頼義の三弟頼季の系統
5、頼義の三男義光の系統
いわゆる「信濃源氏」と呼ばれるのは上の3、4、5のみ。
しかし、義光の系統の嫡流は甲斐源氏の武田氏で小笠原氏は常陸の佐竹氏、
奥州の南部氏と同様義光流の庶流だと考えられている。
よって普通、信濃源氏の本流というのは頼清、頼季兄弟のそれぞれの嫡流である村上党、井上党ということになる。
信濃の源氏ならすべて信濃源氏だという意見もあるが、近江源氏について考えてみる。
近江源氏というのは一般に宇多源氏の佐々木氏流ことであるが、
近江に本拠地を置いた清和源氏の満仲の弟満季流はこの名称を使われない。
小笠原氏は信濃第一の名族であるが、嫡流の地位は村上氏だと言われている。
満快流の苗字とその根拠地
中津 更級郡中津(長野市川中島町)
中津乗 同上
津乗 同上
伊那 伊那郡(伊那市)
林 筑摩郡林郷(松本市里山辺林)
野辺 高井群野辺原(須坂市野辺町)
泉 小泉荘(上田市川辺)
諏訪部 諏訪郡(諏訪市)
室賀 小県郡室賀郷(上田市室賀)
芳美 芳美御厨(須坂市)
上田 上田荘(上田市)
植田 同上
手塚 小県郡手塚郷(上田市手塚)
洗波 洗波牧(塩尻市洗馬)
松本 小県郡松本郷(上田市富士山松本)
続き
飯田 郡戸荘飯田郷(飯田市)
真田 小県郡真田郷(真田町)
佐奈田 同上
飯沼 小県郡飯沼郷(丸子町生田)
飯間 同上
村上 村上荘(坂城町村上)
二柳 石川荘二柳郷(長野市篠ノ井二ツ柳)
夏目 水内群夏目村(信州新町)
依田 依田荘(丸子町)
片切 伊那郡片切郷(中川村片桐)
片桐 同上
堤 東条荘堤郷(小布施町都住)
駒沢 諏訪郡駒沢(岡谷市川岸駒沢)
那須 小県郡那須湯(丸子町西内)
大島 水内郡大島郷(小布施町大島)
東 伊那郡東伊那部(伊那市伊那部)
西 伊那郡西伊那部(伊那市伊那部)
大室 大室牧(長野市松代町大室)
上は旧市町村名を使用。
ちなみに水内群夏目村(信州新町) に本拠を置いた夏目氏は後に明治の文豪夏目漱石を生み出す。
じゃあ、1-5に含まれない木曽義仲が信濃源氏という表現もOKなんだね?
しかし清和源氏以外の有名どころがないね・・・。真田も思いっきり清和源氏だし。
あとは諏訪氏ぐらいか。手塚光盛が諏訪氏というのもさっき初めて知った。
真田は系図上は滋野氏になってる。
でも実際は小県に多い諏訪氏庶流ではないかと言われてる。
長野県人て、『信濃の国』を皆歌えるんですか?
分県騒動の際、『信濃の国』の大合唱で、
騒動治まったというのは、事実ですか?
歌える長野県人がここに一名。
小学校の音楽の時間で習った。
分県騒動の話は誇張があるかもしれないけど、本当。
不思議なもんで飲み屋とかで歌うと意外と若い奴が食いついてくる。
夏目漱石の先祖が源氏であることは「坊ちゃん」の中にも書いてあった。
その夏目氏が信州新町を本拠地にしていた。
篠ノ井に横田河原と言う場所があるが、
平安末期、木曾義仲と城助茂が戦った古戦場である。
城氏は平貞盛の弟繁盛の子繁茂が秋田城介に任じられてから城氏を称し子孫が越後に移った。
当時、城氏は越後の大豪族であり、平家方についていたため、義仲を討伐しようと信濃に出陣してきていた。
源氏と平氏の戦いとなった訳だが、城助茂4万騎、義仲3000騎であったが、
義仲は城氏を蹴散らし勝利を得た。
ちなみにこの横田河原は戦国時代、川中島とよばれ、
源氏の武田信玄と平氏の上杉謙信が戦った場所でもある。
戦後間もない頃、県議会で分県案が議決まであと一歩というところまで行ったのは有名な話。
今の市町村合併の騒ぎどころじゃないぞ。
山ばかりだから「長野」なんだけどな
長野って長野市ありきでつけられた名前?
それとも長野県が先にあったの?
長野県が先なんじゃねえ? 前は中野市が県庁所在地だし。
盆地が長い野になってるから長野って付いたのかと思ってた
いや、すまそ
つまり、山ばかりで斜面が多いことから、地図で見るより野が長い
シナノキがたくさんあったからという説が有力。
ちなみにこの「シナノキ」というのはかつて住んでいたアイヌ人が名づけたらしい。
「シナ」とはアイヌ語で「縛る」と言う意味。
菱田春草(日本画家)もお忘れなく
信州・長野県知事 田中康夫
(前半略)
「長野県が溶けてしまう」と申し上げてきたのは、こうした慨嘆の表れです。
何を戯(たわ)けた発言を、と冷笑される向きも居られましょう。ですが、
合併を経ずとも、地域住民の意向で名称変更も可能な市町村名とは異なり、
都道府県名は廃藩置県の際に法律で中央政府が半ば一方的に規定した代物なのです。
善光寺下の一町名が県全体の呼称となった長野県とて例外ではありません。
古文書にも登場する信州を、長野県知事なる呼称の前に常に冠して、
信州自治共和国としての一体感の高揚を図ってきたのも、それが理由です。
道州制は、中央政府の都合で区割りされていくのです。その魁が山口村のいわゆる
「越県」合併である、との見解に接して、どうして心中穏やかで居られましょうか。
(後半略)
信濃国と長野県は全く別物です。
長野県は明治政府が作った行政区画で,たままた県境が旧国境と一致したまでのこと。
他県では現県境と旧国境が異なっているところがいっぱいあります。
だから、山口村が岐阜県に越権合併したから信州人じゃなくなるという発想は大間違い。
長野県は県域も広くまとまりが無いかのような感じがするが、実際県内どの地域へ行っても
皆似たような地勢と住民の気質でなるほど古代人が信濃国と定めただけのことはあると思うよ。
例えば自分飯田人だが山を越えた中津川へ行っただけでも方言が全く別でむしろ長野市民と話している方が言葉が近いし、
電車で豊橋まで下れば信州とは全く別世界の南国で気候から生えてる植物までまるで違う。
飯田は県の末端で県内では多少異端視されてるけど、信州というカテゴリ内の共通点は沢山共有しているし、それは東信や中信と比べても
同じでやはり山国信州人気質というものは皆共通して持っていると思うよ。
信濃の神様も大和朝廷に討伐された歴史ってあるの?
諏訪のタケミナカタは出雲をタケミカヅチ(大和朝廷)に分捕られて、諏訪に逃げてきたんじゃないの?
逃走経路は色々考えられているようだけど、西から東に逃げてきたのは確かっぽいなあ。
原住民から土地を奪い続けた神様たちだね
征夷大将軍に討伐されたらしいね。各地に「首塚」「耳塚」がある。
安曇氏は信州発祥じゃないよ?
すでに大和朝廷の支配下だし
穂高国なんてないでしょ。
信濃国の枠組みを決めたのも大和朝廷。
吉備国や出雲国のような大和以前に独立した国があったわけじゃない
安曇族は北九州あたりの海洋民族だったらしいね。
糸魚川あたりから上陸して安曇を切り開いたとか。
穂高神社では近くに海が無いのに海の神様を祀ってるらしいし。
子孫は「エゴ」という料理を食べるらしい。
でも刺身は馬刺しだけかも
テングサが原料のトコロテンみたいなもの。あと、同じようなのに北九州の「おきゅうと」が
あるね。
信濃出身の武名高い武将を挙げていってくれ
↓
といってもオープニングの字幕だけで、誰がどれなのか劇中では
わからんかった。
「源平盛衰記」からすれば、義仲の戦いは行親や楯親忠ら佐久勢
の野心の実現であったと、とらえられなくもない。